第31話 死なないで


「……殿下!」



 呼びかけても呼びかけても、クロードは目を覚まさない。



 繋いだ手から力も抜けていくようだ。 



 ハァハァハァ


 それどころか段々、呼吸も荒くなり息すらしづらそうに見える。



(わたくしは、一体どうしたらっ!)



 大切な人が突然倒れると言う出来事に、エルシアは混乱してしまう。


 職員は町医者を呼びに行ったようだ。


 それを待つしかないのだろうか。




「姉上! 殿下に何が!?」



 そんな彼女の前に現れたのは、弟のカインであった。



「カ、カイン何故ここに? 殿下が! 殿下がいきなりお倒れになったらしいの」



「そんなことは今はいい! 落ち着いて姉上! 殿下の命が懸ってるんだぞ!!」



 錯乱した様子のエルシアの肩を、カインは両手でガシリと押さえつける。


 その言葉にエルシアの目は大きく見開かれた。




(……しっかりしなくては)



 1つ大きな深呼吸をして。


 エルシアは心配そうに周りを取り囲む子供達に目を向ける。



ーーこの子達なら、何か見ていたかもしれないわ




「……誰か、殿下が倒れた時の様子を知らないかしら?」

 

 エルシアの問いかけに、ポツリポツリと拙い言葉で話し出す子供達。



ーーカナって子が黒いパンを渡して、殿下が倒れた




(……毒物を摂取したってことかしら)


 病ではないのなら。


 エルシアはクロードの喉に指を突っ込む。



 おぇっ



 気持ち悪さにクロードがえづき出した。



(お願い! 吐いて!!)



「あ、姉上! 何を?!」

 


 カインの制止の声も聞かず、エルシアはひたすら続ける。


 すると、クロードはエルシアのスカートに吐瀉物を吐き出した。



 彼女はそれを簡単に拭うと、スッと立ち上がりカインに命じる。


 その佇まいには王者の風格が垣間見えた。



「貴方は今すぐ伯爵家に戻り、王宮医を全て集めるよう城に早馬を出しなさい」

 


(……名だたる王宮医なら、毒の種類も分かるかもしれないわ)



 エルシアの言葉にカインは頷く。



「分かりました。父上にも伝えます!」



 そう言ってカインは急いで孤児院を出る。



 エルシアもクロードを連れて馬車に乗り込むと、残った職員達にも言葉をかけた。



「今起きたことは他言無用です。カナという子供も探しなさい。そして城から連絡があるまでは、決して誰も孤児院から出さないように」



「畏まりました」



 事の重大さに青ざめた職員達が一斉に頭を下げた。

 


 彼女が頷くと、馬車は猛スピードで駆け始める。


 このスピードなら半刻程で城に着けるだろうか。  






「……殿下」



 エルシアの腕の中で、苦しそうに顔を歪めているクロード。



ーーこのまま、殿下の意識が戻らなかったら、どうしよう。



 嫌だ、そんなの絶対に嫌。



 エルシアは恐ろしい考えを追い出すように、大きく首を振る。



(お願いだから。死なないで)



 祈りを込めて彼の手を強く握りしめるが、その手が握り返してくれることはない。 



 男性らしく、逞しい手。



 エルシアが両手で握っても溢れてしまうくらいなのに、今はその力強さを感じることはなくて。


 そればかりか袖口から見える腕全体が、いつの間にか黒い斑点に覆い尽くされているではないか。




ーーわたくしが代わって差し上げられたら、どんなにいいか。




 エルシアの目からは大粒の涙がこぼれ落ちた。

 


「わたくし、まだなにも。なに一つ殿下に大事なことは、お伝え出来ていませんわ」



 クロードへの尊敬も感謝も。



 そして何より、この気持ちも。




ーー殿下。わたくし殿下がこんなにも好きで好きでたまりません



「……愛しています」



 けれど、初めて口に出したその言葉は、彼の耳には届かない。



 それでもエルシアは祈り続けることしか出来ないのであった。



 ★



 城に到着すると。



 ケインと数十人の王宮医が待ち受けていた。



「殿下をこちらに!」



 医師達にクロードを託した安堵でエルシアの体から力が抜ける。



「エルシア嬢! お気を確かに」



 その場に倒れないよう、ケインが肩を支えてくれた。



「ケインさん。わたくし、殿下の異変に気が付かなかったの……」



 見知った顔を見たことで、エルシアの胸に後悔が押し寄せてくる。




ーー殿下の一番近くにいたはずなのに。



 わたくしが、もっとちゃんと見ていたら。



「エルシア嬢のせいではありませんよ。殿下が元々、王族にしては無謀な所があるんです。目が覚めたら、一緒にお灸を据えてやりましょう」



 ケインは、エルシアを気遣ってワザと明るく言う。



「それに、見事な采配でした。知らせを受けてすぐ陛下にも早馬を出しましたし、すぐにお戻りになるでしょう。ですから、エルシア嬢もお召し替えをなさって一息ついて下さい」



「それは心強いわ。ありがとう」



 ケインに指摘されて、エルシアは汚れたスカートの存在に改めて気が付いた。



 侍女達がやって来て、両脇から支えてくれる。



 そのまま自室に向かおうとするエルシアに、ケインは礼を言った。


 

「ああ、あと。カイン殿が後から送って下さった研究結果も専門家に回しておきました。興味深いものをありがとうございます」



 何のことかは分からなかったが、疲れ切ったエルシアはただ小さく頷き、歩き出したのだった。



 

 


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