宮本武蔵の憂鬱

海石榴

第1話 ろくでもない父親

 武蔵の父親は、平田無二斎という。

 無二斎は武芸者であった。

 刀術だけでなく、槍術などにも長じていたが、とりわけ十手術を得意としていた。

「若い頃、京の都で御前試合をした」

 というのが、この男の唯一の自慢である。


 御前試合というのは、当時の足利将軍義昭の前で、将軍指南役の吉岡憲法と技を争ったことをいう。真偽は定かではないが、将軍指南役の剣術者と三本勝負のうち、二本をとったというのだから、相当の手練れであったようだ。


 しかし、いまは、美作国讃甘郷みまさかのくにさぬもごう宮本村の土豪・新免伊賀守の所領内で細々と暮らす牢人にしかすぎない。

 

 武蔵はこの父親から兵法の手ほどきを受けた。

 しかしながら、教え方が粗雑で乱暴であった。当然、女も気にくわないと殴る。いまで言うところのDV男で、そのため武蔵の生母は夫無二斎の暴力が原因で離縁というか、隣国の播州左用村ばんしゅうさよむらの実家に逃げ帰っている。

 

 武蔵に対しても、ちょっとしたことで腹を立て、そればかりか衝動的に小刀や鉈を

投げつけたりする、ほとんど狂人というていであった。

 こんな父親と気が合うはずもない。

 無二斎の後妻となった「継母」とも気が合わなかった。

 武蔵は毎日憂鬱であった。


 そして少年ながら思った。

「やはり男は、立身出世しなくてはダメだ。御前試合で京の一流兵法者に勝ったというに、何の因果か落ちぶれて、ど田舎で屈折した日々を打ち過ごした末、根性まで腐りきっている。俺は絶対にこんな哀れな男にならない。こんな生き方は絶対にイヤだ」

 

 しかし、立身出世するにはどうしたらよいのか。

「できれば風雲に乗じて大名にまで昇り詰めたい」

 と思ったが、その方法がわからない。

 このとき武蔵13歳。

 本来なら、まだ遊び盛りのガキだというのに、武蔵は道端の草を木刀で薙ぎながら、野良犬のように暗い目をして空を仰いだ。


 むせ返るような草いきれの中で武蔵は木刀を振りまわした。

 垢衣蓬髪。綾目も定かならぬボロを着て、髪はモジャモジャ伸び放題。

 鬱屈した心を抱えて、穢く、まったく可愛げのない子供が、野望だけを持ってそこに屹立していた。

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