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 翌日の午後、といってもそろそろ仕事を片付けようかという時間になってから、安藤祐司は現れた。仕立ての良い紫のスーツに袖を通し、サングラスを掛け、秘書と思しき女性を連れ立ってやってきたのだが、


「彼女だよ。イブ、挨拶」


 その女性こそが彼が「夏を教えてもらいたい」と言っていたアンドロイドだった。


「はじめまして、夏川様。イブです。安藤の恋人をしております」


 六十度以上腰を曲げて丁寧にお辞儀をすると、彼女は安藤の三歩後ろに下がり、その位置をキープした。見た目は完全に人間の女性のそれだ。ただ表情がぴくりとも変化しない。人間の目というのは不思議なもので、動きのないものに対しては逆に違和感を覚えてしまう。

 

 ――汎用タイプか。

 

 そう思った刹那せつな、彼女が微妙に口角を上げた。微笑したのだ。そういった仕草は彼女が最新型の第七世代のAI搭載していることを示唆していた。


「プロジェクトのチーフをしている夏川です。宜しくお願いします。ところで安藤様。夏、と言うのはあまりに漠然としていて、もう少しこうはっきりとした学習目標があるとこちらも助かるのですが」


 データにできない、実に抽象的な内容ほど、AI学習には向かない。表面上、人間がするように振る舞っていると見えることが多いけれど中身はどこまでいってもコンピュータでしかない。プログラムにより制御され、言葉や行動が出力されているだけだ。

 AI学習の権威であるロジャー・カーネル博士はコンピュータによる意思の出力がAIの究極目標だと述べているが、そもそも意思とは何なのか、思考とはどんな仕組みで起こっているのか、まだまだ解明まで時間がかかるというのが凡その研究者たちの考えだった。


「先生さんよ。あんた、夏を知らないのか?」

「いえ、そういうことではなくて」

「夏ったら夏だよ。二人で夏を楽しみたいと思ってVRパークで遊んでいたら、夏が分からないと言い出したんだ。まさかそんな基本的なことも分からないとは思わなかったが、ロボットってのはそういうもんなのかね、先生」


 ロボットとアンドロイドの違いについて主張するつもりはなかった。


「アンドロイド、その知能部分ですが、特に彼女に搭載されているAIはメティスの最新モデルだと聞いています。だからといって、彼女が人間の女性そのもののように振る舞えるかといえば、答えはノーです。あくまでコンピュータなので、計算や結果がはっきりしている工程については人間よりも優れているでしょうが、漠然とした抽象的な物事に対しては、まだまだ人間に遠く及びません」

「細けえことは分からないが、俺たちのように夏が来た、やれ冬が来たと、それに一喜一憂するような、そういうことはロボット様には無駄だってことかい?」

「無駄という訳ではなく、理解するのが困難だと言っているのです」

「じゃあ、夏は教えられないんだな? 不可能なんだな? 優秀な先生様をもってしても」


 夏川の白衣の裾が柊有希によって強く握られた。いつの間にか拳を握りしめ、一歩、前進してしまっていたらしい。


「不可能ではなく、難しいと言っているだけです。いいでしょう。彼女に夏を教えます」

「そうだよ。最初からそう言ってくれればいいんだ。分かってるねえ、先生様よ」


 サングラスを持ち上げ、安藤は笑みを見せつけた。

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