プログラムされた夏
凪司工房
1
今は秋。それを感じられるのも経験による学習の力だと、
僅かに濡れた歩道には
五分ほどで真っ白な三階建ての屋根が半球のドーム状になっている建物が見えてくるが、その玄関脇に植わっている銀杏の樹はいつの間にか
現在では多くの仕事がアンドロイドに置き換わっているとはいえ、それが間違っていないかを監視するというお払い箱になった人間の為の無駄な仕事が創出されているという、実にくだらない状況があり、そういった不毛な仕事の輪廻をいい加減に断ち切りたいと、夏川は考えていた。
玄関の小さな扉には取っ手が存在しない。脇の認証用の台にIDカードをタッチし、正規の人間だと認められるとそこで初めてドアが開く。
クリーム色の壁に囲まれた空間は温度二十七度、湿度四十八パーセントに年間を通して保たれている。ずっと中にいれば季節を忘れる道理だ。だからこそ、夏川は毎日面倒な出勤という作業を自らに課していた。必要なら仮眠室という名の設備の揃った個室が所員一人一人に割り当てられており、外出することなく作業に集中できる環境が整えられていた。
通路を一分も歩くとコートが少し暑いと感じられ、研究室に到着する頃にはすっかり抜いで夏川は上はシャツとネクタイだけになっている。研究室は二つの空間で構成されており、ドアを潜った最初の部屋は壁いっぱいのモニタと複数台のパソコンが動いているだけの質素な箱だ。そのデスクの一つで、既に白衣を着た女性が作業をしていた。彼女は一度だけ振り返り、それから顔をモニタに戻して挨拶を口にする。
「おはようございます、夏川さん」
「ああ、おはよう、柊君。何か急ぎの件はなかったかな」
そんな
白衣に袖を通した夏川が席に腰を下ろすと、ちょうどそのタイミングで彼女がコーヒーを淹れてもってきてくれる。だがその彼女はやや暗い表情を浮かべたまま「一件だけ」と口にした。
「自分で見るよ」
良い予感よりも悪い予感の方が当たるのは人間の生存本能というやつだろうか。そんなことを考えながら端末から仕事用のメールサーバにアクセスする。そこには三通も同じ名前の差出人がリストされていて、一件は昨夜の深夜に、二件目は朝方で、最後はつい五分前だ。夏川はいつも定時の九時に出所する。また可能な限り残業はしないことに決めていた。
仕事以外の時間は自分の人生に使うべきだと、大学時代の恩師であるロジャー・カーネル博士から厳しく言われていた。ただ時折仕事と研究の境界が曖昧になる彼にとって、どこまでを仕事と割り切ればいいのか未だに分からない。
「どうされるんですか、こちらの案件」
受けない――とは言えない、と思いつつも、簡単ではないなと感じていた。
ここ武蔵川先端科学研究所はアンドロイド用AIの学習施設として、天堂コーポレーションがおよそ二十億ドルを投じて建造したものだ。既に医療や工業分野では多くのアンドロイドが活躍しているが、まだまだ普段の生活に馴染んでいる段階までには至らない。それは高性能アンドロイドの知能を形成する基本AIの学習コストが高すぎる為であり、大量生産が困難なことが大きな障害となっている。そこで実験的に一度に多くのアンドロイドのAI学習を行えるよう設備を整え、また各国から優秀な人材を引き抜き、研究に当たらせている。今では簡単なものであれば実用的なレベルになりつつある、と言えた。
夏川もまだ三十二という若さながら、ここでは「教授」待遇で仕事に従事している。
しかしここでは原則として個人の依頼は受けていない。全てがアンドロイドを製造している業者相手のものばかりだ。ただ研究として例外的に一固体へのAI学習も請け負っている。その噂を聞きつけた訳ではないだろう。
――夏を教えてやってもらいたいんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます