自分の役割

 ナルフェック王国の王太子ガブリエル・ルイ・ルナ・シャルルと王太子妃ナタリー・テレーズの間に子供が産まれた。とても元気な女の子で、ディアーヌと名付けられた。正式な名前はディアーヌ・ルナ・ガブリエラ・ナタリー。順当にいけば、ガブリエルの次の代のナルフェック女王になる。ディアーヌが産まれてからはしばらく国中お祭りムードになっていた。

 この日は王宮でディアーヌの誕生とナタリーの回復を祝い、舞踏会が開催されている。この舞踏会には、ナルフェック貴族のほぼ全員が参加している。クリスティーヌも例に漏れず参加だ。

「凄い賑わいようだな」

「左様でございますわね、ディオン様」

 クリスティーヌはディオンとダンスをしていた。ディオンにリードされ、クリスティーヌは軽やかに舞う。

 女性が苦手なディオンだが、クリスティーヌだけはダンスに誘うことが出来た。『薔薇の会』で慣れたらしい。

「ディオン様は賑やかな場所が苦手でございますか?」

「……正直あまり得意ではない。だが、こういった場で人脈を築かないと将来俺のやりたいことは出来ないと思う」

 ディオンは真っ直ぐ前を見据えていた。

「ディオン様は将来どのような道に進もうとお考えなのですか?」

 クリスティーヌは興味を持ったので質問した。

「法務卿の座を狙っている」

 法務卿とは、法律や司法を司る部門のトップに立つ存在だ。

 ディオンはそのまま語り出す。

「識字率や平民の生活水準の向上。ナルフェック王国は変化し続けている。その変化に伴い、新たに制定すべき法律や、廃止すべき法律が出てくる。女王陛下は歴代国王の中で最も有能だから、それにすぐ気が付いて法律を改正している。だが、あのお方は多忙だ。俺はそれをサポートして、もっと早く法改正が出来るようにしたい。それでこの国の民が法関連でストレスなく暮らしていけたらと考えている」

 ディオンはクリスティーヌではなく、真っ直ぐ遠くを見つめていた。

「そこまで大きなことをお考えとは、素晴らしいですわ。わたくしはタルド家や領地のことだけを考えておりました」

 クリスティーヌは目線を少し下げた。

「何を目指すかは人それぞれだから別に良いと思う。俺はテュレンヌ家の三男で、家督は継がない。だから家や領地のことは一番上の兄に任せて俺は自由にやらせてもらっている感じだ。その結果、法務卿を目指すようになった。それだけだ」

「本当に素敵なお考えですわ」

 クリスティーヌはディオンに尊敬の眼差しを向けた。ディオンはクリスティーヌから目を逸らす。

「……ありがとう。その、何だ、クリスティーヌ嬢も凄いと思うぞ。家や領地のことを考えていたり……それと、ダンスや所作が上級貴族と遜色なかったりする。……流石に王族の方が品があるが、マリアンヌ嬢と並んでも見劣りはしない」

 ディオンはしどろもどろになっていた。やはり女性が苦手のようだ。

「お褒めいただき光栄でございます」

 クリスティーヌは嬉しそうにふふっと笑う。

「ああ……クリスティーヌ嬢は王太子妃の座を狙えたりするかもしれないな」

 ディオンは少しぎこちないが悪戯っぽい笑みだ。頑張って冗談を言ってみたのだろう。

「ディオン様、ご冗談にも程がございますわ」

 クリスティーヌはクスッと笑った。

「第一、王太子殿下は既にご結婚されております。それに、仮にわたくしがそのようなことをいたしましたら、ガーメニー王国と戦争になりますわ。ナタリー・テレーズ王太子妃殿下はガーメニー王国の第一王女でございましてよ」

 クリスティーヌとディオンは会場にいるガブリエルとナタリーに目を向ける。二人は優雅にダンスをしている。

 月の光に染まったようなプラチナブロンドに紫の目のガブリエル。顔立ちはルナに似ており背も高い。

 ナタリーは星の光に染まったようなアッシュブロンドの真っ直ぐ伸びた髪をシニョンにしており、目の色はアンバーだ。背丈は低いが誰もが振り返るほどの美貌の持ち主である。

 クリスティーヌは「それに……」と真剣な表情になる。

「身の程知らずなことを望んでしまうと、ニサップ王国で起きた婚約破棄事件のフェリパ様のような結末を迎えてしまいますわ」

「ああ、あの事件か。確かに地に足が付かないと大変なことになるな」

 ディオンもニサップ王国の醜聞をしっているようだ。

 ダンスが終わり、二人は壁の側で休憩している。そこへセルジュがやって来た。

「ご機嫌よう、二人共」

 紳士らしい優雅な笑みだ。

以来ですね、セルジュ殿」

「ご機嫌よう、セルジュ様」

 二人もセルジュに挨拶をした。『薔薇の会』のことはサロンのメンバー以外に知られてはいけないので、周りにバレないようにディオンはぼかした。

「王太子殿下ご夫妻の間にお子が生まれて本当にめでたいね」

「そうですね、セルジュ殿。お産まれになったディアーヌ・ルナ・ガブリエラ・ナタリー王女殿下が健康に育つとよろしいですね」

「それにしても、女王陛下と王配殿下は若くして孫をお持ちになられましたね」

 クリスティーヌはふふっと笑い、会場にいるルナとシャルルに目を向ける。神々しく威厳と品格がある二人はまだ若く見える。

 それから三人は少し談笑した。

「そうだ、クリスティーヌ嬢、僕と一曲ダンスを願うよ」

 セルジュはクリスティーヌをダンスに誘う。

「かしこまりました、セルジュ様」

 クリスティーヌはセルジュの手を優雅に取る。

「でしたら俺はそろそろ別の方にも挨拶をしに行きます」

 ディオンはサッとその場を離れる。

 曲が始まり、クリスティーヌとセルジュはダンスを始める。初めての時と同じで、クリスティーヌはセルジュのリードに身を委ね、守られながら舞う。

「クリスティーヌ嬢は領地経営や小麦の栽培の本をよく読んでいるみたいだけど、実践はしたことあるのかい?」

「いいえ。実践はまだでございます。ただ、領民の方が小麦の栽培でお困りだった際には、微力ながらお力添えをいたしました」

「なるほど。それなら、まだ社交シーズン中だけど、近いうちにルテル領に君を招待するよ。領地でもう少し踏み込んだ実践とか議論をしよう。ルテル領は王都からそこまで遠くはないんだ」

「ありがとうございます。楽しみにしております」

 クリスティーヌは上品な笑みを浮かべた。






♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔






 セルジュとダンスをした後、クリスティーヌは壁際で一人休憩していた。そこへイポリートがやって来る。

「クリスティーヌ、壁の花になっているじゃないか」

「休憩中ですわ、イポリートお兄様。お兄様こそこんな壁際にいらして、壁のシミになるおつもりでございますか?」

 クリスティーヌは悪戯っぽく笑う。

 舞踏会でダンスに誘われない女性を壁の花と言うのに対し、男性の場合は壁のシミと言う。どちらもあまり名誉なことではない。

「僕も休憩だよ。ヴィクトワールを抱っこし過ぎたんだ。最近どんどん大きくなって、腰に負担がかかる。でも、たどたどしい口調で抱っこをせがまれると断れないさ」

 イポリートは自身の腰をさするが、頬は緩んでいた。

「確かに、ヴィクトワールの成長は早いですわ。社交シーズンが終わって領地に戻った時はもっと大きくなっているかもしれませんね」

 クリスティーヌはふふっと笑った。

 ヴィクトワールはまだ一歳なので、領地の屋敷で使用人に見守られながら留守番だ。

「それは楽しみだが、抱っこするとなると腰にくる……」

 イポリートは娘の成長を楽しみにする反面、腰のことを考えると複雑な気持ちになった。

「そこは、ヴィクトワールの為にも頑張ってくださいませ」

 クリスティーヌはふふっと楽しそうに笑う。

 その時、誰かが来ることに気が付いたクリスティーヌは再び淑女の笑みになる。

「ご機嫌よう、クリスティーヌ嬢」

「ご機嫌よう、ユーグ様」

 クリスティーヌはユーグにカーテシーで礼をる。

「クリスティーヌ嬢、そちらの方はもしかして君の兄君かな?」

 ユーグはイポリートを一瞥し、クリスティーヌにそう尋ねた。

「ええ。一番上の兄でタルド家次期当主のイポリートでございます。お兄様、こちらはヌムール公爵家のご長男、ユーグ様でございます」

 クリスティーヌはユーグとイポリートにそれぞれ紹介した。

 イポリートはボウ・アンド・スクレープで礼を執る。

「初めまして、イポリート殿。ユーグ・シルヴァン・ド・ヌムールです。どうぞよろしく」

「イポリート・プロスペール・ド・タルドと申します。お会い出来て光栄です、ユーグ殿」

 それから三人で軽く談笑した。その際、イポリートは時々腰を押さえていた。

「イポリート殿、もしかして腰痛でしょうか?」

「ええ、お恥ずかしながら」

 イポリートは苦笑しながらポリポリと頭を掻いた。

「今年一歳になる娘を抱っこし過ぎてせいみたいですわ」

 クリスティーヌが悪戯っぽく笑った。

「もうご息女がいらしたのですか。タルド家も安泰ですね」

 ユーグは優雅な笑みだ。

「そうだ、イポリート殿。もしよろしければ、ヌムール領にいる整体医を紹介しますよ。腰痛もきっと治せるはずです」

「そんな、ユーグ殿やヌムール領の方々のお手を煩わせるわけにはいきませんよ。それに、しばらくしたら治るでしょう」

「いいえ、イポリート殿、腰痛を甘く見てはいけません。是非、我がヌムール領の整体医をそちらに派遣いたします」

 慌てて断るイポリートだが、ユーグは引く気がないようだ。結局、イポリートはヌムール領の整体医に施術してもらうことになった。その後、イポリートは交流のある者に挨拶をしに行ったので、クリスティーヌとユーグは二人きりになった。

「確かに、クリスティーヌ嬢とイポリート殿は顔立ちが似ているね」

「ええ。ユーグ様、兄に整体医を紹介してくださって、本当にありがとうございます」

「いえいえ、クリスティーヌ嬢の大切なご家族だから当然さ」

 ユーグは真っ直ぐクリスティーヌを見つめる。クリスティーヌの心臓がトクンと跳ねる。クリスティーヌはユーグから目を逸らしてしまう。

「本当に、何とお礼を申し上げたらいいか……」

「君はとても真面目だね」

 ユーグはクスッと笑った。

「ねえ、クリスティーヌ嬢、私と一曲ダンスを願えるかな?」

 ユーグはクリスティーヌに手を差し出す。しかし、クリスティーヌはそれを断る。

わたくしはしがない男爵家の娘でございます。公爵家のご長男とは釣り合いが取れませんわ」

 クリスティーヌは淑女の笑みだ。

「そうか、残念だよ。ディオンやセルジュとは踊っていたのにね」

 ユーグはややすねたような口調だ。

「ユーグ様にはもっと高貴な女性がお似合いでございますわ。兄に整体医を紹介してくださったお礼は必ずいたしますので」

 相変わらず淑女の笑みのクリスティーヌ。

「クリスティーヌ嬢がそう言うなら仕方ない。でも、いつかは君とダンスしたいものだね」

 ユーグは切なげに微笑み、その場を去るのであった。

 クリスティーヌはドクドクと煩い心臓を落ち着かせる。

(駄目よ、ユーグ様にときめいては。あのお方とわたくしでは家格も何もかも釣り合わないわ。それに、ユーグ様とイポリートお兄様をお繋ぎ出来たのだから、それでいいじゃない。それが本来のわたくしの目的なのだから)

 クリスティーヌは自分にそう言い聞かせるのであった。






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 数日後、王都から少し離れたルテル領にて。

「さて、クリスティーヌ嬢、この場合どちらの肥料がいいかな?」

「そうですね……」

 クリスティーヌは目の前の広大な小麦畑に目を向けて考える。まだ種が蒔かれたばかりだ。

 この日、クリスティーヌはセルジュからルテル領に招待されていたのだ。

「小麦に十分な栄養を行き渡らせるにはこちら。ですが、地質に影響を与えてしまいますわ。でしたら、養分は少し劣りますが、もう一つの肥料を使用した方が良いかと存じます」

「正解だよ、クリスティーヌ嬢。実践も問題ないじゃないか」

 セルジュの声は明るいトーンだ。

「お褒めくださり光栄でございます」

 クリスティーヌは淑女の笑みを浮かべる。

 その時、ビューッと強い風が吹き抜ける。春とはいえ少し冷える。

「少し寒くなってきたね。クリスティーヌ嬢、屋敷に戻ろう」

 セルジュは自分が来ていたコートをクリスティーヌにかける。

「ありがとうございます、セルジュ様」

 二人はルテル邸へ戻って行った。

 ルテル邸はタルド領の屋敷よりも数倍広かった。

 暖かい紅茶を入れてもらい、二人は領地経営のボードゲームをしている。

「……やられたよ。僕の負けだ、クリスティーヌ嬢。まさか一勝も出来ないとは」

 セルジュは苦笑してため息をついた。

「クリスティーヌ嬢は最初は堅実な選択を重ねるけど、どこかで大胆な奇策を使ってくるね。それで僕は一気に差を広げられたり、最後に逆転されたりするんだよね」

「ボードゲームだから大胆な策もやってみようと思えたのでございます。実際の領地経営では上手くいくかは分かりませんわ。その奇策に振り回されるのは領民でございますし……」

 クリスティーヌは力なく笑う。

「確かにそうだけど、長い目で見てプラスになれば良いと思う。それに、僕達を取り巻く環境は日々変化している。そんな時に今まで通りの策しか使えないとなると、領地が傾く場合もある。時には大胆な奇策も必要さ」

「ありがとうございます。そう仰っていただけると少し気が楽になりますわ」

 クリスティーヌはふふっと笑う。

「僕は何が起こっても無難で堅実な道しか選べないのがある意味で弱点だと思っているよ」

「そんな、堅実なのは良いことだと存じますわ」

「ありがとう、クリスティーヌ嬢。そこでなんだけど……」

 セルジュのグレーの目がクリスティーヌを真っ直ぐ見据える。

「クリスティーヌ嬢を僕の婚約者候補にしたいんだ」

「え……?」

 突然のことでクリスティーヌは固まる。

「あくまで”候補”だよ。まだ何があるか分からないからね。だけど、クリスティーヌ嬢は大胆な策も考えることが出来る。お互いに苦手なところを補い合えると思う。君はタルド男爵家、僕はルテル伯爵家。家格差は許容範囲だ。それに、お互い領地は小麦の産地。協力体制は取っておいて損はないだろう」

 セルジュは穏やかな笑みだが真剣そうだった。

 クリスティーヌは頭の中に一瞬ユーグの存在が浮かぶ。

「まあそう難しく考えなくていいよ。まだ婚約者"候補"で、正式な婚約者ではないからね」

 ハハッと笑うセルジュ。

(確かに、ルテル家とタルド家は繋がりや協力体制を持って損はないわ。お互いメリットだらけよ)

「承知いたしました。まだ"候補"ではございますが、考えておきます」

 クリスティーヌは真っ直ぐセルジュを見据えていた。

(わたくしはタルド家や領民の為に動かないといけないのよ。それがわたくしの役割だから)

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