第34話 アメリス、感嘆する

 しばらくは呆然と二人して男性の姿を眺めていた。もはや干渉することも、目を背けることさえもできない。


 しかし奇跡というものは連続性があるものらしく、次の瞬間にも目を疑う出来事が起きた。手を掲げていた男性が見つめる天井に、突如として穴が空いたのだ。


 そして今度は穴からハシゴが垂らされ、誰かが降りてきた。それは以前薬屋で見かけたフードを深く被った老人であった。木箱を背負っており、腰が一層曲がっている。老人はハシゴから降りると、背中の木箱を男性に手渡してそそくさとハシゴを再び登ってしまった。


 木箱を受け取った男性は、その場でしゃがみ込んで中身の確認を始めた。彼が取り出したのは例の植物であった。まさかこの男性がこの一連の出来事に関わっているのかしら。


 しばらくすると男性は確認を終え、再び手を天井へとかざす。するとこれまた摩訶不思議で穴はみるみるうちに塞がり、それと同時に足元で光っていた魔法陣も消え失せた。


 用事を終えたらしく、男性の足音はこちらへと近づいてくる。その音を聞いて我にかえり、首を引っ込めて見つからないようにする。目の前の出来事に呆然としてうまく働いていなかった脳が突如としてフル回転し出す。堰き止められていた血液がすごい勢いで脳内を駆け巡る。


 ど、どうしようどうしようどうしよう!


 止まっていた思考が動き出す。落ち着くのよアメリス、これ以上失敗することは許されないし、許さない。それにこの場面での失敗は絶対に許されない気がした。集中するために目を瞑る。


 今とることのできる行動は三つである。一つ目はこのまま黙って男が過ぎるのを息を殺して待つこと。ひとまず村に戻ってこのことをアルドやロストスたちと情報共有することだ。


 二つ目は男を尾行することだ。しかしこれはリスクがあまりにも大き過ぎる。よく分からない魔法みたいな技を使う相手に尾行など通じるのだろうか。そもそも私たちが今ここにいることだってバレていない保証はない。


 三つ目は今ここで男をとっちめることだ。以前の私だったらこれを選んでいた気ともにするが、しかしもうむやみやたらに突き進むことは良い結果を産まないということを学習したのだ。これは却下ね。


 やはり一番目の案が確実ね。そう思い、目を開けてローナに作戦を伝えようとして横を向くが、彼女の姿はなかった。


 まさか……!


 しかし、そう思った時にはもう遅い。彼女も私と同様、頭より体が動くタイプなのだ。どうしてそのことを失念していた!


「待て、そこの怪しい男!」


 ローナの声が地下道に響き渡る。すでに彼女はランプに灯りをつけ、男性の前に立ち塞がっていた。小さく軽く息を吹き掛ければ消えてしまいそうな光だけが二人を照らしている。


 男性は何も語らなかった。ただただ立ち向かうローナのことを見つめ、木箱を大切そうに抱えていた。


「あなた、その植物を持ってるってことはヨース村のことに関与しているんだろ? 全て話して、そしてわたしの村のみんなを返して!」


 飢えた獣のように声をあげ、ローナは食ってかかる。すると男性は「ああ、お前報告にあった小娘か」と言って鼻で笑った。


「何がおかしいんだ!」


 もはや男性の一挙手一投足はローナの神経を逆撫でする言葉にしかならない。ざぁざぁと流れる下水の音さえも、彼女のことを嘲笑っているかのようであった。


 私はどうしていいのか分からずことの成り行きを見守っていると、男は、


「ちょうどよかった。そちらからわざわざ出向いてくれるとは。手間が省けて助かる」


 と言ってローナへと近づき、彼女の頭に手をかざした。彼女はもちろんそれを退けようと手を払いのけるが、その動作の途中で急に倒れてしまった。


「やはり強い催眠でないと効かないのか……耐性があったからペンダントは効果がなかったのか? いずれにしても持ち帰って検証する必要がありそうだな」


 男は意味不明なことを口にすると、ローナを担いだ。


 まさか連れ去ろうっていうの?


 再び行動の選択を迫られる。今ここでローナのために男の前に姿を現すか、それともやり過ごして助けを呼びに戻るか。上には兵士たちだっている。本気で急げば間に合うかもしれない。


 その一方で、冷静になろうとする自分がいることに驚く。今までだったら頭に血が登って一目散に男の前に姿を現していたでしょうね。成長したのかしら。


 だが、私がやるべきことは一つであった。目の前で女の子が、か弱い少女が連れ去れていくと言うのに黙ってみて戦略的に撤退する? そんなものを選ぶような人間なら薬屋までわざわざ自らやってきたりしない。


 今回の行動だって迷惑になるかもしれないということなどわかっている。でもいくら俯瞰しても、冷静であろうと務めてもこればっかりは体が動いてしまうのだ。


 私は立ち上がって思いっきり息を吸い込むと、男が進んでいった方向へ思いっきり叫んだ。


「その子を離しなさい変態!」


 声は狭い地下道の中で何重にもこだまして、私の声は闇を切り裂くように暗闇に包まれた都市中に響き渡った。

 

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