第3話 アメリス、着替える
「アメリス様、どこへ行かれていたのですか」
馬車へと戻ると、ヨーデルは血相を変えて私に迫った。
「退屈だったから少し森を散歩していたの」
私は軽く返事をしたが、彼は真剣な表情であった。
「勝手な行動は心配になるのでやめてください! 馬車に戻ってきたからいなくなっていたので誘拐されたんじゃないかと思いましたよ。この辺は人気がないので、たまにですが盗賊なんかも出没するんです。あなたに万が一のことがあったら俺は、俺は……!」
ヨーデルはそう言うと、拳を少し振るわせながらうつむいた。その表情はうかがい知れない。
そこまで私のことを考えてくれていたなんて……!
私は自分の勝手な振る舞いを後悔する。私はもうすでに自分自身のことをただのアメリスとしか思っていないが、彼にとってはその認識もまた違うのかもしれないことをすっかり忘れていた。領民にこんなに心配をかけて、私は領主失格だ。思わず私は無言で震えている彼を抱きしめる。
「アメリス様、何を……」
「ごめんなさい、あなたに心配をかけてしまって。これからは勝手な行動は慎むようにするわ」
私と彼の身長は同じくらいだ。なので私が彼の耳元でささやくような体制になる。
ヨーデルは不意を突かれたためであろうか、少しの間何も言わなかったが、
「……そうしてください」
と私から顔を背けていった。背けた顔の頬は少し赤くなっていた。
私がヨーデルから離れると、彼は持っていた袋から洋服を取り出した。それは花柄のワンピースであった。袖とスカートが長く、なるべく肌が露出しないような設計となっている。彼は私に花柄のワンピースを手渡してきて、
「詳しいサイズが分からなかったのですが、とりあえずアメリス様は俺と背丈が同じくらいなので、俺の身長くらいの女性が着るワンピースを買ってきました。これに着替えてください」
と言った。
「これぐらいのサイズで大丈夫よ。ありがとう」
彼にそう告げて、私は早速着替えようと思いドレスの背中側についている紐を解こうとしたが、どうにもこうにも手が届かない。そういえばいつも着付けはメイドにやってもらっていた。一人では脱げないのも当然か。
「ヨーデル、背中の紐を解いてくれない?」
ぼんやりとしながらささやいた耳を撫でていた彼に私は頼む。快く引き受けてくれるかと思ったが、
「そ、そんな。俺ごときがアメリス様に触れるわけにはいきません」
と言って拒否されてしまった。
「でもあなたがいないと脱げないわよ、この服。別に男性に肌に触れられたくらいで騒ぐほど子供じゃないから安心しなさい」
女性の肌に触れるのが恥ずかしいのだろうか、私がそう言っても彼は頑なに首を縦に振ってくなかった。何度か頼んだが、
「アメリス様が気にしなくても俺が気にするんです。とにかく自分で脱いでください。着替えている間俺は荷台にいますから、何かあったら声をかけてください」
と言い残すと、袋を持って荷台に乗ってしまった。私は一人外に残される。
一人ではどうやっても背中に届かない。仕方がないので、私はドレスを胸元から破って脱ぐことにした。どうせもう着ることもないだろう、わずらわしいお茶会やパーティーに出席することももうないのだ。
たまたま道に落ちていたナイフのように鋭利な石を使い、私は胸元からドレスを破る。ビリビリとした音が静かな空間に響き渡る。音に驚いたのか、ヨーデルが何かありましたかと荷台から顔を出さずに言ったが、何にも問題はなかったので大丈夫よと答えた。
ある程度胸元まで破ければ、あとは手でも無理やり引きちぎれる。切れ目から左右に思いっきり力を込めてドレスを破り、上半身部分のドレスはただの布切れと化した。
これと同じ要領で下半身のスカート部分も破って脱ぎ、下着姿の上にワンピースを着た。
「ヨーデル、着替え終わったわよ」
彼を呼ぶと、警戒しているのかひょいと荷台から顔だけ出した。
「ドレスの残骸、どうすればいいのかしら」
私が彼にかつてドレスだったものを差し出すと、
「え、ドレス破っちゃったんですか?」
と目を丸くした。
だってしょうがないじゃない、一人じゃ脱げないんだもの。
ヨーデルはまあいいですと言いながらドレスの残骸を受け取り、今度は袋から手拭いを取り出した。
「次はこれを身につけてください。アメリス様は仮にもロナデシア家の子女です。いつどこでその存在を気づかれるかわかりません。少しでもバレないようにするために被ってください」
と言って荷台に乗ったまま手渡してくる。私は無言でうなずいてから手拭いを受け取って、頭巾にして身につけた。顔は完全には隠れていないが、少し長めだった髪を無理やり頭巾の中に押し込んだので、ぱっと見では私だとは分からないだろう。
「これで終わりかしら?」
重苦しいドレスから解放されて随分と身軽になった。やはり身軽な方が動きやすい。靴は履き替えていないが、だいぶ汚れてしまっているし大丈夫だろう。貴族の娘がこんな汚れた靴を履いているとは誰も思うまい。なんとなくくるりと一回ターンを描いて回ってみせる。ふわりとスカートが舞い、花の模様がゆらゆらと風に吹かれるように揺れる。
「お似合いですよ、これなら大丈夫だと思います」
ヨーデルは荷台から降りて、満足そうにする。彼も私の格好を気に入ってくれたらしい。
「そろそろ出発しましょう。荷台に乗ってください。今度は馬車ごとマスタールに入ります」
彼は出発の準備のために、木に結びつけておいた馬の手綱をほどいた。私もそのタイミングで荷台へと乗り込む。彼は私が荷台に乗ったのを確認すると、行きますよと彼が言った。それと同時に馬車は走り出す。荷台には作物の入った箱が五つと、ワンピースの入っていた袋が置かれていた。袋の中には私が引き裂いたドレスの残骸が入っていた。
今着ているのは身体を締め付ける堅苦しいドレスではなく、身体を包み込むような柔らかいワンピースだ。ドレスの残骸を見て、なんだか虫の脱皮みたいだと思った。狭い思いをしてじっと我慢している私の姿はもうどこにもない。
馬車が速度を上げると、風が荷台の中にも入り込んできた。それは感じたことのない、心地の良い風であった。
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