第50話 ラスト
「ねえ、助けてよ~」
「駄目だよ、溜め込んでた自分が悪いんだろ?」
自宅、机の上で頭を抱える幼馴染の姿があった。
珍しく息詰まる様子で、現状に絶望していた。
ポジティブで呑気が特徴の彼女は、ダイニングテーブルに頭を付けたまま顔を上げようとしない。
「そのままじゃ、終わらないぞ」
「やっても終わらないよ~」
「まだ時間あるだろ?」
ごねるしずくを何とか宥めるが、イヤイヤ期の赤子のように人話を聞こうとしない。
「なら、だれか呼ぼうか」
「じゃあ、紫音ちゃんお願い……」
「はいはい」
僕はスマホを開き電話をする。
数時を経て、鳴宮が電話に出た。
「珍しいわね、来栖が電話してくるなんて。もしかしてしずくに何かあったのかしら?」
「良くお分かりで――――この人、ごねて宿題やらないんです……」
「あー、今年もその時期が来たのね」
「なに、恒例の行事なのか?」
「まあ、そうね……」
鳴宮は困ったような声色で言った。
僕は話の流れで、鳴宮に救援を要請した。
「いいわよ。まだ昼間だし、予定も無いしね」
「助かるよ。じゃあ、待ってるから」
「ええ、すぐ行くわね」
鳴宮は言って携帯を切った。
現在、夏休みの末期。具体的に言えば残り三日。
奏真の企画である脱獄ゲームをクリアした後も、家でダラダラ遊び、高校の友人と遊園地に映画館に、様々誘われ外出していた。
結果、今日に至るまで遊び惚けたつけが回ってきたのだ。
「ほら、早くやろう?」
「やってるよ~。ほら2ページ終わったもん」
「100分の2な――――自慢することじゃないぞ」
「ハル君の意地悪~。今の褒めてくれてもいいじゃん!」
「20ならまだしも2はな……褒めるに褒めれんだろ……」
僕はため息をつきながら言った。
しずくと会話を重ねながら、小学生の夏休み末期に母親が味わう地獄を、なんとなく感じられた気がした。
僕はしずくの目の前に座りながら、分からないと泣きつく場所を丁寧に教えて、徐々に終わりを目指していった。
午後2時過ぎ、鳴宮が自宅に到着した。
「鳴宮、この人も連れてきたのか?」
「ええ、だって二人まとめての方がいいもの」
「もしかしてこの人も終わってないのか?」
「困ったことに、そうなのよね……」
「でも、しーちゃんよりは終わってる自信あるもんねー!」
「遊馬さんや、あと3日なんですけど……」
遊馬は危機感の欠片もなくしずくの隣に腰かけながら言った。
ただ、遊馬はマシな方で、残りが苦手と言う世界史のみ。しずくとは違い、先が明るい状態だった。
「まあ、今年はあんまり遊び行かなかったからねー。宿題やる時間あったんだよー」
「柚月ちゃん、いいな~。私遊びすぎて時間もお金もないよ……」
しずくは肩を落とした。
「そういえばさ、ヨッシーはどっか行ったの?」
遊馬は純粋無垢な表情を僕に向ける。それが僕の傷ついた心を抉り取り、オーバーキルのダメージを与えるとは露にも思っていないのだろう。
「い、行ったよ……?」
「へぇー、どこ行ったの? 写真見せてよー!」
「課題終わったらな……!」
なんとか一時的な回避に成功したようで、彼女の興味は再び課題へと戻っていった。
僕は、脱獄ゲームの後、外出した理由に『遊び』の文字は無かった。
別に遊びを犬猿していたとか家に引きこもりたいとか、そういった類の願望があった訳じゃない。
「それで、来栖は何か遊んだわけ?」
課題と向き合いながら苦悶の表情を浮かべる二人を横目に、鳴宮が話題を掘り返す。
「あ、遊んだよ……」
「へー、何をしたのかしら?」
「何って、そりゃ海行ったりとか――――いろいろだよ……!」
「そう――――それは誰と言ったのかしら?」
鳴宮は不敵な笑みを浮かべながら質問をする。
鳴宮のやつ、気づいてやがる。
僕が本当は家に引きこもりっぱなしだった事実に、勘づいてやがる。
しかも分かったうえであえて、気づいていないふりをしていやがる。
まったく陰湿ないじめだ。
困り果てる僕を見て、嘲笑し自身のストレスの発散と欲望の捌け口にしているみたいだし。
「そ、奏真だよ……」
「へぇ、奏真と行ったの。それはおかしいわね。あのバカは、最近動画の編集に追われていて、外に一歩も出てないはずなのに」
鳴宮は格好の獲物をいたぶるような表情を浮かべていた。
「…………」
「どうしたのかしら、否定しないの?」
「————なあ、一つ聞かせてくれ」
「何かしら」
「僕が君に何か嫌がらせでもしたか?」
「別にして無いわよ」
「じゃあ、なんでそんな意地悪する?」
僕は弱々しい声で言った。
「だって、来栖の反応と表情が堪らなく面白いんだもの」
「————この、ドS女が」
僕は呟き程度の毒を吐いた。
鳴宮に心を抉られ、テンションが下がったまましずくに勉強を教え続けた。
しかし、鈍感呑気の権化である彼女は気づいていない様子で、生徒役に徹しながら作業を進めていった。
二人の退屈との戦いはひとまず深夜で切り上げ、残りは明日に持ち越す。
とりあえず、僕はしずくをベッドに運び、鳴宮は奏真をソファに寝かせた。
二人とも起きる気配はなく寝入っている印象。
「ガガガガ……!!」
リビングから聞こえる唸るようないびきが寝室に響いた。
よく起きないなと感心しつつ、不慣れな勉強を一日中続けた事実が僕を納得させる。ただ、僕らは学生だという事を忘れてはいけない。
「宿題で疲れ切って寝るって、私初めて見たわよ……」
鳴宮は爆睡をかます奏真を見ながら半笑いで言った。
「まあでも、勉強を放棄する二人が一日頑張るってだけでも奇跡だからな」
「私たち学生なのに、奇跡ってどうなのかしら」
「厳しいな」
「当たり前の事よ。私たちは学生、勉学に励むのが普通じゃない」
鳴宮は手厳しい言葉を放つ。
これに関して言い返しようの無いド正論をぶちかました。
「でも紫音ちゃん、よく面倒って愚痴ってない?」
ん?
これは様子がおかしいぞ。
「あれ、鳴宮さん? これは説明を」
「私そんな事言ってないわよ⁉」
急に挙動がおかしくなる鳴宮。
僕は自滅する過程を茫然と眺めていた。
「そ、そりゃ私だって人間よ。面倒臭いって思う日の一日くらいあるわよ」
「でも、この前の定期テスト一週間くらい勉強してなかったよねー」
「た、たまたまよ……その時、部活が忙しくてそれどころじゃ——」
「けど、桜ちゃんは、大会負けちゃったから彼氏と遊び行くんだって言ってたよ?」
「そ、それは————」
珍しく鳴宮が押されている。
しかも追い込まれる材料を自分から提供するという、最高に滑稽な光景が繰り広げられていた。
その後も、鳴宮が論破される様子を口角上げながら見ていた。
「もう分かったわよ。私が悪かったわ」
三十分の攻防の末、鳴宮はようやく白旗を挙げた。
「ここまで私の揚げ足を取って何をしたいのかしら」
確かにいつもの遊馬なら笑って見逃したところを、今回は珍しく追及した。
何か考えがあっての事だろうが、僕には一向に見えてこない。
遊馬の行動を見ていると、彼女自身が持ってきた鞄から見慣れたテキストを取りだした。
「—―これやってくれない?」
「それくらい自分でやりなさいよ」
持ってきたのは、真新しい夏休み用の数学テキスト。
「良いのー? 二人に言っちゃうよー?」
遊馬は悪い笑みを浮かべ鳴宮に詰め寄る。
こうなったら鳴宮に拒絶する道は残されていない。
「—―分かったわよ、やればいいんでしょ……」
「うん、ありがとうー」
遊馬は屈託のない笑顔でテキストを押し付けた。
絶望的な表情を浮かべる鳴宮は、その場に項垂れてしまった。
押し付けられたテキストは、学年一位でも二日は掛かるほど量が多い。
これを明日やらなければいけない絶望感は、計り知れないものがある。
「遊馬、中々な事するな」
「だって、中学一年から毎年夏休みになると勝手に家に上がり込んでは、宿題終わった自慢と催促が始まるんだもん」
「それは擁護のしよう無いな……」
「でしょー!? だから今年くらいはやり返したかったんだよー!」
一応真横に張本人がいる状況で、遠慮なく本音を喋る遊馬が面白く感じた。
結局、項垂れた鳴宮を客用の敷布団に寝かせ、目が覚めた俺と遊馬は夜通しゲームを楽しんだ。
二日後、八月三十一日。深夜十一時半。
リビングのダイニングテーブルには、生気を失った三人の男女が額を付けて動かなくなっていた。それが今日に至るまでの厳しい道のりを描いていた。
「来年は早くやろう……」
「そう言って絶対無理な奴だって~……」
二人は疲労感と共に、来年の希望的観測を話していた。
しかしその中に別枠の女がいる。
「——金輪際、柚月の勉強見ない」
「良いもん、ヨッシーに見てもらうからー」
「えっ、僕見る気ないけど」
これ以上赤ちゃんが増えるのは面倒だ。
自分の勉強もあるのに、負担過多で死んでしまう。
「う、嘘だよね……⁉」
「さすがに無理だろ。他に二人いるんだから」
徐々に顔面蒼白へ向かう遊馬。
「まあ、自分の行いを鑑みるのね」
「やだよ……見捨てないでよ……」
すり寄る遊馬に、鳴宮は一蹴する。
「無理。他あたって」
まあ、やったことがやったことだし。
僕も下手に首を突っ込むことをしなかった。
二学期開始直前、遊馬に留年という危機が訪れるとは誰が予想しただろうか。
個人的には面白いからこのまま黙って見守ろうと決意した。
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