第82話 一方その頃……<ローザ視点>
「アッシュ君が居なくて寂しいのは分かるけどさ……。そろそろ元気出そうよ。ネージュもエミリアも」
朝食を済ませてリビングのソファに凭れたローザだったが、思わず疲れた声を洩らしてしまう。
「そうだぜ、お前ら。そんな辛気臭ぇ顔のままで護衛任務に臨む気かよ?」
ローザと同じく、リビングのソファに腰を下ろして脚を組んでいるカルビも、今日は珍しく真面なことを口にしている。
「ったくよぉ……。今日は天気もいいし爽やかな朝だってのに。お前らのせいで葬式みてぇな空気じゃねぇか」
顔を歪めたカルビが指を向けた先では、エミリアとネージュが生気の無い顔で、ソファに沈み込むように座っている。『ずーん……』といった暗い重低音が聞こえて来そうな感じだ。
さっきから2人はずっと床を見詰めていて何も話さない。たまに深すぎる溜息を溢すぐらいだ。御蔭で、涼やかで心地よいはずの朝のリビングは、鬱陶しいぐらいのしめやかな空気に支配されている。
縁側の大窓からは、たっぷりと陽の光が降り注いで来ているはずなのに、家の中全体が薄暗く感じるほどだ。
クラン『鋼血の戦乙女』のメンバー達と共に、アッシュが王都へと向かってから今日で2週間ぐらい。その間は当然、ローザ達はアッシュに会うことができずにいる。
まぁ、そんなことは了承済みというか、分かり切っていたことだ。ちょっとの間、アッシュは離れて冒険者としての仕事をする。ただそれだけのことだと思っていた。
だが、エミリアとネージュの状態というか症状というか、そういうものがここ3日ほどの間で深刻になってきていた。
……まぁ、気持ちは分からないでもないんだけどね。
ローザが胸の内で呟きながら、クレアから貰った紅茶に口を付けたときだった。
「……気落ちしていてはならないとは、
ゾンビのようにふらふらと顔を上げたエミリアが、申し訳なさそうにローザとカルビを見た。
「でも……、こう、気になってしまって……」
それから、これから訪れる未来に怯えるように縁側の大窓を見遣り、ソファに座ったままで自分の体を抱き竦めるようなポーズになる。
「だってアッシュさんは、あの“ケンタウロス”で移動中は、他の戦乙女の方々や、サニアさん達とも御一緒なんでしょう? 密室で……、この世界から隔離されて……」
「いや、まぁ、ある意味で隔離はされてちゃいるが……」とカルビが、不味そうな顔で溢す。「ケンタウロスって、そういう馬車だしね。護衛用というか」苦笑してローザも言い足すが、もうエミリアの方は聞いていない様子だ。
「ほら……。アッシュさんの愛らしさは、もう魔性ですから」
窓の向こうの青空に向けられたエミリアの緋色の瞳は、若干、焦点が合っていない。だが、その言葉にはやたらと力が籠っていた。
「アッシュさんの魔性に惹かれた戦乙女の方々が、こう……、アッシュさんと仲睦まじくなって……、すぅぅぅ……、一夜の過ちと言うか、一線をこえていくというか……ずっぽりしっぽりの可能性も……、ねぇ? 無いとはいえないでしょう?」
空虚な眼差しを空に向けたまま、エミリアはぶつ切りになった言葉を溢していく。
そういえば……、ほら?
ケンタウロスには、お風呂もあるみたいですし……。
アッシュさんと、お風呂……。
むほほ……。良いですわねぇ……。
あぁ、でも、今この瞬間にも……。
アッシュさんの柔肌に……。
私ではない、他の女性の手が触れているかも……。
アッシュさんのお尻に……、誰かが触れて……。
ああぁん……。もう許せねぇ……。
勘弁なりませんわねぇぇええ……!
此処ではどこかに目を凝らすようなエミリアの声音は、途中から譫言のようになりながらも、唐突で強烈な怒気を滲ませ始めている。
「アッシュおに……アッシュ君の心配をするのか、妄想で興奮するのか、それとも怒るのか、どれかにしなさいよ……」
ローザとカルビが渋い顔になって顔を見合せたところで、うっそりとネージュも顔を上げて、横目でエミリアを睨んだ。だがネージュも、その怜悧な美貌をすぐに不安そうに曇らせ、また俯いてしまう。
「でも確かに、アッシュおに……アッシュ君が、他の女性と親しくなっていく可能性は捨てきれないわよね……。私達の見えないところで、私達の意志が通じない領域で……」
両手に顔を埋めるようなポーズのネージュも、何もそこまでと言いたくなるような、めちゃくちゃ深刻な声を洩らす。地面に落ちて転がるような重たい声だった。
「そんなこと気にしてんのかよ、お前らは」
半笑いのカルビが喉を鳴らして、紅茶に口を付けた。それから脚を組み替えて鼻を鳴らす。
「でもまぁ……。そういう事態になるのも、無いとは言い切れねぇかもな」
腕を組んだカルビは顎をしゃくれさせ、難しい顔つきになって視線を下げた。彼女の美貌は凄絶で狂暴だが、ああいう静かな思案顔も似合うのだ。あの琥珀色の瞳の深い輝きの御蔭だろう。
「アッシュの奴、身持ちは滅茶苦茶に堅ぇがな。なんつーか、それが崩れたときには一気にいきそうじゃねぇか? こう……、あれだ、あっという間にズブズブになるっつーか……」
「あー……」
ローザも視線を下げて、思わずアッシュのことを想像した。というか、カルビが口にした事態を思い浮かべてしまう。そう言われてみれば、という感じではある。
「何が切っ掛けで、絆が深まるかは分かんないもんね」
慎み深い親愛や友愛といった類のものであれば、普段のアッシュでも、ローザ達にも態度や声音で伝えてくれている。それは分かる。
だが恋愛という分野において、アッシュが誰かに好意を向けている姿は、何だかうまく想像できない。
それは勿論、アッシュが他者に対する礼節と距離感を大事にしているが故でもあるのだろう。だが、だからこそ、アッシュが誰かに惚れたときは、普段の静けさの反動で、熱烈なアプローチをかけていったりするかもしれない。
そういった想像を、現在進行形でエミリアとネージュもしているのだろう。
床を見詰めている2人は肩をぷるぷると震わせ、顔は無表情のまま動かず、その瞳だけがバキバキに強張っている。それに何だか息も細いし浅い。山間で遭難中したかのような風情だ。
「マジで、覚悟はしといた方がいいかもな」
そんなエミリアとネージュにトドメを刺すかのように、険しい表情になったカルビが真面目腐った声を出す。
「アッシュが帰ってきたら、“実はお付き合いすることになったひとができて……”、なんて話をされるかもしれねぇぞ。……クソ。自分で言ってて、何かソワソワしてきやがったぜ」
「でも、流石にそこまで関係が進む心配は無いんじゃない?」
この話題を冗談として片付けたくて、ローザは軽く笑ってみせた。「いつだって最悪を想定するのが冒険者だぜ?」と肩を竦めたカルビの方も、どこまで本気か分からない口振りで応じてくる。
「もうちょい現実的なシチュエーションを想定するなら……。あれだ。“今回の任務を通じて、実は気になるひとができて……”なんて、恋愛の相談をされたりしてな」
「んほぉぉお……、想像したらキクぅぅぅぅう……」
絞り出すような掠れ声を発したエミリアが苦悶の表情で、天を仰ぐように体を仰け反らせた。そしてすぐに、崩れ落ちる身体を投げ出してソファに凭れた。
「あぁ~……、ほら、……ほら……、
口を半開きにして光の無い瞳で天井を見上げるエミリアは、やはり譫言のように言いながら動かない。
「……呼吸困難になりそぅ……」
マジで辛そうな感じで顔をくしゃくしゃにしたネージュも、もう座っていられないといった様子で、横向きに身体を倒した。ちょうど、身体を放り出すような姿勢のエミリアに膝枕される恰好になる。
大丈夫かな? この2人……。かなり症状が重そうだ。
警護任務で使い物になるのかどうか、ローザはちょっと心配になる。
「流石にダメージを受け過ぎだろ、お前らは。元気出せよ」
軽く笑ったカルビが雑な言い方をする。
「出そうと思って元気が出れば苦労しませんわよ……」
萎んで細々とした声を洩らすエミリアは、虚ろな瞳で天井を仰いだままだ。カルビの方を見ようともしない。エミリアに膝枕をされている体勢のネージュに至っては、もう反応すらしない。ローザも苦笑する。
「じゃあ元気が出るように、今日の晩御飯は美食街にでも行こっか。」
「……そうね」
そこでネージュが、横向きになったまま頷いてくれる。そして、このまましょぼくれていても仕方がないと、気持ちを切り替えるふうに体を起こした。
「英気を養うためにも、何か美味しいものでも食べに行きましょう。カルビの奢りで」
「ふざけんなテメェ」
即座にカルビが言い返すが、ソファに凭れて天井を見詰めたままのエミリアが、更に被せてくる。
「
「テメェもふざけんな」
ソファに座って脚を組んだままのカルビは、鬱陶しそうに舌打ちをする。
「ったく、調子のいいこと言いやがって……。元気づけてやろうと思ったが、もうやめだ」
そのカルビの右手の中に、何かがあることにローザは気付いた。今の遣り取りの間に、アイテムボックスから取り出していたのだろう。
でも、あれは……。何かの魔導具だろうか。複雑で精巧な魔術紋が刻まれた黒い正方形、それを組み合わせて作った、大きな正方形といった感じの形状だ。
確か、異世界である“チキュウ”の遊具に、あんなものがあったような気がする。名前は恐らく、ルービックキューブだったろうか。
「ねぇカルビ。それ、何?」
不機嫌顔のカルビが、手の中のキューブを仕舞いこむ前に訊いてみた。
「ん? あぁ、これか?」
ローザの方を向いたカルビは、手の中にあるキューブを一瞥してから、悪戯っぽくニヤリと笑ってみせた。
「機械術士がやってる店で作って貰ったんだよ。名前を付けるとすりゃ、“アッシュキューブ”……ってな感じか」
勿体ぶるように手の中で“アッシュキューブ”とやらを転がしたカルビは、いいだろ? という顔になる。
「や、そんな自慢気な顔されても、そのキューブがどんなアイテムか分かんないから」
半目になったローザは取りあえずツッコむものの、ちょっと気になる。
見ればエミリアとネージュもソファに座り直して姿勢を正し、訝しみながらも明らかに興味を惹かれている目つきで、カルビが手にしているキューブに視線を注いでいた。
この場の全員の視線を独り占めしているカルビは、ちょっと気分が良くなったのか。今までしゃくれさせていた顎を上に向けて、その豊かな胸を反らしていく。
「んん~。説明するより、使ってみた方が分かりやすいな」
自分が手に入れたお宝を見せびらかして自慢する口振りのカルビは、キューブを形成する正方形の列をカチカチカチ……と回転させた。すると、キューブの表面に描かれている魔術紋様が明滅するような光を発して、ブゥン……と魔法円が浮かび上がる。
このキューブの上部に展開された魔法円は積層型で、ちょっと小型のラッパに似てるなー、などとローザが思った時だった。
『カルビさん。おはようございます』
声が発生した。キューブから。というか、キューブが展開している魔法円からだ。音声再生、いや、正確には音声構築の魔導具か。ローザは思わず、「へぇ」と感嘆の声を洩らしてしまう。
エミリアとネージュが目を見開いて、雷に撃たれたかのようにビクーンと背筋を伸ばしている。まるで奇襲でも受けたかのような反応だった。
『今日はいい天気ですし、一緒にお出掛けしましょうか?』
キューブが発生させているのは間違いなく、アッシュの声だった。こちらを信頼してくれているというか、穏やかな親しみの籠った、無防備で優しい声質が再現されている。
妙に得意気な顔つきになっているカルビが、またカチカチカチと、ルービックキューブを回す。次に再生されたアッシュの声というか台詞には、健気さと妖しさが満ちていた。
『あ、あの……、今夜は添い寝させて貰ってもいいですか? カルビお姉ちゃん……』
「おいおいおいおいおい……っ!」
「ちょっとちょっとちょっとちょっとちょっと……!」
馬鹿みたいに深刻な顔になったエミリアとネージュが猛然と立ち上がり、突進するような勢いでカルビに詰め寄っていく。
「な、なんだよお前ら……。そんな迫真の目力で迫ってくるんじゃねぇよ怖ぇよ……」
流石のカルビも身の危険を感じたのか。ソファに座ったままで身体を仰け反らせている。
「一体なんですの、その素晴らし過ぎる魔導具は……。国宝か何か……?」
「どこで手に入れたのよ、それ」
怯んでいるカルビを見下ろすエミリアとネージュは、張り詰めた表情のままで、カルビの手の中にあるキューブを凝視していた。何をしでかすか分からない雰囲気を醸し出す2人に、ローザはやんわりと声を掛ける。
「や、2人とも落ち着こうよ……。あと言っとくけど、リビングで取っ組み合いは厳禁だからね?」
この3人が暴れ出したら手に負えないし、リビングが崩壊してしまう。それだけは避けたい。
ローザの想いが通じたようで、エミリアとネージュは渋々と言った感じで目を見交わし、短く頷き、恨めしそうにカルビを一瞥してから、もとのソファに戻っていく。
ただ、やはり興味を滅茶苦茶に惹かれているようで、2人はずっとカルビが手にしてるキューブに視線を吸い寄せられ続けている。……まぁ、気持ちは分かる。
「……ったく。お前らはアッシュのことになると、急に理性と知性を失うよな。よろしく無いぜ、そういうのは」
これ見よがしの疲れ顔を作ったカルビが、ソファに凭れ掛かって溜息を溢す。やれやれと肩を竦めるカルビに、ローザも半目を向けてしまう。
「そういう自分も、アッシュ君の声でワケの分からない台詞を作ってるじゃん……」
「アタシは良いんだよ。アッシュにも一言断ってあるし、この面子だけで楽しむ分には何を喋らせてもいいって言ってくれたしな」
手の中でキューブをくるくると回すカルビは、楽しそうな苦笑を浮かべる。
「流石のアタシも、こういうモンを勝手に用意するほどデリカシーに欠けてねぇよ」
「それを聞いて安心したわ。いや、まぁ、まだ安心できる状況じゃないんだけど……」
言いながらローザは、横目でエミリアとネージュの方を窺った。2人は餌のお預けでも食らった猛獣のような気配を漂わせながら、黙り込んだままカルビとキューブを見比べ続けている。
「それで、そのキューブはどこで手に入れたんですの?」
「私もそれが訊きたいわ」
エミリアもネージュも美人で瞳も綺麗だから、ものすごい目力だ。声音も鋭利過ぎる。まるで異端審問だ。カルビは軽く笑って応じる。
「あぁ。このキューブは、オーダーメイドだ。さっきも言っただろ? 前に、機械術士がやってる露天に、たまたまアッシュと一緒に立ち寄ったんだよ。そのときに、この魔導具のテストをやっててな」
楽しい思い出を振り返る顔のカルビが、またカチカチとルービックキューブを回す。
「なかなか面白そうだったから、アタシは1つ注文したのさ。そこでアッシュの声を幾つか録音して、それを編集できるようなアイテムを作って貰ったっつーワケだ。……こんな感じでな」
『カルビさん。そろそろ起きる時間ですよ』
またアッシュの声が再生される。音声にはノイズも無く、透き通るようだ。アッシュの肉声に近いというか、体温や感情などの細やかな性質まで再現できている。
「……無粋なことを訊くようだけど、それ、結構な値段したんじゃない? オーダーメイドでしょ?」
恐る恐るローザが尋ねると、「まぁな」とカルビは笑い飛ばした。
「でもこのキューブの御蔭で、おはようからおやすみまで、アタシはアッシュの声に癒されながら過ごせるんだよ。いいだろ~?」
嫌味のない言い方をするカルビは、そこで無邪気に自慢してくる。
「い、いいなっ!!」
「いいなぁ~……」
エミリアとネージュが、子供みたいな素直な感想を口にする。ただ、エミリアの顔は殆ど怒ってるみたいだし、ネージュの方は辛そうな顔だった。……彼女達の感想は素直だが、情緒の方はちょっと不純なのかもしれない。
「ちょっとカルビさん、
「そうよカルビ。私にも貸しなさいよ。さもないと殺すわよ」
その証拠にエミリアは切羽詰まった命令口調になっているし、眉間を絞ったネージュは凶悪な脅し口調になっている。
「や……、パーティ同士なんだし、そんな物騒な物言いはやめようよ……」
参ったような気分でローザが間に入ったところで、半笑いカルビがキューブを回した。カチカチ、カチカチカチッと、リズミカルな回し方だった。2回連続でアッシュの声が再生される。
『エミリアさん、一緒にお出掛けしませんか? その……、二人きりで』
『ネージュさん、あーん、して下さい。ほら、あーん……』
このアッシュの音声と台詞は、ネージュとエミリアの想像力というか妄想力を起動させ、脳にダメージを与えたようだ。
「んぉおおおおお……! 言われてぇぇぇええ……!」
淑女らしからぬ野太い声を上げたエミリアは、悶えるように両手で頭を抱え、沈み込むようにソファに座り込んだ。
「……っすぅぅぅーー……、ふぅううううう……」
ネージュは想像の中のアッシュに“あーん”をして貰っているのか、あー……と形の良い唇を開けている。ただ、その想像と現実の寂しさとのギャップの所為で、ひどく辛そうな表情だった。
「危ないクスリの禁断症状みたいになってるじゃん……」
ローザは半目になってリビングの惨状を見渡してしまう。一方で、エミリアとネージュの苦悶する姿を面白がっているカルビは、更にキューブを回していく。
『あの、実は……、以前から、エミリアさんにお伝えしたいことがあって……』
惨状を呈するリビングのなかに、まるで今から愛の告白でもするかのような、意を決したような健気なアッシュの声が響く。
「えっ!? な、なんですのなんですの!?!?」
蹲っていたエミリアが、ガバっと勢いよく立ち上がった。心からの笑みが煮立ち、あふれ出る寸前のような表情で。
彼女の美しい緋色の目は、瞳孔が開いてながらも焦点が合っていない様子だった。この場所ではない何処かというか、自分の妄想に意識を乗っ取られているような目つきだ。
『あの、僕は、エミリアさんのことが……』
そこでアッシュの音声が途切れる。
エミリアは握り拳を天に突き上げ、フライング気味のガッツポーズをした。
固唾を飲んでいるネージュの眼差しが、殺人光線のような鋭さを帯びる。
ローザは呆れ顔になりながらも、もうツッコむはことしなかった。
半笑いのカルビがキューブを回す。
『本当は、少し苦手だったんです……』
「ぐひぃッ……!!?」
ガッツポーズから一転。肝臓を剣で突き刺されたかのような、濁った悲鳴を上げたエミリアが、ソファではなく床に崩れ落ちた。白目を剝いたエミリアが絶息のような長い吐息を、盛大に震わせながら洩らす。
「死ぃぃぃにそぉぉぉぉお…………」
本当に死にそうな声だった。……そりゃあまぁ、告白ボイスが来ると思ってウキウキしているところに、あんな深刻な声音でアッシュから拒絶を表明されたら、脳にダメージを負うのも無理もないのかもしれない。流石のネージュも怯んでいる。
「どうだ、ネージュ」
床に倒れ込んでピクピクと震えているエミリアを見下ろして、カルビが笑いかける。ギクッとネージュが肩を震わせたのが分かった。
「お前も喰らっとくか。アッシュの失望ボイス」
「や、やめておくわ……」
「そんな遠慮すんなよ。じゃあ、いくぜ?」
「ちょ……、あの、や、やめて下さいお願います」
さっきまで強気な命令口調だったネージュだが、さすがにエミリアのように脳を焼かれるのは恐ろしいのか。両手を前に出して弱々しい懇願口調になった。
「何だよ、つまんねーな」
拍子抜けしたように言いながら、カルビが横目でローザを見てくる。その悪戯っぽい眼差しに嫌な予感がした。「私も遠慮しとく」とローザが口にしようとするよりも早く、カルビがカチカチカチっとキューブを回していた。
『ローザさん、今日も可愛いですね』
不覚にもドキッとした。何か悔しい。っていうか、顔が熱い。
それを誤魔化したくて、そっぽを向いてしかめっ面を作った。
「はいはい……」
もういいから、という風にローザは手を振るが、調子に乗ったカルビはニヤニヤ笑いのまま、カチカチカチッと更にキューブを回していく。
『ローザさん、可愛い』
『ローザさん、綺麗ですね』
『ローザさん、大好きです』
『ローザさん、おっぱい揉んでいいですか?』
『ローザさん、愛しています』
『ローザお姉ちゃん、好き好き』
「ちょ、ちょっとカルビ、もういいから! やめてってば!」
顔が赤くなるのが分かってローザが焦ったとき、床の上で寝込んでいたエミリアが飛び起きた。
「そうですわよッ!! カルビさん!! 私のときとは随分とボイスの毛色が違うじゃありませんのッ!!」
めちゃくちゃ怒った顔で肩を震わせるエミリアは、力の籠りまくった声で異議を申し立てる。
「私にもそういう、こう……、“好き好きエミリアお姉ちゃんボイス”的なものを再生してくれても、いいじゃありませんのッ!!」
「あぁ。そうだな。今日の晩飯を奢ってくれたら考えてやるよ」
「そ、それはあんまりですわっ!」
必死なエミリアの横で、ネージュが不味そうな顔になっている。
「……さっきのボイスの中にも、おっぱいがどうとか、アッシュ君が言いそうにないのが混ざってた気がするけど……」
「気のせいだろ。気のせい」
わいわいと言い合うカルビ達を眺めながら、ローザは軽く息を吐く。
今のうちに頬の火照りを冷ましておきたかったし、妙にソワソワする胸の内を落ち着けたかった。
そして不用意に、アッシュの不在を、このリビング中に意識してしまった。
エミリアやネージュを相手にして、この騒がしさを演出しているカルビの、あの深みのある琥珀色の瞳が、誰かを探すように彷徨うときがあることにも気付く。
なぁんだ、とローザは思う。
みんな一緒じゃん。
もともとローザ達は、アッシュが居ない状況が普通だった。
いつか、アッシュがローザ達の前から去ってしまうときだってくるだろう。
そのときに備えて、気持ちの準備ぐらいはしておいた方がいいということは、カルビやネージュも、エミリアだって何となく感じている筈だ。
まぁ少なくとも、以前と同じようにパーティが機能しないなんてことは無いと思う。
実際、アッシュがローザの家に住まうようになってからも、ローザ達はアッシュに同行して貰わずに何度かダンジョンにも潜り、順調に稼ぐこともできた。
だが、アッシュの不在を現実として味わうと、やっぱり、ちょっと堪える。そして実感する。物静かな彼の優しさが、この過酷な業界で生きるローザ達を癒してくれていたのだと。
寂しい。
迂闊に、だが素直に、そう思ってしまった。
私って、アッシュ君のこと大好きじゃん……。
そう内心で苦笑しつつも、ローザは自分の父のことを思い出す。
この家で暮らしてた父さんも、こんな風にパーティメンバーを眺めながら、居なくなった仲間のことを想ったりしたのかな。
冒険者という生き方を選んだローザにとって、遠い過去の中にしか見えない父の背中は、憧れと目標だった。そして同時に――敢えて悪し様に言うのであれば――、冒険者という職業にローザを括りつけた楔であり、鎖でもあった。
もしも、という言い方はしない。
いつか、父さんがこの家に帰ってきたときのことを想う。
私や仲間のことを、父さんに褒めて貰いたい。
子供のような願いだが、今のローザの本心だった。
……まぁ、それがいつかになるなんて、全然わかんないけど。
ローザは投げやりな気分で感傷を打ち切る。3日後には警護任務が控えているのだ。そろそろ気持ちを引き締めないと。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
いつも読んで下さり、また、温かい応援や評価を寄せて下さり、読者の皆様には本当に感謝しております……。
更新も展開も遅くなって申し訳ありません。この章も完走できるよう頑張りますので、お暇潰し程度にでもお付き合い頂けましたら幸いです……。
今回の更新で、『面白い』『次回が気になる』と少しでも感じて頂けましたら、★評価、応援をお願い致します。大変励みになります……(土下座)
今回も最後までお付き合い下さり、ありがとうございました!
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