拝啓。十年後の私へ

Nero

十年後の私へ

「どうしよう」


高校二年生の夏休み。私はぽろりと言葉を零した。真っ黒な机に座った私の前には、一枚の真っ白なプリントが置いてある。そこには『進路プリント』と印刷されていた。


「本当にどうしよう」


私は何も考えていなかった。高校一年生のときから進路について考えるのを、何かと理由をつけて後回しにしていたからだ。やれ、テストがあるだの、やれ、部活で忙しいだの・・・・・・。今になって悔やんでももう遅い。なんであのとき考えなかったんだろう。頭を抱えて私は椅子から立ち上がった。


私にはしたいことがない。いや、あるにはあるが、それは胸をはって宣言出来るようなものではなかった。そのを堂々と宣言したとしても、親には『やめておけ』と止められるだけだ。多分、いい顔はされない。悪い想像しか出来ないため、私はずっと親には言わずにいた。小さな子どもなら笑って許される、そんな夢物語のような将来の夢。高校二年生になった今、私はその夢を軽々しく口にすることが出来なかった。


「と、とりあえず、興味のある学問とかから考えよ・・・・・・」


首を振って今までの考えを打ち消して、充電していたタブレットを手にとって、また椅子に座った。興味のある学問は何といわれても、私には思いつかなかった。文系科目は得意ではある。でもその科目の職業を、将来五十年ほどの長い間、私に続けられるとは考えられなかった。他にしたい夢が考えを邪魔していた。


両親には大学にいって職業、会社で働いて生活してほしい、というようなニュアンスの希望を伝えられている。多分両親のいうちゃんとした大学は難関国公立大学で、安定した職業や会社というのは公務員や大手の企業なのだろう。そう考えてみると、私の胸が苦しくなった。なぜ、将来のことまで親に決められないといけないのか、と。今まで私は優等生として生活してきた。いや、しなければならなかった。親に決められた、親の言葉を借りると高校というところにも合格して通っている。でも、それは、私の希望したところではなかった。


「あー・・・・・・」


そもそも、『ちゃんとした』や『安定した』という言葉は何なのだろうか。あなたのことを考えて、だの、普通に考えて、と言われてもそれは私の心には響いていなかった。結局のところ、私は親にとって都合の良い道具であり、自分の出来なかった夢を叶えるために全てを決められているのではないか。そう考えると、なんだかとても虚しく感じた。あぁ、また。また、関係のないことを考えていた。シャーペンの先で、こつこつと何も書いていない欄をつつく。本当に、これでいいのだろうか。このまま両親の望むような大学に行って、両親の望むような職について生活することになっても。


「そういえば」


思考回路がぐちゃぐちゃになって、考えが迷宮入りしかけたそのとき、ふと、小学生時代に書いたあるものを思い出した。そういえば、二分の一成人式で二十歳の自分に向けて手紙を書かなかったか。もちろん、今は十七歳で二十歳ではないが、なんとなくその手紙を読みたくなった。過去の私が考えていたことや思いがそこに書かれているような気がしたのだ。私はまた椅子から立ち上がって、ぼろぼろのファイルを取り出した。そこには、『二十歳の私へ』と書かれた手紙が入っていた。黄色の手作りの封筒に猫のイラストが描いてあった。


「懐かしいな。そういえばあのとき、猫が出てくる小説にはまっていたなぁ」


少し封を開けてもいいのかと迷ったが、私は勢いよくその手紙を開けた。手紙用の紙、二枚に渡ってたどたどしく、しかし子どもとは思えない的を射た文章が綴られていた。



拝啓。二十歳の私へ。

私は十歳の夏目美鈴なつめみすずです。

二十歳の私は何をしていますか? 自分の好きなことを出来ていますか?

十歳の私は本が好きです。絵をかくのが好きです。今は動物が出てくるお話を書いています。二十歳の私はどんなお話を書いていますか?

というか、二十歳の私は本が好きですか?

本は色々な考え方を見つけることが出来ます。知らないことを知ることが出来ます。作者の伝えたいことが書いてあります。私は本にのっているような、広い世界を自分の目で見てみたいし、他の人に私の世界を知ってほしいです。

お母さんとお父さんは学校の先生とか、医者になってほしいといっていますが、私はそういう職業にはなりたくないです。だって、他の人のいったことに従って創った私の将来は、きゅうくつそうで、楽しくなさそうだからです。二十歳の私はどんな感じですか? 私は楽しんで生活してますか?


たくさん、十歳の私の思うことをかきました。毎日大変だと思うけど、がんばってね。応援しています。

最後に。二十歳の私へ。未来の私は幸せですか?  

                十歳の夏目美鈴より




何かを感じるとか、そんなことは特になかった。ただただ、目から涙がこぼれ落ちて止まらなかった。悲しいとか感動したとかもない。


「っ。・・・・・・こんなこと、考えてたんだな。十歳の私、凄いな」


服の袖でこぼれ落ちる涙を乱暴に拭いながら、私は引き攣った笑いを浮かべた。とても懐かしかった。あの頃の自分には、世界はとても輝いて見えていた。進路や将来、周りの人の意見。全てを無視して好き勝手考えて悩んで、毎日を楽しんでいた過去の自分。当時の自分は、今の私からしたらとても遠い存在のように見えてしまった。親の傀儡として生活をして、考えることすらを手放そうとしていた私は、なんともいえない可笑しさがあった。あのときの私は、十七歳でこの手紙を見るとは絶対に思っていないだろうと、少しだけ面白く思って。


「どうしよう」


手元のプリントを見て、また同じように呟いた。あの手紙を見て、両親の思うように、なんて考えれる訳がないじゃないか。あんな風に楽しそうに少し偉い子ぶった文章を見てしまったら。色が変わった服をちらりと見て、私は手に持ったシャーペンを置いた。そして諦めたように少し笑った。


やっぱり私には無理だ。小説家になりたい、そして自分の本のイラストも描きたい、という夢を捨てることは出来ない。中学生、高校生にもなってまだそんなのかいているの、といわれても書き続けて夢を見続けたあの夢を。そんなことをしても無駄だといわれて、目の前で書いた原稿用紙を破られたこともあった。夜に何やってるのと怒鳴られて捨てられたこともあった。でも結局、夢を捨てることは出来ずに今までずるずるとひきずっていた。


確か今日は両親共に六時には帰ってくるはずだ。すっと時計に目をやる。今は六時前。よし、決めた。私は軽く目をつぶって心を、気持ちを整える。息をゆっくりと吸って吐く。そしてぱっと目を開く。


「ただいまー」


微かに両親の声が聞こえてきた。何をいわれるか分からない。めちゃくちゃに反対されるかもしれない。だけどやっぱり私は将来を自分で決めたい、そう思った。本と出会ったあの頃からの夢を追い続けたい。どくどくと早鐘を打つ心臓を落ち着かせようとして深呼吸をする。そしてぱっと椅子から立ち上がった。目の端に映った夕焼けは、いつもよりもきらきらと輝いて見えた。


「大丈夫」


軽く呟いて私は手にあの真っ白なプリントを持った。そして勢いよく自分の部屋の扉を開けて両親のいるリビングに向かう。そして私を見て少し驚いた表情の両親に向かって言葉を紡いだ。


「あのねっ───」




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