白い鯨の小さな物語

荘園 友希

クゥ

 クゥは嘆いていた。一人殻にこもっていて、友人と呼べる人がいなかった。いつも自分の世界にいて、本読んでいるのが多かったし、一人で本を読んでいる瞬間、確かに自分が生きてるんだなという実感がわく場面でもあった。

―僕にはほとんどいなくてもいいから少しでも話せる友達がいたらなぁ―

友人ができたことはないし、友達ってどういうものか実感できないけれどなんだかクラスのみんなは楽しそうにしているし、いたら楽しいんだろうなぁ。でも他人に期待をすると自分が傷つくことになるから他人には期待しない。本をある程度読み終わると朝礼があって、一日の連絡事項を伝えられる。どうやら今は漁の時期だから海面には近づかないことって先生が言ってた。何人も人間たちに連れていかれちゃったもんな。あれだけ上辺を泳がないようにって言われているのに。

 クゥは教室を泳ぎ出ると廊下で少し魚観察をする。みんな放課後の話をしている。僕は放課後はすぐにいつものプールに行くからいいんだ。そう言い聞かせていた。

―スイちゃんは人気者でいいなぁ―

放課後、教室に魚だかりができていて、それをクゥはいつも見ているのだった。シャチのスイちゃん。人間たちには海のギャングなんて言われているのにあんなにみんなに慕われている。僕はシロイルカだからあんなに華やかな色じゃないし、白だからあんまり存在に気付いてもらえない。

 僕は放課後いつものプールにやってきた。ここで泳ぐのは最高に気持ちがいい。人間は来ないし、ほかの子たちもいないからジャンプしたっていいし。ひとしきり泳ぎ切って満足しているとネズミイルカの子が知らないうちにこっちを見ていた。

「何!?どうしたの!?」

びくびく怯えながら訪ねてみると

「ここのプールって君が使っていたんだね」

話を黙って聞くことにする。

「どうして、ここがわかったの?」

「いや、クゥさんは僕らと仲間で、同じ海を泳ぐ仲じゃないですか」

ネズミイルカはシロイルカと群れて行動する数少ない品種のイルカでネズミという名前に恥じないイルカらしい装いをしている。

「いやね、スイさんがどうやら君に興味をもっているらしいんですよ」

僕は冷や汗をかいた。もしかして食べられちゃうんじゃないか。これがリンチというものなのかもしれない。少し怯えながら

「…どうして」

「はい?」

「どうして!?」

少し声がでかくなってしまった。

「いやぁ、それがわからないんですよ」

「そんなぁ…」

「まぁスイさんのことですから悪いことをしようとしているわけではないと思うんですけどね」

確かに、シャチなのにスイちゃんは穏やかな性格をしている。あのきれいな漆黒の身体に白い斑点の華やかな色とは違ってスイちゃんはいい子なんだ。きっと変なことはしないだろう。そう自分に言い聞かせながら家路についた。

 昨日はスイちゃんのことが気になってあんまり寝れなくて朝早くに学校に行くことにした。でも朝早い教室でやることなんてないから本を出して読んでいた。

―ガサガサ―

ん?何かが動いた気がする。しかしクゥにはその姿がわからなくて、アジの子かなんかだろうと思ってあんまり気にせず本に夢中になった。

 そんな怯えた日々が何日か続いた。最近は朝早く登校するのも慣れてきて朝の読書が僕の時間になっていた。その分いろんな本を読めたし、それで満足していた。

 ある朝、ひときわ朝早く出てしまったクゥは昇降口で黒い影を見かけた。

―あれはスイちゃん?何をしているんだろう―

華やかな色だからすぐに察する。しかしスイちゃんがこんな時間にいるなんて何だろうか。忘れ物?それとも落とし物かな?何か色々なところに行っては何かをしている。教室にいるとスイちゃんがやってきて、私は驚いた顔をしていただろう。

「クゥちゃんおはよう」

「なんで私の名前を知っているの?」

「私はクラスメイト全員の名前を覚えるようにしているんだ」

スイちゃんと話すのはこれが初めてだった気がする。

「ほら、ほかの子たちと違ってクゥちゃんって一人でいるじゃない?」

「うん、そうだけど…」

「本を読んでいるからどんな本を読んでいるのかなって」

「いえ、単なるSFでHarmonyっていう小説を今は読んでます」

「あぁ、あの人間世界の話よね。なんだか健康に生きることを強いられたディストピアの話」

「よく知ってますね…」

「そんな怪訝そうな顔をしないで。私はクゥちゃんに何をしようってわけじゃないの」

「じゃぁなんで…」

「たまたまいたからかな?」

「スイちゃんは何をしているんですか…」

「恥ずかしいからみんなには言わないでよ?」

「はい」

「あと、その敬語、やめてほしいな。私たちクラスメイトじゃん」

「は…うん」

「私は毎朝この時間にいるの知ってた?」

「いえ…いや、知らなかった。私こんな時間に登校するの初めてだから」

「そうなんだ」

こんな早朝に他人に隠さなきゃならないこととはいったい何なんだろうか。

「私ね、毎朝こうして掃除して回ってるんだ。みんなに気持ちよく学校生活してほしいから」

以外な回答に驚きを隠せなかった。

「でも、わざわざスイちゃんがしなくても」

「私が気になるの。私も気持ちよく学校を泳ぎたいから」

確かに教室も廊下も掃除の時間なんてないのにいつもキラキラ珊瑚たちがいて、床に砂埃なんてなかった。前々から気になっていたけれどどうやらスイちゃんが掃除をして回っていたらしい。

「私ね、クゥちゃんのこと気になっていたんだ」

それを聞くとフラシュバックしてくる。

―いやね、スイさんがどうやら君に興味をもっているらしいんですよ―

ネズミイルカの言っていたことだ。半信半疑でいたし、本当になんか目を付けられているなら何か含みがあるんだろうなと思ってた。

「なんで私に興味を持ってるの?」

「こんなにきれいなシロイルカなんて見たことないよ。みんな実はクゥちゃんのこと気にしてるんだよ」

スイちゃんはいつも話している仲間のことを話し始めた。どうやら私のことはそれなりに話題になるらしくて、前から気にしていたらしい。でも僕は放課後すぐに例のプールに出て行っちゃうものだから話す機会がなくてそのタイミングを見計らっていたのだという。

「クゥちゃんどうせなら手伝ってくれない」

「掃除を?」

「そう、ここの校舎ってあんまりに広いじゃない?だから掃除するの大変なのよね」

 私たちはそれからほかの魚が来るまで掃除を続けた。

―まさかこんな大変な作業を毎日続けていたなんて…―

私なんて使うことしか考えてなかったし、学校にいるのは最小限にとどめているから、こんなことをしている子がいるなんて思わなかった。きっと潮流で流されていくものだとばかり思っていた。

「はい、今日はこれで終わり。お話ししよー」

「うん、でも私に話せることなんて」

「本の話があるでしょう?」

スイちゃんは私が読んだことのある本のことは大抵わかっているみたいだった。どんな本の話をしても相槌を打ってくれるし、その話の肝の部分はしっかり押さえているようだった。

「ねぇ、クゥちゃんは私のことどう思う?」

ふと質問を投げかけられてどう答えたらいいのか口が開かなかった。

「私ってシャチじゃない?人間にはそれなりに嫌われてるの。もちろん地上で暮らしているアザラシを食べちゃうことはあるし、ほかの魚も食べちゃって漁場を荒らしちゃうから」

「あざらし、食べるの?」

「うん、毛が歯に引っかかって食べにくいんだけどそれなりにおいしいよ。今度機会があったら一緒に人間のいる水面に行ってみようよ」

「僕は、水面怖くって近寄れないよ」

「私がエスコートしてあげるから」

「うん」

それから何日も何日も早朝に学校に行っては学校の掃除して回った。誰にも気づかれることなくただただ掃除する毎日が。

だんだんとスイちゃんとも仲良くなって一緒に泳いでも怖くなくなっていた。

「ねぇ、スイちゃんはなんでなんでも知ってるの?」

「私ってほら、いろいろな子たちと話すじゃない?だから引き出しは多い方がいいかなって」

続けて「私のこと意外って思ったでしょ」と続けた。うんとうなずくと

「私は学校をでたら色々な海を航海したいんだ。海って広いからいろいろな話をしたいし、もちろんここでの話もしてみたい」

「えらいね」

「そんなことないよ。クゥちゃんの本読んでる姿も私は偉いなって思ってるの」

「本って手に入れるときは簡単だけど読むとなると結構大変じゃない」

「でもそうして僕は時間をつぶすことしかできないし」

「だったらいいことがある」

なんだろう?いいことって。僕はいつも通りの毎日で満足していた。もちろん友達がいたらうれしいなとは思っていたけど。

「今日の放課後、私のところに来て」

「でも」

「集団でいるのは怖い?」

察したようにスイちゃんは的確に突っこんでくる。

「うん…」

「大丈夫っみんないい子たちばっかだからすぐになれるよ」

僕は初めてほかの子たちの前に出ることになった。

「あー!クゥちゃんだ!珍しいね!初めまして!」

ある子がそういうとほかの子も続けて挨拶をしてきた。

「ほら、クゥちゃんも自己紹介して」

スイちゃんがはやし立てた。僕は「初めまして」としゅんとしながら声に出すとみんなはにこやかに私を受け入れてくれた。


 私の生活が丸っきり変わってしまったことに驚かされた。最初はネズミイルカの噂話だったけど、今はスイちゃんと一緒に朝は掃除をしている。放課後、本を読む時間も忘れて、みんなと談笑するのが楽しくなっていた。これもスイちゃんのおかげだった。

いつも通り朝の掃除をしていると

「なんだか私たちの秘密の時間になっちゃったね」

少しずるい顔をしながらスイちゃんが言う。

「私ね。ずっと話したかったの」

そうスイちゃんは打ち明けた。

「私もね、最初からこんなんだったわけじゃないんだよ?」

「前の学校ではみんなに一目置かれていたっていうか、みんあ私のこと避けるのね。そんなに食べたりしないのに」

意外なスイちゃんの昔話を聞くことになった。どうやらスイちゃんは昔は引っ込み思案で僕と同じく本を部屋の隅っこで読んでいるタイプだったらしい。でもあるときを境に人と話すきっかけができたらしい。

「バンドウイルカの子が私のこと脅かしたの、前はほかのシャチの子もいたけどその子が人気で」

笑いながら話す。

「その子に目を付けられているなんて脅かされて」

「でも…」

「そう、クゥちゃんと一緒で壁なんてもともとなかったの」

少しうれしそうに話していた。それから僕たちはゆっくり慣れていって今ではいろんな子たちと話すようになった。


 スイちゃんのおかげで生活がガラッと変わった、でもそれくらいで、僕の生活を侵食してくる子はいなくていい子たちばっかりだった。

いつもどこかで漂っているだけの存在だったのが今では人気者になっていた。僕自身も嫌な感じはしなかったし、スイちゃんとベアでいっつもいるのは今でも変わらないけれど、みんないろいろなところに連れて行ってくれて、いろいろな場所を教えてくれた。僕はそんな毎日を楽しみながらスイちゃんといつもの日課をこなしている。

「なんだか不思議だね」

「うん」

「私もこんなにクゥちゃんが面白い子だなんて思わなかった」


 スイちゃんとはこのまま大人になっても一緒に入れるのだろうか、違う学校に進んでしまうかもしれないし、人間に捕食されてしまうかもしれない。ずっとこんな日常が続いていくわけがないかもしれない。でも、それでも今この時を一緒に楽しむのが僕は好きになっていた。

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