第38話 白井の告白
「そうだな……うん。まず、僕の話をしよう。僕は、藍ちゃんのお母さんの弟にあたる。つまり、叔父さんだね。僕は緑青の家の五人兄弟の末っ子で……出来損ないだった。上の姉と兄三人はそれはもう優秀でね。一族の覚えもめでたかったよ。それにひきかえ僕は成績もパッとしない、秀でた才能もない、おまけに小さい頃は体が弱くてね。鼻っから見放されていたんだ。いてもいなくても一緒なくらい。だから、両親は僕を手放した。分家の子供のいない白井夫婦のもとへ養子に出したんだ。引き取ってくれた二人はとても優しかったし、のびのびと暮らすことができて僕としては有難いことだったよ。緑青の家は僕には居心地が悪かったから。藍ちゃんと苗字が違うのはこういう理由があったのさ。でも……あの緑青の家で、姉さん……年の離れた一番上の姉だけが僕に優しかった。僕も姉のことを慕っていたし、藍ちゃんのお父さんとも気があってね。年が離れていたのもあってか、本当の弟みたいに可愛がってもらったよ」
白井は懐かしそうに、目を細めた。
「藍ちゃんが生まれてからも、関係は良好だった。でも、目に見えて彼は疲弊していった。僕は見放されていたけれど、彼は期待されていたからね。その期待に応えたかったんだろう。それに、自分が評価をあげればそれだけ家族が優遇されるって、わかっていたんだ。姉と藍ちゃんを守りたかったんだろう。優しい人だった。でもそれ以上に繊細な人でもあった。とうとう限界が来てしまったんだろうね。ついには行方をくらましてしまった。僕は、なにもできなかった」
なにかできる、なんて思うことはあの頃は烏滸がましいとすら思っていたんだよ、と付け加えた白井は悲しそうに目を伏せてしまった。
「藍ちゃんが僕を嫌う理由はね、お父さんを助けられなかったこともあるけど、僕だけが知っていたからなんだ。彼が漫画を描くことを。唯一、僕だけが知っていた。彼が漫画が好きなことを、将来の夢は漫画家になることだったことをね。でも、諦めたこと。……言うべきだったのかもしれないけど、口止めされていたからね。ほら、男同士の友情──秘密みたいな、そういうのだった。でも、藍ちゃんは秘密を見つけてしまった。あのノート達を。それを僕に突きつけて、それを見た僕の表情から悟ってしまったんだよ。ずっと前からこのことを知っていたんだな、って。どうして教えてくれなかったんだと詰られて、結果泣かれてしまった。あれ以来、僕を見ても知らんぷり。謝るにも、どう謝ったらいいのか、わからなかった。何を言っても、言い訳にしかならないからね」
これが僕が嫌われている理由だよ、と白井は眉を下げて言った。俺は返す言葉を見つからず、ただ黙っていることしかできなかった。
「……僕がここの高校に赴任したのと、藍ちゃんがここに入学したのは本当に偶然だった。また無視をされると思っていたのに、入学してしばらく経ったある日、突然相談してきたんだよ。放課後自由に使える教室を貸して欲しいって。どういう風の吹き回しかと思ったけど、黒石くん。君が藍ちゃんを動かしたんだよね?」
白井が柔らかく微笑んだ。
「藍ちゃんはそれから随分変わったよ。まぁ、相変わらず僕は嫌われたままだけど。……憎まれ役でもいいんだ。それで藍ちゃんが救われるなら。……でも、人を憎むのは、辛い……哀しいことだからね。君と出会ってくれて本当に良かったよ。黒石晃くん。僕、言ったよね。似ているって。それは、勿論藍ちゃんのお父さんに似ているって意味だよ」
俺は思い出していた。似ているね、と白井に言われた日を。白井も緑青と同じで、俺に彼を重ねていたのか。
「そんなに……似てますか?」
俺の質問に、白井はうーん、と少し唸ってから口を開いた。
「どうだろう。あの時は似ていると思ったけれど、今はそんなに似ていないかもしれないと思うんだよ。でも、うーん、どうだろう」
曖昧な返答に、拍子抜けしてしまう。でも、そうだよな。俺は彼じゃないし、似ていても似ていなくとも、別の人間だ。だから、そんなことは気にすることはないんだろう。
「すみません。引き止めてしまって」
頭を下げると、白井は手をひらひら振りながら軽やかな笑みを浮かべて言った。
「いいよいいよ。いつか、話す時が来るって思ってたから」
「……話してくださって、ありがとうございました」
「黒石くん」
白井の目が、俺を真っ直ぐにとらえた。その真剣な眼差しにごくり、と唾を飲み込む。
「君は……」
そう言いかけて、白井は口籠もった。俺はなんだろうと首を傾げて見守ったが、
「いや、これは言わない方がいいね。何でもない。お大事にね」
とはぐらかされてしまった。白井が保健室から去ったので、俺はベッドに倒れ込んだ。シーツの冷たさが心地よい。
また一つ、緑青について知った。
彼女に会うのは、次はいつになるだろう。会えないと思うと無性に会いたくなってしまう。
何回か寝返りをうった俺は、だんだんと瞼が重くなり、やがて考えるのをやめて意識を手放した。
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