第2話 婚約破棄は突然に。こちら浮気現場です


「エルシアも殿下のファン? みっともなく見つめたりして。君は僕の婚約者だと胸に刻むように」


「も、申し訳ありませんでした。カザルス様」


 先程までとは違い、二人っきりの空間になった途端に、エルシアを責めるカザルス。


 彼はとてつもなく嫉妬深い。


 まず、朝起きてから夜眠るまでの行動を彼女に毎日提出させている。


 そして、親戚であったとしても男性がいる空間にエルシアがカザルスなしでは行かせないし、二人で行けば彼女にピッタリで離れない。


 エルシアも、少しづつ彼の異常性には気が付いてきていた。




(それでも、わたくしはカザルス様が好き)


 それだけ愛されているってことだものーー。



 エルシアにとってカザルスは初恋の人である。

 本来なら身分違いのこの婚約は、公爵夫妻がエルシアの有能さを見込んでのことだった。


 だが、カザルスは一度足りとも彼女に愛の言葉を囁いてくれたことがない。


 そのためエルシアは、彼の束縛は愛の証拠のように受け止めていた。

 


(わたくしに出来ることは、頑張ってカザルス様を支えること)


 


 だから公爵邸に着いたエルシアは今日もまた、ソファに寛ぐカザルスの隣で書類仕事に明け暮れる。


(これは、納期が迫っている。こっちも農民達からの陳情書だから急がなきゃ)


 カタカタカタカタ


「ふぅ。カザルス様、終わりましたわ」


 夕暮れ時に仕事を終えたエルシアが顔を上げると、ソファ寝ているはずのカザルスが居ない。


(どこかに行かれたのね、気が付かなかったわ。仕方ないわよね、一人で帰りましょう) 


 でもその前に。


 エルシアは空になった水差しを見る。


 何故だか今日の彼女は喉が乾いて堪らないのだ。


 忙しい夕暮れ時に侍女を呼びつけるのも気が引けるため、いつも通る通路とは反対側にある厨房で水を貰ってから帰ることにする。


 コソコソコソ


 厨房に声をかけようとしたエルシアは、手前のわずかに開いた客室から聞こえるヒソヒソ声に思わず足を止めた。


(侍女達かしら……?)


「えーーうっそぉ。カザルス様ったら婚約者に仕事押し付けてマリーのとこ来たのぉ」


 甘ったるく媚を含んだ声。


(あの声は……行儀見習いで来た、マリー男爵令嬢!!)


「大丈夫だ、バレてないから。愛してるよ、マリー」


(本当にカザルス様? 何……それ)


 エルシアは震えている自分の両手を抱きしめる。


「あいつは、父上に後継者として認定される為に必要なんだ。僕も意外に目移りしないよう、厳しくしているから心配ない」



(だからカザルス様は、わたくしを束縛していたの?)


 あんなに欲しかった愛の言葉を何度も何度も、マリーには惜しげもなく囁いているカザルスの声。


 バタン


 堪らず、エルシアはドアを押し開けた。


「な、エルシア!?」


 そこに居たのは着崩れだ格好で抱き合う二人。


 動揺しているのはカザルスだけで、その横にいるマリーの口角は上がっている。


 それを見たエルシアは確信した。


 やたら渇く喉も、わずかに開いたドアも全部侍女見習いのマリーなら簡単に仕組める小細工だ。

 

「カザルス様……わたくしの他にマリー様ともお付き合いされてますの?」


 エルシアのドレスに隠れた足はガクガクしているし、声も震えている。


(お願い……! 何かの間違いだと言って!)


 それでも彼女は、一抹の期待を捨てきれない。


「はぁ。バレたなら仕方ないか」


 カザルスは溜め息をつくと、胸元を直してエルシアの方に近づいて来ると、指先で彼女の顔を持ち上げる。


「最初、エルシアは僕好みの顔とスタイルだと思ったんだけどなぁ。お前、仕事ばかりで可愛げがないんだよ」


(何……どうして、わたくしが責められるの)


「ちょうどよかったよ。今日の婚約報告で僕が正式な跡取りだと父上は世間に公表された。だから、もう用済みだ」


 カザルスはスッとエルシアから離れるとマリーの肩を抱く。


 マリーの得意げな顔が、エルシアの脳裏に焼き付いた。



「婚約破棄だ。理由は僕を夢中にさせられなかったから。原因はお前なんだから、婚約破棄されましたって憧れの殿下に報告しとけよ」


(何か喋ったら泣きそう。ううん、泣いたら負けよーー)


 エルシアは、唇に力を入れて涙だけは見せない様に二人に背を向けて部屋から走り出たのであった。


 そんな彼女の背後から追い討ちをかけるように二人が声をかけてくる。


「貧乏伯爵令嬢なんて、殿下に会ってもらえるかも怪しいがな!」


 ハハハ。

 クスクスクス。


「まぁ、カザルス様ったら。魅力のないエルシア様がお気の毒ですわ」


(ーー何なのよ。わたくしがあなた達に何をしたって言うのっ)


 嘲りの声に見送られ、エルシアは公爵家を飛び出したのである。

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