『藁人形と鬼と亡き母』・後

 ――なんだ、この内容は。

 結局、子供が藁人形になった正体が分からないし、あまりに急ぎ足で説明されていないことが多すぎるのではないか。

 作者は一体何を思って、細かいことを書かなかったのだろう。神社のこと、沼のこと、その他もろもろ……。

 ピコンピコンピコン

 ――ん?

 いきなり連続でスマホの通知音が届いた。

 せわしなく身体をよじらせながら通知を見ると、それはBOOK MARK公式SNSへのリアクションだった。

『BOOK MARKのスタッフの女は、大森さんから金だけをもぎ取ってる』

『古本屋から格安で漁った本だけを販売している』

『法律から逃げている』

 ――なんだ、これは。

 いきなり、この町を紹介した投稿に批判が相次いでいたのだ。それも、どれも根も葉もないことで、馬鹿げた攻撃だった。

 次から次へとコメントは増えていく。

「おい、ちょっと急な坂だから気をつけろ」

 雄星が喋っても、和花はスマホの小さな液晶画面に目を釘付けにして、捨て犬のように体を震わせていた。

『青木和花は、黒魔術の勉強をしていた女。ある新興宗教の信者らしいで』

「おい、どうした和花?」

 和花は、コメントから目を逸らすように車窓を見た。

 刹那。


 がらがら、がらがら、がらがらがらがらがら

 じゃんじゃんじゃんじゃんじゃん

 ぱちっ、ぱちぱちっ、ごごごぼぼぼぼぼっ、ばちばちばち

 ざく、ざくざくざくざく、ざくっ

 ……ぐさっ


 神社の鈴を鳴らすような音、お祓いをする時に振ってる棒みたいな音、火が燃えてるような音、畑を耕すような音、そして、生肉に包丁を突き立てた時みたいな、鈍く生々しい、いわゆる繊維を切り裂く音。

 音は、確かに車のラジオから聞こえている。

「何だ、この音。狂ったか?」

 雄星は局を変えようとするが、どの局にしても流れてくる音楽は全く変わらない。

「……吐きそうです」

 和花の顔からは、生気が消え失せていた。

 音はだんだん大きくなっていく。坂のてっぺんに来ようかと言うところで、音は最も大きくなった。

「ちょっと、吐きそう……一度、止まって」

 これから坂を一気に下ろうかと言うところで、バンは停車した。

 止まったのは、山の麓の中の名も無き神社だった。ろくに整備が行き届いていないようで、鳥居は、色が剥げて昆虫が食い荒らしている。落ち葉が溜まりそれが湿って、吐き気を助長してしまいそうな生臭い腐臭を発していた。

「……うえ?」

 その神社の鳥居の側面に、何かが刺さっているのが見えた気がした。

 そろり、そろりと鳥居の横に回る。


 やはり、藁人形が二体、突き刺さっていた。

 

 その下には、何やら長い紙が、藁人形に刺さってるものと同じ針で止めてあった。

『暴言に、カナウミライは無い』

 カナウミライ。

 和花はその場に立ち尽くした。

 それもそのはず、和花と雄星が出会ったきっかけと言うのが、占い師であるカナウミライの著書を、高校の図書室で雄星に勧めてもらったからだったのだ。

「あなた、何をしているの?」

「キャッ!」

 勢いで後ろを振り向くと、異様に透き通った肌の女性が立っていた。

 ――まさか。

 この神社は、作者が敢えて書かないようにしたのではないか。実は、この神社があの神社なのではないか。

 ならば、目の前の女性は……。

「先程、ある移動書店に大量の誹謗中傷が届いていたので、その首謀者を藁人形にしました。匿名だからって、騙されないと思うのは大間違いです。あなたも同じ考えの持ち主なのではないですか?」

 ――そうか。

 雄星との出会いの架け橋となった、カナウミライの『未来を映す七つの魔術』には、気に食わない人がいれば人形を作って発散しよう、とあった。この人は、カナウミライの流れを汲んでいるのか……。

「私には、夫と息子の純平、娘の彩華を再びこの世に取り戻すという使命があるんです。そのためなら、どんな犠牲を払ってでも……」

 ――そうか。

 祖母だけでは無かった。母までも、また違うものに取りつかれてしまったのだ。


 ――私は、今、ドッカラ・オンネン・ジュゴン・レディオの舞台、九十九町にいる。




 あの後には、少しどこかを彷徨ったような記憶が残った。どこか、と言っても、さざ波の中を漂流したような感覚である。

 その次には、和花は走行するバンの助手席に座っていた。

「おはよう」

「……おはよう、ございます」

 もう間もなく、日が暮れようとしている。

「山はやめた。明日からまた、営業だ。探したら、ちゃんとその本、それを入れて十冊ジャストあったぞ」

「……そうですか」

 手元を覗き込むと、蟻の大群のような真っ黒い字で埋め尽くされた冊子があった。それは奥田家の怨念を解き放つ、呪言だ。

 ――ん?

 と、本を閉じると何かが挟まっていることに気が付いた。

 もう一度本を開いてみる。


 挟まっていたのは、赤い円に金色の時計のマークがついたピンバッチだった。




 次の日、四行市にやってきたBOOK MARKは、十冊の『異界駅長』を手書きのポップで売り込んだ。

 そして、十冊は飛ぶように売れてしまった。

 ピンバッチは、和花のポケットの中に大切に閉まってある。なんとなく、これは誰にも見せてはいけないものに思えたからだ。

「おい、和花! 大変だぞ!」

 昼休憩でトイレに行っていた雄星が、ものすごい勢いで扉を開けて乗り込んできた。

「どうしたんですか?」

「あの本……『異界駅長』とかいう本、なんか良からぬ噂があるらしい」

「どういう?」


「あれを中高生が読んだら、なぜかは知らんがみんなSNSの誹謗中傷の常習犯になって警察にしょっ引かれたりするらしい」


「……本当、ですか?」

 ここは四行市、九十九町の隣。

 ――今すぐにでも、彼らは、カナウミライの宗教の力を持った、彩華の母に殺されちゃうかもしれない。

「今すぐ、本を回収しないとダメです!」

「はぁ、そんなこと出来るわけないだろ、今更……」

「なら、どうすれば……?」

「……神仏に祈るしか、無いんじゃない」




 再び鎮御山神社に戻ってきた。

 和花は三十分以上、目を閉じて手を合わせ、泥水に洗われた賽銭箱の前でひざまずき、沼に沈んだいくつもの魂に祈りを捧げようとしていた。

「……何をしているの?」

 ふと、背後から声が掛かった。

 振り返れば、この前の人だった。昨日よりも、また一段と色白になったように見える。

「……藁人形になる人がいなくなるように、祈ってたんです」

「……そう。なら、あなたの使命は、一つよ」

 彼女は、和花の肩にそっと手を置いた。

「RED*CLOCKと、付き合って、世の中を良くすること」

 彼女は和花のポケットの中に手を突っ込み、ピンバッチを和花の手のひらにそっと置いた。


 ホー、ホケキョ


 次の瞬間、和花は我に返ったように目を見開き、立ち上がった。

 木漏れ日が差し込む古ぼけた神社の森では、鶯が高らかに春を告げている。

 辺りを見回しても、あの女性はもういない。

「……これを」

 ひょっとすると、ピンバッチは、ノンフィクションとフィクションを繋ぐ、境界線を曖昧にする、未来の道具なのかもしれない。

 だとしたら、あの本を手に入れた若者たちは、著者が記した、世の中にありふれる恐怖に触れることで、成長してくれるはずだ。

「おーい、和花ー」

「……はーい!」

 和花は、手の中のピンバッチを握りしめ、雄星とたくさんの本が待つバンへ駆けだした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る