第26話 アメリス、踏まれる
「お疲れ様です、アメリス様」
馬車を降りると、少し離れたところで村人の荷物運びをしていたヨーデルが駆け寄ってきた。陽の光が彼の汗に反射して、きらりと輝く。
「ただいま、ヨーデル。今はどんな感じ?」
私は彼に微笑む。私がいない間に何か問題が発生したりしていないか、少しでも確認をしておきたかった。いきなり村人たちは移住を迫られたのだ、パニックになっている人間がいたとしてもおかしいことではない。
「みんな大丈夫ですよ。この村にはタート村の人間が全員住むことができる十分な住居がありますし、それに農業が盛んだったと聞いていただけあって土も良質です。ここなら良い作物が作れそうですよ」
ヨーデルはそう言うと、再び作業に戻って行った。色々とペイギの屋敷でどんな話をしたかなど聞いてくるかと思ったが、移住してきたばかりで慌ただしいらしく、少し言葉を交わしただけであった。
私は身一つで逃げてきた身であり、荷物の整理なども必要ないのでタート村のみんなが忙しそうにしているのをふらふらと見て回っていたが、ふと一人の少女が目についた。
あんな女の子いたかしら。
タート村の人間であれば全員顔と名前は覚えている。それなのにも関わらず、顔を見ても名前が全く出てこなかった。長い金色の髪の毛を一つに縛り、ポニーテールをゆらゆらさせながら道端の花を見ていた。
ああ、領民の名前を忘れるなんて。今までこんなこと一度もなかったのに。
申し訳ないと思いながら、私は彼女に近づいて話しかけた。
「ごめんなさい、私あなたの名前を忘れちゃったみたいなの。お名前教えてくれる?」
すると少女は道端の花から目を逸らしてこちらを振り返り、
「あなた誰、タート村の人? その割には豪華な服を着てるみたいだけど」
と言った。私はここで違和感を感じる。自惚れるわけではないが、私のことはタート村の人間全員に知れ渡っているはずだ。赤ん坊ならいざ知らず、分別がありそうな年齢の子供が私のことを知らないのは少しおかしい気がする。
「私はアメリスよ。あなたの名前は?」
疑問を抱えながらも、私は彼女との会話を続ける。
「……あんたがこの人たちの親玉か」
少女はじっとりとした視線で私のことを睨んできた。その瞳は、なんだか私のことを拒絶しているような瞳であった。私は彼女に歩み寄ろうとして、目線を合わせるために少ししゃがんで、
「親玉というか、確かにみんなを連れてきたのは私だけど」
と正直に答えた。嘘をついたって仕方ないもの。だが彼女にはその答えが気に食わないものであったらしく、
「ちっ」
という声とともに私の足を踏みつけてきた。
「痛っ、ちょっと何するのよ」
唐突な攻撃に足の先にじんじんとした痺れを走らせながらうずくまる。足の先を撫でていると、彼女はどこかへ走り去ってしまった。あのぐらいの年の子供がおてんばなのはわかるが、意図が全く読めなかったので少し不気味に感じた。
その後もしばらく歩いてみんなの様子を見ていたが、思ったよりも元気そうで村に適合しつつあるようだった。
歩いているうちに足の疲労が限界になり、夜通し歩いていた分もあるだろうが、どこかに座って休みたくなった。腰をかける場所を探していると、アルドが簡易椅子に座ってこの村の地図を眺めていた。私の分の椅子もないか尋ねると、彼がすぐさま椅子から立ち上がって譲ってくれた。言葉に甘えて腰をかける。座ってから靴を脱ぎ、先ほど踏まれた足が腫れたりしていないか確認しようとしていると、
「アメリス様、お怪我でもされたのですか」
とアルドが尋ねてきた。
「違うの、ちょっと女の子に踏まれちゃってね」
私は少女の特徴を話した。アルドもタート村の人間は知り合いが多いので、彼女のことを知っているかと思ったが、思い当たる節はないという。
あの少女はいったい誰なのだろう。
どこか心に引っ掛かるものを抱えながら、アルドが手渡してくれた水を飲んでいると、何やら喧騒が耳に入ってきた。
「どうしたのかしら」
「ここからじゃわかりませんね。少し様子を見てきます」
アルドはそう言ってここを離れようとしたので、私も村人たちの騒ぎは放って置けないと思い、彼と一緒に騒ぎが起こっている場所へと向かった。
騒動は、馬車から荷物を下ろしている現場で起こっていた。人だかりができており、何事かと人混みをかき分けて内側へと入ると、そこには何人かの大人に取り押さえられている少女がいた。金色の髪を揺らしながら、必死に食いかかっている。その姿でさっきの少女であると知る。
「やっぱりお前らもあいつらの仲間なのか!」
彼女は死に物狂いで叫んでいた。先ほどまでの花を眺めていた彼女とは大違いである。
「何があったの?」
私は近くにいた村人の一人に尋ねた。
「それが、あの少女が我々が秘密に育てていた商品作物を見た途端、急に暴れ出したのです」
商品作物とは、ヨーデルがマスタールに売りにきていたあの植物のことである。どうしてそれがあの子をあそこまでにしてしまうのかしら。
事情を聞こうと思い、彼女の近くまで歩み寄ろうとする。
しかし、一歩踏み出した時であった。少女はこの世の全てが憎いといわんばかりに顔を歪めて、とんでもないことを口にしたのだ。
「その植物が、その草が私の家族や村のみんなをおかしくしたんだ! この外道どもが!」
悲痛な叫びだけが、雲一つない青空に響き渡った。
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