imitation morning

 翌朝、目を覚ますと、目の前に朝日の寝顔があった。


 伏せられた睫毛は長く、うっすらと開かれた唇は淡い桜色をしている。肌はしっとりと滑らかだ。しみじみと、男の人なのにきれいな人だなって思う。


 ううん、違う。

 男の人とかの前に、人間なのに。

 こんな汚い世界に生きている人間なのに、この人はとてもきれいだ。


 眩しい太陽の光が、ほとんどそのまんま窓から入ってくる。居間のカーテンと比べて、寝室のカーテンの生地がかなり薄いからだ。それは何か意味があってとかではなく、朝日が仕事以外の、いろんな物や事に無頓着だから。そうわかる程度には、私はもう、朝日という人となりを知っている。


 埃だったり繊維だったりを巻き込んだ帯状の光線が、眠る朝日の右頬をきらきらと照らしている。思いつく言葉は「きよい」とか「けがれのない」とかばかりで、ついおかしくなる。


 だって、この人の最期には、きっと天使は迎えにこない。

 でも、安心してほしい。たぶん私も同じだから。


 昨日、私たちはあのままどうしても離れられず、お風呂に入ることも、着替えることもしないままに、二人して朝日のシングルベッドに丸まった。


 どっちが先にそうしようって言ったのかは、覚えていない。口にはしていないのかもしれない。

 お互い、顔を見合わせる形で横になって、でも、布団に入ってからは、意識して触れないようにしていた。そうしたほうがいいように思えた。


 少しするとレインがやってきて、私と朝日との間に潜り込んだ。密着した被毛の温かさと、離れているのに伝わってくる朝日の体温とで、私はすぐに深い眠りに落ちたのだった。


 殺し屋というものは、熟睡しないらしい。


 映画の中で俳優が喋ったセリフなのか、ニュース番組のコメンテーターが、何かの揶揄でそう言ったのかは忘れてしまったけど。信憑性のある情報かどうかはさておき、それが事実なら、まるで猫みたいだ。

 猫は警戒心が強い生き物。いつでも逃げられるように、完全には眠らない。


 笑いそうになってしまった。

 もし本当に、朝日にそんな習慣があるとしたら、そんな朝日をレインは仲間だと思っているかも。


 まだ笑えるんだな、と思う。


 絶望的な危険が迫っているのに、私はまだ朝日をきれいだと感じられて、愉快だなと感じたら笑える。

 人間って、自分が自覚している以上に強いのかもしれない。それとも、これはただの現実逃避なのかな。


 レインの心の中は覗きようがないけど、朝日が熟睡しているかどうかについては確かめることができる。


「……おはよ」


 私は小さく呼びかけてみた。

 するとたちまち、朝日のまぶたにかすかな波が走る。溢れる光の中で、アールグレイ色の瞳が現れた。


「……本当に寝てないの?」


 思わず驚いた私の問いかけに、朝日は無言で目を閉じて、すぐに開く。どっちの意味なんだろう。


 ゆっくり考える間はなかった。私はいきなり恥ずかしくなった。

 自分で起こしたかもしれないのになんだけど、意識のある朝日がごく至近距離にいるこの状況は、かなり恥ずかしい。


 私は誰かと同じ布団で寝たことがない。それもあくまで覚えている範囲で、だけど。しかも、朝日は他人で、男の人だ。冷静に考えたら、考えなくても、私はとんでもないことをしているんじゃないだろうか。

 近くにある朝日のきれいな顔も、届いてくる呼吸の柔らかさも、温もりも、昨日泣いたことも、全部が恥ずかしい。慌てて目をそらした。


「不思議だね」


 ふと朝日が言う。

 のんびりとした口調が、朝日はこの状況を何とも思っていないことを表している。それを少しだけ悔しがる私がいた。


「何が?」

「触れてないのに……凛子から発せられる温もりが、僕にはちゃんとわかる」


 今度は急激に嬉しくなって、私も同じ、と言おうとして、やっぱり恥ずかしくて言えなかった。


 私の温もり。温かさ。温度。

 昨日、聖母と同じだと言ってくれた体温。

 一つの布団にくるまっていることで、冷たい空気が、私たちの間に入り込む隙がないからなのかもしれない。


「触れてないのにね」


 朝日はもう一度繰り返してから、身体を動かした。

 顎を上げると、朝日は腕を布団から抜いて、静かにこちらへ近づけてきていたところで、私はどきっとする。


 そのとたん、二人の間で前脚を突っ張って寝ていたはずのレインが起き上がり、しゅっと布団から飛び出した。安眠を妨害されて怒ったのか、じろりと朝日を睨みつける。

 それを見た朝日は、ふっと鼻から息を吐き出す。クスクス笑いながら、自分も身体を起こした。


「……起きようか」


 私は胸が変にドキドキして、それを打ち消したくて噴き出した。布団の中で膝を抱きかかえて、げらげらと笑った。起き上がった時、朝日の髪に派手な寝癖がついていて、また笑った。笑いすぎて涙が出た。


 幸せな気分だった。


 朝日の生い立ちも、自分の救われない毎日も、目前に迫っている困難も、すべて忘れて、一時だけ、私は幸福な朝の中にいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る