第10話 二人で歩む道の先(前編)

「ちょうど良かった。オリビエもいるのね。先日は楽しい夜をどうもありがとう」


 公爵家の紋章つき四頭立て馬車が歩道に寄せられて止まった。

 艷やかな金髪の美しい少女、クリスティーヌが男性に手をひかれて下りてくる。

 オリビエとシルヴィアを順に見て、可憐な笑みを浮かべた。


「私の誘いを断って、仲良くする相手がシルヴィアなの。それ、良いかもしれないわ。オリビエ、あなた数年前に異国で『呪い』にかけられたそうね。あなたと心を通わせた相手は、死ぬ運命にあるのだとか」


(死ぬ?)


 唐突に突きつけられた言葉に、思考が追いつかない。

 瞬きをして見返したシルヴィアに対し、クリスティーヌはしてやったとばかりに、悦に入った声を立てて笑った。


「知らなかったみたいね! それもそうね、知っていたらあなた逃げたでしょう。でも、だめよ。呪いの効力が最初の一人にだけ発揮されるのなら、誰かを犠牲にしてしまえばオリビエは自由になれるの。シルヴィアはちょうど良い相手だと思うわ。あなたも本望じゃない? オリビエのことが好きなのでしょう? あなたがここで犠牲になればオリビエは自由よ。良かったわね、選ばれて。いつ死ぬの?」


(心を通わせた相手が死ぬ? 誰かが死ねば、オリビエ様は自由になれる……)


 雑踏のざわめきが遠のく。

 オリビエが呪いの詳細を言わなかった理由。

 それが「相手が死ぬ」という内容だからなのだとすれば。


 クリスティーヌに言い返すことなく、沈黙を貫くオリビエの横顔を見上げると、感情を押し殺した瞳が見下ろしてきた。

 その目に、自分がどんな顔で映っているかを確認することなく、シルヴィアは笑み崩れているクリスティーヌへと鋭い視線を向けた。


(そんな嫌がらせには、負けてあげないわ!!)


「クリスティーヌさんが言うように、その『呪い』が有効性のあるものなら。オリビエ様に『自分の命を使ってください』と身を投げ出す相手は、これまでにもいたでしょう。たとえ死と引き換えであっても、オリビエ様の真実の愛が手に入れられるなら、構わないと。それを避けるため、これまでオリビエ様が何も明かさずに、『失恋伯爵』という名をほしいままにしていたのだとすれば……」


 ――俺は普段の振る舞いで他人を傷つけ続けてきて、罪悪感はありました。同時に『どうせ誰も俺の気持ちなど本当には考えようとしない』という、この世界に対する深い憎しみも抱えています。悪いのは自分ではなく『呪い』なのだ。『他人』なのだ。『この世界』なのだ。そういう感情と慣れ親しむこと。俺はずっと『そこ』にいました。


(傷つけることによって傷つき、絶望とともに生きながらも、今この方は立ち上がろうとしている)


 クリスティーヌは、その彼を踏みにじったのだ。

 全身を燃えるような怒りが駆け抜けて、シルヴィアはクリスティーヌを見据えたまま一歩踏み出した。


「オリビエ様の優しさを踏みにじったあなたを、私が許しません。他の誰が見逃しても、私はこの先絶対に許さない。オリビエ様のことを調べたなら、当然私のこともご存知でしょう。私の母は呪術の息づく国、アエルシュマの出身。私にもその血が流れています。私が非業の死を遂げた場合、間違いなくそのとき抱いた怨念のすべてがクリスティーヌさんに向かうように呪っておきます。はったりじゃないですよ」


「あなたが、私を呪うですって……?」


 思わぬ反撃にたじろいた様子のクリスティーヌであったが、ここで弱気になっては負けだと、シルヴィアは一切退くことなく敢然として言い放った。


「呪います。世界中にあなたの自己中が知れ渡って、生きている限り誰にも本当には愛されない呪いです。辛いですよ」


 考え得る限りで、もっともありえそうな『呪い』を。

 真に迫って言えば、「呪える」もはったりだとは見破れまい。そのように虚勢を張っていたところで、隣のオリビエにさらりと言われてしまった。


「それはもう、すでにクリスティーヌ嬢にかかっている。どうせならもう少し過酷度を上げたら良い。『しかもその上、誰からもうわべの言葉しか言ってもらえない』とか」


 提案の内容を検討してみたが、シルヴィアとしては首を傾げざるを得ない。


「それこそすでにかかっていると思うんです。クリスティーヌさんの周りに、クリスティーヌさんを本当に好きというお友達がどれだけいるでしょう。だいたい皆さん、いじめられるから仕方なく合わせているだけだと思います」


 とても素直に言ってから、シルヴィアは本人の目の前であることを思い出した。

 クリスティーヌは、強張った笑みを浮かべつつも、強気な態度を崩さずにシルヴィアを睨みつけた。


「たとえ私の周りに『本当の友達』がいないとしても、構わないわ。どんな形であれ、私の言うことをきく人間がいればそれでいいのよ。現にそれであなたは孤立して惨めな思いをしているじゃない」 


(惨め?)


 シルヴィアは、呼吸を整えてから、正直に告げた。


「確かに、一時期はそうでした。その件ではクリスティーヌさんを許す気はないです。クリスティーヌさんは極悪です、間違いないです。でも私自身の惨めさは、私が諦めていただけでもあって。諦めたくないと思ったときに、手を貸してくれるひとはいました。今は惨めではないです」


 オリビエもまた、さりげなく言葉を添える。


「たとえ富や権力があろうと『信頼』は疎かにしない方が良いですよ、公爵令嬢。心無い者が周りにいることを許せば、いつか足元をすくわれる。敵を作れば、確実にやり返される。たとえば、あなたはいまその行いで私を敵にまわしていますが……、私がそれを見逃すような甘い人間だとはゆめゆめ思いませんように。今後、あなたの家と戦うこともやぶさかではありません。気付いたら、公爵家がまるごと乗っ取りにあっていた、なんてこともあるかもしれませんね」


 最後に、にこりと邪気のない笑みを添えて。

 笑っているのに極寒の空気を吹かせているのは、さすが「失恋伯爵」として培った経験がものを言っているようにシルヴィアには見えた。


「威勢が良いですこと、『失恋伯爵』。幸福になれない宿命のエバンス伯爵。なんと言おうと、あなたこそ真実の愛を得られぬかわいそうなひと。そこのシルヴィアとは結ばれないし、無理を通せばシルヴィアが死ぬのでしょう? 見ものだわ」


 いかにも腹ただしい様子ながらも、にこにこと話すクリスティーヌは、貴族令嬢としての矜持は確かなのだとシルヴィアは妙に感心してしまった。

 自分の生き死にが話題というのは、遅れて気がついた。

 見上げてみれば、オリビエは目を伏せて、何度か頷いていた。


「それは、ですね。こういう確認は本当に本当に気が進まなくて……。気が進まないんですけど、命には変えられません。シルヴィア嬢、お手を」


 差し出された手に、不思議に思いながら手を乗せると、優雅な仕草でオリビエが歩き出す。

 そのまま、クリスティーヌの元まで進んだ。


「何よ」

「あなたではなく、横の」


 クリスティーヌの遊び相手らしい、貴族風の青年。

 シルヴィアに一瞬目を奪われてから、慌てたように顔を逸らす。


(あら?)


 違和感に、シルヴィアはすぐに気付いた。

 これまで難儀してきたような、「呪い」による顕著な反応がない。

 クリスティーヌも気付いたらしく、にやりと笑って「あら、あなたモテなくなったわね」と青年にしなだれかかりながら揶揄してきたが、シルヴィアはそれどころではない。


「私、モテないみたいです!!」

「なるほど、これで『呪い』の効果がない状態なら、全然安心はできないとしても……」


 ぶつぶつと呟きながら、オリビエが体ごとシルヴィアに振り返る。


「俺が調べたところによると、すでに『呪い』がかかっている人間に、別の『呪い』は効かないそうなんです。だからあなたの『呪い』は俺に効かないし、俺の『呪い』はあなたには効かない。ただそれでも、俺の呪いが一撃死だとすると安心はできなくて……。呪いと呪いの種類がぶつかり合うもので、同じくらいの強さなら打ち消し合うというのも知ってはいたんですが、いま確認がとれました。あなたの呪いは消えている。おそらく俺の呪いと打ち消し合って」


 あなたが引きこもってから、俺に会うまでの間で、呪いが解けた形跡がないかも調べさせてもらっています。お父上にお会いしたときや、屋敷の方に事情を聞いて、俺と会った後に呪いがぶつかったという確信がもてるまで調べました。

 早口で言い添えてから、オリビエは咳払いをして、話を続けた。


「あなたはいま自由です。俺の呪いとぶつかるときに、あなたの中で俺への思いがあったとしても、今はまっさらな状態です。俺に気を使う必要はないし、受け入れる必要もありません。ただ、俺の気持ちは、あなたにあります。この思いは『呪い』とは無関係です。そのことをお伝えさせてください」


(まっさらな)


 シルヴィアは、繋いだままの手にそっと力を込めて、頷いた。

 熱くなってきた目を瞬きながら、震える声で答える。


「この思いがあなたを苦しめないと良いのですが。私は、あなたが、好きです」


 おそらくオリビエからこの距離は詰められないだろうと、シルヴィアは意を決してその胸に飛び込んだ。

 背に、しっかりと腕を回されるのを感じた。

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