登校二日目

そうざ

Second Day of School

 それは、小学校の入学当初に起きました。

 誰だって初めての事柄は右も左も分からず緊張の只中にあると思いますが、登校初日は入学式が主で親も同伴している事から、それ程の不安を感じませんでした。

 本当の緊張と不安はその翌日、登校二日目にやって来ます。

 一人っ子の僕は元来、内気な性分で、友達らしい友達も居らず、小学校で新しい友達が出来るのかどうか、同級生と仲良くやって行けるのかどうか、前夜からそんな気掛かりで一杯でした。


 二日目の朝、私は学校の直ぐ近くまで親の車で送って貰いました。情けない話ですが、行きたくないと散々駄々を捏ねた僕が漸く飲んだ妥協案でした。

 車を降りて正門を潜る際、僕は振り返りました。車はもう後ろ姿を見せていました。一瞬、見捨てられた、と思ってしまいました。

 でも、もう校舎へ向かう子供の流れに身を任せるしかありません。自分の出席番号が記された下駄箱はちゃんと存在しているのだろうかと、それだけでも不安でした。

 上履きに履き替えたら廊下を右に進む――前日に学習した通りに行動すれば大丈夫と思っても、広くて長い廊下それ自体が僕に緊張を強いて来て、足が竦みました。

 各部屋の出入り口にクラス名が表示されているから、それを見れば自分が向かうべき教室は直ぐに分かる――これも前日に心に留め置いた事でした。


 ところが、教室が見当たらないのです。


 大人達しか居ない部屋は先生の場所だし、小さな部屋には『ほけん室』の表示がありました。どんなに進んでも見付からない、そもそも昨日は教室まで行くのにこんなに廊下を歩かなかった――到頭トイレに行き着いてしまいました。

 僕は慌てて引き返しました。その間、何人もの子供と擦れ違いましたが、知っている顔はありません。前日にちょっと顔を合わせただけの同級生なんて、まだ赤の他人です。人見知りの僕には、誰かに声を掛けるという方法は思い付きようもありませんでした。

 下駄箱まで戻った僕は、大きく深呼吸をして目を瞑り、昨日の光景を必死に思い出そうとしました。靴を履き替えたら廊下を右に進む、右はお箸を持つ方、そのまま少し歩けば一年二組の教室に着く――僕は今一度、同じ行動を試みました。


 が、結果は同じでした。


 下駄箱に戻っては右に進み、取って返してはやり直す――何回、同じ事を繰り返したでしょうか。

 教室がなくなってしまった、迷子になってしまった、新しいクラスも、新しい友達も、新しい春も、全部消えてしまった――僕は泣く事さえも忘れていました。


 その時です。脳裏に隠れていた映像が不意に浮き上がったのです。

 それは、同級生の列に加わった僕が、母親と手を繋ぎながら光降り注ぐ階段の一段一段を上がり、やがて教室に入って行く光景でした。

 はっとした僕は、右ではなく、左に進みました。直ぐそこに階段がありました。

 当時暮らしていた実家は平屋で、普段は階段を意識する事がほとんどありませんでした。そんな生活が関係していたのかどうかは分かりませんが、僕の記憶から階段の事がすっぽりと抜け落ちていたのは事実です。

 子供にはちょっと急な階段を、僕は嬉々として駆け上りました。段数を数えながら上った記憶も蘇りました。つい昨日の出来事なのに、遥か昔の事のように感じたのは何故でしょう。

 階段を上り切って二階の廊下を右に進めば直ぐに一年二組の表示が見付かり、新しいクラスで、新しい友達と、新しい春が始まる――。


 あれから幾つ春が巡った事でしょう。

 困った時は正直に助けを求めれば良いのです。

 迷った時は恥を怖れずに訊ねれば良いのです。

 そうでないと、単なる妄想かも知れないあやふやな記憶の所為で一生を台なしにする事になります。

 もし何処かで小学一年生が不安そうにしていたら、どうぞ優しく声を掛けてあげて下さい。

 もう廃校になったのよ、もう教室を探す必要はないんだよ――と。

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登校二日目 そうざ @so-za

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