第72話 或いは平穏、抱き合わせの不穏と1 <ローザ視点>





 リビングのソファに深く腰掛けたローザは、大きく伸びをしてから息を吐き切った。シャワーを浴びてきたが、まだ眠い。次の冒険に向けて、新しい魔導機術武器を調整するために、地下工房で徹夜したせいだ。


 壁の時計を見る。時刻は昼過ぎ。少し開けてある窓の外は晴れていて、いい天気だった。


 今のローザは短パンとシャツの姿なので、吹いてくる風がふんわりとしていて気持ちいい。


 ソファテーブルに置いたカップを手に取り、口を付ける。温めに、そして甘めにしたコーヒーだ。美味しい。


 今日の食事当番であるカルビには、朝食と昼食は要らないと既に伝えてある。地下工房で作業しながら栄養食は食べたので、空腹感は無い。ただ、少し眠い。

 

 身体を投げ出すようにソファに凭れて、ローザは瞑目する。

 心地よい微睡の中で、欠伸と一緒に独り言が口から漏れてきた。

 

「今日も平和だな~」


 穏やかな日常を身体全体で味わうローザの脳裏に、ふわっとアッシュの姿が思い浮かんだ。


 ローザの家にアッシュが住むようになって少し経ったが、その間に、ローザ達とアッシュの関係に劇的な変化は無い。ローザ達やアッシュが、互いに馴れ馴れしくなったというわけではないし、特別な関係が始まったということでもない。


 まぁ、言ってみれば普通だった。


 ローザ達は仲間の間で食事や掃除当番を順に回し、小規模な集団生活をしているが、そんなものはどの冒険者パーティも同じだろう。別に特別なことなど何もない。

 

 強いて特殊な点を挙げるならば、共同生活をしているアッシュが同じパーティではないぐらいだ。


 冒険活動の同行をアッシュに頼むのは、食事の後などの面子が揃っているタイミングでのことが多かった。そして同行依頼の話を受けてくれた場合には、次に攻めるダンジョンの相談にも、アッシュに混じって貰ったりした。


 結局のところ、冒険者としてのアッシュの活動内容も、今までと殆ど変わることはなかったのではないかと思う。


 住んでいる場所が変わっただけで、今のアッシュは、『5等級・銀』のソロ冒険者のままである。


 ローザ達に依頼されて同行する以外にも、アッシュは1人でギルドに行って掲示板を確認し、その中から依頼を探して受けたり、近場のダンジョンに向かって魔物を狩り、魔骸石を集めたりしている様子だった。


 まぁ、これも当然のことではあるがローザも、カルビも、ネージュも、エミリアも、冒険者として行動するとき以外でも、ずっと一緒というわけではない。


 買い物や用事があるときは別行動をするし、其々に自由に出かけたりもする。生活の拠点を共にしてはいるが、彼女達は互いに互いを束縛するようなことはない。


 だからこそ、息の合ったパーティでいられるというか、良好な関係を維持できるのだろうとローザは勝手に思っているし、実際に上手くいっている。冒険者としての在り方としては、ローザ達にも大きな変化は無い。もちろん、いい意味でだ。


 アッシュが同行していない冒険活動でも、ローザ達はそれなりに順調だった。カルビとネージュ、エミリアと共に難関ダンジョンに挑み、無理をせず、稼ぎのいい魔物を狩ったり、希少鉱石を採掘したりを続けている。


 おかげで、一時の赤字は殆ど取り返すことができた。魔法弾の補充も十分だし、新しい魔導装備を買うための資金も溜まりつつある。


 まぁ、冒険者なりの安定した生活が戻って来た、という感じだ。

 ローザ達の暮らし全体を見れば、やはり大きな変化は無かった。


 でも……、とローザは思う。


 ローザの家で暮らすようになったアッシュの姿を振り返ってみると、アッシュの態度は以前よりも少し柔らかくなったように思う。少なくとも、ローザはそんな風に感じている。


 何と言うか、ローザ達とアッシュとの関係が変わらなくとも、その距離が近くなったような気がするのだ。


 ローザ達に向けられるアッシュの声音には、明確な温もりがある。それは決して社交辞令的な愛想ではなく、ローザ達だからこそ見せてくれる、アッシュからの控えめな親しみの表現なのだろうと思いたかった。


 ゆっくりと息を吐きながら、ローザは瞼の裏にアッシュを思い浮かべてみる。想像の中に現れたアッシュは、困ったような、優しい微笑を浮かべていた。それに、子供のように涙声を上げる泣き顔や、少しムスッとした顔も見せてくれる。


 もしもダルムボーグでの一件が無かったなら、ローザの脳裏に浮かぶアッシュは、こんな風に表情を変えることは無かっただろう。もっと寂しげで儀礼的な、他者との間に壁を作り、迂闊に踏み込ませないような、ひっそりとした微笑みだった筈だと思った。


「あの、ローザさん」


 アッシュのことを想っていると、不意に声が聞こえた。

 すぐ近くから。


「おっぱい、揉んでいいですか?」


 次の瞬間だった。

 ローザの乳房の先端が、遠慮のない手つきで摘ままれた。

 いや、摘まむだけではなく、きゅっと捻るような動きまであった。


「ひぎゃああああああああああああ!?」


 いきなりのことに眠気が吹き飛んだローザは、叫びながら飛び上がってしまう。何事ごとか思い目を開けると、目の間にカルビが居た。悪戯めいた笑みを浮かべるカルビは恐らく、気配を消して近づいて来ていたのだろう。全く気付かなかった。


「こんなところで寝てたら風邪ひくぜ?」


 カルビは肩を揺らして言いながら、どさっとローザの隣に腰掛ける。


「……普通に起こすか、毛布でも掛けてくれればいいじゃん」


 むすりと言ってから、ローザは自分の胸を腕で隠すようにして、横目でカルビをじっとりと睨んだ。


「今度やったら、部屋代10倍にするからね」


「そ、それは勘弁してくれよ……」


 大いに怯んだ様子のカルビが弱った声を出すので、ローザはついでに指を向けた。


「あと、アッシュ君はそんなこと言わないから」


 この指摘に、肩を竦めたカルビは半笑いに戻る。


「いや~、状況によっては言うかもしれないぜ?」


「どんな状況よ……」


 冷凍ビームさながらの声で応じたのは、キッチンの方から歩いてくるネージュだった。彼女は手に盆を持っていて、その上にはコーヒーカップが3つ載っていて、湯気をくゆらせている。


「ローザのコーヒーも温め直しましょうか?」


 ネージュが尋ねてくれたので「ううん、大丈夫。まだあったかいから。ありがとう」と礼を言って、ローザも自分のコーヒーに口をつける。


 香りの良い苦みは気持ちを落ち着かせてくれるのだが、「そりゃあ、お前」と暢気に笑うカルビの方は、落ち着かない話題を膨らませようとしている。


「“おっぱいを揉んでいいですか?”なんて訊いてくる状況なんざ、まぁ、限られてくるだろ?」


 ネージュからコーヒーカップを受け取ったカルビが、鬱陶しいぐらい得意気な様子で、ゆったりとソファに凭れた。


「例えばだな……」と勿体ぶるように言葉を切ったカルビは、たっぷりとした余裕らしきものを漂わせて脚を組み、上品ぶってコーヒーを啜った。「あちちッ!?」


 自分で広げた話題であるのに、カルビはその続きを話すことにモタモタとし始める。


「何をやってるのよ……」


 ネージュが苛立ちを籠めた舌打ちをしてソファに腰かけたところで、キッチンの方からエミリアも歩いてくる。


「どうせカルビさんのことですから、『アタシと風呂に入ってるとき』だの、『アタシと添い寝をしてるとき』だのと言いだすのでしょうけれど……」


 溜息交じりのエミリアも手に盆を持っていて、その上には人数分のチーズケーキとフォークが乗っている。おやつの用意をしてくれていたようだ。


「へぇ。よく分かったな」と感心したような顔になるカルビが、「だいたい予想できますわ」と呆れたような微笑のエミリアからチーズケーキを受け取る。


「アッシュさんの分は冷蔵器にありますから、勝手は食べては駄目ですわよ。カルビさん」


 全員分にケーキを渡し終えたエミリアも、ゆったりと優雅にソファに腰掛け、上品な仕種でコーヒーに口をつける。そこで、ふと気付いたようにリビングに視線を流したネージュが、ローザの方を見た。


「……そういえば、アッシュお兄ちゃんは?」


 あまりにもネージュが自然な言い方をするので、ローザは我が耳を疑った。


 ネージュを見詰めてしまいそうになるのと同時に、コーヒーを啜っていたカルビ、そしてエミリアが「ぅぶふっ!?」「おぶぉほっ!?」などと爆発するように噴き出していた。その熱々のコーヒーの飛沫が、短パン姿のローザの太腿に飛んでくる。


「熱ッ!? あっつ!!」


 ソファに座ったままで、ローザは身体を硬直させたままで仰け反らせてしまう。


「げほげほっ!? あぁ!? わ、悪い!」


「ごほっげはッ……! ご、ごめんなさいローザさん! すぐに拭きますわ!」


 わちゃわちゃとやり始めたローザ達を眺めて、ネージュは「いったい何をやっているのだ」という怪訝そうな表情だ。ローザからすれば、「いったい何を言い出すのか」という思いではある。


 一頻りにゲホゲホと咳をして落ち着いたカルビが、「お前……」とネージュに深刻な顔を向けた。


「マジで何を言い出すんだよ、いきなり」


「まぁまぁ、びっくりしたよね……」とローザも頷き、カルビに続く。


「……? 何がよ?」


 怪訝そうな表情のままのネージュは、カルビとローザを見比べるだけだ。やはり気付いていないのか。


「何がって……、それはこちらの台詞ですわよ!」表情を引き締めたエミリアが、真面目な声に興奮を滲ませ始める。


「何ですの、その“アッシュお兄ちゃん”というのは……!? ちょっと参考にしたい

というか、かなり味わい深いアプローチの仕方じゃありませんことッ!」


「えっ」ネージュは眉を顰めてからカルビを睨み、すぐに何かに気付いたように「あっ」と声を洩らして目を開いて、顔を青くした。そしてすぐ赤くなる。


「そっ……、そんなことは、ぃ……言ってない」


 やけに強張った声を発したネージュは、難しい顔になってそっぽを向いた。


「ネージュ、大丈夫……? 何か顔色、紫っぽくなってるけど……」


 流石に心配になってローザは声を掛けるが、ネージュは「でゃ……、大丈夫よ」と短く応じるだけで、そっぽを向いたままだ。何だか妙な沈黙が流れかけたところで、リビング内に来客を知らせるベルが鳴った。取りあえずと言った感じで、ローザとカルビ、それにネージュは顔を見合わせる。


「……誰だろ? ちょっと行って来るね」


「おう」


「えぇ」


「お願いしますわ」


 カルビとネージュ、エミリアの声を背中で受け取りながら、ローザはソファから立ち上がる。今のラフな格好だと少し不味いかもしれないと思い、一応の着替えを自室で済ませて、門扉まで行ってみる。


 ――そして、その数分後。


 リビングにはいつかのように、シャマニとヴァーミルがソファに腰掛けて、それと向かいあうようにローザ達も腰掛けていた。


 来客はシャマニ達で、どうやら以前に言っていた同行依頼の話を持ってきたということだった。


 ソファテーブルの上には、シャマニ達の分のコーヒーも置かれてある。彼女達の服装も以前のときと同じで、白と黒を基調とした騎士装束然とした制服だ。


 家に居るから当然ではあるのだが、カジュアルな格好をしているローザ達に比べて、キッチリとした制服に身を包み、騎士、或いは軍人然としたシャマニ達との佇まいには、なかなかの温度差がある。


 まぁ、シャマニとヴァーミルも、かなりの美人だ。だからその分、彼女達の纏う険しく厳しい雰囲気が割増しになっているのもあるだろう。流石は実力派クランの主要戦闘メンバーというべきか。ただ静かに座っているだけでも、他者を圧迫する貫禄がある。


 ただ、そんな仕事モードの彼女達の迫力に圧倒されそうになっているのは、この場ではローザだけのようだ。


 平然としてコーヒーを啜っているカルビとエミリア、さっきと比べて落ちついた様子のネージュの3人は、泰然としてシャマニ達が話し出すのを待っている。


「今日は、アッシュさ……、コホンッ! アッシュさんは?」


 おもむろに口を開いたシャマニは、険しい表情のままで言う。

 そんなシャマニを見て、ふと、ローザは思った。


 やはりシャマニは、ギギネリエス戦での負傷を治癒し、助けてくれたアッシュに対して、感謝と共に強い敬慕の念を抱いているのは間違いなさそうだ。


 だが、シャマニがギギネリエスに狙われた理由については、ローザは何も知らない。


 ギギネリエスはシャマニのことをよく知っているふうでもあったし、シャマニもまたネクロマンサーというものを憎悪している様子ではあった。


ただ、それらの理由を興味本位にシャマニに尋ねるのは躊躇われた。


 

 酷薄そうな薄ら笑いを浮かべたギギネリエスが、シャマニの両親に言及したときの言葉。その断片が、ふっとローザの頭を過っていったからだ。

 

 今のギギネリエスがどういった状況にあるのかはローザも気になっていたが、そのことに触れるのにも、もっと相応しいタイミングがあるだろうと思った。


 そして何より、シャマニが抱える何かに無遠慮に触れてしまうことは避けたかった。


 ギギネリエスに関する思考を打ち切るために、ローザが意識的に、ゆっくりとした瞬きをした直後だった。


「おいシャマニ。今、アッシュ様って言いかけただろ?」


 くつくつと笑ったカルビが、面白がって指を向ける。


「……はぁ? 言いかけてないんだけど。馬鹿じゃないの?」


 眉間を絞ったシャマニが片方の目を物騒に窄めた。シャマニは普段の佇まいからして攻撃的だが、ああいう表情が似合う。滅茶苦茶こわい。並の冒険者だったら腰を抜かすか、金縛りにあうか、動けるのなら逃げ出すだろう。


 カルビはシャマニのことを『可愛いチンピラ』などと評していたが、割と当たっていると思う。


「ホントか~? 今の明らかに、アッシュ様の『さ』までを言った感じだったぜ~?」


 そのカルビはシャマニの剣幕に動じることもなく、ニヤニヤと唇を歪めている。


「やめなさいよ、カルビ。誰にだって言い間違いはあるわ」


 カルビの横からネージュが、シャマニを庇うような優しい言い方をする。言い間違いをする、という部分を特に強調した口振りなのは、さっきの“アッシュお兄ちゃん”の発言があった為だろうか。


「いや、そもそも言ってないんだけど?」


 シャマニが怖い顔のまま、ムキになる。このままだと言い合いに発展しそうなので、ローザはストップを掛けるべく「あのさ」と挙手をした。


「私達も含めて、アッシュ君にも同行を依頼するつもりなの?」


 取りあえず尋ねると、ヴァーミルが鷹揚に頷いてくれた。


「彼にも依頼の内容は直接伝えたかったが、……留守であるならば仕方がないな」


 アッシュに会えることを、ヴァーミルも多少なりとも期待していたのだろうか。彼女は緩く息を吐きつつ残念そうに言う。


 その態度から、アッシュに対するヴァーミルの評価の高さが窺えた。任務を遂行することに対し、殊更に実直そうなヴァーミルにとっても、“冒険者”という生き方にストイックなアッシュの姿は、信頼に値するということだろう。


 アードベルでも有数の実力派クラン『鋼血の戦乙女』の中でも、ヴァーミル=エトラースと言えば、冒険者達からも一目置かれる存在である。そんなヴァーミルからもアッシュが認められていると思うと、ローザは何だが誇らしい気分になった。


 だが、いやいや……、と胸中で自分にツッコむ。


 ローザとアッシュ達の関係は、まぁ、身内というかパートナーというか、曖昧なものである。そんな間柄のローザが、アッシュが評価されていることに対して、無闇な誇らしさを感じているのは、どうなのか。もう少し冷静であるべきではないか、とも思う。


 だが、いつかのアッシュの涙と、あの苦しげな泣き方を想うと、やはり放っておけないというか、身内意識が芽生えてしまうというか、こう……、勝手なことではあるが、守ってあげたくなるというか、一緒に居てあげたくなるのも間違いなかった。


“アッシュ君のことを仲間だと思ってる”


 ローザは、そうアッシュに言ったことがある。

 あれは間違いなく本心だ。それは言いきれる。断言できる。


 ならば、その自分の感情に正直になって、アッシュのことを想っても良いのではないか。同じパーティではなくとも、仲間として、彼が評価されて信頼されていることを素直に喜んではいけないとか、そんなことは無い筈だろう。


 その場の勢いもあったが、アッシュに対して“大好き”とか言っちゃってるし……。な、何だか凄いコト言っちゃったなぁ……、などと、今になって思わなくもない。


「ローザ」


 ごちゃごちゃと考えていると、少し心配そうな目をしたヴァーミルと目が合う。


「少し顔が赤いぞ。体調でも悪いのか?」


「ぇ、そ、そう……?」


 はっとしたローザは、慌てて自分の顔をぺたぺたと触る。確かに少し顔が熱い気がした。何となく気恥ずかしくて、それを誤魔化すように、「さっきシャワー浴びたばっかりだから、ちょっと体温が上がってるのかも」と付け足す。


「体調を治す程度なら、ちょっと見てやろうか?」と、隣に居るカルビが親切に言ってくれる。治癒魔法を使って貰うようなことではないので、ローザは首を振る。


「ううん。大丈夫だよ。ありがと」


 流石に、アッシュのことを考えていて赤面していた、などとは正直に言う気にはなれなかった。だというのに、ローザの赤い顔が体調不良でないのだと察したらしいカルビが、「ほーん……?」と面白がるような、悪戯っぽい表情を浮かべてみせる。


「何だよローザ。お前もエミリアとかネージュみたいに、アッシュのことを考えながら熱暴走してたのか?」


「ち、違うよ!」


 咄嗟にローザは否定する。少し声が強張ってしまって、何だか余計に恥ずかしかった。


 雑に巻き込まれたネージュはと言えば、静かに目を吊り上げて、「熱暴走なんてしたことないわよ」と力強く言い切った。さっきの『アッシュお兄ちゃん』発言は何なのかという思いにはなるが、話がこじれまくりそうなので、そこはツッコむことはしない。


 「そうですわよ」


 ネージュに続いて、似合わないニヒルな表情をつくったエミリアが首を振ってみせる。やれやれ何も分かっていませんわね、といった感じだった。


「私はいついかなる時でも、アッシュさんと共に過ごす幸福な未来を、淑女的緻密さ、乙女的精密さで思い描いているだけです。その沈思と熟慮の中にある私の姿が熱暴走しているように見えるのなら、それはアッシュさんに向ける私の想い深さの現れですわ」


「あぁ。なるほど。つまり、妄想の中でアッシュをいいように弄んで興奮してたってワケだな?」


 納得顔のカルビが腕を組み、深く頷いた。


「私の発言のどこをどう要約すれば、そんな解釈になるんですの!?」


 また騒がしくなりそうになったところで、「……アンタ達のパーティには」とシャマニが口を挟んで来た。何かを確認するような口調だった。


「アッシュさ……、ゴホンッッ!!ンンッ!! ……アッシュ様は、まだアンタ達のパーティに入ってないのね?」


 わざわざ咳払いまでして誤魔化したのに、全く言い直せていないことに指摘すべきかどうかは、この場に居る全員が悩んだところだろう。


 実際、3秒ほどの沈黙があった。その間に、シャマニの隣に腰掛けていたヴァーミルが、何とも言えない表情になって、シャマニの横顔を眺めて居た。ローザとエミリアは視線だけを合わせて、シャマニの言い間違いには触れなかった。


「おいシャマニ、お前」と、何かを言いたげな声を洩らしたカルビを、ネージュが『見逃せ』とでもいうような目つきで睨んだ。それで取りあえず空気を読んだのか、ボリボリと頭を掻いたカルビが、「……まぁな」とだけ応じる。


「ふぅん。……そうなのね」


 アッシュがローザ達のパーティに所属していないことに対して、シャマニは少し驚いたような様子だったが、その声音は安心したような、それでいて意外そうでもあった。


「やはり彼は、まだソロを続けるつもりなのか?」


 真面目な顔になったヴァーミルがローザ達を順に見て、誰にというふうでもなく尋ねてくる。ローザは肩を竦めながら、カルビとエミリア、ネージュと顔を見合わせた。


「今のところは、そうなんじゃないかな? 実際、私達が同行を頼んでいないときは、アッシュ君もソロで色々とやってるみたいだよ」


 ローザが答えたあと、少しだけ目を伏せたネージュが小さく顎を引いた。


「……何処かのパーティに入るつもりだとか、そういう話はアッシュ君からは聞かないわね」


 そこで顎に手を当てたカルビが、「あぁ、そう言や……」と何かを思い出すように視線を上に放り投げた。


「アッシュの奴、ちょっと前に鍛錬つーか訓練つーか、まぁ稽古をつけてくれって頼まれたらしいぜ? ほら、あのリーナって冒険者に」


 何でもない風にカルビが口にした名前には、聞き覚えがあった。ダルムボーグでアッシュが助けに向かった女性冒険者だった筈だ。そこまで思い出すと、ローザの頭の中には、アッシュの戦う姿が浮かび上がる。


 不気味なネクロゴーレムの群れの中を神速で動き、次々に襲い掛かり、そして眉一つ動かさずに、そのネクロゴーレム達をバラバラに切り裂いていくアッシュの姿だ。


 そのリーナという冒険者も、殺戮と解体を撒き散らすアッシュの戦闘を目の当たりにしたのだろう。それで剣術の師事を仰ぎ、自らを鍛えてくれと頼んだのかもしれない。


 「リーナって……。誰よその女」


 気付けばシャマニが怖い顔になっている。


「アッシュさんの幼馴染ですわ」とエミリアが応じて、エミリアもちょっと辛そうに顔を歪めた。「今からでも、わたくしもアッシュさんの幼馴染になりたいですわねぇ……」


「えぇ。それはそうね……」


 冷静な顔のネージュが、ここにきてエミリアと一緒に訳の分からないことを言い始める。


「いや、無理でしょ……」ローザが思わず2人にツッコんだところで、カルビが何かを思い付いたように声を弾ませた。


「幼馴染ってことは、そのリーナってのは、アッシュとも距離も近いだろうからな……。鍛錬だか稽古だかが終わった後は、2人でイチャイチャしてるんじゃねぇか」


 芝居がかった真面目顔を作ったカルビは、明らかにありそうも無いと分かっていて冗談にしている口調だった。隕石でも降って来るかもな、といった類の深刻さしかない。それが分かっているから、ローザも適当に話しに乗った。


「イチャイチャって、どんな?」


 そこで得意気になったカルビが、冗談めかして指を鳴らした。


「そりゃあ、さっきも言ったじゃねぇか。“おっぱい揉んでいいですか?”って具合だろ」


「またそれ?」とローザは苦笑で片付けようとしたが、意外なことに、誰よりも先にヴァーミルが顔色を変えた。


「彼ならば、そんな下らんことを口にしない」


 険しい表情のヴァーミルがカルビを睨み、厳しい口調で断言する。


 もはや『アッシュ様』という呼び方を隠そうとしないシャマニはともかく、アッシュのことで少しムキになるヴァーミルの姿が意外だった。同じことを思ったのか、「ほ~ん……?」と興味深そうな顎を撫でたカルビも、そのことを指摘する。


「何だよ、ヴァーミル。お前までやけにアッシュへの信頼が厚いじゃねぇか」


「……不満でもあるのか?」と返したヴァーミルは、腕を組んで鼻を鳴らしてみせる。「私は、冒険者としての彼の生き方や姿勢に敬意を払っているだけだが」


 低い声で言うヴァーミルの後に、眉間に皺を刻みまくったシャマニも、「アッシュ様がそんなことを言うわけないでしょ」と噛みつくような言い方で続いた。


 ヴァーミルとシャマニは、ギギネリエスの件でアッシュの素性を細かく調べている。恐らくはローザ達も知らないような事実だって、幾つも知っている筈だった。


 低等級のまま、そして孤独のまま、無私の奉仕に自らを埋没させていたアッシュの素行や選択の背後に、あの2人はアッシュ自身の人間性を垣間見たのだろう。


 そんな彼女達と、アッシュに対する解釈が一致であることに満足したのか。瞑目したネージュが深く頷いていた。それからカルビを見遣り、表情を引き締め、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに鼻を鳴らしてみせる。


「2人の言う通りよ。アッシュお兄ちゃんは、そんなことは言わないわ」


 ネージュの口振りは、重大なミスを指摘するように険しい。だが、あんな真面目な顔で『アッシュお兄ちゃん』などと言い出すので、やはり何が何だかというような気分になる。


 同性であるローザから見ても、ネージュはクールビューティーで神秘的だし、慣れていても時々、見惚れてしまう程だ。ただ、カルビが普段から言っている通り、もしかしたらネージュは、そこそこポンコツなのだろうか……。


 ローザは先程と同じように、ネージュを凝視してしまう。エミリアもすごく何かを言いたそうな顔だった。


 シャマニとヴァーミルの2人も、いったい何事か、という表情になってネージュを見て、それから互いに顔を見合わせて、またネージュを凝視した。


「おいおいネージュ……。さっき言いそびれたけどよ。そんな迫真の表情でアッシュの妹面なんてされたら、アタシ達だって反応に困るだろうが。もうちょっと加減しろよ」


 やれやれといった感じでカルビが肩を竦めると、またネージュがハッとした顔になり、何かを言い返そうとするように唇をむにむにと動かしていたが、結局何も言わずに、ムスッとしてそっぽを向いた。それを見て、少し優しげな笑みになったカルビが肩を揺らす。


「まぁ……、お前がアッシュの妹面するなら、このカルビお姉ちゃんが一緒に面倒見てやるけどよ」


 そのカルビの穏やかな言い方は、ネージュの言い間違いを弄るものではなく、『何か理由でもあるんだろ?』といった感じだった。


 アッシュとネージュの関係性や、ネージュの過去にも触れることなく、そして無視するでもなく、今のネージュの在り方を肯定するような口振りでもあった。


 ネージュは少し驚いた顔になってカルビを見ながら、何度か瞬きをした。それから眉間をぎゅっと絞って下唇を噛んだネージュは、何かを言いたそうに頬を強張らせていた。だが、やはり何も言わずにまたそっぽを向く。


 その無言からは、咄嗟に言葉にできなかった礼らしきものを含んでいるような、柔らかさが感じられた。カルビが「ししし」と目を細めて、肩を揺らす。それに釣られて、ローザはエミリアと目を見交わせつつ、少しだけ笑ってしまう。


「アンタみたいなのに姉面されるなんて、アッシュ様も大変ね……」


 気の毒そうに言うシャマニが、切なげな表情になる。それを聞き逃さなかったカルビも、「言ってくれるじゃねぇかシャマニ」と楽しげに唇の端を吊り上げた。


「じゃあ、アッシュ様アッシュ様って言ってるお前は、犬耳だか猫耳だかを付けて、アッシュのペットにでもなるつもりかよ?」


 鼻を鳴らしたカルビが肩を竦めると、表情を引き締めたシャマニが勇ましく言い返した。


「望むところよッ!!」


「えぇ……。即答かよ……」


 カルビの顔が歪む。絶句しているネージュも半ば圧倒されている様子だった。エミリアは違った。


 「わたくしも同行しますわ!」と勇ましい声を張り上げながら、片手で拳を作って勢いよく立ち上がる。


 そしてエミリアは、熱意と希望を漲らせた眼差しでシャマニに頷く。まるでこれから激しい戦いへと共に身を投じる、信頼できる戦友を見詰めるかのようだ。


「ではわたくしは、猫耳で参りますわッ!」


「や、参らなくていいから……。取り敢えず座りなよ」


 何だかよく分からない今の会話の中、ほとんど為す術がないローザは投げやりな反応しかできなかった。


「まぁ、しかし……」ワケの分からない盛り上がりを一旦落ち着けるように、この場の面々を見回したヴァーミルが重々しく口を開いた。「彼も大変だな……」


「そうだよね~」と反射的に頷きそうになったローザは、苦笑するだけに留めた。そんなローザの代わりに、いかにもアッシュの理解者然とした様子で「そうだよなぁ」と頷いたのは、腕を組んでソファに座り直したカルビだった。


「妹面するヤツだけじゃなく、ペット希望のヤツにまで近寄ってこられたら、流石にアッシュだってストレスが溜まるだろうからな。このカルビお姉ちゃんが、たっぷり癒してやらねぇと」


 優しい顔になったカルビが腕を組み、うんうんと頷く。


 ローザは半目になってしまうが、いつものことなので特に何も言わなかった。エミリアとネージュが鼻を鳴らして、シャマニが舌打ちをするのが聞こえた。誰が何を言っているのか、という空気だ。


「……お前のように、自分のことを姉だと言い張るような者も同類だろう」


 邪悪なものを見る目になったヴァーミルが指摘すると、カルビはワザとらしく驚いた表情を作って、肩を竦めた。


「おぉっと? 知性と優雅さ、そして母性と優美さを兼ね備えた清純派女性冒険者アードベル代表、このカルビ=エストマゴを、ヴァーミルさんは御存知でない?」


「……いったい、どこの誰だ、それは」


 もはや何か言い返すのも面倒そうになったヴァーミルが、雑音を聞き流すような態度と表情になる。


「私の知ってるカルビとは、違う人だね」取りあえず、ローザもツッコんでおく。


「何一つとして符号していないわね」とネージュが頷き、「何もかも欠けてますわね」と目を細めたエミリアも冷たい声を出す。シャマニは何も言わずに鼻で笑った。


「へいへい……。冗談だっつーの」


 カルビはひらひらと手を振ってから、どさっとソファに凭れた。そして、余計な力を抜いたふうの表情になってから、「まぁでも、前にアッシュは、お前のことについても言ってたぜ」と、ヴァーミルに笑みを向けた。


「む……。な、何をだ……?」


 思わずといった様子で姿勢を正したヴァーミルは、眉根を寄せ、期待と警戒を含んだ声を硬くした。カルビが頷く。


「あぁ。『ヴァーミルさんて、美人でかっこよくて、素敵ですね』ってな」


「な、なに……?」


「ついでに、『どうしたら、ヴァーミルさんと仲良くなれるんでしょう?』って訊かれたぜ?」


「それは本当か!?」


 落ち着いた様子でソファに腰掛けていたヴァーミルが、笑みを溢す寸前のような表情になって前のめりになり、声を高くした。


「なにをそんなに本気にしてんだよ。冗談だっつーの」


 肩を竦めてカルビが笑う。


「貴様……」


 恐ろしい声を出したヴァーミルが、ソファから立ち上がろうとする。そのヴァーミルの手には既に大戦鎚が召喚されていた。めっちゃデカい戦鎚だ。


 立ち上がったヴァーミルはこの場でいる誰よりも高身長だし、身体の幅や厚みもある。その迫力が加わるせいか、彼女が手にしている戦鎚も余計に大きく見える。


「ちょ、ちょっとヴァーミル! 前も言ったけど、武器召喚は禁止! 駄目だって!」


 ソファから立ち上がりながら、ローザは思わず叫んでしまう。あんなものを家の中で振り回されては堪らない。


「む……。すまない……」


 大人しく戦鎚をアイテムボックスへと収納してくれたヴァーミルは、横目でカルビを睨みながらソファへと座り直した。


「……というか、話が逸れまくっちゃってるから今更なんだけどさ。そろそろ私達が同行を依頼される仕事内容を教えて欲しいんだけど」


 安堵の溜息を飲み込みながら、ローザもソファに座り直す。いい加減、この辺りで話を前に進ませないと、このまま夜まで駄弁ってしまいそうだ。


「あ、あぁ。そうだな。……この件に関しては、同行というのも正確ではないんだが」


 そう歯切れ悪く断りを入れたヴァーミルが、ローザ達を順に見てから声を抑えた。


「今から約2ヵ月後、アードベルで行われる予定になっている、あるイベントの警備に参加して貰いたい」


「ほら。王都から来るでしょ? あの何とかっていう、アイドル……? まぁ、その身辺警護も兼ねてるんだけど……」


 そう続いたシャマニも、何となく説明し辛そうだった。その原因はやはり、この場にアッシュが居ないことも関係しているのだろうと何となく察することもできた。


 ヴァーミルも先程、アッシュにも依頼の内容は直接伝えたかったと言っていたはずだ。彼女達の立場的に、何か厄介なことをアッシュに頼まねばならないのかもしれない。


 クラン『鋼血の戦乙女』は武闘派ではあるが、治安維持のための行政執行にも関わることも多い。魔法機械術士組合がオーナーではあるが、彼女達のクラン業務には司法機関も関わっているようだし、実質的に彼女達は公務員的なポジションにある。


 所帯の大きなクランに属するのもそうだが、より巨大な組織の一部として機能せねばならないヴァーミルやシャマニ達には、ローザ達のような普通の冒険者以上に気苦労も多そうだ。


 大変そうだなぁ……、とローザが尊敬の念を新たにしていると、また来客を知らせるベルが鳴った。


 正直に言えば、この段階でローザはちょっとイヤな予感がしていた。その通りになった。訪れてきた人物が、クラン『正義の刃』の幹部である“剣聖”サニアだったからだ。






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今回もお付き合い下さり、ありがとうございます!

いつも支えて下さる皆様には、本当に感謝しております……。


今回の更新で、『これからの展開が気になる』『登場人物たちに好感が持てた』と少しでも感じて頂けましたら、★評価、応援を押していただければ幸いです。


最後まで読んで下さり、ありがとうございました!


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