「お姉さん達のパーティに、同行してくれないかな?」
第55話 悪夢の破れ目
あぁ、そうか。
これは、夢だ。
僕は、夢を見ている。
いつもの悪夢を――。
僕の過去の記憶を――。
首、指、腕、肩、背中、脚。
体全体に意識が通う。僕は寝ている。
仰向けに横たわっているのが分かる。
自分が呼吸をしていることを理解すると、瞼の裏の暗闇に、ぼんやりとした光を感じた。苦労して目を開ける。掠れた視界が澄んでくるまで、少し時間が必要だった。
少しして、灰色をした天井が見えてきた。冷たそうで、分厚そうな、微かにひび割れている、石の天井だ。
夢の中に居ても、分かる。これは――。
僕という存在が始まったときの、最初の記憶だ。夢の中の僕が、――過去の僕が見上げている、この石の天井は、地下祭儀場らしき場所のものだった。
僕は視線を天井から外し、周りを見る。壁には魔導灯が設置されていたが薄暗く、空気は冷え込んでいる。祭儀場の中央には物々しい祭壇が設けられており、その祭壇の上で、僕は裸のまま、仰向けに寝かされている状態だった。
薄暗い祭儀上には、何人もの声が重なり合った詠唱が響き続けている。
僕が寝かされている祭壇を取り囲むようにして黒いローブを纏った男達が跪き、頭を垂れていた。彼らは祭儀上の床にも幾つも魔法円を描き出し、何らかの呪文を朗々と唱えている。彼らの折り重なった詠唱の声が、周囲に分厚い木霊を積み上げていた。
彼らが魔術士なのか、魔術師か、それとも魔導師なのかは分からない。だが、彼らの持つ魔力が、その詠唱に乗って僕に注がれてきているのが分かる。
裸のままの僕の腕や脚、胸や肩には、黒く禍々しい紋様が刻まれていた。
僕は自分の身体を見下ろし、腕に奔るその紋様に指で触れてみる。僕の体温の上に刻まれたそれらの紋様は、赤黒い明滅を伴いながら、僕の意思とは全く無関係に、注がれてくる魔力を貪欲に吸い上げていた。
僕は、何者なのか――。
僕は視線を上げて、しばらくの間、ぼんやりと周囲を眺めていた。
黒いローブの男達は、目を覚ました僕のことになど、まるで関心を払っていないかのようだった。彼らにとっては、僕の意識の有無など些末なことであり、僕の肉体に魔力を注ぎこむことが重要なのだろうと思った。
もしも僕が普通の赤子として産まれていたなら、何も分からず、何も意識することもなく、ただ産声を上げていた筈だった。その泣き声で母親を求め、祝福に満ちた抱擁を求めていただろう。無力な存在でありながらも、その圧倒的な無垢さを許されていたのではないか。
エルン村で出会った、リクのように――。
或いは、母親の胸に抱かれていた、あのモニカのように――。
生きていることを、無条件に求められていたのではないか。
生きていていいと、そう赦されていたのではないか。
だが僕は、リクや、モニカとは違った。
この夢の中ではより明確に、違うということを理解できていた。
祭壇の上に座り込んでいる僕は裸のままで、頭の中にある分厚い本をめくるようにして、自分がどのような存在なのかを思った。
僕の意識が発生した瞬間から既に、僕の肉体は僕のものではなかった。教わったこともないはずの無数の言葉や知識が、僕の内部には備わっていた。この世界の成り立ちも、常識も、物理的な法則も、魔術に関する高度な理論も、思考の内部から取り出すことが出来た。
一切の経験がないのにも関わらず、多くの武器の取り扱い方も、鮮明な感覚として知っていた。純度の高い殺戮と、練度の高い戦闘の感覚が理解できていた。僕の意思とは全く関係なく、僕の肉体には、余りにも多くのものが装填されていた。
まるで僕の内部だけが、膨大な数の人生を通過してきたかのように。
或いは、無数の人生の残骸が、僕の内部に集積しているかのように。
だが、僕の思考に植え付けられた巨大な知識からは、僕自身に関わる、何らかの記憶を掬い上げることはできなかった。
記憶喪失という言葉が思い浮かぶ。
だが、僕は何も喪失してはいない。感覚的には、寧ろ、今の僕には生きてきた時間が無いのだという可能性を考え、そう考えるのが最も自然だと思えた。
僕のこの目覚めが、人造的な生命活動の始まりであることも理解した。理解しうるだけの知識や理論が、僕の内部には既に組み込まれていた。
ただ、そのことに対する混乱や恐怖、不安は無かった。一人でに動き出した思考とは別に、目覚めたばかりの僕の感情の動きは重く、ひたすらに鈍かった。
祭壇の上で薄ぼんやりとしたまま、僕は自分の両手を開いて、握ってみる。掌の筋肉と骨が軋む感触と共に、僕は、僕の体温を掴んだ気がした。
それと同時に僕は、目の前にある景色から疎外されていることを強く感じていた。
祭壇の上で身を起こしたままで、僕は再び辺りを見回す。黒いローブの男達は、呪文を唱えながら跪いている。祭儀上の薄暗がりに響く彼らの声と、彼らが編み出す複雑で大規模な魔術が、僕の肉体を活性化させている。
だが彼らの意識は、僕の肉体にのみ向けられている。
誰も、僕の肉体の内部になど――僕自身になど、関心を向けていない。石で造られている祭儀場の壁や天井が、僕のことになど考慮せず、ただ冷たく其処にあるのと同じように。
そして同時に、僕もまた彼らに対して関心を抱くことは出来ず、この場の一切に属さず、ただただ存在しているだけだった。
僕は、いったい何者なのか――……。
そんな陳腐な設問が、再び僕の空虚な胸の中に再び浮かんだ時だった。
「起きたか」
背後から声がした。
冷酷そうな、低く威圧的な声だ。
いつの間に現れたのだろう。
祭壇の上で身を起こしていた僕が振り返ると、跪いたローブの男達の間を縫うようにして、1人の男が此方に歩み寄って来ていた。
跪いている男達とは違い、その男は象牙色のローブを目深く纏っている。祭儀場の薄暗さのせいで、そのローブの奥は洞穴のように見える。男の顔は見えない。
象牙色のローブの男が現れてから、祭儀場を満たしている男達の詠唱の声が、僅かに揺れているのが分かった。彼らは、この男を恐れているのだろう。男の存在感は、この場に存在する全てを飲み込み、支配していた。
ただ、その男を目の前にしても、僕は恐怖を感じなかった。
その代わりに、この象牙色のローブの男なら、僕の何かを知っているのではないかという確信があった。そして僕は、僕自身について訊くべきであり、知るべきだと思った。
なぜ、僕は此処にいるのか?
なぜ、僕には経験したこともない知識があるのか?
なぜ、僕の身体には、こんな紋様が描かれているのか?
――結局のところ、僕は一体、何者なのか?
「僕は……」
「黙れ」
象牙色のローブの男は不機嫌そうに短く言って、僕の言葉を遮った。
「お前の内部にあるものは全て、お前のものではない。勘違いをするな」
男の声は冷酷だったが、奇妙な熱も籠っていた。
それは、僕に対する期待なのだろうと思った。だが、男が期待を受けているのは僕にではなく、僕に備わった肉体と知識と、それらが齎す何らかの結果に違いなかった。
この男にとって僕は、存在しないものとして扱われようとした。
「……魔人シリーズの最初の1体目か……。……その黒髪もヤツの面影があって不愉快だが、ここまで人間に近づけてくるとはな……」
僕を見下ろしていた象牙色のローブの男は、賞賛と忌々しさを混ぜたような声で小さく溢してから、「いいか。よく聞け」と、威圧的に、しかし厳粛な声を出した。
祭儀場の空気が引き締まり、跪いている男達の間に緊張と怯えが走るのが分かった。
「お前は道具だ。魔王復活のための、触媒の1つに過ぎない」
祭壇に身を起こしている僕を見下ろし、象牙色のローブを纏った男は厳然と言い放つ。
「お前は“人形”なのだ」
「人形……」
ローブの男を見上げる僕は、口の中でその言葉を繰り返した。人形。人の形。その言葉の意味は理解している。僕はもう知っている。人形。僕は、人形なのか。禍々しい紋様が刻まれた自分の身体を、僕は再び見下ろしていた。
「そうだ。そして、魔王の魂を定着させる“器”でもある」
ローブの男は更に言葉を継ぎ足す。
「思考が立ち上がってきている様子だが、お前が考えるべきことなど無い」
「僕は」
そこから先の言葉を、僕は紡ぐことが出来なかった。
象牙色のローブの男が、僕に向けて右手の掌を向け、何らかの魔術を発動させたからだ。瞬間的に、僕の頭に割れるような痛みが奔った。意識が粉々になるような、叫び出したくなる痛みだった。
僕は両手で頭を抱え、身体を折り曲げ、視線だけでローブの男を見上げる。男が僕に向けた掌には、複雑な形状の魔法円が展開されているのが見えた。僕は、あの魔法円を知っていた。魔術式を知っていた。
経験も記憶もないが、知識だけは埋め込まれていたからだ。
ローブの男の手にある、あの魔法円は――。
精神操作や改造を司る、古代の禁忌魔法だ。
「お前の思考には、我々が目的を与えてやる。余計なことなど考えるな」
低い声で言うローブの男は、展開させた魔法円の光を、徐々に強くしていった。
その光に比例して、僕の頭の痛みも増して行った。頭を抱えた僕は獣のように呻き、のたうち、無様に祭壇から転げ落ちる。冷たい石の床が、僕の身体を無感動に打った。
「お前の存在価値も、我々が与える。お前はただ、我々に従順であればいいのだ。お前の自我になど一切の必要が無い」
ローブの男が展開している魔法円から放たれる魔力の光は、僕の内部を刻み、感情や意思に枷を嵌めるようにして容赦なく差し込んでくる。
石の床の上で悶える僕の頭は、割れるように痛み続けていたが、この場から逃げ出すべく、抵抗をしようとは思わなかった。
僕に戦闘の経験は無かったが、僕の肉体は、既に様々な戦い方を知っていた。だから、このローブの男に反撃して、この頭痛を止めさせることも出来るはずだった。
だが僕は、ほとんど無意識に、この痛みに屈従することを選んでいた。この苦痛こそが、僕を何者かにしてくれるのではないかと感じたからだ。
その感覚は単純なもので、幼稚で、思慮の欠けた予感でしかなかったし、そもそもローブの男の精神魔法が、僕の内部に齎した思考や判断だったのかもしれない。
だが、目覚めたばかりの――この世界に生まれたばかりの僕にとっては、象牙のローブの言葉は、間違いなく特別だった。僕が宿ったこの身体に向けられた、唯一の意味ある言葉だった。
縋るしかなかった。
僕がこの世界に存在するための手掛かりなど、他には何も無かった。
「お前は道具だ。必要な時に、必要な機能を果たすことが全てだ」
男の声を聞きながら、僕は這い蹲りながら視線を上げた。苦痛に悶える僕の姿を見下ろしてくるローブの男は、全く動じていない。呪文を唱えている他の男達もだ。
冷たい石の感触を肌に感じながら、僕は思う。この景色の中で、僕だけが疎外されていて、孤独だった。だが、ローブの男から与えられる苦痛には、この景色と、僕を繋ぐ何かがある気がした。
僕の存在を規定し、何らかの形で、この世界に属することを許してくれるような気配を感じていた。痛みに対する恐怖は無かった。だが、このままの僕が、何者でもないまま存在することは、何かが違う気がしていた。
僕は、この苦痛を受け容れるべきであり、それが相応しいのではないかと思った。
象牙のローブの男が与えてくる、この痛みこそが、僕に意味を与えてくれるような――頭が割れて血が沸騰するような、この苦しみと痛みが僕の中に満ちるとき、僕は、僕として完成するのではないか。
そしてその完成こそが、この身体を生きる、僕自身の使命のように感ぜられた。
掠れていく意識の中で、『お前は“人形”だ』『お前は“器”だ』という男の言葉が、激痛と共に頭に響いていた。
そしてこの日から、禁忌魔法による強化施術を受ける日々が始まった。僕にはそれを拒む権利も、理由も与えられていなかった。
黒いローブを纏った男達が編み上げた肉体強化魔術は、僕の身体を強靭に鍛え、戦闘に関わる感覚を際限なく研ぎ澄ましていった。
象牙色のローブの男が1人で大編み上げてみせた大規模な精神制御魔法は、僕の感情を抑制し、思考と意志を刻み、僕の内面に空虚さを冴え渡らせていった。
それらの施術のどれもが、拷問に近い苦悶や激痛を伴うものであることは、植え付けられていた知識によって知っていた。だが、やはり恐れは無かった。
僕は、あらゆる苦痛を受け容れた。そうすることで僕は、“人形”として、“器”として、純化していけるような気がしていた。
それが僕にとって相応しい在り方であり、そこには善悪も無く、正誤も無かった。そんな精神的な識別作用も必要なかった。
活性と強化の禁忌魔法を日常的に受けていた僕の肉体は、食事を必要とせず、排泄も睡眠も不要だった。呼吸と鼓動を持った道具として、正しく形作られながら僕は、その地下施設か何らかの場所で日々を過ごした。
正確な日数は分からない。
長かったような気もするし、短かった気もする。
だが、そのことに興味を抱くこともなかった。
強力な精神魔法の影響で、僕は外部からの刺激に鈍感になっていて、思考と感情は常に重く澱んでいた。だが、戦闘と魔力に関する感覚だけは、常に研ぎ澄まされ、鋭利になっていく一方だった。
僕の精神と肉体を刻んだ無数の強化施術のことを、象牙色のローブの男は“調律”と呼んでいた。僕が通過する時間とは、ほぼ全てがこの“調律”に関わるものであり、おおよそ生活と呼べるような時間は無かった。
ある時のことだった。
僕は“調律”を受けるため、象牙のローブの男が待つ施術部屋に向かう途中で、ある石室の前を通り過ぎた。そのときに、僕以外の少年や少女――ときに、もう人の形をしていないような、不調和な姿をした生き物――も、僕と同じように禁忌魔法による“調律”を受けている光景を目にした。
禁忌魔法による苦痛に呻き、叫びをあげている少年、少女たちは、同じ灰色の髪をしていた。昏さを湛えた、青っぽい灰色の眼をしているのも同じだった。
「彼らは……、彼女達は……、何者……なの、で、す……か?」
僕は、象牙色のローブの男に訊いた。精神の改造と強化を目的とした禁忌魔法により、思考と内面を削られていた僕は、石の床の上に倒れ込み、這い蹲りながら、そう訊いていた。
「……お前と同類の者達だ」
象牙色のローブの男は僕を見下ろし、煩わしそうに詠唱を中断してから、鼻を鳴らしてから僕に応えてくれた。それは珍しいことだった。いつもなら「余計な口を挟むな」と言って、より強烈な苦痛を浴びせかけられていた筈だった。
「そして、お前の“調律”を、次の段階へと進ませるための道具でもある」
だが、その日は違った。
ローブの男は、不気味なほどに容易く答えをくれた。
「奴らはお前と同じ……、“人形”であり、“器”となるべく造られた魔人でもある」
「僕、と……、同じ……」
「そうだ。奴らは、お前の後継種であり、予備でもある」
象牙色のローブの男は、僕という存在を、改めて厳格に規定するように重い声で続ける。
「だが、お前が奴らよりも優れていることを証明できないのであれば、お前が予備となる」
男が語った証明という言葉は、石の床の上を這う僕の耳に、やけに強く残った。証明。それは、僕がこの世界に接しているという“しるし”なのだと分かった。
「我々は強度の高い“人形を、強靭な“器”を、そろそろ選別する必要がある。予備の数も少量でいい。奴らを維持していくにも、莫大な施術量が必要になってきたからな。……これから、お前のすべきことは単純だ」
象牙色のローブの男が、じっと僕を見下ろしてくる。
「殺し合え」
僕は頷くことも、首を振ることも無く、ただ石の床の上に倒れたままで、象牙色のローブの男を見上げていた。
「お前たちの完成度を比べる意味合いもある。我々が優れた道具を選別するため、その強度を測り、比較するために、殺し合うのだ。武器は用意してやろう。お前の性能を見せてみろ。……そして、他の道具どもを圧倒しろ。お前を前にして生き残ったものを、お前の予備とする。故に、手加減など決してするな。お前の存在価値を、我々に証明しろ」
ローブの奥にある男の顔は相変わらず見えない。その洞穴のような暗がりから重い声が紡がれ、倒れている僕の上に降り積もり、僕の内部を浸食した。僕にとって重要なことは、道具として相応しいことだった。必要な機能を、必要なだけ発揮することだった。
それから、数日後だった。
僕は、普段から禁忌魔法での調律を受ける石室とはまた別の、広い石室に連れていかれた。黒いローブの男達が壁際に並び、結界魔法を維持している部屋だった。
黒いローブの男達が展開していたその結界は、僕たちが逃げることを防ぎ、僕たちの戦闘が、石室自体を崩壊させないためのものだとも、すぐに分かった。闘技場という言葉が頭を過ったのを覚えている。
そこで僕は、毎日のように他の“人形”達と殺し合うことになった。
1対1の時もあったし、僕が1人で、相手が複数の時もあった。もはや人間の形をしていない、あの不調和な生き者が相手のときもあった。彼らは同じ灰色の髪と、青み掛かった灰色の目をしていた。
彼らは強かった。
強力な魔法を使ってくることもあったし、連携らしきものを見せることもあった。僕と同じように禁忌魔法による“調律”を受けていた彼ら、彼女達は強く、容赦の無い、人造の魔物だった。
その肉体的な性能はもとより、魔法攻撃においても、あらゆる属性魔法を使いこなしていた。炎も雷も、氷も水も、土や植物に至るまで、あらゆる奇跡が彼ら、彼女達の意志に従い、法則を捻じ曲げた。
彼ら、彼女達は鍛えられた魔人であり、魔王としての“器”としての完成に近づいているのだと思った。
それに対して僕は、魔法を上手く扱うことができなかった。僕の思考の中に埋め込まれていた、膨大な魔術の知識や理論は、僕の肉体に宿る魔力を受け取りながらも、沈黙していた。初歩の攻撃魔法しか発動させることしかできなかった。
だがそれでも、僕は強靭だった。
僕が自覚している以上に、何もかもが突き抜けていた。
僕は、剣でも、短剣でも、刀剣でも、槍でも、斧でも、弓でも、槌でも、メイスでも、人を殺傷する目的で造られたものは、全て使いこなすことができた。僕の肉体に装填されている戦闘の記憶や経験、技術が、あらゆる武器を僕の身体に馴染ませた。
僕は強かった。その意味のない空虚な力で、彼らを、彼女たちを、僕は圧倒した。
“人形”である彼らを何体も粉砕し、“器”である彼女達を無数に圧壊させた。
僕はいつでも、土砂降りの血の雨を浴びたような有様になったが、生命を破壊した感触というのは希薄だった。そもそも彼らが、彼女達が、自らの命を命とも思っていない雰囲気があった。そして、僕のことを生きた何かだとも思っていない筈だった。
あの地下施設の中で、“人形”や“器”とされる僕達は、生命という尊い言葉から、最も遠い場所にいた。僕たちは命という概念から遊離していて、死という概念を持ち込むことを許されていなかった。
間違いなく、僕達は道具でしかなかった。
僕は殺戮によって、死ではなく、ただ虚無を撒き散らしていた。
それは翻って、僕自身の空虚さを浮き彫りにしていた。
だが、そのときの僕は、“人形”として、“道具”として在るしかなかった。選択肢は無かった。苦痛と共に禁忌魔法を受け容れる日々に、僕は自分自身を埋めて行こうと思った。そうすることで僕は、存在と価値を証明し続けた。
あの頃の僕を止められる者など、象牙色のローブの男以外には居なかった。黒いローブの男達は、僕のことを恐れている様子だった。「魔人め」「怪物め」「化け物め」などと囁かれていることにも気付いていた。
だが、そんなことはどうでも良かった。
「もっと殺せ」
象牙のローブの男は、僕にそう言った。
「お前なら、もっと殺せるだろう」
僕は従順であり続けた。
それが僕だったからだ。
そうなるべく造られたからだ。
僕は、自らの存在価値を維持しなければならなかった。それは誰の為というわけではなく、ただ、そうあるべきだと思っていた。僕が、僕であるために必要だった。
だが、ある時のことだ。
まるで流星の様に、僕の中に幾つかの疑問が立ち上がって来た。
僕が魔王の“器”として相応しい、完全な道具なのであれば、予備など必要ないのではないか? ならば予備としての彼ら、彼女達は、また別の役割を持ってもいいのではないか? 殺し合うことなど、もう必要ないのではいか?
この問いの発生は唐突であり、僕の意識が発生した時のように阻みようがなかった。気が付けば僕の内側に根を張っていて、振り払うことができなかった。そして僕は迂闊にも、この問いをそのまま、象牙色のローブの男に話してしまった。
「黙れ」
あの時の象牙色のローブの男は、僕の内部に、僕の自我が育つ兆しを見たのだろう。その自我の芽を叩き潰すかのように、今までよりも更に強力な禁忌魔法を用いて、僕の肉体と精神を“調律”していった。
「お前が何かを判断することなど赦さん」
僕は気絶と覚醒を繰り返しながら、さらに途方もない苦痛を受け容れていった。その“調律”の強度が上がるにつれて、僕の内臓が破裂し、眼球が煮えて潰れ、体中に筋肉が千切れ、死体のような有様になることも度々あった。
その都度、僕は禁忌回復魔法によって肉体を再生させられた。狂うことも出来なかった。いや、そもそも、僕の精神は狂うような余白も人間らしさも備わっておらず、無慈悲なほどに頑強だった。
僕という存在は、この容赦のない“調律”によって、更に強固に仕上がりながらも、僕の内部は空白にはならなかった。僕の内部には、僕にならねばという思いが、常に残り続けた。或いは、この想いこそが、僕の自我の芽だったのかもしれない。
殺戮の日々は終わったが、僕の苦痛には終わりがなかった。
そのうち、あまりにも強力な禁忌魔法による肉体改造の影響か、僕は治癒魔法を除いた他の魔法を扱うことが、全くできなくなった。膨大な魔術知識と理論、そしてそれを扱う巨大な魔力を僕の肉体が有していても、初歩魔術すら編めなくなったのだ。
「なんということだ……」「失敗」「失敗だ」「やはり術式の規模が巨大過ぎたのだ」「多くのものを装填し過ぎたのだ」「肉体の魔術回路が損壊している」「壊滅的な摩耗だ」「やはり、もう生物としての限界だったのだ」「膨大な魔力を有しているはずなのに」
黒いローブの男達は、魔法円の内部で蹲る僕を見下ろしながら、早口で何かを喚いていた。彼らの声音には焦燥と混乱、失意と諦念が覗いており、打ちひしがれているような深刻さがあった。
そのうち僕は、自分の頭髪が灰色になっていることに気付いた。
自らが虚無を与えてきた、彼ら、彼女達と同じ色に――。
僕は蹲りながら、何か、大きな間違いを犯したような、僕の中の決定的な何かが損なわれ、あるべき形に戻ることができなくなったような感覚に見舞われていた。その欠けた部分を、取り戻さなければならないと思った。
僕は、完全な“人形”であり、完璧な“器”でなある必要があった。それが、僕という存在価値であり、求められ、望まれている姿だからだ。道具としての機能を、過不足なく果たさねばならない筈だった。
だが、その時の僕は、原因が何であれ、道具としてのそういった理想から大きく遠のいてしまったのは間違いなかった。
「失敗作め」
象牙のローブの男は、そんな僕を責めた。
禁忌魔法の出力と規模を更に上げ、それに比例して、僕が受け容れる苦痛も劇的に増していった。それだけでなく、苦痛の性質も変わっていったように思う。
今までの“調律”の苦痛には、僕の存在を細かく規定して、この世界に繋ぎとめられているような感覚があった。それが、もはや僕と言う存在を破壊し、別のものへと変質させようとするような、冷酷で、暴力的な苦痛へと変わったのを感じていた。
僕は、その圧倒的な苦しみが続く日々の中で、何かを取り戻そうとした。だが、治癒魔法の規模と精度だけが上がるだけで、僕の内部に装填されている筈の数多くの高位魔術は沈黙したままだった。
その原因は、僕の内部に、自我と意思が根付きつつあるからだと、象牙色のローブの男は吐き捨てた。
「やはりお前は失敗作だ」
その言葉は、僕の存在を決定づけた。
僕という存在を象徴する言葉だった。
「出来損ないの人形め」
男の言葉は、僕の身体に刻み込まれていく。
「お前は無価値だ」
僕は、自らの役割を果たせなかったのだと分かった。
石室の中でのたうつ日々の中で、僕は自分の存在を疑った。象牙のローブの男に見下ろされる僕は不全であり、出来損ないだった。僕は必要とされる何かに、なり損ねたのだ。道具としての僕は無価値で、無意味だった。
「お前は無意味だ」
僕の悪夢は大抵、ここから始まるのだ。
僕の記憶にある暗い石室には、今もまだ、ローブの男の声が響き続けている。
「お前は、必ず救われない」
それはもう、慣れ親しんだ絶望だった。
「お前の魂など、誰も求めてはいないのだ」
「そんなことない!!」
それは、本当に突然だった。
石室の魔法合金の扉がぶち破られて、凛然とした声が飛び込んで来た。
「言いたいこと言ってくれるじゃねぇか、このクソ野郎」
途轍もなく獰猛そうだが、やけに艶のある声が続く。
「えぇ。気に入らないわね……」
聞く者の心臓を凍りつかせるような、冷え切った声もだ。
「アッシュさんを虐める不埒な輩には、この鉄塊をくれてやりますよォォン!!」
凛然として張りのある力強い声は、アッシュを押し潰そうとしていた石室の冷たさを、そのまま吹き飛ばすかのようだった。
石室の床に倒れた僕は、――夢の中の僕は――、声がした方へと顔を向けようと思ったが、“調律”を受けていた僕の身体は重く、思うように動かなかった。それでも僕は、視線だけを動かして、彼女達の姿を見つけた。
でも、おかしい。
この景色は僕の過去だ。
何度も繰り返し迷い込んだ悪夢だ。
その中に、彼女達が現れたのは初めてだった。
誰かの声が僕の悪夢に響くのは……。
本当に初めてだった。
「アッシュ君が生きていることは、無意味なんかじゃない!!」
そこで、今度こそ僕は目を覚ました。
今までの悪夢が、彼女の――ローザの清冽な怒声によって破裂したかのように。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
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