憑いてる屋敷

@marurinn

憑いてる屋敷

 見てくれの悪い男が一人、とぼとぼと歩いておりました。その風貌はまさに放浪者そのものでありまして、来ている衣服の端々は、ほつれるか破れるかのどちらかという具合の程です。この男は見た目通りの人間でございまして、生まれてこの方仕事というものをした試しがございません。しかし仮に、人のモノを盗むという下劣な行為を仕事と呼ぶのならば、彼ほど勤勉な者はそうはいないでしょう。

 頭上には星一つなく、道の先を照らすのは、不規則に数十メートルおきに道を照らす街灯と、手元のか細い蝋燭のみでございます。こんな様子でございますから、この男以外に出歩いている者など見当たりません。しかしそれでもこの男は、人目を避けるようにふらふらと、それでいてしっかりとした足取りで歩いておりました。やがて男はある屋敷の裏まで回ってくると、手慣れた手付きで塀をよじ登り、裏口の鍵を開け、さほど時間をかけず屋敷の中へ姿を消しました。


 この大きな屋敷は、男が何年も前から目をつけていた家でございます。何しろ、この辺りの町々どこを探してもこれ程立派な家はございません。そんな妙に目立つ屋敷なのですが、町人に話を聞いてみても皆決まって、周りに聞こえないような小さな声で

「ツいている屋敷だ」

としか答えないのです。男は話を聞きながら、そんな豪運があるものか、どれだけあくどい商売をしてきたことか、こりゃ気兼ねなく盗めるぞ、と笑みをこぼしておりました。そんな程でございますから、数々の盗みを働いてきた彼でも、どれほどの金を蓄え、値打ちのある物品を眠らせているのか、皆目見当はついていないのでございます。


 屋敷に忍び込むと、まず眼前には向かいの襖(ふすま)が見えまして、首を少しだけ出し辺りを見渡すと、廊下は左右にずっと続いております。これがまた灯は手元にある蝋燭(ろうそく)だけなものですから、廊下の終わりは見えません。男は一歩二歩と進みいざ廊下に立ってみると、先の見えない闇に挟まれます。男はぐっと力を入れて右に足を向け、足音を出さぬようゆっくりと歩き始めました。襖は所狭しと並んでおりますが、歩けどあるけど灯のついている部屋は見えません。後ろを振り向くと、裏口に続いている曲がりはもう見えぬところまで歩いてきました。いくらゆっくり歩いているといってもあまりに廊下の終わりが見えないものですから、どこの襖から開ければよいかも分からず、男は段々とやきもきしてきました。試しに一つ開けてみようかと思い、適当に選んだ襖の引き手に手をかけ、そおっと片目で覗けるくらい引いてみました。部屋を覗くと家具らしき物は一つもなく、それどころか真ん中にぽつんと布団が一式あるだけでございました。男は微かな寝息を聞き人が寝ていることを知ると、またそおっと音をたてぬように襖を閉じ、より一層物音を立てぬよう気をはりながら、部屋の前を通り過ぎました。長年の盗みの経験から、人のいる部屋を通ることをご法度としていたのです。

 寝ている者がいることを確認した男は、急いで切り上げねばと思い、一つ、また一つと襖をそっと開けては閉じてゆき、金目の物を探し始めました。しかし金どころか、箪笥(たんす)も机も、掛け軸から壺まで何一つ見当たりません。見かけだけの屋敷といえど、人は確かにいたのです。男は盗む物がない落胆よりも、余りの生活感のなさにどこか不気味な感覚を覚えました。背中に冷える汗を感じながら、目当てのものがないと知ればすぐさま立ち去ります。入ってきた裏口へ戻ろうと踵(きびす)を返しました。

 ややしばらく歩いているうちに、男は感じる不気味さを恐怖心にすっかり置き換えておりました。裏口への曲がり角が全く見えてこないのです。もう進んだ距離の3倍か4倍かは歩いております。同じ光景が続くといっても襖の数がございますから、その感覚は確かにあったのです。ここに来てやっと、男は町人のいう「憑いている屋敷」の意味合いを理解しました。俺はなんと愚か者か、金持ちの別荘か何かかと勝手に思い込み、ニタニタ笑っている時の自分を殴り飛ばしてやりたい。そう思った矢先でございます。後ろからぎぃこぎぃこと廊下の床板が軋む音が聞こえてきたのです。男はもはや、この足音がこの家の主人のものではないことくらい分かり切っておりました。男は、意を決し走り出しました。同時に後ろの足音も大きくなります。男の張りつめた顔はすっかり取れ、苦汁をなめたような困り眉で、どたどたどたととにかく前へ前へと足を振り切りました。

「誰か、誰かあ。」

情けなく声を荒げても、響くのは二人分の足音のみでございます。走れど走れど、やはり裏口は見えてきません。こうなればと、男は右を向き襖を思い切り開けました。裏口も廊下の先も見えないのならば、表玄関を目指すしかない。このまま真っすぐ突っ切ればいずれ外が見えてくるはずでございます。そう考えたものですから、男はもう襖を突き破る勢いで真っすぐ走り抜けました。

 男の考えは当たっていたようで、ほどなくして、丁度表玄関の前に出ました。追ってくる足音は、いつの間にか聞こえなくなっておりました。見ると、玄関に並べられている靴は一つもありません。やはりと一瞬思いながらも、ゆっくりはしていられません。男は汗を腕でぬぐい肩で息をしながら、空いた手で玄関の鍵を開け、引き戸に手をかけます。しかし、戸は動きません。逆の戸を引いてみても、鍵をかけて引いてみても全く動かないのです。男はこの場から一刻も早く逃げ出したいものですから、蝋燭台から蝋燭を抜き取り、台を鍵に乱暴に殴りつけました。鍵は頑丈なようで中々壊れません。そのうち先に、蝋燭台の方が取っ手から折れてしまいました。男は扉を体当たりか蹴り飛ばすかして、無理やりにでも外へ出ようと顔を上げます。すると、扉の前には人が一人立っているようで、曇りガラスを通して人影がぼんやりと見えました。男は軽く扉を叩き、外側から鍵はかかっていないかと問いますが、その人影は動きません。男は聞こえていないのかと思い扉を叩き続けます。叩く音は少し強まり、扉の向こうに聞こえるには十分な声で助けを求めました。 

「頼む、開けてくれえ。こっちからでは開かぬのだ。聞こえていないのか。」  

男がそう言い終わり返事を待つと、その場はしんと静まります。

 その静寂を破るかの如く、すばんと襖を勢いよく開く音が聞こえました。音は鳴り続きばんばんと重なり、屋敷中の襖が男へ迫ってくる勢いでございます。男は驚愕と恐怖とがせめぎ合い一瞬身体が凍り付いたものの、なんとか身体を動かします。下半身には力が入らず崩れましたが、両手で戸に寄りかかり、声を絞って助けを求めました。

「誰かそこにいるんだろう。頼む頼む、一生の御願いだ。助けてくれ。」

襖を開ける音はどんどんと近づいてきます。男は目を瞑って身体を震わせ訴えました。

「どうかどうか、堪忍してくれえ。」

男はもはや殴るように戸を叩き続けますが、戸も、戸の向こうの人影も全く動きません。音は遂に男の真後ろまで来ます。途端に、何とも言えぬ悪寒が男の身体をつき抜けました。


 男が次に目を開けると、そこには雲一つない青空が広がっておりました。息を整えながら身体を起し辺りを見回すと、どうやら屋敷の前の道で、大の字で寝ていたようでございます。向こうでは牛が田を耕し、鳶(とんび)が円を描いて鳴いております。後ろを向けば、辺りの景観には似つかわしくない程大きい平屋が、ぽつんと立っているだけでございます。男は一つ息をつき立ち上がると、人目を避けるようにふらふらと、それでいてその場から逃げるように、小走りでその場を去りました。


ー完ー

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