彼女になりたくない物語

◯◯ちゃん

なのは

◎菜の花

科・属:アブラナ科・アブラナ属

英 名:Turnip rape ・ Chinese colza

花言葉:『快活』『明るさ』


***


彼との出会いはSNSのコミュニティ。

―他にもたくさん人はいたけど、それでも好きになったのはあなただけなの。



同じコミュニティで出会った別の人の婚約祝いで久しぶりに集まることになった。

私が幹事をすることになった。



「何かプレゼントしよう」言い出しっぺは私だった。

最初は本当に思いついただけ。

結婚は人生の大きなイベントだ。

そんな一大事に私ができることがあるなら、と考えた。


何の気なしに彼にも計画を伝えた。

そうしたら案外彼も乗り気で、俺にも手伝わせてなんて。

彼と先に合流して、お花を見に行く予定を立てた。


顔も声も素敵で、笑ったときにできるえくぼがすごく魅力的な人。

この甘い雰囲気で何人の女の子を酔わせてきたんだろう。


知り合った頃、彼には彼女がいた。

はじめましてをしたときにも、しっかり隣に彼女がいた。

ストライクゾーンど真ん中。

でも彼女持ちにちょっかいをかける趣味はない。

なんだったら積極的に関わりたくもない。

だって、女の嫉妬ってものすごく怖いし、面倒事に巻き込まれるのもごめんだ。

後から知った話だけど、例によって彼女は嫉妬深くて、異性との交流があると拗ねて大変だったらしい。


彼女と別れた今、2人きりで出かけられる機会があるなんて。

正直、チャンスだと思った。


彼女になりたいとは思っていない。

終わりが来る関係を彼とは築きたくなかった。

いい女だな。そう思われたかった。

彼の中にある、私という存在を変えたかった。大きくしたかった。



待ち合わせ場所に先に着いたのは私だった。

電話がかかってくる。

携帯を耳にあてながら、辺りを見渡す。

見つけた。

小走りで彼に駆け寄った。


「え、なのはちゃん!?」

驚く彼が面白くて可愛くて、私はマスクの下で静かに笑った。


目的であるプレゼントの花を買い、近くの書店で小さいメッセージカードも買った。

ミッションコンプリート。


約束のお店に向かうには早い時間。

数少ない喫煙可能なカフェで一服することになった。

変わっていない煙草のパッケージを横目に話しかけた。

「待ち合わせのとき、なんであんなにびっくりしてたんですか?」

「めちゃくちゃ大人っぽくなってたから」

少し恥ずかしそうに彼は言った。

どうやら、彼の中のなのはちゃんはよく言えば若く、悪く言えば子どもっぽかったらしい。


「綺麗になったんだね」

静かに私の目を見ながら言った。

あまりにも真っ直ぐ私の目を見るものだから、少し恥ずかしくなって通行人に目をやった。

みんな傘を持っている。そうだ、今日は少し雨が降っていた。


もう少し2人でいたい。


「もう1本吸ったら行こうか」

まるで、2人でいることが心地いいと言われたみたいで少しうれしかった。



気づけば電車の時間が迫っていて足早に駅へ向かった。

彼は、誰かと連絡を取っているみたいで携帯とにらめっこしていた。

肩越しに彼を見ると、器用に私の少し後ろをついてきている。

その様子がペンギンのお散歩と重なり、私はまた静かに笑った。


電車に乗り、2人がけの席に座る。

外はもう真っ暗だ。


車内は変な暖かさだった。

彼も同じように感じたのだろうマフラーに手をかけていた。

隠れていた首筋や喉仏があらわになって、彼が男性であることを改めて実感した。

と同時に、自分が女性であることも実感していた。

煩悩がちらちらと顔を出す。私は口角を上げ、話しかけた。


「麻友子さん、喜んでくれるといいですね」

彼は携帯から目を離し、そうだねと微笑んだ。

ずっと誰かのものだった彼の微笑みが、今私に向けられていることに少し優越感を覚えた。

そして、そんな自分への嫌悪感が渦を巻く。

口を慎まないと、余計なことを言ってしまうかもしれない。妙な焦りがこみ上げてくる。


窓に映る自分にピントが合うとそこにはただの女がいた。


気づけば目的の駅に着いていた。

煩悩たちは胸の奥底にしまい込み、鍵をかけた。

もう今日は出てこないでね。



今回のお店は、私のお気に入りの創作居酒屋。

電車が遅れていて、1人足りないけれど「先に始めちゃいましょうか」と声をかけ、ドリンクを注文した。

「麻友子さん、改めてご婚約おめでとうございます!乾杯」

音頭を取り、グラスの甲高い音が重なる。


彼はひと口ふた口、口をつけたくらいでグラスを置き、身体ごと私の方を向いた。

「なのはちゃん、もういいよね?」

公園で見つけた宝物を披露したい子どもみたい。

無邪気な様子が、心に刺さる。


身体の底の方から熱い何かがこみ上げてくる。


ねえ、そんな風に彼女に笑いかけていたの?


ねえ、どんな声色で彼女を求めて、どんな風に愛していたの?


だめだ、封印したはずなのに。


ねえ、――



「はい」

悟られまいと笑みを向け、同意を示す。


お花がテーブルに置かれた。

暖かな明かりの下で、きらきらと、しかしどこか切なげに咲いていた。綺麗だった。

麻友子さんはとても喜んでくれた。

封筒のマスキングテープも丁寧に外していた。喜んでくれた。よかった。

は確かにそこにいた。

でも、私はいなかった。



2人ともいい具合にお酒が回ってきたところで、遅れていた1人が到着した。


婚約に至った経緯や彼女の話、そして彼の元カノの話。

話題が楽しそうに踊っていた。

そして、それらがひと段落すると、麻友子さんは嬉々とした顔で尋ねてきた。

「なのはちゃんはいい人いないの?」

おお、ものすごい圧。

「最近だったら瞬くんかな?でも私はてっきり航大くんとくっつくもんだと…」

お姉さん、こんな狭いコミュニティで云々は少々リスキーではありませんか。というかよくそんな口まわりますね。

なんて、心の中で少し悪態をつきながら、笑顔で返した。

「私は浮いた話ないですよ〜。自分のことで手いっぱいですし」

嘘はついていない。就職活動中だった。

麻友子さんはしばらく粘ったが、私が口を割らないので「つまんない」と口を尖らせ、数秒後にはけろっとした顔で違う話を始めていた。

お姉さん、「つまんない」って口を尖らせていいのは20代前半までですよ。


彼の顔は怖くて見れなかった。


お店を出る頃、麻友子さんはべろべろで、彼も顔が赤かった。

ここまで酔っているのは初めて見た気がする。

「酔うとちゅーしたくなっちゃう」と言って、隣に座っていた男性の頬にキスする始末だ。

隣に座っていればボディタッチとかあったのかな、と考えている自分がいた。


みんなで駅まで行こうと提案すると、2人とも快諾してくれた。

そう遠くはない。早く送り届けて、帰ろう。

淡い期待を抱いていた自分を、早く流してしまいたかった。

花だって、誰かに見てもらえるから綺麗に咲くのだ。


私は、咲けない。


酔っ払いの足は遅い。

麻友子さんは、左に私、右に彼を従えて歩いている。

ヒールが不規則に地面を鳴らす。

夜のコンクリートはよく響き、なんだか不気味だった。


麻友子さんは彼と腕を組み出した。性を全面に出していた。

苛立つ私を余所に、くっついて歩く2人。

疎ましい。

ひと回り下の私に勘づかれるような方法でしか、女を出せない彼女が痛々しかった。

でも、お酒の勢いでもなんでも、彼とくっつけるなんて羨ましかった。


私だって。


ああ、私も十二分に女だ。



まだお店が見える道路で彼が急に立ち止まった。

「待って、俺、携帯忘れたかも」

待ってました。席を最後に立ったのは私で、彼の携帯電話は私が持っている。

「やっと気づいたんですか?私が持ってますよ」と携帯電話を差し出した。

まだ少し赤い顔でにへっと笑って彼は言った。

「さすがなのはちゃん!できる女は違うね〜」

携帯電話を手渡すとき、指がほんの少し触れた。

その一瞬でも伝わるくらい、彼の体温は高かった。



駅に着き、全員が改札を通った。


最後に彼が言った。

「またごはん行こう」


社交辞令でもいい。


「ぜひ」


今日1番の笑みを向け、頷いた。



うん、私はいい女だ。



駅を後にする。少し歩こう。

冷たい風が心地良かった。

また誘おう。今度は2人きりで。

いい女だなってもっと思ってもらえるように。

私は彼にとって、いい女であり続ける。


でも、花を摘むのは彼じゃない。

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