ヤマダ・オブ・シグマ

あくらさき駅

プロローグ 

 季節は晩秋。そろそろ火が恋しい時期。

 こちらは廃墟が立ち並ぶ今は名も無き街。

 経年劣化によりビルは崩壊、雑草のように生い茂っていた数多の家屋もすでに半数以上がその原型を留めていない。

 故にホームレスの方々すら、身の危険から移住しない危険区域である。


 そんな場所に今夜はなんと来客の兆し有り。しかも二名様。


「ハァハァ……!クソがッ!こんな話聞いてねぇぞ!!」


 苛つきと焦りが入り混じった叫び声を上げながら、男は一人走っている。


 二メートルはあろう身長に、がっしりとした大柄な体格。

 短く整えられた髪は茶色く、額には数センチほどの傷。やや彫りの深い顔に鋭い目が特徴のガラの悪いスーツ姿の男。

 白人系の人物を思わせる風貌だ。


 現在の時刻にして丑三つ時といったところ。良い子はすでに夢の中。

 ならばこんな真夜中に元気いっぱい走る彼は餓鬼大将だろうか。

 運動会の開催である。


 開催場所は街の中でも一際主張の激しい大型複合商業施設。無論、こちらもすでに廃業済みである。


 高さ八階建ての施設内はかなりの広さを誇っており、各フロアの端から端まで軽く見ても百メートル以上。

 しかしながら、そんな巨大な建物も営業を停止した今ではただのコンクリートの塊に過ぎない。


 風化が進行している為か、将又はたまたならず者に荒らされたのか、施設内は所々崩壊しており中の鉄筋が顕になっているほど。

 今も尚、現在進行形で劣化は進んでおり、いつどこが破壊されてもおかしくない。


 さらに、巨大な壁一面には、芸術に長けた多数のアーティストによる多種多様な心情をアートとして訴えられている。

 これには思わずバ○クシーもニッコリ。


「クソクソクソッ!!」


 一階から二階へと続くエスカレーターへ歩み寄る。

 エスカレーターといっても施設内、否、この区画内全てにおいて電気が停止している為電気で動く設備はすでに屍状態である。

 無論、こちらも同様であり、稼動が停止した今ではその名の役目を全うすることは叶わない。精々階段としての役割が限界だろう。


 しかしながらガラの悪い男は、そんなものお構い無しと言わんばかりにハンドレールを握った。

 その時。


 コツ……。


 どこからか小さいながらもはっきり聞こえた反響音。

 その音はすぐに霧散し、気のせいかと安堵したのも束の間。


 コツ……コツ……。


「ッ!!」


 再び聞こえた心地いいコツコツ音。それはまるで靴裏で硬いアスファルトの地面を叩くような音だった。

 無駄に広い施設内。周囲には人が全くいない環境が故に、その音は小さいながらも不気味なくらいに男の耳に纏わりつく。


「チィッ!!」


 豪快な舌打ち一つ。

 男はステップへ足を乗せると、一目散に上へ駆け上がる。


(クソ!もう追いついてきやがったのかッ!仲間達はどうした!?最後に見た時はまだ数十人いたはずだ!!)


 胸中で足音の持ち主に文句を垂れ流しながら、後方を確認する暇もなくエレベーターのステップを登る男。

 その額には大粒の水滴がびっしりと。それがただの汗なのか、それとも冷や汗なのかもわからない。

 それでも男は足を止めない。二階から三階へ、さらに四階へ一目散。


 だが階数が上がるにつれ、その勢いは小さくなっていく。


 ここ小一時間ほど息つく暇もなく走り続けていた彼。体力は常人よりも上だと自負してはいるが、限界がある。流石に休憩もなく全力疾走とは厳しいのだろう。


 五階にたどり着いたところで、少量の余裕が生まれた彼は自ずと走るのをやめていた。だがしかし、その歩みは止めない。今もなお次の階へ行くために、ゆっくりではあるが確実に脚に力を入れ一歩を踏み出していた。


「ハァハァ……ッ!」


 鼻だけでは十分に酸素を満足に供給することができず、大きく口を開け酸素を取り込む。その肩は大袈裟なほどに上下している。


 そろそろ初冬に差し掛かろうかと思わせる時期、外気はかなり凍てつくように冷たい。さらに今は日が完全に沈み込んだ真夜中、日中に比べ殊更外気温は下がっている。

 豪快に大口を開けての呼吸、冷気なのも相まって喉にはヂクヂクと痛みを生み、口にはなぜか血のような味が広がる。


「クソ……こんなんなるなら“OD”なんか手を出すんじゃなかったッ!!」


 今更後悔したところで、現状が打破できるわけがない。それでも愚痴の一つでも溢さなくてはやっていけないとは、人間の性かそれとも彼の性格が故か。


「それより……今は逃げねぇと……」


 ガラの悪い男は、一刻も早く遠くへ距離を稼ぐべく、ステップを登り六階へ到達する。


 その瞬間。


 パァアァァンッ!!


 鉄板を地面へ叩きつけたような重い衝撃音が施設内に響いた。


「ッ!?……うぐぅ……!」


 突如響いた音に動揺するのも束の間、すぐに男は左肩から発せられる鋭利な激痛に顔を歪ませる。

 その痛みに叫ぶことすらできず、ただただ歯を食いしばり呻くのみ。


 男はなんとか痛みに耐えながら後ろを振り向く。

 しかしながら、どこにも人影などは見当たらない。確かに今は夜中だ。視界も悪い。だがそれでも隙間から差し込む月の光により、幾分かは視認性は確保できている。

 少なくとも男が立っている六階から三階までなら、十分見下ろせる程には。


「どこだ!どこにいやがるッ!!いるなら出てきやがれ!それとも何か!?テメェにはキ◯タマついてねぇのかッ!あぁ!?」


 ドクドクと赤黒い液体が流れ出る左肩を必死に押さえながら男は叫声おらびごえを上げる。

 一目散に逃亡したやつが何吠えてるんだと。これが俗にいうブーメランというやつだ。

 だが残念なことに、そんなことを指摘する者は生憎ここには存在しない。


「ビビってねぇでとっとと出て——」


 矢継ぎ早に煽ろうとした瞬間。


 パァンッッ!


 例によって先ほどと同様の銃撃音。


「っ……」


 ガラの悪い男は全て言い切ることなく言葉を詰まらせる。

 またどこかに命中したのかと、血の気が引くが幸いにも新たな痛覚は訪れなかった。


「————もう、鬼ごっこはお終いか?」


「!?」


 ホッと安堵しそうになったところで、聴こえたその声に男は身体全身を強張らせる。

 ガラの悪い男はすぐさま背後に向き直り、虎視眈々と睨め付けるように周囲を見渡す。


 すると、振り向いた彼の正面、漆黒に染まる暗闇の中、崩壊した天井から差し込む月明かりによる光芒に照らされ、それは姿を現した。


 見た目は全身を真っ黒なコートに身を包んでおり、フードも被っている。さらにその下には近未来的なパワードスーツのような武装。

 一番特徴的なのは、鳥のような大きなクチバシを模したマスクを装着しており、それはまるでペスト医師を連想させるような不気味さを印象付ける。


 背丈にして百七十ほど。服装により体付きまではわからないが、そこまでだろうとはガラの悪い男の判断だ。


「っ……!!」


 こちらに逃亡する前にその姿を視認していたにも関わらず、その不気味さにガラの悪い男は一歩後退る。


「あの場から一人だけ逃げるなど恥ずかしくないのか?」


 若干低めではあるが、その声は若い。高校生か大学生あたりだと思わせる声色。


「……ッる、うるせぇ!こういうのはな、生き残った方が勝ちなんだよッ!死んだ時点で何もかも無意味だ。それはもうただの負け犬だろうがッッ!!」


 威嚇するように荒ぶる男。


「そうか。————じゃあ、お前も負け犬だな」


「!!!」


 刹那、ガラの悪い男は反射的に横に飛び退いていた。

 咄嗟に受け身を取り、勢いそのまま立ち上がりを試みるが、未だ止まない左肩からの悲痛の訴えに、上手く取れずに地面に仰向けに転ぶ。


「我先にと逃げたくせに意外と勘のいいやつだ。いや、勘がいいから逃げたのか」


 鳥男の手には例によって拳銃が握られている。しかし暗闇により種類までは窺えない。

 ただわかるのは月光によって、その銃口から硝煙が上がっているのがギリギリわかるくらいだろうか。


「クソ!絶対ぶっ殺してやるッッ!!」


 正直、困窮極まる状況ではある。だが目の前の鳥男のその上から目線な発言に、これでもかというくらいにガラの悪い男の顰蹙ひんしゅくを買う。


 それが起因したのか、アドレナリンにより男は痛みよりも目の前の鳥男に対する怒りの方が優っていた。


「殺す殺す!!」


 ガラの悪い男は咄嗟に立ち上がると、語彙力皆無な言葉共に腕を構える。

 すると、周囲に転がるコンクリートの破片がふわふわと浮かび上がり男の近くに展開した。


「死ねぇえぇえ!!」


 かと思えば男の叫び声と共に、破片が鳥男目掛け一斉に射出される。


「ほう、岩系を操る能力か?それとも珍しい重力系だろうか」


 マシンガンが如く、コンクリートの弾丸の雨が降り注ぐ中、目の前の鳥男は焦る様子は微塵も感じさせない。


「あのグループの長にしては、なかなかの能力だ。これほどなら職には困らなかっただろうに。……あぁ、それともすでにOD済だったか?」


 それどころか冷静に分析まで始める始末。

 その態度が殊更ガラの悪い男を苛立たせる。


「なんでだ!なんであたらねぇ!!」


「さて、なぜだろうな」


 破片を避けながらも鳥男はゆっくりと接近してくる。


「クソか゛ぁ゛あ゛ぁ゛ぁ゛あ゛ッッッ!!!!」


 目の前まで鳥男迫る。その距離にして一、二メートルほど。


 破片のストックがなくなり、躍起になったガラの悪い男は拳を握る。間髪入れずに、その拳を鳥男の顔面目掛けストレートを放った。

 その強靭な膂力りょりょくは、目の前の日本人にして平均身長の鳥男の顔に直撃したら、首など容易に百八十度回転してしまうだろう。


「く゛た゛は゛れ゛ぇ゛え゛ぇ゛え゛え゛!!!」


 ——————パァン。


 しかし、男のその拳は鳥男に達することはなかった。


「あ゛……か゛……」


 ガラの悪い男は、十分な言葉も発する暇もなくドサリと倒れ伏す。

 その顔には、虎のように鋭い眼光が今でも正面の獲物を殺さんとギラギラと輝いている。

 だが、彼の目と目の間、ちょうど眉間あたりにはポッカリと穴が空いていた。そこからは湧き水のようにトクトクと鮮血が流れ出ており、小さな水たまりを作り始める。


「…………もし、次があるのなら、真っ当な人生を歩むんだな」


 鳥男はそうクサイ台詞を吐くと、男の瞼を閉じさせる。


「…………」


 最後に鳥男は力無く息絶えた男を一瞥すると、コートをひらりと靡かせ踵を返す。

 やがて遺体だけが残る廃墟には、ただ平時通りの静寂が訪れるだけだった。

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