第18話 一番星
今年のインターハイは個人戦は坂田先輩が優勝、団体戦も私たち
学校での表彰は夏休み明けになるけど、すでに学校中でテニス部インターハイ優勝という旗がでかでかと掲げられている。
もちろん部内ではこの素晴らしい結果にお祭り騒ぎ。祝勝会ということで少しお高い焼肉を食べに行った。
その帰りのことだった。夕暮れは黒に塗り替えられていき、街に帳が下りていく。みんなと別れ静寂に包まれた住宅街を彼方と二人で歩いていた時、私はふと彼方の顔を見上げた。
「大丈夫?」
私は反射的にそう聞いていた。だって、楽しかった祝勝会の後なのに浮かない顔をしていたから。
「えっ、なんのことだ」
何でもないよと言うように彼方はとぼけて見せる。うそつき。何でもない人はそんな顔しないよ。消えかけた夕暮れの薄明かりしかなくたって、それくらいわかるんだから。
「誤魔化さないで」
「いや、急にどうしたんだよ」
静寂の中で彼方の声が露骨に大きくなる。嘘をつくのが本当に下手だ。でも、そういうところが彼方らしい。自分の弱みを隠そうとする意地っ張りな正直者のために、ほんの少しだけ無理をしてあげることにした。
ゆっくりと近づいて、彼方に抱きつく。
「み、美鈴?」
「大丈夫だよ」
私の不意打ちにたじろぐ彼方を落ち着かせようと優しい声でささやく。どこか臆病になってしまっている彼方に、安心して私の話を聞いてほしいから。
「私は彼方の全部を受け入れるから」
こんなことを言っている最中でも、私の心臓は激しく鼓動している。身長差のせいで私の腕は彼方の腰にあって、胸に顔をうずめている。自分からやったくせに顔がぶわっと熱くなる。
まるで親に抱きつく子供みたいな体勢で、まったく格好つかない自分に少しあきれる。この心臓の鼓動も、紅潮した顔もばれないことを祈りながら、大好きな人のために言葉を紡ぐ。
「何か抱えてるなら私に教えてほしいな」
顔を上げると、彼方が「あっ」とか「えっ」とか短い言葉を発して葛藤していた。いろんなことを考えている彼方を見つめて待ち続けた。すると私に根負けして、彼方は話し始めた。
「悔しかったんだ」
意外な言葉が彼方の口から飛び出した。だけど私は何も言わずに彼方の言葉に耳を傾け続けた。
「確かに二年生でベスト8ってのはいい結果だと思う。でも、やっぱ負けたら悔しいんだ」
彼方は手に入れた結果よりも、敗北の悔しさを受け止めている。まだ二年生だとか、相手は三年生だったとか言い訳をするのは簡単なはずなのに。
「あの試合、私は諦めずに全力で戦った。私に出来ることは全部した。でも、何もできなかった。全部対処されて、勝ち筋が一つも見えなかった」
絞り出すように敗北の悔しさを吐露する。だけど、彼方の苦しそうな顔を見ているとそれだけじゃない気がしてくる。
ほんの少し間が空いて、彼方は私と目を合わせた。その目からは涙がこぼれ落ちていた。
「美鈴がずっと支えてくれてたのに、何もできないまま負けた。最後もぶっ倒れて心配かけちまった。……ごめん、こんな弱っちぃ奴で」
溢れ出す涙は止まらなくて、決壊した罪悪感は私の太陽に影を落としてしまっていた。
初めてだった。彼方が泣いている姿を見るのは。信じられなかった。彼方がこんなにも打ちのめされているなんて。
三原さんの時とは違う。諦めずに食らいついたうえで正面から叩き潰されたからこそ、彼方はこんなにも弱ってしまっている。
彼方は弱くなんかない。そうやって否定するのは簡単だ。少なくとも私は、彼方は強くて真っ直ぐでカッコいいって思ってる。けれどそれは今の彼方にとって傷を抉るだけの行為だ。
それに、彼方がこんなに苦しんでるのは私が彼方を最後まで信じきれなかったからだ。
試合中、彼方がどんなに追い詰められていても私は彼方の勝利を信じてた。彼方だって諦めていなかった。でも、試合が終わって彼方が倒れた時、私は恐れてしまった。息も絶え絶えで朦朧としている彼方を見て、私の太陽が沈んでしまうのではないかと。
彼方を失うのが怖くて、私は恐怖に苛まれたまま涙を流すことしかできなかった。あの時、彼方に駆け寄っていたら、すぐ隣で頑張ったねと言えてたら、少しは彼方の苦しみを軽くできたかもしれない。
だったら、私がするべきことはただ一つだ。
「聞いて、彼方」
背伸びをして手を伸ばし、彼方の涙を拭う。涙目で誤魔化さず、ちゃんと私を見てて欲しいから。
「私は彼方を一番大事に思ってる。だから彼方が負けたら悔しいし、倒れたら心配しちゃう」
「うん。だから、ごめ」
「謝らないで」
太陽から漏れ出した陰りを遮る。その言葉は私が一番欲しくない言葉。そして、貴方に一番似合わない言葉だから。
「最初に言ったでしょ。私は彼方の全部を受け入れるって」
彼方に抱きついた時は顔が熱くて心臓がうるさかったのに、今は不思議と頭がスッキリしていた。だから、冷静に彼方のための言葉を紡げた。
「強いとか弱いとかそんなの関係ない。私は彼方が彼方らしくいてくれたらそれでいいの」
彼方の手をとって微笑みかける。タコができててゴツゴツしたおっきな手。彼方らしい、私の大好きな手を両手で包み込む。本当は抱きしめてあげたいけど、私の小さな体だとからが限界だ。
「約束する。私は何があってもずっとそばにいて彼方を支え続ける。だから、彼方は前を向いて進み続けて」
これが
彼方の涙はいつの間にか止まっていて、弱りきった雰囲気は消えていた。何か覚悟を決めたような真剣な目で、彼方はこう言った。
「じゃあ、私も約束だ。世界で一番強いプレイヤーになって、もう美鈴が苦しまなくていいようにするよ」
あぁ、いつもの彼方に戻ってくれた。しかも私のための約束をしてくれるなんて。幸せで胸がいっぱいだ。
「彼方は優しいね」
「美鈴には敵わねぇよ」
私たちの間には、いつもと違った雰囲気が漂っていた。それはきっとこの約束のおかげ。私がずっと欲しかった彼方との特別。
勇気を出して踏み出してよかった。叶わないと思ってた恋がいつの間にか手の届く場所にある。
感極まって空を見上げると、一番星がキラキラと輝いていた。
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