悪役令嬢は裏切りの元皇太子に希う
相模六花
第1話 裏切りの舞踏会
「グリシーヌ=ウィステリア公爵令嬢。私ユリウス=ヴァン=エルナヴァルは本日この場をもって、あなたとの婚約を破棄する! そして新しい皇太子妃候補として、デイジー=ステファノス男爵令嬢と婚約することをここに宣言する!」
クリスタルシャンデリアが輝く中、舞踏会の中心で愛を叫ぶのは、このエルナヴァル王国の皇太子・ユリウスだった。
そのユリウスと対峙しているのは、幼き頃から彼の婚約者であったグリシーヌ=ウィステリア公爵令嬢。
光り輝く金の髪に、天上の蒼をたたえた理知的な瞳。
薔薇よりかぐわしい赤い唇は、朝露を含んだように濡れている。
まさに豪奢、という表現がふさわしいほどの美女。その美女は突然の婚約破棄にも動揺した様子を見せず、極めて冷静な声でユリウスに問うた。
「殿下、それは本気で仰ってますの?」
「当然だ。冗談でこんなことが言えようか」
やや芝居がかった口調で、ユリウスは恋人のデイジーを抱きしめる。
デイジーもまた、いじらしくユリウスにしがみついた。
「申し訳ありません、グリシーヌ様! でも私とユリウス様は心から愛し合っているんです!」
「あら、そう……」
「グリシーヌ、君はデイジーに嫉妬して、様々な嫌がらせを行っていたそうだね。見損なったよ。そんな心の狭い女性は未来の皇后としてふさわしくない。このデイジーこそが、私の運命の女性なんだ……!」
「ああ、ユリウス様……嬉しい――!」
舞踏会会場の大階段の踊り場で、声高に真の愛について語らう恋人達。特にデイジーはユリウスの腕の中で勝利を確信したかのように微笑んでいる。
だが観客の多くが白けていることに、当人達だけが気づいていない。
階段上から見下ろされていたグリシーヌは、はぁ、と重いため息をついた。
――まさかまさかと警戒してはいたが、とうとうやってしまわれたか。
グリシーヌはある程度この展開を予想してはいたが、それを積極的に望んでいたわけでもなかった。
元々グリシーヌとユリウスの婚約は、王家が強大な権力を誇るウィステリア公爵家を取り込むためのものだった。
しかし幼き頃に出会ってより十余年。それが例え政略的なものだったとしてもグリシーヌ婚約者であるユリウスにずっと尽くしてきた。長年行われてきた厳しい次期皇太子妃としての教育も、彼のためだと思えばいくらでも耐えられた。
それにユリウスが言及しているデイジーに対する嫌がらせとやらも、彼女が宮廷内で行ったあからさまな無作法を、公爵令嬢としての立場から注意しただけだ。
男爵令嬢の隠し子として社交界にデビューしたデイジーは、そもそも身分制度のルールさえ理解しておらず、目上の者に対しても自分から遠慮なく話しかける有様だった。
さらに王宮晩餐会などのイベントで、元々決められた以外の座席――もちろん上座だ――に座ったり、自分の好みの男性とだけダンスを踊るなど、その行動は目に余るものだった。
たとえグリシーヌが指摘しなくても、彼女の態度に憤りを覚えていた淑女はいくらでもいるだろう。
しかしユリウスにはまるでグリシーヌのみが執拗にデイジーをいじめていたと、ほとんどデマのような形で伝わっているに違いない。
これではまるでわたくしのほうが悪役だわ……と、グリシーヌは内心臍を噛んだ。
「もう一度お聞き致します。本当にわたくしとの婚約を破棄なさるおつもりですか」
「二言はない。グリシーヌ、すまないが私の心の中に君への愛はない。あるとしたら幼い頃より培ってきた義務感だけだ」
「………」
どれほどグリシーヌが問い正そうと、ユリウスは一向に己の言動を改める気配を見せなかった。その怜悧な眼差しが、まっすぐにグリシーヌの弱点を射抜く。
覚悟していたこととは言え、婚約者から投げつけられる辛辣な言葉はグリシーヌの心の深いところを傷つけた。
だがユリウスがここまで本気で婚約破棄を願うのならば、グリシーヌも正々堂々受けて立たねばならないだろう。
キッと気丈に前を向き、件の皇太子と対峙した。
「わかりました。婚約破棄のお話、承りましょう」
「ほ、本当か?」
「ええ、ですがもちろん殿下も皇太子の座を第2皇子マルセル殿下にお譲りする覚悟があるのですよね?」
「な、んだと……?」
グリシーヌが反撃に出た途端、ユリウスの顔色が変わった。
と同時に、大広間のドアが勢いよく開き、遠慮なしに王国騎士団が舞踏会会場に押し入ってくる。
刹那、大きなどよめきに包まれる群衆。
屈強な騎士達はある男を拘束しており、ユリウス達の前に突き出した。
「グリシーヌ様、例の男、無事捕縛しました」
「ありがとう。ご苦労様でした」
「あ、お父様!」
「デ、デイジー!」
男性はデイジーの実父・ステファノス男爵だった。丸々と肥え太った体にはきつく縄がかけられ、逃げられないよう騎士団が剣や槍を突きつける。
その異様な光景を見て、多くの貴族がさらにざわめいた。これから一体何が起こるのだろうかという下種な勘ぐりが、辺り一帯に充満する。
「デニス=ステファノス男爵、いや本名ショーン=トルガー。お前をデニス=ステファノス男爵略取、及び殺害容疑で逮捕する!」
「う、うぐ……っ」
「ど、どういうことだ、これは!?」
突然の逮捕劇に、ユリウスは激しく動揺した。隣に立つデイジーも顔面蒼白になって震えている。
「殿下、その男は本物のステファノス男爵ではございません。本物のステファノス男爵が家督をお継ぎになる際に入れ替わった偽物。元は単なる町の賭博師です」
「に、偽物!? 賭博師……だと!?」
「さらに娘とされているデイジーも、元はショーン=トルガーの情婦でございます。デイジーがかつて勤めていた娼館に、ちゃんと身元の確認も取っております」
「嘘……嘘だわ、そんなのでっち上げよ!」
デイジーの化けの皮はあっけなく剥がれ、「嘘です、これはグリシーヌ様の陰謀です!」と大声で喚いている。
実はデイジー父子は貴族ですらなく、名声を得るために殺人まで犯していた犯罪者だったのだ。
そんな犯罪者にまんまと騙され、その上結婚まで望んだ皇太子の罪は大きい。
このスキャンダルは、王家の面目に泥を塗ったのだ。
「そんな……そんな馬鹿な……」
「残念です、兄上」
「!」
衝撃の事実に呆然となるユリウスの前に、今度は弟である第2皇子・マルセルが現れた。
全てはあらかじめ準備されていたかのように、愚かな皇太子への断罪は淡々と進んでいく。
「兄上、どうしてこんな暴挙に出る前に、僕に一言相談して下さらなかったのですか……」
「………」
「陛下よりの伝言をお伝えいたします。本日をもって、ユリウス=ヴァン=エルナヴァルの王位継承権を剥奪。並びに王城への出入りを一生涯に渡り禁止するそうです」
「う、嘘だ……っ!」
今度はユリウスが、狂乱する番だった。泣きながら縋りついてくるデイジーの手を冷たく振り払い、自分の言い分を主張する。
「私はお前とは違い、皇后の腹から生まれた唯一の子であり、正統なる後継者だぞ! 国王陛下とて、その重大さはわかっているはず……!」
「だからこそです! 全ての貴族、全ての民の手本とならなければならないあなたが、決して犯してはならない間違いを犯し、剰えその恥をこうして衆目の前で晒してしまった! 人々は今日のあなたの愚かさを、後世まで語り継ぐでしょう。努めるべき責任と義務を放棄し、悪女に騙された前代未聞の皇太子――と!」
「……っ!」
マルセルの糾弾に、ユリウスは言葉を失った。
がくりと膝をつき、まるで魂の抜け殻のようになる。
その背中に、人々の蔑みの視線が集中した。
――ああ、なんて愚かで惨めな皇太子だろう。
いや、だがこの皇太子が即位しなくてよかったのだ。
これからは聡明な第2皇子が新しい皇太子として立ち、この国を健やかに導いてくれるだろう……。
だが現実を受け止められない人間が、一人ここにいた。
「いやぁっ、なんなのよ、ふざけんな! あたしは皇太子妃になるんだ! そのために今までどんな汚い事にも手を染めてきたんだ! なのになんでこんな……こんな……最後の最後で失敗するのよぉ!?」
「おい、女、立て!」
「あたしに触るな! 誰か騎士団長のオリヴィエ様を……、いや、宰相のご長男のパトリック様を呼んできて! そうしたらきっとあの方々があたしの無実を証明してくれるはずだから!」
「いいから立てと言ってるんだ!」
それは言わずもがな、皇太子を騙したデイジーだ。すでに悪事は露見しているというのに、髪を振り乱してみっともない悪足掻きを続けている。
その姿をグリシーヌは冷えた視線でじっと見つめた。
不思議と、憎いとか、悔しい……とか、そのような負の感情を持つことすらできなかった。
(とうとう終わったわ、全てが……。案外あっけないものね)
こうして皇太子から突然突き付けられた婚約破棄騒動は、ユリウス・並びにデイジーとその共犯であるショーン=トルガーが弾劾されることで決着する。
この一大醜聞はやがて市井にも流れ、多くの人々に嘲笑われることとなるのだった。
◇◆◇
「グリシーヌよ、そしてウィステリア公、謝っても謝りきれぬが、この度は愚息が馬鹿な真似をしでかしてしまい本当に申し訳なかった。どうやって償なったらいいのか、余はわからぬ……」
「陛下、おやめください。わたくしと殿下は、こうなる運命であったのでしょう」
婚約破棄騒動があった当日の夜。
グリシーヌは父のウィステリア公と共に王の私室に呼び出された。
王の傍らには第2皇子・マルセルと、その母である側妃がついている。
ユリウスの母であり、後宮で絶大な権力をふるっている皇后は、息子の醜聞に卒倒して、今は寝込んでいるという。
そもそも皇后は国王とは従兄妹関係にあり、強烈な純血主義者だった。王家の血の濃さにこだわり、後宮の側室達を蔑ろにするのは当たり前。
自分の腹から生まれた第一皇子・ユリウスを王にすることのみに固執し、事あるごとに夫たる国王に譲位を進言していた。そのせいで国王の心が離れ、側妃からマルセル皇子が誕生することになったのだ。
だがユリウスが起こした不祥事で、皇后の夢は潰えた。
マルセルが正式に新皇太子と立った暁には、後宮内の勢力図も大きく変わるだろう。
「陛下、私はグリシーヌを強い娘に育てたつもりです。王宮で受けた次期皇太子妃としての教育も、今後この子が生きていく上で大きな糧となりましょう。ですから何もご案じなさいますな」
グリシーヌの父・ウィステリア公は、穏やかに微笑んだ。実はかねてよりグリシーヌ本人から、ユリウスの件については相談を受けていたのだ。
まさかこんなに早く、ユリウスが婚約破棄を実行してくるとは思わなかったが、すでに起きてしまったことは仕方ない。
今は醜聞を嘆くよりも、今後の混乱に対し適切な判断を下し、対応していくことが重要だ。
「そのことだが……グリシーヌ」
「……はい」
「そなたが優秀な皇太子妃候補であったことは王宮の誰もが認めるところだ。このままその才能を逃してしまうのは、王家としてはあまりに惜しい。もしそなたさえよければ……」
憔悴の国王はちらりとマルセルを見て、
「ほとぼりが冷めた後、新しい皇太子・マルセルの婚約者となってはくれぬか? そんなことでウィステリア家とそなたへの償いが済むとは思えぬが……」
「………」
国王は再びグリシーヌに、皇太子妃の打診をした。
そこには当然打算もあるだろう……とグリシーヌは思う。
何せウィステリアは王家の次に力を持つ名門貴族だ。もしも今回の婚約破棄が普通の婚約破棄だったとしても、ウィステリア家に恥をかかせた……という意味で大問題になっていただろう。
それほどまでに、この国におけるウィステリア家の影響力は大きい。王家が何としてでもウィステリアを自らの懐に留めておきたい……と願うのも、また無理のない話だった。
「グリシーヌ殿は……僕が相手ではお嫌ですか?」
「………」
年下の第2皇子も、頬を赤く染めながら控えめに尋ねてくる。
グリシーヌは苦笑した。
マルセルのことは可愛い。いつか自分の義弟になるのだから……と、常々好意的に接してきた。異性として意識したことはないけれど、大人になれば彼は聡明な王となるだろう。そう思えるほどには尊敬している。
もちろん結婚相手として、マルセルは何の不足もない。
いや、むしろ恐れ多いとさえ思う。
けれど――
「陛下。実はわたくしから、一つお願いがあるのです」
「願い? 何だ、申してみよ。そなたの願いならば、できるだけ叶えてみせようぞ」
「ありがとうございます」
グリシーヌはにっこりと花のような笑顔を浮かべ、ある一つの願いを口にした。
それはおそらくとても愚かで、悩ましい願いではあったけれど。
それでもどうしても――
心から
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