浮き輪

だら子

第1話

わたしの趣味は、俳句なの。


「夏の夜に息がもれてく浮き輪かな」


「夏の夜」と「浮き輪」

致命的。これは、季語が二重になってる。

でも詠みたかったから、いいの。


夏の静かな夜に、うきわの音がプシューっと出て、静かに萎んでいく姿を詠みたかった。けれど伝わらないかもしれない。これじゃ。


どちらの季語に重きを置いてるかわからないって先生からから怒られそう。難しい。



俳句の「夏の夜」という季語は、

昼間の暑さのピークが過ぎて、すごしやすくなる夜のことを表している。


今は、もう秋に近づいているから、「夏の果」でもよかったかな。まだまだ初心者ね。


ああ、手が痛い。

なんだかペンを持つのもダルいぐらいの夜。


「浮き輪は秋になると、邪魔になる」


夫がそう言ったから。

わたしは、今日、浮き輪の空気を抜いた。


何個目の浮き輪だろう。

そう、夫は毎年、浮き輪を買うのが趣味。


夫は毎年7月に一週間ほど東京へ出張し、そのお土産として浮き輪をもって帰る。


仕事の合間に、海を楽しんでいて、その時に使った浮き輪が子どもたちのお土産。

男の人ってなんであんなに海ではしゃいじゃうのかしら。


「毎回買わずに持って行ったら?」


と聞くと


「邪魔になるし、浮き輪を毎回変えるのが楽しいんだよ」と夫は肩をすくめた。


微笑ましかったのは、結婚5年目くらいまでだった。今は対岸の火事のような…なんとも言えない気持ちになる。


家事育児仕事、夫には感謝しかない。でもどうしてあんなにエネルギーがあるのかわからなかった。


夫は言う、「こうやって夏、楽しむために頑張っているんだ。のためだもの、ちっとも苦じゃないよ」


夏の夫はイキイキしている。夏の夫は家族のバカンスにも余念がない。サプライズと子どもへの愛。あくまで、夏の夫はね。


秋になると、夫はセミの抜け殻。


アクティブだったあなたが唯一家で放心状態になる秋。


でも嫌いじゃない。労うためにあれこれすることは全く苦ではないから。


ねえ、あなたは知らないの?女には第六感があるって。


女に買った浮き輪を自分の子ども使わせるってどういう神経かは今もわからないけれど。


あなたにとって夏の思い出の一種なのかしら。コレクションしていくなんてどうかしてるけど。



そういえば…うきわ浮き輪って並びかえれば、うわき浮気よね。何かのシャレのつもりなのかしら。

浮き輪は本気で選ばない。だから毎回買い替える。あなたの浮気と一緒のつもり?笑えない。


でもねわたしはね、知ってるの。

一番は家族だってちゃんとわかってるの。


あなたには、第六感はないのかしら。


秋になるとってこと。全然気がついてないみたいなんだけど。


空気を抜いた浮き輪のように少しずつ上手弱らせてぺちゃんこにしてるのに。毎年気がつかないなんて。



わたしは秋近き夏の夜に熱い熱いコーヒーを啜った。


また一句できた。


「汚れた手映す窓外夏の夜」




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浮き輪 だら子 @darako

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