第12話 アメリス、後悔する
「てめぇ、何をするんだこの馬鹿娘が!」
椅子に座ったまま後ろに倒れたお父様は地面から体を起こした後、テーブルの上に立ったままの私に噛み付くように吠えた。蹴りは靴の先が鼻に直撃したらしく、無様に鼻血を垂らしている。吹き出してしまいそうなほど哀れな姿である。
だが一方でその一言は私を冷静に戻した。
まずい、やってしまった………!
憤りが抑えきれず、とんでもないことをしでかしてしまった。思いっきりお父様の顔面を蹴り飛ばしてしまった。しかもテーブルの上に乗って一番威力が出るように。そんなはしたないこと一度もしたことないのに。
ど、ど、どうしようどうしようどうしよう!
どんな言い訳も通じる状況ではない。私も何もいうことができず、眉間が縦に割れそうなほど深くシワを作り、骨格が歪みそうなくらい歯を強く食いしばっているお父様を見下ろす。
「……ごめんなさい、お父様」
何か話さなければと思い、とりあえず謝罪してみた。だがそんなものは火に油を注ぐだけの行為であったようで、
「どこまで俺をコケにすれば気が済むんだ! この疫病神め、そもそも俺がテレースに頭が上がらなくなったのもお前が原因なんだぞ。本当に使えない娘だな!」
テーブルの上に立っている私の顔にまでつばが飛ぶ勢いでまくしたててくる。
そりゃあこうなるわよね……。
だがお父様の言葉に気になる文言があった。今お父様は私のせいでお父様はお母様に頭が上がらなくなったと言った。それってどういう意味なの?
言葉の真意を確かめようとしたが、お父様は矢継ぎ早に言葉を打ち出す。
「おいアメリス、どう責任を取るつもりだ! 今のお前はロナデシア家の人間でもましてや貴族でもないんだぞ! 死罪も覚悟しろ!」
お父様はそう言い残すと、不愉快だ、二度と顔を見せるなと吐き捨てるように言い残して、とっとと部屋を出て行ってしまった。結局お父様の言ったことの意味はわからずじまいである。
とりあえず私はテーブルの上から降りて、倒してしまった椅子を起こして座る。そして肘をつき頭を抱えて下を向く。私がテーブルに乗った時に乱れた食器だけが目に入る。スープは全てこぼれてしまったようで、その器は空だ。
もう挽回のしようなどない。せっかくヨーデルが、ロストスが耐えていたのに、自分だけ怒りを発散させてしまった。このままではロストスやルネに迷惑をかけてしまうのはもちろん、同席していただけのヨーデルにだってどう被害が及ぶか分かったものでない。
「ヨーデル、ロストス、ルネ。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……! 私が勝手な行動をしたばっかりにあなたたちに迷惑がかかってしまう……」
私は彼らに顔向けすることができず、下を向いたまま言った。スープが入っていた容器には、全てこぼれたはずなのに透明な水が少しばかり溜まっているのが見える。気付かぬうちに私は涙を流していたらしい。
おそらく彼らは私を責めるだろう、非難するだろう、軽蔑するだろう。こんな私を、感情に流されて行動してしまった私を許してくれるはずがない。後悔の、贖罪の嗚咽が止まらない。
「これは兄さんが惚れるのも納得だわ」
誰かが言った。自分の嗚咽の音のせいで声をうまく聞き取ることができず、誰だろうと思い顔を上げると、私の横にルネが立っていた。どうやら先ほどの言葉はルネのものだったらしい。
いつの間にかそばにいたルネは、右手を上にあげた。平手打ちでもするのだろうか。当然だ、私はそれだけのことをしてしまったのだから。
「アメリス様、あなたは私たちのために怒って、私たちのために行動してくれたんでしょう? だったらそんなに謝らないでください。あなたが行動していなかったら私がバルト様を殴っていたかもしれないんですから、実際私はあの人に食いかかってますしね。貴族は嫌いだけどあなただけは別にしといてあげますよ。その……先ほどの暴言はごめんなさい」
だが彼女は手のひらを私の頬にぶつけることはなく、私の頭にポンと置くと優しく語りかけてきた。手の温度が髪の毛越しに伝わってくる。
「でも私は、私は取り返しのつかないことをしてしまった! あなたたちの日常を破壊してしまったの、もう時間は巻き戻らないのよ!」
しかしその温かい言葉が私にしてしまったことの罪深さをさらに深く自覚させた。私が死んで首を持っていけば許してくれるかしら。まだお父様はそう遠くへは行っていないはずだ、急いで追いかければ間に合うだろう。私はそう思い、床に落ちて割れた食器の破片を拾い上げ、首元に添える。そして一思いに突き刺そうとした。だがその手は動かない。
「落ちついてください、アメリスさん。そんなことをしても解決しません。ここにあなたのことを責める人間など一人もいませんよ」
気がつくとロストスも私のそばにやって来ていて、私の手首を握っていた。私より背が小さいのに、拳に込められた力は強く、びくともしない。
「そうですよアメリス様、俺だってバルト様の物言いには流石に腹が立っていました。あなたは俺たちのことを代弁してくれたに過ぎません。起きたことを後悔するより、これからどうすべきかを考えましょう」
三人とも私に殴りかかっていてもいいはずなのに、誰一人として私を糾弾する者はいなかった。
「本当に私を、愚かな私を許してくれるの?」
三人の顔を見て私は問いかける。涙で視界は霞んで三人の顔はよく見えなかった。しかし彼らは顔を見合わせる動作をすると、こくんと首を縦に振った。その動作を見て私は食器の破片を手から落とす。肩に当たって床に落ち、他の破片とぶつかったのか金属音が鳴り響く。
ああ、なんて殊勝な人たちなのかしら。
彼らの無言の肯定が心へと浸透してくる。するとここで死んでしまうのは彼らに対して無責任ではないかという考えが浮かんできた。冷静に考えればそれだけでお父様の怒りが収まるかも怪しい。私の引き起こした問題だ、私が最後まで責任を取らないでどうする。
私は決意する、なんとしても彼らの今までの暮らしを守ってみせると。そのためにはどんな手段も厭わないと。
涙は次第に止まり、彼らの顔がはっきりと見えた。誰一人として私に侮蔑の目を向ける者はいなかった。
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