第2話 呪われた青年

「今晩もキレッキレだったな、『失恋伯爵』」


 ソファに突っ伏している人影に向かって、第二王子アレクシスは愉快そうに声をかけた。

 アレクシスは艷やかな漆黒の髪に、黒瑪瑙ブラックオニキスのような瞳の、品よく凛々しい顔立ちの青年である。


 呼びかけられているのは、長い赤毛を後頭部で一本に結った、手足を折りたたんでいてさえ長身をうかがわせる後ろ姿。もごもごと鈍く動き、やがて低いつぶやきをもらす。


「絶対に断らせないつもりで衆人環視の中で告白してくるなんて、公爵令嬢はやばすぎる。さすがに背筋が凍ったよ」

「全然そんな風に見えなかった。むしろお前の一言に全員が肝を冷やしていたぞ。まさか今をときめくクリスティーヌ嬢に『自己中な女』と言うなんて。さすがにぞくぞくした。あれは『失恋伯爵』にしか言えない」

「それを言わざるを得ない状況に毎回毎回追い込まれる俺の人生、間違えている。勘弁してくれ……」


 呻きながら、煉瓦色のジャケットを身に着けた青年は半身を起こした。


 色白の細面をしており、瞼を伏せずとも睫毛の長さが知れる。宝玉のように透き通った瞳は、忌々しげに細められていてさえ、煌めきを零していた。

 世に言う、偏屈な「失恋伯爵」そのひと。

 公爵家の晩餐会から抜け出してきたところ、タイミングをはかって同じく退席したアレクシスに王宮にさらわられてきた現在。

 勝手知ったる王子の部屋でごろごろしながらぶつぶつ言っているが、見た目は天使の彫像にたとえられるほどに麗しく、やや浮世離れしている。

 それが現在に至る、彼の不幸の源でもある。


 若い時分に遊学に出て、帰国する途中に通った国でその国の王女に惚れ込まれてしまったのだ。

 オリビエはその恋心を受け入れることができず、丁重に断ったのだが、王女の執念は凄まじかった。


 ――この先あなたと結ばれる相手は、私の呪いを受けて死ぬ運命にある。


「呪いが本物なのか、試すような度胸は俺にはない。なにせ、賭けるのは自分の命ではなく、相手の命なんだから。俺にできることは、恋愛や結婚を根こそぎ回避することだけだ。一生」


 最後に付け加えられた「一生」の響きが重い。

 群青の仕立ての良いジャケットを身に着け、麗々しいクラバットを青い宝石で留めた高貴な出で立ちのアレクシスは、余裕いっぱいの笑みを浮かべて友人を見つめる。


「それでも諦めないご令嬢の多いこと多いこと。覚えておいた方が良いけど、お前みたいに、身分の高い相手も自信過剰な美女も物怖じせずに振る男、それだけでさらに男女問わずファンを増やしていたりもするからな……。クリスティーヌ嬢が横暴なのは事実だし、あの断り文句に溜飲を下げた者も多かろうよ」

「見世物ではない」


 オリビエは陰々滅々とした声で呟く。まなざしはひたすら暗い。

 混ぜっ返す気力もない姿に、さしものアレクシスも、若干の申し訳無さを漂わせながら言った。


「せめて呪いを解く方法が見つかれば良いんだけどな。もう一度あの国に行くのは嫌なんだろ」


 うなだれて聞いていたオリビエは、重々しく頷いてから答えた。


「嫌だ。そもそも行く意味がない。さすがにこのレベルの強力な呪いは生涯に一回しかかけられないらしいけど、一度発動したら術者にも解けないってことは調べがついている。打ち消すには同じくらい強い呪いとぶつかり合うしかないらしいけど……。そうそう呪われた女性なんてこの世にいるものか」


「呪術の国でも最強クラスの王族筋から呪われた令嬢か。なかなかいないだろうな」


 アレクシスもまた、認めざるを得ない。それは、雲をつかむような話。

 生涯一度の渾身の呪いをかけられた男女が、遠い異国で出会うなど夢物語だ。


「もし仮にいたとしても、だ。『俺の呪いを解くために、あなたの命を賭けてくれますか』なんて言えない。打ち消すことができなければ俺ではなく相手が死ぬ。それに、俺は見た目のせいか他の要因か知らないが妙にモテるけど、呪いのせいもあってこれまで女性と付き合ったことすらない。いざお付き合いしようものなら『そんな人だと思わなかった』と言って振られるだけだと思う。女性を諦めさせる言葉は磨かれ続けているけど、喜ばせる方法なんか何一つ知らない。たとえ呪いを解ける可能性のある相手がいたとしても、そのひとが俺を好きになってくれる可能性なんかない。わかってるさ、そんなこと」


 虚空を見据える瞳は陰気この上なく、青春を奪われ続けた積年の哀惜に満ちあふれていた。

 なぐさめの言葉を選びあぐねて、アレクシスは溜息をつく。


「お前の本来の性格、若干暗いことを除けばそんなに悪くないし、俺は好きだけど。普段のキレッキレの言動のせいで敵も多いからなー。あの印象でお前を見ている大多数の人間からしてみれば、今みたいな人間味溢れる『失恋伯爵』なんか、何かの間違いとしか思えないだろうし」


 望まぬ好意を寄せられ、少しの希望も抱かれぬようにと、あえて「あなたの命がかかっているから」との真実を明かさぬまま断固として断り続けてきた結果、一転して数多の憎悪を向けられている。

 その愛憎ミルフィーユ構造によって、オリビエの人となりは誤解や勘違いと切っても切り離せない状態で人口に膾炙かいしゃしているが、懐に飛び込んで間近な位置から見れば年相応の青年でしかない。

 とはいえ、その姿を知る者は本当に限られている。


「良いんだ……。俺なんかこのまま全人類に嫌われてしまえばいい。そうすればもう告白される心配もない」


 虚ろな呟きをもらす友人に、アレクシスは声をかけるか否か迷う。

 そのとき、ドアの外から従僕が控えめながらもよく通る声でアレクシスに来客を告げた。


「夜遅くではございますが、イライザ王妹殿下がお見えになっています。アレクシス様に火急の用件とのこと。エバンス伯爵がいらっしゃることもお伝え申し上げておりますが、どうしても、と」

「叔母上か。わかった。オリビエ、少し」


 用件の内容がわからないので、席を外して会いに行こうとしたアレクシスであったが、ドアの外から「ここにいるのー」とのんびりとした女性の声が響く。すでに来ているらしい。

 ソファから立ち上がって居住まいを正していたオリビエは、淡く微笑んで言った。


「イライザ様なら大丈夫。あの方は俺を好きにならない数少ない安心できる女性だから」 


 安心の基準が切ないことこの上なかったが、あえて口を挟まずにアレクシスはドアに向かってやや大きめの声を上げた。


「叔母上、紳士の部屋を訪ねるにはいささか遅い時間です。しかもここには今オリビエがいます。何かと噂になっても面倒なので、私の部屋はやめましょう。談話室に向かってください。こちらもすぐに向かいます」

「わかったわ。私もそれがいいと思う。紹介したい客人がいるの。伯爵も必ず一緒に来てね。用事があるのはあなたではなく、伯爵だから」


 明るく返されて、アレクシスもオリビエも思わず顔を見合わせる。


「……まさか、クリスティーヌ嬢が追いかけてきて叔母上を口説き落としたか? いや、馬鹿な。クリスティーヌ嬢と叔母上の仲は良かった試しがない。だが」


 伯爵を連れて来いということは、何くれと無理を言っている女性を連れている恐れがある、とアレクシスは閉口する。

 その申し訳無さそうな様子を前に、オリビエが即座に言った。


「大丈夫。もし本当に俺狙いの女性が来ているなら、お断りするまでだ。アレクは気にしなくていい」


 慣れているからね、と口の端を吊り上げて、笑った。


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