恋せよ青少年
朏猫(ミカヅキネコ)
第1話
南沢をちゃんと見たのは、クラスが変わった今年の四月が初めてだった。えらく綺麗な顔をした奴がいるなと思って見ていたら、二年でも同じクラスだった友達が「おぉ、南沢じゃん」と声を上げたことで名前を知った。
(男にも綺麗な奴っているんだな)
同じ制服を着ているのにアイドルみたいに見える。そんなことを思ったからか、ちょくちょく目を留めるようになった。おかげで気づいたことがいくつかあった。
南沢はやたらと声をかけられる。そうかと思えば遠巻きに見ている奴らもいる。なるほど、人気者って噂は本当らしい。
一方、南沢のほうは当たり障りのない対応が多いような気がした。そんな姿を見て、いい奴なんだろうけど面白味のない奴なのかもなと思ったりした。
そんな南沢と俺の接点はクラスメイトということだけで、同じクラスになって二週間が経つけど一度も話したことはない。向こうが俺に近づいて来ることもないし、そもそも俺は美術部の活動に忙しくてクラスにいることがあまりなかった。
三年になった今年は学園祭での展示会も最後になる。せっかくなら大作を描こうと思って、新学期早々美術室に籠もってはあれこれ思案していた。放課後はもちろん、昼休みも弁当を持って通う毎日だ。
今日の放課後も美術室に籠もり、ああだこうだとキャンバスの上で絵の具をこねくり回していた。美術室から見える桜並木の下書きは完成しているけど、どうもしっくりこない。構図が悪いのか色がよくないのか、筆も思うように動かなかった。
全然進まない状態と油絵の具の臭いに嫌気がさした俺は、今日はもう帰るかと片付けもそこそこにカバンを持った。美術室を出て階段を下り、いつもなら真っ直ぐ昇降口に行くところを、角を曲がって渡り廊下に向かう。借りていた西洋美術史の本を返すため、図書室に寄ろうと思ったからだ。
図書室の扉を開けると数人が出入り口のところに立っている。それを避けて、奥まった専門書の棚に近づいたときだった。
「……んっ」
小さなため息みたいな声が聞こえた気がした。何だろうと思って声がしたほうに顔を向ける。
そこは背の高い本棚と壁に囲まれていて、よく見ないと気がつかない死角のような場所だった。そんな場所の端っこに二人分の人影が見える。やけに密着しているような気がするけど、内緒話でもしているんだろうか。
「ん、」
また変な声が聞こた。「何やってんだ?」と気になって見ていると、ぴったりくっついていた二人が不意に離れた。
「……は?」
そのとき、初めて二人がキスをしていたことに気がついた。驚いて漏れてしまった俺の声が聞こえたのか、背の高い男子が俺をチラッと見てから「チッ」と舌打ちして図書室を出て行った。
「あ、」
残ったほうを見て、さらに驚いた。少し気だるげな様子で立っていたのが南沢だったからだ。
一瞬「まずい」と思った。俺もさっさとこの場を離れたほうがいい。それなのに濡れているような唇が妙に気になって足が動かない。
「なに? 志垣もキスしたいの?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。「きす」が「キス」だとわかり、慌てて頭をブンブン振る。同時に「何で俺のこと知ってんだろう」と思った。
自分でいうのも何だけど、俺はめちゃくちゃ地味キャラだ。成績も運動神経もその他大勢に埋もれるくらい普通で、学校では絵のことばかりだから友達も決して多くない。グループで何かするときも似たような地味男子たちと行動するから、有名人みたいな南沢に知られているなんて思いもしなかった。
(っていうか、あの噂って本当だったんだ)
一年の頃、やたらモテる奴がいるって噂を聞いたとき「男子校なのに?」と少し不思議に思った。そいつはとにかく綺麗な顔とモデルみたいなスタイルで、先輩たちにもしょっちゅう声を掛けられていると言われていた。
そういう噂に興味がなかった俺は「ふーん」と思っただけで、どんな人物か気にしたこともなかった。二年のときに「先輩と付き合ってるらしいぜ」と聞いても「そうなんだ」くらいしか思わなかった。
だから、同じクラスになって初めて「噂の奴って南沢だったんだ」とわかった。数少ない友達からは「南沢を知らないなんて、おまえ美術室に引きこもりすぎだろ」と笑われたりもした。
そんな俺のことを南沢が認識しているとは思わなかった。そりゃあ同じクラスだけど、存在している次元が違うんだ。それなのに顔どころか名前まで知っているなんて、驚きすぎて首を振りながら目を見開いてしまった。
「なんだ、キスしたい訳じゃないんだ」
「も、もちろんだよ」
友達ですらないのに、いきなりキスとかあり得ない。
「ここ、そういう場所なんだけど」
「そういう場所?」
「キスしたい人たちが俺を連れ込む場所。もしくは順番待ちする場所」
南沢の言葉に少しだけ眉が寄ってしまった。いまの言い方だと、好きだからキスしているっていうのとは違うように聞こえる。それに順番待ちとか、まるでスーパーの安売りみたいで嫌な感じがした。
「志垣?」
「あ、ええと……その、ごめん」
「キスを見たこと? それとも、邪魔したことに対して?」
「ええと、……どっちも?」
「どうして疑問形なわけ? まぁ、いいや。無理やりだったから、俺も気乗りしてなかったし」
「無理やり、だったんだ……」
「合意じゃなかったって意味ではね。しちゃえば、どっちでもいいけど」
南沢の言葉に、やっぱり眉が寄ってしまった。
(キスって、そんなものじゃないよな)
俺はしたことがないからわからないけど、好きだからするものだと思っていた。それに大事なことのような気もするし、誰とでもするようなものじゃないような気がする。
(こういうふうな考えだから古臭いって言われるんだろうけど)
友達からは「おまえ昭和生まれかよ」と笑われることが多かった。ここは小学校からエスカレーター式の男子校だからか、俺みたいな奴は珍しいらしい。
本当は“キスは初恋の相手としたい”とも思っているけど、そんなことを言ったら絶対にからかわれる。それに男子校ではふざけついでにキスするのはよくあることで、毎回眉を寄せる俺は何度も笑われてきた。
「なに? なんか変な顔してるけど」
「え? あ、いや、別に、なんでもないけど」
ほぼ初対面のような南沢に「キスってそんなものじゃなくない?」とは言えない。余計なお世話だし、友達でもない俺が言うのも変だ。それでもモヤモヤしているせいで、きっと変な顔をしてしまったんだろう。
「志垣ってマジメだよね」
「へ?」
「そんな簡単にキスなんてするもんじゃないって顔してる」
「あー……、友達からは、よく古臭い奴って言われるけど」
やっぱり顔に出ていたんだ。いつも「眉間に皺が寄ってる」って言われるから、そんな顔をしていたんだろう。皺を伸ばすように指で眉間をすりすり擦っていると、南沢が少しだけ笑った。
「ま、いいんじゃない? 志垣らしくて」
「へ?」
「ここでそういうことに染まってないってのは貴重だと思うよ。変わってる奴がいるなとは思ってたけど、逆にちょっと興味引かれる」
そう言ってくるりと背を向けた南沢を、俺は呆けたように見送った。
そんな出来事があってから、なぜか南沢が頻繁に声をかけてくるようになった。周囲も驚いているけど、一番驚いているのは俺のほうだ。
最初は「何で話しかけてくるんだろう」と思った。やっぱりキスの邪魔をしたのを怒っているのかと考えたりもした。だけど話しかけてくる顔は怒っていないし、内容も普通のことばかりだし、そうなるとやっぱり話しかけられる理由がわからない。
だからといって、俺のほうから「なんで話しかけてくるんだ?」なんて尋ねることはできなかった。そんなことを言えば周りに「何でお前が偉そうに言うんだよ」って思われる。下手をしたらクラスでのけ者扱いだ。一人で過ごすことが多い地味キャラの俺でも、それはさすがに避けたい。
(まぁ、友達になったと思えばいいか)
いまいち納得はできないけど、そう思うようにした。
それに、話してみると南沢は案外面白味がある奴だ。周りからの視線は気になるけど、一緒にいるのは意外と楽しい。そう思うようになったからか、気がつけば南沢と一緒にいることが多くなっていた。
そのうち南沢まで美術室に入り浸るようになった。昼休みも放課後も俺が美術室に籠もっているからだろうけど、おかげでほかの部員の視線がちょっとだけ痛い。それを気にしているのは俺だけのようで、南沢といえば窓の外をぼんやり見ていることが多かった。
(つまらなくないのかな)
俺は絵を描き始めると無言になる。周囲のことを気にしなくなるから南沢の話し相手をすることもない。それなのに、南沢は今日の放課後も俺と一緒に美術室に来ている。
(そもそも南沢は絵に興味なんてあるんだろうか)
俺が絵を描いているのを初めて見たとき、「ふーん」と気のない声を出した。だから、きっと絵にはあまり興味がないんだろうなと思った。それなのに毎日のように俺と一緒に美術室にやって来る。
(何でついてくるんだろう)
考え始めると気になって仕方がなくなる。桜並木と格闘していた筆を止め、窓の外を眺める南沢を見た。
いまさらだとは思うけど、南沢は本当に綺麗な顔をしている。手も足も長いし、ちょっと日本人離れしているようにも見えた。日の光に当たっているからか髪の毛も少し茶色がかって見えて、風が吹くとサラサラと揺れるのもアイドルみたいだ。
(同性に告白されるのもわかるような気がする)
南沢を見ていると、告白する男子の気持ちがわかるような気がした。それに雰囲気というかオーラというか、そういうものが色っぽいと感じることもある。
不意に図書室でのキスシーンを思い出した。正確には濡れているように見えた南沢の唇のほうだけど、いまだに何度も思い出してしまう。同じ男の唇だし何てことはないはずなのに、思い出すだけでドキドキして変な気分になった。
「志垣、変な顔してる」
「え……?」
南沢が俺を見ていることに気がついて、慌てて視線を逸らした。
「もしかして、俺とキスしたくなったとか?」
「へっ!?」
「ぷはっ! あはは、冗談だって。それに、いまさらそんなに驚かなくてもいいでしょ」
「いやいやいや、俺の反応のほうが普通だよね?」
慌ててそう言ったら、笑っていた南沢の顔が少しだけ真顔になったような気がした。
「そうだね、普通かもね」
そう言って笑顔に戻ったけど、ちょっとだけ寂しそうに見える。どうしたんだろうと気になって見ていると、ふわりと笑った南沢が椅子から立ち上がった。
「ねぇ、俺を描いてよ」
「え? 何?」
「俺をモデルにしてって言ったの」
「は?」
「ダメ? 志垣って、人物画とかは描かない人?」
「いや、そんなことはないけど」
「じゃ、俺を描いて」
急にどうしたんだろう。これまでキャンバスを覗き込むことすらほとんどなかったのに、自分を描いてほしいなんて変だなと思った。でも、断る理由もない。
「別にいいけど……。でも、モデルってけっこうしんどいよ? 長時間じっとしてないといけないし」
「あぁ、それなら大丈夫。じっとしてるの意外と得意だから」
「そうなんだ。でも……」
「じゃ、決まり」
俺が断る前に勝手に決めてしまった南沢は、何を思ったのか突然シャツのボタンを外し始めた。ギョッとして慌てて止めると、「ヌードじゃないの?」と言われて本気で焦った。ほかの部員がいないときで本当によかった。
「そのままでいいから! それにヌードとか部活ではやらないから!」
「なぁんだ。っていうか、真っ赤になっちゃってマジメだなぁ」
「南沢!」
思わず怒ってしまったけど、こんなふうに学校で声を荒げたのは初めてのような気がする。咄嗟に「しまった」と思ったけど、南沢は気にしていないようで「あはは」と笑っていた。
(友達にも怒ったりしたことなかったのに……)
そう思うと、どうしてか南沢が特別な存在のような気がしてきた。
この日から毎日、放課後は南沢をモデルに人物画を描くことになった。きついポーズは悪いと思って椅子に座ってもらうだけにしたけど、それでも横顔が綺麗すぎて何度も見惚れてしまった。
もし正面から描いていたら、絶対に見惚れているとバレていたと思う。横向きを描くことにして正解だったと何度もホッとした。
下書きが終わる頃には、南沢も頻繁にキャンバスを覗き込むようになっていた。少しずつ絵について話すうちに、南沢もまったく絵に興味がないわけじゃないのかもと思うようになった。
色を塗り始めると、油絵の具についていろいろ聞かれるようになった。そのときに俺なりの描き方みたいなものを話したら、「へぇ」と感心したような声が返ってきた。最初の頃の「ふーん」という声より感情がこもっていたのがうれしくて、俺は南沢の絵を完成させたいと真剣に思うようになった。
気合いを入れてキャンバスに向かっていたからか、半分ほど塗り終わった絵を見た部員から「いままでで一番いいじゃん」と言われた。人物画でそう言われたのは初めてで、うれしいのと同時に少しだけ照れくさくなった。
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