偶像も、そして虚像も
第76話 嘘を纏うけれど
歌姫の護衛任務。
その参加にアッシュが了解してから数日後。
シャマニとヴァーミルの2人が、『鋼血の戦乙女』達が贔屓にしている店へとアッシュを案内してくれた。勿論、アッシュが扱うに相応しい装備品を吟味するためだ。
護衛任務として歌姫の命を守ることを考えるならば、アッシュはただ女性の恰好になればいいという話ではない。
今回の護衛任務において、ヴァーミルは警護主任を務め、その補佐としてシャマニが就くことになっている。当日は現場を指揮する立場だ。そんな彼女達の立ち会いのもと、アッシュ自身の戦力を発揮できる服装、そして装備を整えるのは当然のことと言えた。
シャマニとヴァーミルに案内された店は、アードベルの12号区にあった。雑多ながらも質実剛健といった風情の露店から、見るからに高価そうな装備品を扱う大型店など、冒険者用の武器や防具を扱う店が立ち並んでいる区画だ。
その12号区の東側では、女性冒険者向けの装備を扱う店が集まっている。各ブランドメーカーも直営ショップを通りに構え、他の通りと比べて、ちょっと煌びやかな雰囲気のある一画になっていた。
アッシュが案内されたのも、高級感と重厚感を備えた大型店である。
ただ、瀟洒な店の木製扉には『本日、臨時休業。新たな戦乙女様の装備を揃えるため』という札がかけられていて、アッシュは裏口から店内へと通された。
広々とした店内に展示されている小道具や装甲服などは、どの品々を見ても、性能とファッション性を両立させた高級装備品が売買されている、といった風情だ。
ファッションに疎いアッシュにとっては、複数のブランド品を扱う店内の印象は、とにかく小奇麗で上品であり、冒険などとは無縁の場所に思えるほどだった。
今もまだ店内の空気に慣れないままのアッシュは、案内された試着室のなかで、姿見に映る自分を眺めている。
「こんな感じだけど……いいのかな……」
今のアッシュは、紺色のボディスーツの上から乳白色のローブを羽織っている。
どちらも女性用の装備で、さりげなくブランドロゴが刺繍されていた。不思議なことに、それだけで高級感があるというか、何と言うか上品で、お洒落な感じがする。
かつては泥臭くて実用一点張りのような印象しかなかった冒険者達の衣類市場は、新たな尺度としてお洒落さ、可愛さが意味を持つ時代になったのだと。つい先程、そうローザから教えて貰い、納得したのを覚えている。
無論だが、今のアッシュが身に着けている装備は、ただお洒落なだけではない。強度と軽さを完全に両立させた、最上級と言っていい冒険者用の装備である。
ボディスーツの裏地には、魔術的な刺繍によって魔法陣が象られている。ローザが愛用しているジャケットなどと同系列の構造で、耐刃、耐衝撃を高めているのだ。
ローブも一見すると汚れが目立ちそうだが、特殊な魔鋼繊維で編まれており、泥や埃、血などの汚れを悉く弾く。それだけでなく『魔物の牙では貫けず、爪では裂けず、決して破れない』というのがセールスポイントなのだと教えて貰っている。
この装備一式は、ヴァーミルが店側に用意させたものらしい。アッシュが試着室に入るタイミングで、彼女が手渡しくれたものだ。
そして、これら高性能な女性用装備を着込んでいるアッシュはと言えば、着替える直前にローザから軽い化粧を施して貰い、髪色に合わせたウィッグ、それから、アンダーリムの伊達眼鏡を装着している。
ウィッグの髪の長さはアッシュの肩よりも少し眺めで、顔の輪郭を小さく見せる髪型のようだった。丸みのあるレンズの伊達眼鏡も、顔の印象を柔和にしている。
ボディスーツならば腕や脚の筋肉も出ないし、小柄なアッシュがローブを羽織ることで、男性的な体型も隠れている。ただ――。
「服装と装備自体は、今までと変わらないような……」
鑑に映る自分から視線を外したアッシュが、自身の身体を見下ろした。その直後が、同時ぐらいのタイミングだった。
「アッシュく~ん。そろそろ着替え終わった~?」
試着室を遮るカーテンの向こうから、軽やかなローザの声が届いてくる。
「えぇ。もう着替え終わりました」とアッシュが応じるよりも先に、「もう開けていいか~?」と妙にウキウキとしたカルビの声が続いた。というか、既にカーテンの端の方にカルビの手が掛かっている。
「ちょ、ちょっと、カルビさん!? アッシュさんのお返事がまだですのに! そうやってカーテンを開けて、もしもアッシュさんが着替え中だったらどうするんですのッ!?」
焦りまくったエミリアの甲高い声が、すぐに響いてきた。試着室のカーテンの向こうで、カルビと言い合う気配がある。
「どうするって……。そりゃあお前、アッシュの腹筋とか鼠径部とか、お尻とかが、こう……イイ感じに、チラっと見えちまう可能性もあるよな」
「エッッッッ!!!……――じゃなくてェ!! アッシュさんの御返事もまだの状態でカーテンを開けるのは駄目ですわよッ!! 流石にそれは許されませんわ!」
「分かった分かった……。カーテンは開けねぇよ。でもまぁ、ちょっと覗くぐらいならいいだろ?」
カーテンの向こうでカルビが言い終わるよりも先に、アッシュが入っている試着室のカーテンが、すぅっと揺れた。カーテンに手を掛けたカルビが、ほんの少しだけ隙間を作るように手を動かしたのだ。
今にも試着室を覗いてきそうな雰囲気が伝わってきて、アッシュはドキッとしてしまう。
「おいテメェ待てっつてんだろ……! というか、いつも一人だけズルいですわよッ……!」
聞こえてくるエミリアの声が、瞬間的にヒートアップして恐ろしいものになる。試着室の壁がビリビリと震えるほどの迫力だ。既にアッシュは着替え終わってはいるものの、ノコノコと試着室の外に出れる空気ではない。
「やめなさいよ、2人共……。大人しく待つことも出来ないの?」
言い合おうとするエミリアとカルビを窘めたのは、ネージュの冷え冷えとした鋭い声だった。
「そんなふうに外で騒がしくしていては、アッシュお兄ちゃんが落ち着いて着替えられないでしょう?」
真っ当なことを言ってくれるネージュだが、アッシュのことをお兄ちゃん呼びしていることには気付いていないのだろうか……。何というか、余計に試着室から出にくい空気なった気がする。
「……いや、平然とアッシュのことをお兄ちゃん呼ばわりしてるお前こそ落ち着けよ」
「そうですわよネージュさん。……というか、さっきからネージュさんの目がバキバキに据わりまくっていて怖いですわ……」
「そうなんだよなぁ……。この店に来てからアイツ、ずっと目が据わってる上に瞳孔まで開きっぱなしなんだぜ……。ありゃあ、相当キてるぞ……」
「えぇ……。一見冷静ですけど、破裂寸前の風船みたいな雰囲気ですものね……」
今度はエミリアとカルビが、ネージュについて好き放題に言い合う声が聞こえてくる。次の瞬間には、あまりにも攻撃的な舌打ちが聞こえた。恐らくネージュのものなのだろうが、かなりおっかない舌打ちだった。
「はいはい。喧嘩しない喧嘩しない。行儀よくしないと。今日は好意でお邪魔させて貰ってるんだから」
苦笑交じりのローザの声が、場の空気を落ち着かせる気配が伝わってくる。
なぜ店内に彼女達が居るのかと言えば、アッシュが女性冒険者に扮するための装備を揃える場に、どうしても居合わせたいとエミリアが半泣きでゴネまくったからだ。
更に、そのエミリアの熱意に賛同したネージュとカルビの強い要望もあって、ローザを含め、彼女達も特別に入店を認められた、という流れである。……まぁ、アッシュが女装して歌姫任務に参加することはローザ達も既に知っているので、この場に居合わせても問題は無いのだろう。
「しかし……、女が3人寄れば姦しいとは言うが、お前達の場合は度を越えているな」
試着室の外で、感心と呆れをブレンドしたような、ヴァーミルの低い声が響いた。
「これは純粋な興味から訊きたいんだが、お前達はダンジョンに潜っているときもそんな具合なのか?」
「おう。まぁな」
「私達はいつでも自然体ですわ」
どこか誇らしげな声音で、カルビとエミリアが応じるのが聞こえる。
「や、そんな胸を張って答えることじゃないよ……」
控えめにローザがツッコみ、むっつりとネージュが鼻を鳴らす気配があった。
「ローザ達のパーティは実力者揃いだけど、騒々しいのが玉に瑕……って感じよね」
ニヒルな言い方をするシャマニの声が続く。彼女の声音は笑みを含んではいるものの刺々しい。だが、敵意や侮蔑を籠めたような嫌味さはない。ローザ達のパーティの欠点を、軽口で弄りながら楽しむようでもある。
「うるせーんだよ、シャマニ。お前だって玉に瑕だろうが」
「あぁぁ? どういう意味よ?」
「お前、腕は立つけど、惚れた男のペットになりたがる変人じゃねぇか」
「べっ、別にあれは、ペットになりたがってたワケじゃなくて話の流れと言うか、売り言葉に買い言葉と言うか……!」
「ほぉーん? アレは本心じゃねぇってワケだな。安心したぜ。じゃあお前は、アッシュに“よしよし”って、優しく撫でられたいとか思わねぇってことだよな?」
「…………スゥゥゥゥ………………ぅ、ぅん……」
「声ちっせぇ……。つーか何を想像してんだよ。間が長過ぎんだよ」
珍しくカルビがツッコむ。直後にネージュが、「私はされたいわよ」と怖い声を発した。まるで槍を突き出すような鋭い口の挟み方だった。
「や、ネージュもさ、そうやって便乗して自分の欲望を吐露しなくていいから……」
疲れたようなローザの声が、ネージュの良心に訴えるようなか細い響きを残した。
「ちなみに
自信満々といった声音のエミリアのあとに、「……一体、何に因んだ告白なんだ、それは」と、ヴァーミルが頭痛を堪えるような声を洩らすのが聞こえた。
「そんなものは決まっていますでしょう?
「……淑女なのか犬なのか分からんが……。いずれにせよ、彼との肌の触れあいを当然の権利のように主張している時点で、不審者の類じゃないのか?」
「あらあら? ヴァーミルさん? そうやって先程から常識人ぶっているようですけれど、貴女も以前、アッシュさんには猫耳が似合うなどと、なかなかエッジの利いた発言していましたわよね?」
「普段は武人然としてるヴァーミルだけど、実は可愛いものが大好きなのよ。この前もぬぐるみを買って来てたし」
「ぉ、おいシャマニ……ッ! 適当なことを言うな……!」
試着室のカーテンの向こうが盛り上がりまくっていて、これ以上に彼女達がヒートアップしてしまうと、本格的にアッシュは出るタイミングを失ってしまいそうだった。
「す、すみません。お待たせしました」
だからアッシュは、彼女達の会話の隙間を縫うようにしてカーテンを開けた。
「着替えさせていただきましたが、こんな感じです。服装や装備自体は、普段とはあまり変わらないのですが……」
自身が着込んでいる服装を見直しながら、アッシュは試着室から出る。
その足音がやけに大きく店内に響いたのは、ローザを除くこの場にいる全員が、アッシュの方を一斉に振り向き、黙り込んだからだ。
眉をハの字にしたカルビは、何かを言いたそうな形に口を開けたまま固まっている。腕を組んで壁に凭れているネージュも、無表情のままで目だけを大きく見開いてアッシュを凝視していた。
絶句しているエミリアは、新時代の幕開けを目の当たりにしたような、物凄い驚愕の表情のままで身体を仰け反らせているし、顔を強張らせまくっているシャマニも、ほぼ同じような反応を見せていた。
茫然としたような顔になっているヴァーミルが、「ぅぉぉ……」などと感嘆とも呻きともつかない声を洩らしたところで、悪戯っぽい笑みを浮かべたローザが、アッシュの隣に歩み寄ってくる。
「どう? さっきアッシュ君が着替える直前に、ちょっとだけ化粧させて貰ったんだけど。イイ感じでしょ? 素材の味が生きてて」
まるでアッシュの女装姿を自慢するような口振りのローザは、「にひひ」と軽く肩を揺らしながら他の面々を見回した。真っ先に口を開いたのは、「うぅむ……」と渋い声で唸ったヴァーミルだ。
「……君は、実は女の子だったりするのか?」
腕を組んで顎をつまんだ彼女は、今のアッシュの姿や顔をまじまじと見ながら、感嘆とも警戒ともつかない声を洩らした。
「ぃ、いえ、僕は男ですよ。僕が女の子に見えるのであれば、それはローザさんのお化粧や、お店の人が見繕ってくれた装備品の御蔭です」
アッシュは控えめに苦笑してから、この店の店長であるという女性にも軽く頭を下げた。
「ぁ、ああ……。確かに、女装に向いているウィッグを用意したつもりだが……」
低い声で曖昧に頷いてみせた店長も、かつては『戦乙女』の一人だったらしい。身長も高く、体格の良い女性だ。ヴァーミルと同類の峻厳な美貌、武人然とした貫禄、そして頬と額に刻まれた傷痕が印象的である。
今日の為に、店を貸し切りにしてくれたのも彼女であるという話はアッシュも聞いている。元同僚のヴァーミルやシャマニの忙しさを察し、店の営業時間にも融通を利かせてくれたのだろう。
ただ、そんな店長も眉間を薄く絞って、「まさかここまでとは……」などと漏らして、不可解なものを見る目になってアッシュを凝視してくる。
この恰好というか、女性用の装備を身に着けているアッシュの姿には、何らかの違和感や不自然さのようなものが浮き彫りになっているのだろうか。少し不安になる。
ヴァーミルと店長の2人は顎に手を当てた姿勢のままで、武具の強度を測るような真剣な眼差しになって、更にじぃっとアッシュを見詰めてきた。彼女達の眼差しには、ありありと驚愕と困惑が浮かんでいる。
「アッシュ、お前……。そんな急に、お前……。庇護欲をそそりまくってくる妹になられちまったら、お前……。ちょっとアレだぞ、お前……。距離感に困るだろ、お前……」
ワケのわからないことをボソボソと言い始めたカルビは、ちょっと頬を朱に染めつつも、眉間に皺寄せて顎をしゃくれさせ、本当に困っているような顔つきだ。
その傍では、ネージュが虚脱したような力のない表情になってアッシュを見詰め、片手で頭を抑えるポーズをとっている。大切な何かを失いつつある恐怖に抗いつつも、極度の混乱を必死に鎮めようとするかのような雰囲気だった。
「え、え……ぇと……、アッシュおに、ぉ、おに、おね……お姉ちゃ……? ぇえ……、おね、ぉに、お兄ぃ、……お、おん……ぉん……?」
掠れたネージュの声は、芯が抜けてしまったかのように揺れまくっている。「……おいネージュ。なに誤作動を起こしてんだよ」とカルビが心配そうに横目で窺っていた。
そんな呆然自失みたいなネージュの隣に立っているエミリアも、身体の内側から湧きあがってくる何かを堪えるかのような、苦しげな表情だった。
「スゥゥゥゥゥゥウウウウ……――!!! ンンンンンンンン……!!」
余りにも力強く息を吸いこんだエミリアは、胸中にある全ての感情と動揺を絞り尽くすかの如く、暑苦しい息を吐き出してみせる。まるで壊れた温風器みたいだった。
「ハァァァァァァァァ…………!! ふぅぅうう…………好き……」
俯き加減のエミリアはやけに辛そうな顔だったが、そこで顔を上げる。改めてアッシュに向けてきたその緋色の瞳には、潤むというよりも、ぬめるような光と熱が籠っていた。
「………………」
あまりの衝撃に打ちのめされ、完全に立ち尽くしているというふうのシャマニは、アッシュを見詰めたままで微動だにしない。まるで石化魔法にでもかかったかのようだ。
カルビもネージュも、そしてエミリアの様子も大概おかしいが、彼女達と比べてもシャマニの方が、その症状というか平常心を失っている度合いというか、そういったものが若干重そうだった。……流石にちょっと心配になる。
「あ、あの、シャマニさん……?」
「んは……ッ!!?」
おずおずとアッシュが声を掛けると、シャマニは弾かれたように肩をビクーンと跳ね上げてから、正気を取り戻し損ねたかのような、キラキラと輝くような笑顔を浮かべて見せた。
「えぉ、ぉ……! っ、スゥゥゥ……! は、はい、どうしましたッ!?」
「いえ、えぇと……、大丈――……?」
「えぇ、もうバッチリですよ! 似合ってます似合ってますッ!」
アッシュの言葉を遮るというか、かなり食い気味で応答してくるシャマニだが、会話が噛み合っていない。
「あの、アッシュ様……! 前から、ずっとずっとお話したかったのですが、私達のクランに入りませんか!? 入りましょうよ……!」
この状況でクラン勧誘までしてくるシャマニの瞳は、熱を帯びるように輝きながらも、澄んだ紫水晶のように美しい。ただ、その眼差しの焦点が微妙に合っていない。軽い錯乱状態のようだ。
というか、シャマニさんの目線、僕のお腹あたりに向いているような気が……。やはり、この女装姿に不自然なところがあるのだろうかと、アッシュが自分の体を改めて見下ろそうとしたときだった。
「おい。シャマニ」
不機嫌そうなカルビの、やたら低い声が飛んだ。
「そうやってな、アッシュの股間に向かって熱心に話しかけるのやめろよ。流石にどうかと思うぜ?」
「はっ!? はは、話し掛けてないわよッ!」
「嘘つけお前。さっきだって、女装したアッシュの顔と股間を高速で見比べてただろ?」
「みゅっ……、見てない! 見てない見てない!」
「ムキになるのが怪しいぜ? おいアッシュ。シャマニとの付き合い方は、ちょっと考えた方がいいかもしんねぇぞ」
「ち、ちち、ちっ、違うもんッ! 見てないもん……ッ!」
焦りまくった様子のシャマニが、この場にいる面々を見回す。
ローザやネージュ、エミリア、ヴァーミルや店長までが、微妙な表情になってシャマニを眺めている。その生暖かい眼差しを跳ね返そうとしたのか、或いは、何かを誤魔化そうとしたのかもしれない。
「もっ……、もぉぉぉぉぉぉぉん!!!」
ちょっと涙目になったシャマニが両手で握り拳をつくり、身体を前に折り曲げて強張らせ、駄々をこねる子供みたいに叫んだ。
「なんだよ、もぉぉんって」
ちょっと楽しそうな半笑いになったカルビが、呆れ声にも笑いを含ませる。シャマニが涙目でキレ顔をつくってカルビを睨んだが、すぐに怯えたような表情になってアッシュに体ごと向き直ってきた。
「ち、違うんですッ! ふぅぅうぅ私は、アッシュ様の顔と股間を見比べてなど……ッ!」
その余りにも必死な口振りは、ほとんど命乞いのようだった。その勢いに圧倒されつつ、アッシュは何度か頷いてみせる。
「え、えぇ。勿論、カルビさんの冗談だということは分かっていますよ。シャマニさんが真面目な女性であることも、僕は理解しているつもりです」
「あ、アッシュ様ぁ……ッ!!」
アッシュに庇われたのが、よほど嬉しかったのか。まるで拝むように胸をあたりで両手を組んだシャマニが、感激したように目をうるうるとさせ始める。
「……しかし、先程のクラン勧誘のときは、アッシュさんの下腹部あたりを凝視していたように見えましたけれど……」
疑わしいものを見る目になったエミリアが、ボソッと溢した。
「そうねよ。アッシュおに……アッシュおね……アッシュ君に、ちょっとよくない眼差しを向けていたように感じたわよね」
やや険しい表情のネージュが腕を組み直し、小刻みに頷いている。
「さぁて……。一頻り盛り上がったところで、ちょっと真面目な話に戻ろうよ」
そこでアッシュの隣にいるローザが、この場の賑やかさに一区切りつけるように全員を順に見てから、アッシュにウィンクしてくれた。
「取り敢えず、護衛任務当日のアッシュ君の女装はこれで十分なのか、ヴァーミルとシャマニからの評価を聞かせて欲しいところだよね?」
確かに、その通りだった。アッシュは自分の体を見下ろし、動き易さを確かめながら、ヴァーミルとシャマニに向き直った。
「えぇ。女装として問題が無いのでしたら、僕もこの装備一式で決めたいと思います。普段のものと殆ど変わらないのも、僕としても安心感がありますし」
アッシュもローザに頷きを返したところで、引き締まった顔になったシャマニが「評価も何も、最高ですよ?」と即答してくる。
不味そうに眉間を絞ったヴァーミルが、そんなシャマニを横目で見つつも、「あぁ。女装の点については……」と話を前に進めてくれた。
「及第点どころか、これ以上は無いと言ってぐらいだ。今の君を、初見で男性だと見抜ける者などいないだろう」
改めてアッシュの姿を注意深く眺めた様子のヴァーミルは、同意を求めるようして、隣にいた女性店長を横目で一瞥する。
「あぁ。これが女装などとは、普通は思わんさ」
女性店長は感嘆交じりの苦笑で頷き、アッシュの目の前に来てしゃがんだ。
「君が身に着けている装備一式は、“ソリッド・ディーヴァ”の新作だ。今の流行とは少し外れるブランドだが、ヴァーミルの推しブランドだけあって、防御性能は折り紙付きだ。信頼してくれていいぞ」
言いながら女性店長は、アッシュが羽織っているローブの裏地を確認したり、アッシュの身体とボディスーツのサイズがちゃんと合っているかを確認しているようだった。
「インナーとブーツも、同じブランドで揃えるといい。魔鋼鋼維を素材としているし、ボディスーツと同系統の防御魔術処置が施されてある。冒険での生存率も底上げできるはずだ」
ブランドや流行については疎いというか、ほとんど知識が無いと言っていいアッシュにとっては「そ、そうなんですね……。お願いします」と曖昧に頷くしかない。だが、ヴァーミルが推薦しているメーカーということなら、確かに信頼できると思った。
「まぁ、値は少し張るが」
アッシュの前でしゃがんでいた女性店長は、立ち上がりながら冗談めかした。
「えぇ。それは構いません」アッシュも彼女を見上げながら応じる。
「予算は十分に用意してきていますから。それに、僕の身体を盾にすることも考えれば、頑丈であることに越したことはないはずです」
「……最初から自分を犠牲することを考慮するのは、褒められたものではないぞ」
女性店長が一瞬だけ難しい顔になったが、すぐに相好を崩して肩を揺らした。
「だが護衛という役割においては、必要な覚悟には違いないな。なるほど……。ヴァーミルやシャマニが、君を信用するのも少し分かった気がするよ。……よし。それじゃあ、いくつかインナーを見繕って来よう」
女性店長が店の奥へと姿を消したところで、ローザ達も店の裏口から出るようにヴァーミルとシャマニから指示されていた。クラン『鋼血の戦乙女』として、このあとアッシュ個人にすべき話があるということだった。
カルビやネージュ、エミリアも、最初はやや訝しそうにヴァーミルとシャマニ、それにアッシュを見比べてきていた。
だが、すぐに彼女たちは「……あぁ、なるほどな」というふうに、何かを察したような納得顔になって、大人しく裏口の方へと回っていた。
「それじゃ、アッシュ君。私達は、ちょっと行ったところにある喫茶店で待ってるから。話が終わったら、そこでお茶でも飲もうよ。ヴァーミルとシャマニも、一緒にどう?」
その際に、ローザが軽やかに声を掛けてくれた。彼女の明るい声音が、どこか気遣わしげに聞こえたのは気のせいではないだろう。ヴァーミルとシャマニの2人は、この後も向かわねばならないところがあるということで、残念そうに断っていた。
こうして試着室の前に残される形となったアッシュは、ヴァーミルとシャマニの2人に軽く頭を下げる。
「……すみません。こうしてお店に案内して貰った上に、お時間まで作って頂いて」
「そっ、そんなふうに頭を下げて貰うことではありませんよっ」
慌てた顔になったシャマニが両手の掌を見せて、ぷるぷると首を振った。続いて、渋い顔になったヴァーミルも、ゆっくりと頷いてくれる。
「あぁ。……寧ろ、こちらこそ連絡が遅くなって、すまないと思っていたところだ。丁度、こうして顔を合わせる機会があって良かった」
言いながらヴァーミルは、周囲の様子を探るように視線だけを動かしている。先程の女性店長がまだ戻って来ていないかを確かめたようでもあった。それからヴァーミルは、シャマニと目を見交わし、声を潜める。
「……君が、我々に便りを寄越してくれていた件だが……。結論から言おう。“不可能ではない”。シャマニの恩人として、いや、我々のクラン全体の恩人である君の願いを、そう無碍にするつもりはない」
ヴァーミルの囁くような声は、瀟洒な店内の空気を静かに溶けていく。
「ただ、もう少しだけ待って欲しい。“ヤツ”のネクロマンサーとしての力は完全に抑え込んでいるが、念には念を入れたい。万が一もあってはならないからな。色々と準備をしておきたいんだ」
「……分かりました。不躾なお願いをしてしまいましたが、こうして御返事をいただき、ありがとうございます」
ヴァーミルと同じく声を潜めたアッシュは、また軽く頭を下げた。
少し前になるが、アッシュはギルド経由で、ヴァーミルとシャマニの2人に便りを送っていた。クラン『鋼血の戦乙女』に宛てたものではなく、あくまで個人的なものとしてだ。
アッシュが送った便りの内容は、ダルムボーグでの顛末を知らない者には意味不明だが、シャマニやヴァーミル達であれば理解できる文面にしておいた。
“僕の父にあたる人物に会えないか?”――つまりは、ギギネリエスに会うことはできないかと、アッシュは彼女達に訊きたかったのだ。
「無神経なことを尋ねることを、赦して頂きたいのですが……」
そこでシャマニが、下唇をぎゅっと強く噛んでからアッシュを見詰めてきた。紫水晶のような澄んだ瞳が、まっすぐにアッシュを捉えている。複雑な負の感情を抑え込んでいるような、強張った眼差しだった。
「アッシュ様は、あの男に会って……どうするおつもりですか?」
ギギネリエスに対して、シャマニは何らかの恨みがあるのだろう。潜められた彼女の声音にも、鞘から白刃が覗いたような、澄んだ鋭さがあった。
今の彼女の眼差しは、アッシュがどんな虚言を弄しても見抜くだろう。そしてアッシュも、嘘を言うつもりは無かった。
「……ギギネリエスと、話をしたいんです」
「それは、どのような……?」
詰問のような響きを帯びるシャマニの声に、アッシュは緩く首を振った。
「なにか、特別な話をしたいわけではないのですが、……ただ、あの男自身について、知りたいと思っているんです」
あの男が今、どのような状態にあるのか。アッシュは知らない。それを教えて貰うときは、ギギネリエスに会う準備が整ったときになるだろうと思った。
賞金首のネクロマンサーとしてのギギネリエスは、書類上では既に死亡扱いとなっているが、実際は生存している。そして、冒険者ギルドの意向によって捕縛され、力を抑えられ、管理されている――。
その今の状況が、非常にデリケートな問題を孕んでいることもアッシュは理解しているつもりだった。そして、この複雑な構図の中心そのものである、ギギネリエスに面会できないかなどと要望することが、分を弁えない我が儘ということも自覚している。
だがアッシュは、あの男が生きているのなら会いたいと強く思っていた。
いや、感覚としては、“会わねばならない”、“あの男のことを知らねばならない”といった、強迫観念に近いだろうか。
あの男……ギギネリエスを知ることで、アッシュは自身という存在の根源に辿り着けるのではないかという予感と、ある種の期待があった。子が、自らの親のことを真剣に知ろうとする動機とは、得てしてそんなものなのかもしれない。
「……そう、ですか」
奥歯を噛むように頬を強張らせたシャマニが、俯くように小さく頷いた。
「アッシュ様のその気持ちは、少しだけですが……、私も分かるような気がします」
彼女の掠れた声と言葉に、どう応じるべきなのかアッシュには分からなかった。
だが、シャマニがギギネリエスに向ける憎悪の原形に、彼女の肉親の存在があることは察することができた。
アッシュはただ曖昧な沈黙を彼女に返すしか無かったが、そこでヴァーミルが「あぁ、それと……」と、何気なく話題を変えてくれる。今はその気遣いが有難かった。
「今回の護衛任務には、チトセも参加することになっている。今はアードベルを出ているが、その出先から便りがあった。まぁ、報告書のようなものだが……。あいつも文面で、君に会いたがっていたよ」
少しだけ目を細めたヴァーミルが、唇の端に微笑を過らせる。
「なかなか都合が合わなかったが、今回は久しぶりに君に再会できそうだと喜んでいた」
「そうでしたか……。ダルムボーグで助けて頂いてから、チトセさんにも何度かお便りを送らせて頂いていたのですが、御返事が無かったのは、そういう理由からだったんですね」
「あぁ。我々のクランに所属してはいるが、医術魔導士としての腕を頼られているチトセは、アードベル周辺の街や村落にも出向くことも多くてな。ギルド経由の便りも書類も、手つかずになることも多いんだ。君にも謝っていた。碌に返事も出せずに申し訳ないとな」
「いえ、僕の方こそ、お忙しい中でも気に懸けて頂いて申し訳ないです」
「そう気にすることはない。しかし……」優しく言ってくれたヴァーミルは、そこで腕を組み、半歩下がりながら「うぅむ……」と低い声を出し、改めてアッシュの姿を眺めた。
「今の君の姿では、たとえチトセでも、君だとは分からないかもしれん」
「多分、“剣聖”だって言われなきゃ気付けないわよ。でもまぁ……、驚きはしても、納得はするでしょうね」
自身の気持ちを切り替えるように息を吐いたシャマニが、妙に誇らしげな顔になってアッシュを見た。
「……だろうな」とヴァーミルは苦笑交じりに頷いてから、「あぁ。と、ところで、アッシュ」と、また話題を変えた。
ただ、咳払いをしてアッシュに向き直ったヴァーミルの顔が、やや赤いような……。
「今だけでいいんだが、……ちょっと、これを着けてみて欲しい」
凛々しい声を僅かに上擦らせたヴァーミルが差しだしてきたものを見て、アッシュは目が点になった。
彼女の手の中にあるのは、灰色の、カチューシャというのだろうか。ただ、猫耳の飾りが生えているので、普通のアクセサリーではなさそうだった。ある種のパーティグッズというか、仮装用の玩具というか、そういいた類のものだろう。
ただ、それをこのタイミングで持ち出してくるヴァーミルの意図が読めない。アッシュの傍に居たシャマニが眉を寄せて、「マジかよコイツ……」みたいな顔になっている。
「えぇと……その猫耳を、僕が着けるんですか……?」
アッシュは困惑しつつも、妙に生暖かい感じがするヴァーミルの微笑みと、彼女が手にして差し出してくる猫耳カチューシャを見比べた。
「そうだ。きっと君に似合う。断言しよう」
微笑みを維持しているヴァーミルの口振りは、怖いぐらいに迷いが無い。それにヴァーミルは、エミリア以上に体格も良い。真正面に立たれて見下ろされる今の状況では圧も凄いし、目力も凄い。
どうも断れない雰囲気だ。
何というか、独特な強引さがある。
だがまぁ、金品を寄越せなどと言われているわけではない。カチューシャ着けるだけでいいのなら、別に身構えることも無いだろう。
「わ、わかりました。じゃあ、ちょっと……着けてみますね?」
クラン『鋼血の戦乙女』は、魔導機械術によって製造された高性能な魔導装備品を使いこなす集団でもある。この猫耳カチューシャにも、何らかの特別な機能が備わっているに違いない。
「この髪飾りには、どんな効果が……?」
ヴァーミルからカチューシャを受け取りながら、アッシュは控えめに尋ねてみる。ヴァーミルはゆったりとした仕種で頷いた。
「可愛いだろう?」
「……えっ」
「私の手作りなんだ」
「ぇぇと……、その、何か、特殊な機能があったりとかは……」
「あぁ。君の愛らしさが増幅する」
……どう応答すればいいのか。アッシュは助けを求めるようにシャマニの方を見た。シャマニの方もアッシュと同じく、唐突に今までとは異なる文脈で熱意を発揮し始めたヴァーミルに戸惑っているのか。
「まぁ、アッシュ様に似合うだろうけど……」
一定の理解を示しつつも、シャマニは頬の内側をモゴモゴと噛みながら、酸っぱそうな顔になっている。
「あの、すみません……、アッシュ様……。一応、着けてみてあげてくれませんか? なんか、手作りとか言ってますし……。ヴァーミルに泣かれても面倒ですし……」
眉を下げて小声になったシャマニの、その気遣いめいたお願い口調は、妙に切実だった。アッシュも頷くしかなかったものの、「この猫耳は、護衛任務には使わないだろうな……」と思った。
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最後まで読んで下さり、ありがとうございました!
今回の更新で、
『サニア、ルフルの反応が見たい』『次回が気になる』『面白い』と少しでも感じていただけましたら、★評価、応援を押していただけますと幸いです……。大変励みになります……(土下座)
遅々とした不定期更新ではありますが、
また次回も、皆様にお付き合い頂けるよう精進して参ります。
いつも支えて下さり、ありがとうございます!
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