Another Story.

Atelier Louis.

✾ Prologue ✾ 『 別れ』

    ◇◆◇・ 登場人物とうじょうじんぶつ ・◇◆◇


揚妻あげつま 夕樹ゆうき … T大学だいがくいんかよう二十四さい青年せいねん

斑愛まだらめ 海緒みお … 〝覇王はおう〟と約束やくそくわした斑愛一族まだらめいちぞく末裔まつえいつぎなる犠牲者ぎせいしゃとして、うみそこきずりまれる。

斑愛まだらめ 朱猫あかね … 〝覇王はおう〟と約束やくそくわした斑愛一族まだらめいちぞく末裔まつえいさいあいあねうしない、くずれていたとき、夕樹ゆうきう。

・覇王 … 未だ謎に満ちた〝古都バハティ〟の最初の王様。






      ~・~ ◇◆◇ ~・~





 ふと身体からださぶられる感覚かんかくがして、めた。

朱猫あかね朱猫あかね!」

 とおくのほう自分じぶん名前なまえこえがする。

朱猫あかねきて!」

 あね切羽詰せっぱつまったような声音こわねが、ゆめなかにいた朱猫あかね意識いしきをフッとうつつもどした。

「なぁに、おねえちゃん」

 朱猫あかねぼけまなこでゆっくりがると、けていた毛布もうふかるあしめくりあげて、おおきな欠伸あくびを一つした。

ねむれないの?」

 朱猫あかねたずねると、海緒みおすこしだけ呼吸こきゅうあらくしながら、「あたまなかにずっとこえひびいてきてねむれないの」とった。

 時刻じこくはまだよるけたあたり。あたりは薄暗うすぐらく、わずかにいたまど隙間すきまから肌寒はだざむうみかぜながんでくる。朱猫あかねめくりあげた毛布もうふをもう一度いちど自分じぶんあしにかけると、やみなかたたずんでいる人影ひとかげけた。

「おねえちゃんのカラダ——すこしだけ、あかるい……?」

 ふとおぼえた違和感いわかんをそのままくちしてみる。海緒みお不安ふあんそうな表情ひょうじょうになると、あたまかかえて「こえがして、ねむれない」と、おびえたようにった。

「だいじょうぶ?」

 朱猫あかね心配しんぱいになってあね身体からだれようとすると、海緒みおはサッとき、今度こんど自分じぶん身体からだきかかえるようにしてまるめた。

こしてごめんね。でも、今夜こんやはどうしても不安ふあん気持きもちになっちゃって」

「ううん、いいよ。おねえちゃんが安心あんしんしてねむれるまで、アカネもいっしょにきてる」

 朱猫あかね布団ふとんうえ体操座たいそうすわりになると、かたうえから全身ぜんしんつつむようにして毛布もうふかぶせ、あしまえでそれをむすんだ。

今日きょうはどんなこえこえたの?」

 発作ほっさこったとき、朱猫あかねはいつもこの質問しつもん海緒みおげかけてみる。すると彼女かのじょはいつものとおり、弱々よわよわしいみをかべたまま「からないの。たくさんのこえかさなってこえているから」とこたえる。

 いまやみんで、海緒みおしたのクマをることは出来できないが、昼間ひるまはそれが色濃いろこていて、ねむれないことへのストレスがひしひしとつたわってくる。

 実際じっさい朱猫あかね海緒みおみみにしているそのこえをまだ一度いちどいたことがないので、一体いったいそれがこころにどういう影響えいきょうもたらすものなのか、想像そうぞうすることは出来できなかった。

 けれど「これは遺伝いでんのようなものだ」と海緒みおっていたように、おとうさんも、おかあさんも、そのこえいていたらしいので、いつか自分じぶんくことになるのだろうということだけはかっていた。だから余計よけいあねくるしむ姿すがたているのがおそろしくて仕方しかたがなかった。

「おねえちゃん」

 不安ふあんふくがると、朱猫あかねはどうしてもかずにはいられない。

「その〝こえ〟ってどういうふうこえるの?」

「どういうふうって?」

たのしいこえがたくさんこえているの? それとも、こわこえがたくさんこえているの?」

 朱猫あかねがそうたずねると、海緒みおすこかんがえてから「ときどき陽気ようきこえこえるわ」とった。

「だけどわたしがいつもくのは、ははをあやすときのような心地ここちいものとは全然ぜんぜんちがう。そこには一つ一つにおもいが宿やどっていて、かなしみや、にくしみ、それからうらみとかの〝感情かんじょう〟が全面ぜんめんげられている。いまだって、朱猫あかねこえされそうなほどおおきくこえているの。かれらがわたしなにつたえたいのか――、かるようでからない」

「そっかぁ。たのしいこえだったらいいなっておもったけど……」

 朱猫あかねんだ様子ようすでポツリとつぶやいたが、すぐにあたま左右さゆうってこわかんがえをとおくへばすと、身体からだをシャキッとさせて、「おねえちゃん、だいじょうぶだよ‼ おねえちゃんがこわおもいをしないように、これからもアカネがいっぱいたのしいはなしをしてあげる!」とった。

 それには海緒みおかおほころばせて「うれしい。ありがとう」とよろこんでくれたが、やっぱり、すりったぶん精神せいしんエネルギーはもどってこなかったようで、ほころんだ表情ひょうじょうをすぐにくずすと、今度こんどみみさえてくるしそうにうめはじめた。朱猫あかねはキュッとくちびるむすぶ。

「だいじょうぶだよ、おねえちゃん。アカネがついてる」

 こえふるえないようはらちからめてうと、海緒みおみだれたかみ隙間すきまからおびえた様子ようすけた。

「アカネ。わたし……もうダメかもしれない、」

 くちびる小刻こきざみにふるわせて、海緒みおかすれたこえちいさくつぶやいた。

「いつものこえと、ちがう。もうあまり時間じかんがないみたい。——んでいるの。おとうさんと、おかあさんが……わたしを、んでいる。覇王はおうが——王様おうさまが、『こちらにい』と。」

 海緒みおうえき、そしてわずかなあいだ呼吸こきゅうめた——と、そのとき。海緒みお身体からだ一瞬いっしゅんだけ、ほたるのようなあわ黄緑色きみどりいろひかりつつまれた。それはやわらかなひかりでありながら、闇夜やみよなかでもつよひかりはなっている。

(二つめの発作ほっさ……)

 朱猫あかねはゴクンとつばんだ。

 二つ発作ほっさうのは、あたまなかこえこえたあとにときどきこる〝身体からだ発光はっこうする現象げんしょう〟のことで、朱猫あかねまえにも一度いちどおなじような光景こうけいにしたことがあった。

 それは海緒みおはじめて〝こえ〟をいたときに発現はつげんし、いまほどつよひかりではなかったものの、海緒みおおなじようにくるしんで、それと同時どうじに、身体からだいまみたいな黄緑色きみどりいろひかりつつまれたのだ。

「だいじょうぶ。だいじょうぶだからね。発作ほっさはいつもみたいに、すぐおさまるよ」

 朱猫あかね何度なんど自分じぶんかせるようにしてこえをかけながら、緊張きんちょうほぐすために一ついきんだ。

 それから、そばにあった毛布もうふをそっとつかみ、様子ようすうかがいながら、すこしずつ海緒みおばしていく。

 依然いぜん彼女かのじょ硬直こうちょくしたようにピクリともうごかない。

 黄緑色きみどりいろ不思議ふしぎひかりは、心臓しんぞう脈打みゃくうつリズムに呼応こおうしてひかりなみ周囲しゅういひろげ、それが朱猫あかね身体からだたると、今度こんど一瞬いっしゅんだけ、あわいろかがやきのなかたこともないようなふるびた都市とし情景じょうけいうつんできた。

 海緒みおからかえひかり波動はどうつたわって、それが朱猫あかね身体からだたるたび、〝にまみれたなにか〟や、〝荒々あらあらしくわめきたてる大人おとなたちの様子ようす〟や、〝たこともないような文字もじ輪郭りんかく沿ってひかりつたわって様子ようす〟などがはいってくる。

 どれも朱猫あかねとはえんのないもののはずなのに、何故なぜかそれらの光景こうけいなつかしむじょうがふっと芽生めばえたときには、朱猫あかねおどろきをかくせなかった。

 そうしてまとっていたひかりがフッとえると、天井てんじょうからげられたいとがプツンとれたみたいに、海緒みお身体からだがそのちからなくくずちた。

 それからまたすぐに海緒みお身体からだひかり宿やどはじめ、ひかり波動はどう周囲しゅういわたった。

 月光つきびかりとどかない二かいてのおくども部屋べやでは、そのひかり随分ずいぶんまぶしくかんじられる。

 朱猫あかねはタイミングを見計みはからいながら、すこしずつ、すこしずつ、海緒みおちかづき、まえでゆっくりと毛布もうふひろげると、ふわりと彼女かのじょ身体からだけた。

「おねえちゃん。アカネのこえ、きこえる?」

 ひとみわずかにうごかして、海緒みおはコクリとうなずいた。

「よかったぁ。毛布もうふくるまると、すこしはくよね。アカネもこうしたら、すごくくの。むかし、おかあさんがんじゃって、アカネがかなしくて大泣おおなきしていたとき、おねえちゃんがこうしてアカネをかせてくれたんだよ。それからアカネをギュッてきしめてくれた」

 朱猫あかね海緒みおがしてくれたことを、まんまかえすように、彼女かのじょあたま自分じぶんほうへそっとせ、それから「アカネ、おねえちゃんよりもたよりないけど、がんばるから。だからアカネをいていかないでね」とさみしそうにった。

「アカネがずっとそばにいてあげる」

「……ありがとうね、朱猫あかね。それからいつも迷惑めいわくかけてばかりで、ごめんね」

 かえされていた発光はっこう徐々じょじょおさまり、やがて完全かんぜんひかりうしなうと、海緒みおすこしだけ元気げんきになった。

「ちょっとつかれちゃったなぁ。のどかわいてきちゃった」

 海緒みおはわざとらしくおおきなこえすと、うでげて、うんと身体からだばした。

朱猫あかね、キッチンで牛乳ぎゅうにゅうあたためてきてくれる?」

 あかるい声音こわねとは対照的たいしょうてきに、うれいをびた言葉ことば雰囲気ふんいき月光つきびかりしこまないくら部屋へやなかでは、しっかりとあねかおたしかめることは出来できなかったが、それでも自分じぶん部屋へやるまでのあいだ、どこかかた表情ひょうじょうでこちらをじっとつめているあね様子ようすが、脳裏のうりきざまれてはなれなかった。




      ~・~ ◇◇◇ ~・~




 朱猫あかねあし階段かいだんをおり、だだっぴろいリビングをけて、キッチンへかった。

 中身なかみのほとんどはいっていない冷蔵庫れいぞうこから牛乳ぎゅうにゅうすと、コップに半分はんぶんちょっとをそそみ、レンジのふたけて、あたためボタンをした。

 レンジがるまでのあいだ朱猫あかねはキッチンのかべにもたれかかり、そのままズリズリとこしろした。

 海緒みおよるに〝こえがする〟とってねむれなくなることは、いまはじまったことではない。母親ははおやくして数年すうねんたないうちに、いまのような発作ほっさきるようになったのだ。



 なぜ今頃いまごろになって、海緒みおだけがほかとはちが性質せいしつ覚醒かくせいさせたのか——。



 その理由りゆう本人ほんにんはどうやらっているらしく、ときどきはらくくった様子ようす自分じぶんたちの〝血筋ちすじ〟についてはなしてくれることがあった。

 けれどその当時とうじ、まだおさなかった朱猫あかねには、あねわんとしていることがあまり理解りかいできず、頑張がんばって海緒みお説明せつめいしてもなんのことやらさっぱりだった。

 幼稚園ようちえんはいり、ある程度ていど言葉ことば意味いみがちゃんとかるようになると、今度こんどあねはな不思議ふしぎ事柄ことがらを、馴染なじみのある『桃太郎ももたろう』や『浦島太郎うらしまたろう』などの昔話むかしばなしてはめて、お気楽きらく気持きもちでいていた。

  だが小学生しょうがくせいになって、海緒みお症状しょうじょうがどんどん悪化あっかしていくようになると、朱猫あかねなかで「このままんでしまうのではないか」というおもいがふくらみはじめ、あねくるしそうにかおゆがめるたびに、こころごと得体えたいれない〝ナニカ〟にられてしまうのではないか——という不安ふあんまれるようになった。



 電子でんしレンジのあたためがわり、ふた表面ひょうめん月光つきびかりらされた自分じぶんかお反射はんしゃするのを、こころここにあらずでながめながら、したいのをグッとこらえ、いまはまだ大丈夫だいじょうぶなのだと、何度なんど自分じぶんかせた。

「アカネがそばにいてあげれば、きっとだいじょうぶだもん! アカネが頑張がんばればいいんだもん! わるほうかんがえていたら、自然しぜんわる方向ほうこうっちゃうっておねえちゃんもってたんだから! アカネ、ちゃんとして‼」

 ペチ、ペチ、と数回すうかい自分じぶんほおたたいて気合きあいれる。何事なにごとも、はじまるまえからおそれていてはダメだ。

(——よし。)

 あたたわった牛乳ぎゅうにゅうして、中身なかみこぼれないよう慎重しんちょうに二かいども部屋べやまでってく。

 さっきまではそれほどかんじなかった冷風れいふうが、いま廊下ろうかにまでわたっていることに朱猫あかね気付きづいた。

(おねえちゃん——)

 なんとなくいや予感よかんがして、途中とちゅうからあし階段かいだんのぼってくと、部屋へやまえにはすこししかけられていなかったまど隙間すきま全開ぜんかいになっているのがはいった。そのせいで、カーテンがおおきくなびいている。

「……おねえちゃん?」

 部屋へや様子ようすあきらかにおかしい。ぱっとただけでも海緒みお姿すがたはどこにもなく、なかはもぬけのからだった。

(おねえちゃん‼)

 朱猫あかねいましがたれたばかりのあたたかい牛乳ぎゅうにゅうをカーペットのうえとし、その様子ようすにもかないまま、いそいで窓際まどぎわっていた。

 まえのめりになってまどしたのぞむと、カーテンと毛布もうふむすつくった簡易的かんいてきなロープががっていて、そのしたに、トンッと地面じめんあしけたばかりの海緒みお姿すがたがあった。

 海緒みお朱猫あかねうと、げるようにしてまえひろ砂浜すなはまかってはしはじめる。朱猫あかね途端とたん焦燥しょうそうられた。

「まって、おねえちゃん!」

 朱猫あかねいそいでロープをつかみ、何回なんかいもズリちながら、なんとか地面じめん着地ちゃくちする。

 海緒みお体調たいちょうはまだ万全ばんぜんではないらしく、はじめは距離きょりがあいているようにおもわれても、朱猫あかね全力ぜんりょくはしると、すぐに海緒みおいつくことが出来できた。

「まって、おねえちゃん! なんでアカネをいていくの⁉」

 やっとのことで海緒みおそでつかんだ朱猫あかね

 いきせきってたずねてみると、あね青白あおじろかおで「なんでいてきたの」と、ぎゃく自分じぶんおこってきた。

「なんで? なんでそうやっておかあさんのときみたいに、きゅうにアカネのまえからいなくなろうとするの⁉」

べつ朱猫あかねきらって、姿すがたそうとしたんじゃないわ」

「でもアカネがいかけなかったら、おねえちゃん、アカネをおいて——」

 そこまでって、朱猫あかね言葉ことばまらせた。はなおくがツーンとして、どんどんなみだあふれてくる。

「お、おねえちゃ。アカネ、ひとりいや。さみしい……」

 片腕かたうで何度なんどなみだぬぐいながら、もう片方かたほうはしっかりと海緒みおそでまんでいる。そんな状態じょうたいでは、到底とうていいえかえせ」とはいづらかった。

「——朱猫あかね

 海緒みおそでまんでいるいもうとにそっとれると、しゃがみこんで、朱猫あかねあかくなったのぞんだ。

 そして、はらくくったようにう。

「もしかしたら、これが朱猫あかねとの最期さいご会話かいわになるかもしれない。だからいまつたえられることは、ちゃんとつたえておこうとおもうの」

「……さいごって、なに?」

 朱猫あかねかおをくしゃりとゆがめて、かえす。海緒みおげてくるおもいをグッとみながら、つとめておだやかにはなはじめた。

私達わたしたちには代々だいだいがれている〝〟がある。それをわたしたち〝一族いちぞく〟は〝覇王はおう〟とんでいて、それと一緒いっしょに〝ある都市とし〟のはなしつたわっているの。

 そのおはなしいまよりもずっとむかしに、海底かいていんでいた一人のはぐもの勇敢ゆうかん王様おうさまにまでのぼりつめるもので、わたしたちの祖先そせんはその王様おうさま大切たいせつ約束やくそくをした」

 海緒みおなが茶色ちゃいろかみ海風うみかぜなびかせながら、今年ことしで八さいになるちいさないもうとかたにそっといた。

「そのおはなしがどんなおはなしだったのか——わたしちいさいころにおかあさんから一度いちどいたっきりで、あまりくわしくはおぼえていないけれど、わたしたちの祖先そせんと、その王様おうさまは、とてもなかかったそうよ。

 だからおかあさんはわたしたちのなかねむる〝覇王はおう〟のことを『王様おうさまがくれた〝大切たいせつなもの〟』と表現ひょうげんしていて、『とてもよろこばしいことなのよ』とっていたけれど、でも——わたしたちにとっては、ただの〝にえ〟でしかない。

 ふるおうに——つまりおかあさんがあちらの世界せかいで二度目どめむかえてから——、おうのいなくなった都市としふたた混沌こんとんおとずれると、わたしたちはうみかえり、そのの〝あらたなおう〟とならなければならない。それがなかきざまれたわたしたちのおきてであり、運命さだめでもある」

 はなしをする海緒みお顔色かおいろは、月光つきびかりがおりているせいで一層いっそうわるえ、いままでづかなかった輪郭りんかくほそさが、よりせたことを強調きょうちょうしていた。

 そんなことをおもいながら、朱猫あかねなにおうとくちひらきかけたそのとき――。海緒みお身体からだまるめて、つよむねさえた。さきほどとはちがい、今度こんど心臓しんぞうあたりからにはえない空気くうきなみのようなものがひろがった。その禍々まがまがしさに、朱猫あかねおもわず鳥肌とりはだつ。



 ——次期じきおう誕生たんじょう渇望かつぼうせよ——



 あたまなかで、今度こんど朱猫あかねにもその〝こえ〟がはっきりとこえた。

 


 ――次期じきおう誕生たんじょう祝福しゅくふくせよ――



 ふたた呼吸こきゅうめた海緒みおひたいから、たまのようなあせつたちた。

 いままでに経験けいけんしたことのない、られるような感覚かんかく

 それと同時どうじ海緒みおおそったのは、全身ぜんしん筋肉きんにくじれるようなえがたいいたみ。その様相ようそうたとえるなら、雑巾絞ぞうきんしぼりが一番いちばんかりやすいが、そのでないほどこくいたみで、海緒みおさけびながら自分じぶん身体からださえけた。それでも自分じぶん身体からだ見下みおろしてみると、まった異常いじょうがないので混乱こんらんする。

 朱猫あかねはますます発狂はっきょうしそうになった。



 ——たすけて。



 朱猫あかねこころなかさけぶ。



 ——おねえちゃんをれてかないで。



 現実げんじつどうにもならなくて、朱猫あかねはただただ大泣おおなきする。ねがえばねがうほど、それに呼応こおうするように朱猫あかね左耳ひだりみみ半透明はんとうめいの〝なにか〟がかくれし、不思議ふしぎとどこかからほたるあつまってきた。

 それをて、海緒みおおどろいたようにまるくする。

朱猫あかねに〝ベベル〟のご加護かごがついている)

 わたし母親ははおや、それから父親ちちおやには発現はつげんしなかった生贄いけにえ加護かごあわ黄緑色きみどりいろひかりはなちながら悠々ゆうゆうほたるたちは、その配置はいちから朱猫あかねまもっているようにえる。

(そっか。それなら安心あんしんだわ)

 海緒みお全身ぜんしんいたみを我慢がまんして、「ふぅ」とみじかいきすと、ひとみうるませながら、くちびる一文字いちもんじむすぶ。

 それから可愛かわいい、可愛かわいい、いもうとかおけようと、海緒みおいもうとのふっくらとしたほおゆびでなぞった。

「わたしね、本当ほんとうは――今日きょう朱猫あかね誕生日たんじょうびいわいたかった。おかあさんよりは上手じょうずけなかったけど、朱猫あかねおどろかせてやろうとおもってホールケーキをいていたのよ。あとはハッピーバースデーってかれた風船ふうせんとか、まっすぐにびたキレイなロウソクとかも八本、ちゃんと準備じゅんびしていたのになぁ。たのしみにしていたことがなに出来できなくなっちゃった。誕生日たんじょうびなのに、朱猫あかねひとりぼっちにさせちゃう」

 そこで一旦いったん言葉ことば区切くぎると、海緒みおふるえたようにいきして、「お誕生日たんじょうびおめでとう、朱猫あかね」と、なけなしのちからちいさないもうと身体からだをそっときしめた。

「それから、ごめんね。朱猫あかね一番いちばんつらいときにそばにいてあげられなくて。大切たいせつなことも、つたえるのがこんなにもおそくなってしまって」

「――やめて」

 朱猫あかねは「ひっく、ひっく」としゃくりあげながらボロボロとなみだながし、両手りょうてあたまかかえた。

「これでおわかれみたいにわないで」

「でも」

「おねえちゃんがくなら、アカネもついていく‼ アカネもいっしょに、つれていってよ! そしたらアカネも、おねえちゃんも、一人じゃないよ? また発作ほっさたら、アカネが、そばにいてあげるから! アカネ、ちゃんと、お利口りこう看病かんびょうするから」

 朱猫あかねはつどつど言葉ことばまらせながら、大泣おおなきで海緒みお身体からだきついている。

 それをていると海緒みお気持きもちがらいで、「朱猫あかねのこしてきたくない。にたくない!」というおもいがつよおもてそうになった。けれどいまは——、朱猫あかねのためにもこころおににしなければならない。

いますぐ、いえもどりなさい」

 海緒みおひくこえった。

「やだっ」

 と、朱猫あかねあたまって反発はんぱつする。

わたしからはなれて」

「それも、やだっ‼」

 朱猫あかねなになんでもはなれまいとしてちからめている。海緒みおくちいたうでぬぐうと、ゆらりとがって、朱猫あかね容赦ようしゃなく陸地りくちばした。



 ――次期じきおう誕生たんじょういわえ――



 また、あたまなかこえがした。

 三度目どめこえいたときには不思議ふしぎなことに、海緒みお全身ぜんしんおそいかかっていたじれるようないたみがなくなり、フッとこころかるくなったようながした。

って、朱猫あかね

「……うっ」

 海緒みおばした衝撃しょうげきころんでしまった朱猫あかね姿すがた見下みおろす。

いてばかりいないで、こころつよちなさい!」

 海緒みおこえげると、朱猫あかねすなまみれになったそでなみだ乱暴らんぼうぬぐった。

 それからキッと海緒みおにらむと、くちむすんだまま、じっと彼女かのじょ姿すがたつめた。

「おウチにもどるかどうかは……アカネがめる」

 朱猫あかねきたいのを我慢がまんして、ずっとかおあかくしている。海緒みおしずかに様子ようすうかがいながら、「さだめられた運命うんめいからのがれることは出来できない。けれど、もしかしたらなにかほかにがあるのかもしれない」とった。

きざまれているのは〝約束やくそく〟――。わたしには時間じかんがあまりなかったけれど、朱猫あかねならまだうかもしれない。朱猫あかね愛嬌あいきょうもあるから、きっとかべ出来できてもえられるわ。だからいま機会きかいちましょう。わたしはすでに手遅ておくれだったのよ。もうたすからないわ」

 海緒みお自分じぶん言葉ことば納得なっとくしたようにうなずくと「さぁって」と、いもうと背中せなか言葉ことばす。

 朱猫あかね自分じぶんそでをギュッとまんで、くちびるをわなわなとふるわせながら、なにわずにポロポロと大粒おおつぶなみだながした。

「でも、それはアカネがめる……‼」

 朱猫あかね一歩いっぽずつ後退こうたいするどころか、ぎゃく一歩いっぽずつ前進ぜんしんしている。

「はやく‼」

 海緒みおあせってさけんだ――と、ちょうどそのとき。

 彼女かのじょ背後はいご高波たかなみがった。なん前触まえぶれもなく唐突とうとつに、たしかな脅威きょういをもってせまりくる。

「おねえちゃん‼」

 朱猫あかね咄嗟とっさした。

「まって‼ れていかないでぇ‼」

 朱猫あかねちからかぎり、うでばす。

「アカネをひとりにしないでぇ‼」

 朱猫あかねさけこえよる砂丘さきゅうひびわたる。だがそのおもいとは裏腹うらはらに、あね姿すがた数秒足すうびょうたらずでなみまれてえなくなり、しおころには、跡形あとかたもなく姿すがたしていた。

 朱猫あかね絶望的ぜつぼうてき気持きもちになった。

 ふるえる両手りょうてかおおおい、ちからなく地面じめんくずおれる。

「アカネをひとりにしないでぇ……」

 朱猫あかね湿しめった砂地すなちかおけた。

「ひとりに――……」

 むせきが、だんだんとすすきにわる。そのかたわらで無数むすうのホタルがびまわり、うずくま朱猫あかねむらがりはじめた。

 それらはゆるやかに点滅てんめつさせ、朱猫あかねこえうようにしてまわりのおとちいさくさせる。



 ——つかよる海辺うみべは、幻想的げんそうてき光景こうけいたされた。



 けれどいま朱猫あかね自分じぶん状況じょうきょうにも、幻想的げんそうてき風景ふうけいにもうばわれることはなく、ただひたすらにあねうしなってしまったことへの喪失感そうしつかんこころくされていた。

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