第52話 冒険者として2
「悪いんだけど、アッシュ君は私達に同行して貰ってる最中だから。今回は諦めてくれない?」
ふー……、ふー……と、荒い息を落ち着けながら言うローザは、突き放すような言い方をして、そのまま魔導ショットガンをアイテムボックスに仕舞い直した。そこで、ようやくといった感じで、ギギネリエスがローザに視線を向ける。
「そんなにバンバンと魔導銃を連発できるなんて、なかなか凄いねぇ。実のところ、ちょっと俺もびっくりしているよ。この威力の魔法弾を撃ち出すとなれば、並みの奴なら2発か3発目くらいで干からびて死んでるぐらいの魔力消費だろう? 実際、顔色が悪いよ? それに弾薬費もヤバそうだし、そろそろ降参したらどうだい?」
ギギネリエスの言葉通り、ローザの魔力消耗は深刻な様子だった。大汗を掻いている顔は蒼白で、目の下には濃いクマが出来ていている。血色を失いつつある唇も少し青黒くなって、そこから漏れる吐息も、微かに震えていた。
荒い息をなんとか抑えようとする今のローザの様子は、今にも枯れて朽ち果てようとしている花のようだった。
そのローザの消耗に目を僅かに見開いたエミリアが、咄嗟に、手持ちのアイテムボックスから高位魔法薬を取り出し、ローザへと使おうとした。だが、「これぐらい平気だから」と、ローザは口許にだけ笑顔を作って、エミリアに首を振った。
そして、どう見ても平気ではない筈のローザは、それからアッシュに顔を向けて、次に目線だけで、アッシュの腕の中にいるシャマニを見た。
蒼い顔をしているローザだが、こんな時でも彼女は自分ではなく、シャマニのことを気に懸けている様子だ。
「エリクシルの回復魔法円が消えたら、すぐにシャマニを連れて、この場を離れて」
掠れた声で言うローザの瞳は、曇りなくアッシュを映している。
「で、でも……!」
アッシュが何かを言い返す前に、ローザはギギネリエスへと顔を向けた。
「魔法薬は残しておいて、安全なところでアッシュ君が使ってよ」
「ふぅん。アッシュ共々、シャマニちゃんも逃がす気かい? 無理だと思うけどねぇ」
小馬鹿にした口調のギギネリエスを睨みながら、ローザは手の甲で喉元の汗を拭う。それからすぐに、魔導ショットガンをアイテムボックスに仕舞い直して、新たな魔導銃を取り出して構えた。かなり大型の魔導銃だった。
それを視線だけで無造作に見たギギネリエスが、「わぁ~、こわ~い」と口許に手を当て、芝居がかった驚きをみせる。
「魔導ランチャーってヤツかい? やめときなよ。 撃たない方がいい。魔力を吸い上げられきって、本当に死ぬよ? それに、そんなモノを向けられちゃ、怖くて話もできない」
「なら、そのまま黙っててよ」
怒気の芯が通ったローザの声は、おどけたギギネリエスの雰囲気を吹き飛ばそうとするかのようだった。そのローザを守る位置に陣取っているエミリアは押し黙り、鋭い眼差しでギギネリエスを見据えつつ、ローザの動きにも注意を払っている。
今、最も冷静に状況を把握しようとしているのは、恐らくエミリアだった。
普段なら、ローザとエミリアの反応や言動は真逆になるだろう。だが、今は違う。明らかにローザが怒っている。感情的になっている。
「あなたの話なんて面白くも何ともないし、ただ不愉快なだけだから」
「それは残念だ。楽しんで貰えると思ったんだがねぇ。……でも、俺は本気だよ。俺は、そこの“アッシュ”の過去を知ってる。その苦しみもねぇ、親身に想像できる。だからこうやって、その真剣な苦悩を解決する方法を提示してやってるんだ。手を差し伸べてるワケだよ」
そこでギギネリエスは微かに息を漏らして、非難するような眼差しをローザに向けた。
「……ところで、お前はどうだい? その“アッシュ君”の何を知っているんだい? 俺から言わせれば、お前は完全な部外者だよ。無責任な外野でしかないよ。“アッシュ”からしてみても、そんなお前が適当な綺麗ごとを並べてくるほうが、よっぽど不愉快じゃないかな? どう思う?」
ローザを責めるように言うギギネリエスの言葉を、アッシュは即座に否定しようとした。だが、出来なかった。ローザの方を見ることができない。
「その言い草こそが詭弁ですわ……!」
アッシュの代わりに、エミリアが声を荒げかけた。だがそれ以上は続けずに、奥歯を噛み締めるように黙り込む。冷静さと慎重さを維持するために、咄嗟に感情を押し殺したのか。それとも、ただギギネリエスに反論する言葉が見つからなかったのは判然としない。
ただ、やはりアッシュも何も言葉を発することができない。ギギネリエスが語る内容に納得したのでなく、そもそも、ローザに何かを言う資格など、自分にはあるのかという自分自身への疑いからだった。
これまで同行しているあいだ、彼女達がアッシュに向けてくれる優しさは、礼儀的な気遣いではなく、親身で、真心が籠っていたように思う。アッシュが戸惑うほどに温かく、心地よかった。だが、どこか後ろめたくて、居心地が悪さも感じていた。
それは恐らく、自らの過去を打ち明けないままのアッシュが、自分自身の存在を認めて貰えたような気がしていたからだ。ローザ達からの同行依頼を受け、誰かから必要とされたことに、無思慮に喜んでいたせいもあるかもしれない。
だだ、今のローザは、アッシュの過去を――、ギギネリエスによって無遠慮に暴かれ、曝されたアッシュの暗い部分を知っている。ローザから見える今のアッシュは、今までと全く違う、何か醜いものになっているのではないか。
同行依頼によって成り立っていたアッシュとローザ達との繋がりは、ギギネリエスによって完全に破壊されようとしているのは、もう間違いなかった。
――僕は、何者なのか。
こんな時に、いつもの自問が胸の奥で芽生えてきた。
いや、こんな時だからこそなのか。どうでもよかった。
腕の中にあるシャマニの体温が、アッシュの心の重心を下げてくれる。
アッシュは、意識の裏で響く男の声に抵抗する。シャマニを守るという役割の中に、自分という存在を必死に沈み込ませていく。ギギネリエスに対応してすぐに動けるよう、脚に力を入れなおした。それと、ほぼ同時だったろうか。
「……たしかに私は、アッシュ君が生きてきた時間からみれば、完全な外野の存在かもしれない」
魔導ランチャーの引き金に指をかけたローザが、静かに口を開いた。
「同行依頼で一緒になって貰ってるけどさ。正直、アッシュ君のことは、あんまり知らないままだよ」
そこで言葉を切ったローザは、「でも」と、声に力を入れ直した。
「あなたがヘラヘラ笑いながら、私達を痛めつけるみたいに語ってみせたアッシュ君の過去だって……、アッシュ君の、ほんの一部でしかないじゃない」
「なんだと……?」
片方の眼を窄めたギギネリエスが、薄らと眉間に影をつくった。そのギギネリエスが再び喋りだすのを遮るように、ローザは力を籠めた声で言葉を継ぎ足していく。
「誰かが誰かのことを深く理解したりするのなんて、一緒に過ごす切っ掛けと、十分な時間と、それに思い遣りも、時には摩擦だって必要だよ。人間の中身は立体的で、濃淡だってあるんだから」
ギギネリエスを睨みつけるローザの言葉は、ギギネリエスへというよりも、傍に居るアッシュへと向けられているように思えた。エミリアが重々しく、静かに頷いている。アッシュの腕の中のシャマニが、ローザとギギネリエスを見守っている気配もあった。
「あなたは、アッシュ君の過去について詳しく知ってるかもしれない。でも、その過去のことだけを言い募って、今のアッシュ君を無意味だとか無価値だとか……、そんなふうに勝手に決めつけるのだけは、絶対に許さない」
これだけは言わないと気が済まないといった感じの、真剣な熱を帯びたローザの言葉は、傍に居たアッシュを激しく打ちのめした。自分の内部にフラッシュバックし続ける過去の光景に、ローザの言葉が飛び込んでくる。
――“お前は無価値だ”
――“お前は無意味だ”
――“お前は人形だ”
アッシュの内部、その悪夢の中で木霊する声に、ローザの清冽な怒気がぶつかってくる。ローザの言葉は、強張ったアッシュの心を温め直すように強く響き、優しくも心強い余韻を残してくれた。
今まで感じたことのない種類の温かさに、アッシュが茫然としそうになるのを何とか堪えた時だった。
カルビ達が吹き飛ばされた方から、強烈な爆発音がした。
積もっていた瓦礫が吹き飛んだのだ。見れば、濁った赤橙の爆炎が聳えるように膨れ上がっていて、その隣では、猛吹雪のような白い風が竜巻のように荒れ狂っていた。魔力の奔流が属性を得て、周囲に破壊を齎しているのだ。
ゴオオオオオ!! っと、熱風と冷気の塊が押し寄せてきた。
アッシュは再びシャマニを抱え直して、纏ったローブと自分の体で庇う。そのアッシュと一緒に、魔導ランチャーを構えたローザの壁となるよう、エミリアが大盾を持ち上げ、体ごと遮蔽物となってくれた。
「あ……」シャマニが僅かに目を見開いて、驚いたような声を出したのが聞こえた。
次の瞬間には、その弱々しいシャマニの声を掻き消す勢いで、「やってくれんじゃねェかテメェぇえ……」と、熱風そのものといった、攻撃的過ぎる声が響いてきた。
瓦礫の山を吹き飛ばして燃え盛る炎は、ゴキゴキと首を鳴らして歩いてくる彼女の背後に、恭しく付き従うように揺れて、その勢いを増している。
「ぶっ飛ばしてから治癒魔法で治して、もう一回ぶっ飛ばしてやるよ」
彼女が纏った赤と黒のド派手な全身鎧は、さっきよりも更に狂猛に全身を尖らせて炎を湧き出し、煮え滾る魔力を振り巻きまくっていた。大戦斧を担いだまま、兜の口にあたる部分をガパッと開き、「ゴハァァアア……!!」と吐火のような息を漏らすカルビは、さながら伝説の竜人のようだった。
「貴女にしては良い考えね」
そんなカルビの纏う熱気を、瞬間的に冷やすような声が続いた。
蒼と黒の鎧兜で全身を包んでいる彼女は、瓦礫の山を氷に包んで粉々に破砕しただけでなく、それらの破片へと更に魔力を注いで、粒子のように分解していた。氷結した瓦礫の屑は、白く光りながら風に流されて散っていく。氷山の頂上で渦を巻く、澄み切った雪風を思わせる光景だった。
「訊きたいこともあるから、私も手伝うわ。でも殺しては駄目よ。最後は私が、生きたまま氷漬けにしてやるわ」
大槍を手に冷然と言うネージュの声は、触れるもの全てから熱を奪い去る、残酷な冷気の刃だった。彼女の纏う全身鎧も、密度と厚みのある蒼い魔力を放散させている。周囲の空気を凍死させる勢いで、容赦のない冷気を累々と辺りに積み上げていた。
あの2人は全身鎧を着こんでいるため、どれだけダメージが残っているのかも、その怪我の具合も見ただけではわらない。だが、あれだけの魔力を漲らせている様子であれば、まだまだ大丈夫そうだった。
「ちょっとちょっとちょっとォォ!! 御二人とも、戦線復帰が遅過ぎますわよォ!!」
エミリアが普段通りの調子で、怒っているような、それでいて嬉しそうな大声を張り上げる。
「……まったく、復活してくるのが遅いんだから」
カルビとネージュの姿を横目で確認したローザも、唇の端にそっと笑みを過らせていた。アッシュも安堵を共有しながら、同時にギギネリエスへと視線を戻す。
妙だった。
思案顔になったギギネリエスは、カルビとネージュには特に関心を払う気配もなく、ぼんやりとした視線を此方に向けているだけだった。2人が特にダメージを残しているふうでもないことや、アッシュとローザ達との関係を破壊しようとして、それを失敗したことに対する憤りや苛立ちを見せるでもない。
やけに静かだ。さっきまでのテンションとは不穏なほどに違うし、まるで別人のようだ。寂然とした面持ちの今のギギネリエスこそが、もしかしたら、ギギネリエスという人間の、本来の姿なのか。アッシュが不意に、そんなことを思った時だった。
「……お前はイイ女だねぇ」
ゆっくりと息を吐き出したギギネリエスが、眉を下げた笑みをローザに見せた。ボードゲームの最後の1手で、詰めを誤り、思いがけない反撃と逆転を許してしまったような、疲労と賞賛が混在した表情だった。
「その静かで清らかな怒りも素敵だよ。仲間の無事を信じ切っているところも、尊いと言っていい。お前みたいな冒険者ばかりなら、俺みたいなネクロマンサーも、もっと違う生き方を選べる世界があったのかもしれない」
何かを確かめる目つきでアッシュを一瞥したギギネリエスは、手にしていた髑髏の杖を宙に浮かべた。そこで気付いた。髑髏の杖が、カタカタと顎を小刻みに震わせている。何かを喋っているのだ。本当に小さな声だが、ブツブツブツブツと言葉を紡いでいる。
いや、違う。恐らくだが、何かを唱えている。詠唱だ。魔法を唱えている。まさかと思った。さっきからギギネリエスが喋りまくっている間、あの髑髏の杖は、ずっと詠唱を続けていたのか。アッシュは背筋に寒いものを感じた。
「でもまぁ、それも……、たらればの話だ。真面目に考えても仕方がないんだよねぇ」
その悪寒を肯定するようにして、宙に浮かんだ髑髏の杖を中心に、幾重にも魔法円が展開されはじめる。
「……さぁ、そろそろ、この仕事も終わりが見えてきたよ。最初から俺の勝ちは決まっていたんだがねぇ。なかなか楽しませて貰った。久しぶりの充実した時間だったよ」
ギギネリエスの足元に、赤黒い光の線が迸った。それは魔力の帯であり、巨大な魔法陣を描き出すための力の奔流だった。あれは、召喚魔法か。だが、それにしたって魔法陣が大き過ぎる。
「それじゃあ最後に、さっきの話の続きといこうか。俺はまだ答えを聞いちゃいないよ。“アッシュ”」
赤黒く澱んだ魔力光を纏った髑髏の杖は、不気味に明滅しながら、放つ光を増していく。それに応えるように、廃都ダルムボーグ全体が微かに振動した。不気味な蠕動のようでもあった。
ギギネリエスは最初から、今の状況をつくりだすことが目的だったのだろう。
魔導ランチャーを構えたローザが視線だけで周囲を見回し、それから、少し遠くまでを見渡してから、「……嘘でしょ」と呻いている。
「そ、そんな……。こんなことが可能だなんて……」
エミリアが大盾を下げながら、ただ愕然としている。
カルビとネージュの2人も、こちらに向かってくる足を止め、警戒するように姿勢を落とし、首を巡らせて臨戦態勢を取っている。アッシュも息を飲んだ。
ギギネリエスが描き出した巨大な魔法陣は、どうやら1つだけではなさそうだった。複数だ。廃墟の向こうに見える青空にも、巨大な筒状の赤黒い光が立ち上っている。その数も、此処から見えているだけで6つある。しかも、まだまだ増えそうだ。
「俺は今から、このダルムボーグに残っているヤツを、1人残さず叩き潰すよ。『ゴブリンナイツ』も、『鋼血の戦乙女』も。死体はグチャグチャでもバラバラでも、俺なら復元できるからねぇ」
低い声を出すギギネリエスからは、もうお茶らけた空気は消えていた。廃墟の並ぶ景色も、その上空に広がる青空も、それら全てが黒く塗り潰されていくようだった。
重く澱んだ重圧を纏い始めたギギネリエスの姿の背後には、途方もない暗闇が広がっているように見える。その暗がりこそは、ヤツが背負った“死”という概念そのもののようにさえ見える。
「……さぁ、選べよ。アッシュ。俺と一緒に来るか。それとも、ただの死体に戻って俺に回収されるか」
穏やかな表情のギギネリエスが、“死の門”という2つ名に相応しい設問を携え、アッシュを見つめている。エリクサーの回復魔法円の中で、シャマニを庇い続けているアッシュの、その内部で起きる反応を見定めようとするかのような、試すような眼差しだ。
「僕は……」
今まで立ち往生していた言葉を、アッシュが前に進めようとしたときだった。
「シャマニ……っ!」
何かが――、いや、誰かが、空から急降下してきて、アッシュの傍に降り立った。つい先ほどまで、激しい戦闘の最中に居たのかもしれない。彼女は血に濡れた大戦槌を手にしていて、翼を広げた鎧を纏い、金髪に近い茶髪を靡かせていた。
アッシュは、カルビから彼女の名前を聞いて知っていた。
『鋼血の戦乙女』のメンバー。ヴァーミルだ。
彼女が空を飛んできたことには驚かなかった。彼女達のクランの名前には、“戦乙女”の名が冠されているし、鎧から拡がった翼にも、魔力の光が力強く灯っていたからだ。金属と魔力で編まれた彼女の翼に、精巧な機能美が備わっていることなど誰でも分かるだろう。
エリクシルの回復魔法円の中にいるアッシュと、その腕の中で横たわるシャマニを見て、ヴァーミルは険しい表情を更に強張らせていた。
そんなヴァーミルに気付いた様子のシャマニは、居心地が悪そうに、もしくは、今の自分の状態を恥じるように、回復しきっていない身体を僅かに動かし、アッシュの腕の中で小さく呻いた。ヴァーミルはシャマニから視線を外し、まずはローザを見て、それからエミリア、アッシュを順に見据えた。
「仲間を助けてくれたこと、感謝する」
ヴァーミルは真摯な声音で短く礼を述べながら、すぐにギギネリエスへと身体を向けた。
「……貴様が、件のネクロマンサーか」
戦鎚を握り締めたヴァーミルは、視線を動かしてギギネリエスをねめつけた。ギギネリエスはつまらなさそうに鼻を鳴らしただけで、特に反応を示そうとしない。ヤツはアッシュの言葉だけを待っている様子だった。
ただ、この場に駆けつけたばかりのヴァーミルからしてみれば、仲間を傷つけられた上で黙っているワケにはいかないだろう。今にも飛び出して行きそうな気迫を漲らせている。だが、真っ先に動いたのは、魔導ランチャーを構えていたローザだった。
覚悟を決めるようにして、ぎゅっと強めにまばたきをしたローザは、「ねぇ、ヴァーミルにお願いがあるんだけど」と呼びかけながら、魔導ランチャーをぶっ放した。特に大きな音はしなかったが、周囲の空気が震えるような、激しい振動が通り過ぎて行った。
あの魔導ランチャーから放たれた魔法弾こそが、恐らく、ダルムボーグに来るときにローザが言っていた、“秘密兵器”なのだろうと思った。ギギネリエスが眉を顰め、魔導ショットガンでの攻撃を完全に防いでいた時のように、あの赤黒い魔法防御円を展開する。
だが次の瞬間には、展開された防御円ごと、ギギネリエスを押し包んで拘束するような、巨大な球状の術陣が展開されていた。
「へぇ……、いいねぇ。やるじゃないか」
自分を捕らえた球状の拘束術陣を見回したギギネリエスは、何故か嬉しそうな声をだした。ギギネリエスの動きを封じ込めたが、喜んではいられなかった。
アッシュは思わず息を飲んだ。ギギネリエスへの殺気を漲らせていたヴァーミルも、ぎょっとしている。今度はローザの顔から更に血の気が引いて、口の端から血の泡が漏れていたからだ。
「まったくもう! 魔力回復もせずに無茶をするからですわッ!」
叱るように言うエミリアが即座に魔法薬を使用しつつ、ローザの身体を支えた。やはりエミリアは周りをよく見ている。
「ごめんごめん。そう怒らないでよ」
苦し気に笑うローザの声は、消え入りそうなほど細かった。
魔導銃の類は、使用者の魔力を大きく消耗させる。今の魔導ランチャーを撃ち出したことにより、残っていた魔力を一気に持って行かれたのだろう。しゃがんでいるローザの頭が、ぐらぐらと揺れている。目の焦点も怪しい。だが、ローザは倒れない。
「シャマニを連れて、此処から離れて」
ローザは奥歯を噛んでヴァーミルを見上げ、大きく息をして、手で顔をおさえ、掠れそうな言葉を続けた。その邪魔をしないためもあるのだろうが、エミリアは黙ってたまま、拘束されているギギネリエスを警戒するように睨んでいる。
「ヴァーミルの着てる鎧なら空だって飛べるし、まだ回復しきってないシャマニを安全な場所まで連れていけるでしょ。それに、他の“戦乙女”のメンバーと連絡を取り合えるだろうしさ。ぅ、ゲホゲホッ!……、撤退できるチャンスは、今が最後だよ」
魔導ランチャーをアイテムボックスに仕舞ったローザは、その言葉の途中で血の混じった咳をしながら、周囲の上空へと視線を流した。青空を穿つように幾つも聳えた、筒状の赤黒い光が、その明るさを増している。魔法陣の光であり、召喚魔法の光だ。
あれがギギネリエスの仕業であり、何か、とてつもなく厄介なことが起きようとしているということは、ヴァーミルも気付いている筈だ。あれだけの規模の召喚魔法だ。何が飛び出してくるのかは分からないが、発動すれば多分、誰もダルムボーグから逃げられない。
戦鎚を握り締めたままのヴァーミルは判断を迷うように眉間を絞り、ローザの提案を否定せずに聴いている。
ローザは、今度はアイテムボックスから高位魔法薬の瓶を素早く取り出し、ヴァーミルに掲げて見せた。
「私は死にかけだけど、それなりの量の魔法薬は持ってきてるから、まだ大丈夫。エミリアも見ての通り無傷だし、カルビとネージュだって健在だしさ。こっちの男の子は、腕の立つ治癒術士。……ただ、面子は揃ってるとは言え、私達も優勢とはいえないし。このままシャマニを守り続けるのは無理っぽいからさ」
青白い顔になっているローザだが、その桃色の瞳には爛々とした光が蹲っていて、紡いだ言葉を槍にして突き出すような気迫に満ちていた。ヴァーミルが微かに息を飲んでいたが、ローザは気づかないままで言葉を繋いだ。
「あの拘束魔法弾だって強力だけど、そう長くは保たないよ」
ほら見て。ローザは顎をしゃくって、球状の拘束魔法陣に囚われているギギネリエスへと視線を促した。
アッシュとヴァーミルが振り返った時には、ギギネリエスは既に拘束魔法陣の解呪に内部から取り掛かっていて、魔法陣にはバキバキと亀裂が発生していた。ローザが命を削る思いで撃ち出した拘束用の魔法弾を、ヤツは特に苦労もせず、鼻歌交じりに容易く打ち破ろうとしている。
だが、ローザが苦い表情も見せずに落ち着いているのは、やはりカルビとネージュが無事だったからだろう。
「とにかく、あの2人が前衛に居てくれるからね。私達を見捨てちゃいけないとか、そういう遠慮は要らないよ。ヴァーミル」
ふぅと息をついたローザは、そこで表情を緩めた。
「私達のパーティって、問題児扱いされてるけどさ。ちゃんと冒険者としての覚悟も持ってるし、こういう時に命を張るぐらいの筋は、いつだってギルドに通してきたつもりだよ」
余計な力の入っていないローザの言葉は、自分自身の人生を振り返るような響きがあった。そして同時に、ギギネリエスの前にローザ達を置いていくことに対して、ヴァーミルに余計な負い目を感じさせないための、彼女なりの気遣いから紡がれた言葉でもあるのだろうとも思った。
ローザは死の覚悟を携えながら、己を貫こうとしている。その姿を隣で見ていたアッシュは、彼女の強さを改めて感じていた。そして、そんな彼女が、今まで自分に同行を依頼してくれていたことを誇らしく思った。
「しかし、この場でヤツを仕留めることさえできれば……っ!」
目を強張らせたヴァーミルはローザに反論し、この場での戦闘に参加しようとした。だが、それを明確に拒む者も居た。カルビとネージュだ。
「いいトコに来たな、ヴァーミル。これからアタシも本気で戦うから、グロッキー状態のシャマニを連れて離れてろよ」
「ローザも離れていた方がいいわね。ダンジョン内じゃ抑えていた分、この馬鹿は手加減せずに思いっきりやるだろうし」
拘束魔法陣に捕らえられているギギネリエスを挟み撃ちできる位置に陣取っていたカルビとネージュが、アッシュ達の方へと顔を向けていた。
「誰が馬鹿だと、このポンコツ」などとネージュに言い返したカルビが、全身鎧に炎を纏わせたままで、念を押すようにしてヴァーミルに指を向ける。
「あと、シャマニの奴がさっき、近くに生体反応は無いから遠慮は要らないとか言ってやがったからな。マジで遠慮しねぇからな? 辺り一面焼け野原になっても、冒険者としてのアタシの貢献度をマイナスにするような報告は、ギルドにするんじゃねぇぞ」
「まぁ、出来るだけ延焼しないよう、私がフォローに入るわ」と面倒そうに続いたネージュも、ヴァーミルに頷いてみせている。
「……ギルドへの報告など、心配している場合ではないでしょうに」 エミリアが2人の方を見ながら呆れたように溢した。「まぁ少なくとも、
開き直るように傲然と胸を張るエミリアだが、その表情には活力がある。戦意が息衝いている。
まだまだローザ達のパーティが折れていないことを認めたらしいヴァーミルは、「ネクロマンサーを前に撤退するのは癪だが……」と苦々しく言いながら、アッシュの傍にしゃがみこんだ。
「今のうちにシャマニを連れて行くべきなのは間違いなさそうだ」
手にしていた戦鎚をアイテムボックスに仕舞ったヴァーミルは、アッシュの腕の中にいるシャマニを受け取るようにして、慎重な様子で腕を伸ばしてきた。大事な仲間を迎える手つきだった。アッシュは頷き、抱えていたシャマニの身体を、ヴァーミルの腕の中にそっと預ける。
「シャマニさんが受けていたダメージは、まだ完全には回復しきってはいません。この魔法円から出たあとも、高位魔法薬での回復処置が必要です」
「あぁ。確かに治癒魔法では、まだ生命への負担が大きそうだ。……ここまでシャマニを回復させてくれたことに、礼を言う」
ローザからの治癒術士という紹介があったからか、ヴァーミルは腕の中のシャマニの怪我の具合を確かめるように見てから、アッシュに頭を下げるようにして深く頷いてくれた。アッシュが首から下げている5等級の認識プレートについては特に何も言わなかったが、恐らく、気付いていない様子だった。
「……お前達も死ぬなよ」
真剣な言葉を言い残すようにして、シャマニを抱えたヴァーミルは鎧の翼を羽ばたかせ、空へと上昇していく。その途中で耳元に魔法円を展開させ、他のクランメンバー達とも遣り取りを行っていた。
『鋼血の戦乙女』のメンバーだけでなく、ゴブリン達にも撤退を促しているのかもしれない。不意に、ヴァーミルの腕の中に居るシャマニが首を動かし、アッシュの方を見た。苦しげな動きだったが、その眼差しには、先程よりも力が戻って来ているのが分かった。
アッシュは特に何も言わず、口許を緩めて、頷くだけに留める。シャマニの方は何かを言おうと唇を微かに動かしていたが、彼女を抱えたヴァーミルが翼を大きく広げて飛翔したため、言葉を交わすことはできなかった。
だが、それでいい。もう時間に余裕がない。ギギネリエスの召喚魔法は完成しつつあるし、じきにギギネリエスも拘束魔法陣から出てくるだろう。
アッシュは息を吸って、短く吐いたときだった。「ねぇ」と、隣からローザに声をかけられた。
「アッシュ君も、そろそろ離れた方が良いよ」
一体、何を言い出すのかと思った。エミリアに支えられながら魔導拳ランチャーを仕舞い、代わりに魔導拳銃を取り出したローザは、「アッシュ君なら、今からでもダルムボーグの外まで行けるでしょ」なんて、嫌味の無い言い方をする。
「ここは、
そう続いたエミリアも、優しい声で言ってくれる。
「あ、そうそう。ここで私が死んでも、同行依頼の報酬は、ちゃんとアッシュ君の口座に入るようになってるから。安心してね」
その澄んだローザの声にも、迷いや濁りが無い。
「アッシュ君と一緒に冒険できて、楽しかったよ。ありがとう」
エミリアに肩を支えられたまま、ローザは展開された回復魔法円の中で、ニッと快活な笑顔を見せた。初めて出会った時も、似たような笑みだったと思う。
「
やはり普段のようなテンションとは全く違う調子で、エミリアが静かに微笑んでみせた。彼女達は最後の最期まで、冒険者としての筋と礼を、アッシュに対しても通そうとしてくれているのだと分かった。
「……僕も、同じです」
アッシュはそう答え、さきほどまでシャマニを癒すために浮遊させていた杖『リユニオン』を手に取った。そして2本の短剣へと変えながら、自分の喉から出ていった言葉が、真実であることを確かめるように息を吐いた。
アッシュの呼吸は、この乾燥したダルムボーグの空気に触れて、その存在を主張するように熱を帯びている。ここは悪夢の中ではない。現実であり、アッシュが歩んできた現在だ。
――“お前が何かを選択することなど赦さん”
悪夢からの声が、また頭の奥で木霊している。
だが、今は誰かに、何かを赦されようとも思わなかった。
「……アッシュ君」
ローザが目を少し見開いている。どうして逃げないのと責めるような眼差しだ。エミリアが早く逃げろとでも言いたそうにが唇を動かしていたが、もう遅かった。
拘束魔法陣を砕きつつあるギギネリエスの足元が、ズズズズズズズ……! ゴゴゴゴゴゴゴ……! ボゴボゴボゴボゴ……ッ! と、まるで山のように盛り上がっていく。いや、盛りあがっていくというよりも、ギギネリエスの足元の地面そのものが変質して隆起し、ヤツを持ち上げていくようだった。
「おいおい、そんなのアリかよ」
「最初から、これが狙いだったのね……」
ギギネリエスを挟み撃ちする位置にいたカルビとネージュも、忌々しそうに言いながら跳び下がるしかなかった。
召喚魔法陣から、とうとう出てきた。ズズズズズズズゥゥゥン……!! と空気を震わせて、身体をこの現世に持ち上げてきた。重たい石畳が、地盤ごと砕かられながら宙を舞い、近くの廃神殿が崩落した。地面にもバシバシバシッと亀裂が入りまくっている。
大きい。大き過ぎる。あまりにも大き過ぎて、召喚魔法陣から全身が出しきれていない。強力なネクロマンサーとは、あんなモノまで造り出せるのか。大量の死体を縫い合わせ、接合し、融着させ、魔術的に纏め上げた、巨大な殺戮兵器だ。あれだけの大きさだと、もはや建築物の類だろう。
しかも、あの1体だけということはない筈だ。ダルムボーグを包囲するように展開され、完成しつつある他の召喚魔法陣からも、アレと同等の怪物が出てくると考えるべきだろう。
状況は、一気に最悪になった。あんなものが複数出てきて、その全部を相手にするのは無理だ。もう手に負えない。流石に、ローザもエミリアも言葉を失っている。カルビもネージュも、すぐには動けない様子だった。
魔法陣から上半身の右側と、右半身の翼だけを覗かせているアレは、見るからに強靭で凶暴そうな首が2つある、双頭の竜だ。
大きい。墓守の蜘蛛も大きかったが、あれを遥かに凌ぐ巨体だ。周囲に並ぶ廃墟を見下ろす大きさであり、首を擡げた全長は、多分20メートル以上はある。
生っ白い体を構成する無数の死体は、いや――無数のネクロゴーレム達は、赤黒い魔力の光に囚われたまま不気味に蠢きながら、透明な粘液らしきものを振り撒き、呻き、苦鳴をあげ続けている。
巨大過ぎる双頭の竜は、濁った黄色い眼をギョロギョロっと動かして、カルビ、ネージュ、それから、ローザ、アッシュの順に見て、
「KA・HAAAAAAAAA……」と、どす黒く濁ったような紫色の息を、長く長く、威圧感たっぷりに漏らして見せた。
その竜の肩のあたりで、拘束魔法陣を砕いて出てきたギギネリエスが、やけに穏やかな表情でアッシュを見下ろしていた。
「……“アッシュ”。それがお前の答えってことで良いんだね?」
音声拡張の効果を持つ、何らかの魔術か。それほど大きいわけでもヤツの声が、やけに近くで聞こえた。
「この状況でも、お前は、俺と来ることを拒むんだね?」
ギギネリエスの声の背後に、あの悪夢の、石室での光景が垣間見えた。だが、アッシュの血の通った肉体は、この場所にあるのだと思った。ローザ達と共に、此処に来たのだ。
“器”でもなく。
“人形”でもなく。
“冒険者”として――。
その今の自分を否定することは、絶対にしたくなかった。
アッシュは短剣を握り直し、巨大なドラゴンの肩の上で佇むギギネリエスを見上げていた。隣にいるローザから、強い視線を感じた。それに、エミリアも、カルビやネージュも、アッシュが答えるのを待っているような気配があった。
「僕は最低等級ですが」
言葉を切って、少しだけ息を吸う。細く、ゆっくりと吐いた。埃っぽい空気の中に、自分の中にあるものを解放するような感覚だった。もう、何も隠す必要がないのだと思った。
僕の過去は、すでに現在に重なっているのだ。切り離すことは出来ない。僕の意思は、この肉体と過去に閉じ込められたままだ。だが、この身体を駆使する目的は、選択することが出来る。
この仮初の命は、正しい何かに尽くすことが出来る。
エルン村で出会ったモニカの、あの穢れない笑みが浮かんだ。
モニカの小さな手が、アッシュの指先を握り返して来た感触が蘇る。
優しく、やわらかな温もりに触れた、あの一点において、僕はこの世界と和解していた。そしてあのときの僕は、確かに、この場に存在しているのだと思った。
僕が、僕自身を、この場に連れてきたのだ。
僕は死体から造られた人形かもしれない。
どうしようもなく穢れた存在なのかもしれない。
本当なら、誰からも赦されない存在なのかもしれない。
――それでも。
「……それでも、僕は“冒険者”です。あなたと共に行くわけにはいかない」
この世界における自分の“役割”を表明するように、アッシュは明瞭な声で言う。
双頭の巨大ドラゴンの肩の上で、ギギネリエスが苦しげに眉を寄せた。ただ、その口許は嬉しそうに歪んでいる。
「そうかい。お前は悪い子だねぇ」
暗い血に濡れたアッシュの過去を清算すべく、“死の門”が目の前で開こうとしている。それでも構わなかった。もう恐れはない。動揺も消えた。
僕は死体人形だ。
ならば僕は、死体で編まれたこの身体を、冒険者として死に直そう。
そして僕は、死体で編まれたこの身体で、冒険者として生き直すのだ。
この矛盾を善良に実践できることを、僕は、彼女達に教えて貰った。
僕は何者なのか――。
暗鬱に木霊し続けていた設問の答えが、見えた気がした。
僕は今から、自分の人生を前に進めるのだと思った。
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