guardian

「朝日」


 私は決心した。

 その思いの強さが、レインを抱きかかえる両手にもこもる。いきなり加えられた圧力に、驚いたレインがぴゃっと背中の毛を逆立てたから、慌てて力を緩めた。


「今夜、仕事に行かないで」


 大抵、何でも先読みしているかのような朝日だけど、さすがにその言葉は夢にも思わなかったのか、シャボン玉が目の前で弾けたような顔をした。


「もう朝日は、一人じゃ何もできない子供じゃないでしょ。嫌ならやめたらいいよ。殺し屋なんてしなくても、お金を稼ぐ仕事は他にいくらでもあるじゃん」


 そう。朝日はもう大人だ。

 パパから逃げたって、一人きりじゃ食べるものどころか、住む場所にも困ってしまう私とは違う。


「朝日には歌がある。ギターがある。それで食べていくのが難しいなら、工場で働いたってコンビニだって、何だっていいじゃん。殺し屋よりよっぽどクリーンだよ」


 そして、今よりもずっと生きていくのが楽なはずだ。人を撃つたびに何かが死んでいくなんて、悲しい顔で悲しいことを言う必要もなくなるはずだ。


 必死に訴える私の頭の中には、昨夜の、銃を構えた姿が浮かんでいた。

 その頬には涙が流れていた。

 雨のせいだと思ったけど、たぶん違う。朝日はおそらく実際に泣いていた。


 殺し屋の仕事は、朝日の毎日に冷たい雨を降らせている。身体を濡らして冷やす雨は、そのうち朝日の体温をすっかり奪うだろう。そして、いつか身動きが取れなくなる。それを、朝日自身もよくわかっているんだ。


 それでもやり続けていく仕事なんて、いったいどんな価値があるんだろう。自分を削ってまで続けて、朝日のもとには最後、何が残るっていうんだろう。

 朝日はもっと自分を大切にするべきだ。私が代わりにしてあげたっていい、なんて言葉は胸の中に飲み込む。


 朝日は大きく目を見開いて、じっと私の声に耳を傾けていたけど、やがて花がしおれるみたいに力なく微笑んだ。


「やめることはできないよ」

「どうして?」


 口元に笑みをたたえたまま、ゆっくりと幕が下ろされるように目をふせる朝日の動作は、男の人なのに美しいと思った。


「……さっきも言ったけど、僕はマシーンなんだ。人を撃つように造られた機械なんだよ。人を撃つことしかインプットされてない。人を撃って生活することでしか生きられないようになってる」


 それは、あまりにも悲しい告白だった。

 その短い言葉の中に、これまでの朝日の人生が凝縮されている気がした。


「……嘘だ、そんなの。そんなの、できっこないよ」

「嘘じゃない。意外とできちゃうみたいだよ」


 朝日は笑った。


「笑わないでよ……なんで笑うの」


 私のほうが泣きそうだ。

 

 私だって恵まれた人生じゃない。でも、朝日のほうが、私より何倍も何倍も苦しくて、辛い日々を送ってきた。それは、今の仕事を辞めない限り続いていく。そして、朝日は辞め方を知らない。こんな悲しいことがあるなんて。


「嘘だよ……」


 レインの被毛から離した腕を前に伸ばす。皿の横に置かれていた朝日の手にそっと触れた。


「ほら、あったかいじゃん……」


 機械なんかじゃない。朝日は生きている生身の人間だ。


 悲しくてたまらない。心が大声を上げて暴れ出してしまいそうだ。

 それなのに、朝日にかけてあげられる言葉は一つもない。思いつかない。


「朝日」


 顔を上げると、ビー玉みたいな深い茶色の瞳と目が合った。こんな澄んだ瞳を持った人が、人を傷つけることでしか生きられないなんて。


 私は子供だ。何も持っていない。お金も、家も、希望すらも持ち合わせていない。

 そんな私にはやっぱり与えてあげることなんて無理だし、出来ることだってたかが知れている。それでも。


 私は朝日を守りたい。

 だから、やっぱり言わないとならない。


「朝日、やっぱり行かないで。行っちゃだめ」

「凛子……僕は」


 朝日が口を開くのを、すぐさま遮る。


「さっき、刑事だっていう男たちが来たの。怪しい人を見てないかって言ってた。もし昨日の事件の犯人を捜してるんだったら、こんな時に仕事に出たら捕まっちゃう」


 それを聞いても朝日の表情はあまり変わらないから、やっぱり朝日は見抜いていたのかもしれない。


 約束の期間はまだ残っている。まだ朝日と離れたくない。本音を言うと、約束なんて無視して、いつまでもここにいてほしい。だけど、リスクが大きいんだったら、私は諦められる。


 私は、私より、朝日が大事だ。

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