第32話 カザルス〜辺境の地にて
時は少し戻って。
エルシアへの婚約破棄が発端となり、左遷されたカザルスが寒冷地帯の辺境に到着した夜。
(……おい、話が違うじゃないか)
途方に暮れて、呆然とするカザルス。
それもそのはず。
彼は警備管理監督者として、隣国との小競り合いが続くこの場所に赴任したはずである。
それなのに。
「あーー。カザルス、サマ? 何度も言うけど一緒に戦場に出ないならアンタの飯はないから。嫌なら出て行きな」
監督者と言えば、砦で指揮官をしていれば良いと思っていたのに。
彼は、戦士をまとめる首領とやらに正座させられ説教までされている始末である。
「……僕はこれでも、まだ公爵子息だぞ」
ボソッ
たまならくなって呟いた言葉は、フンと鼻で笑われて終わりだ。
「どこのご子息サマかは知らないけどさ。俺らには、無駄飯食わせる余裕なんてねぇんだよ」
首領が言うには、小麦の育たないこの辺境を合併し救ってくれた我が国には感謝している。
ーーだが、同時に恨んでもいるそうだ。
何故なら周りを取り囲む隣国の荒れ地とて、小麦がないのは同じこと。
そこに住む部族達が、輸送されてくる小麦を狙わない訳はない。
ーーおまけに、都から来る奴らは全員アンタみたいな役立たずばっかりだ。
「俺らは、豊富な食料のためアンタらに命を売ったようなもんだ」
ジロリ
首領に睨まれるが、そんな事はカザルスの知ったことではない。
ーー怖くて言い返せないが。
「だからよ。戦いたくねぇなら、何処ぞにでも逃げて行きな。国には任期前に死んだって報告しといてやるよ」
聞けば、ここに来た監督者は皆、そうやって死んだことになっているらしい。
(……僕だって、帰れるなら帰りたいさ)
匿ってくれる、頼れる友か恋人がいるならカザルスだって今すぐ逃げ出すだろう。
だが、彼の左遷を知った友人達は潮が引くように消えていった。
自分本位に生きてきたカザルスにとって、友とは彼の権力に魅了された取り巻きだけだったのだ。
おまけに、捨てたはずのマリーにまで捨てられたカザルスに、王都での居場所なんてない。
仮に、ここを出ても。
すぐに野垂れ死にする未来が見える。
「……僕に戦士が務まると思うか?」
到着後、すぐに目にした隣国との小競り合い。
王都で剣術の真似事しかしていないカザルスには激しい戦にしか見えなかった。
ーーたぶん。いや、確実に死ぬ
「……三秒で死ぬだろうな」
ハン
首領が馬鹿にしたように笑う。
カザルスのへなちょこ剣道は見なくても想像がつくのだろうか。
(……進退きわまった)
どこで、間違えたんだろう。
僕は人が羨む物を何でも持ち、幸福な人生を送れるはずだったのに。
ーー野垂れ死の方が、戦死よりはマシか。
蒼白な顔で押し黙るカザルスは、覚悟を決めてゆっくりと立ち上がり、砦から出ていこうと踵を返す。
だが、そこで一人の老人が助け舟を出したのだ。
「首領。その男でも水汲みくらい、出来るんじゃないかの」
「!……爺サマが、そう言うなら」
首領は苦い顔で渋々、頷いた。
老人は、首領の祖父にあたり彼の父親代わりでもあるらしい。
カザルスの仕事は、女子供が家事を行う傍ら、負傷した戦士や老人達と共に井戸水を運ぶことに決まった。
「明日から、しっかり働けよ。カザルス」
そう言って、首領は戦士達を引き連れて寝床に向かう。
その場にはカザルスと老人だけが残った。
「……何で、僕を助けたんだ」
プライドが邪魔をして素直に礼を言えないカザルスは、重い口を開いた。
「なんでかのぉ。まぁ、これでも食べなさい」
老人は自分のパンを半分にちぎって、カザルスに渡す。
今日は働いてないから、と夕食を貰えていなかったカザルスは思わずかじりついた。
ーーこんな所で食べるパンが、こんなに美味いなんて。
情けないやら、ありがたいやらで涙が止まらない。
ヒック むしゃむしゃ ヒック
「……何でここの奴らは逃げないんだ」
「君は質問ばっかりだの。泣くか食べるか、どっちかにしなさい」
そう言いながらも老人は答える。
「ここには我らが先祖が眠っているから、そう簡単には他所には行けんの」
「産まれた時から不幸なんだな」
カザルスは思う。
こんな戦ばかりの生活で、命さえ脅かされ。
逃げ出すことすら出来ないなんて。
「面白いことを言うの。儂はそうは思わんよ」
ニーー
老人は歯茎を見せて笑った。
「不幸と苦労は違うからの。誰かの為に生きるのは幸せと言うんじゃ」
戦士達は家族や仲間の為に命懸けで戦う。
女子供達は皆が休めるように働く。
自分達だって、彼らが安心して飲める水を取りに行く。
「僕には、分からない」
カザルスは困惑する。
彼の周りに、自分ではなく誰かの為に働く人がいただろうか。
「そうかそうか。まぁ、戦はない方が良いがの。儂は人が死ぬのをもう見たくなくての」
老人はそれだけ言うと、カザルスの肩をポンポンと叩く。
そして朝は早い、もう話は終わりだと言う。
去って行く老人を見ながら。
ーーそう言えばエルシアは、僕の為に働いてくれていたな。
カザルスは、ふと元婚約者の顔を思い出して、今度は理由も分からずに泣けてくるのだった。
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