失恋女、ヤンキー兄さんと海に行く

国樹田 樹

失恋女と金髪ヤンキー

 くすくす、と控えめな笑い声がした。


 嫌な感じは全くない。どころか、若い女の子が友達と戯れる時特有の、可愛らしい声だった。

 それをベンチに座り眺めながらぼんやり思う。


 若いっていいなー……なんて。

 自分がこんな風に思うなんて、彼女たちの年頃にはまさか思わなかった。


 過ぎていくセーラー服の女の子達を横目に見ながら、あ~あとため息ついでに空を見上げる。


 春の空はほぼ水色だ。

 晴天晴天、まさにお花見日和。


 だのに私の心境といったら……。


 またまたぼけーっとしていたら、なぜか頬にすうーっと流れてくるものを感じた。

 膝の上に置いた白い封筒に、ぽたりと雫が落ちる。


 ありゃ、まさかこんな場所で、公園のベンチのど真ん中って、おいおい……なんて思いながら頬をそっと指先で辿ると、案の定涙の跡で。

 しかも後からあとから流れてくるもんだから、ちょっと慌てた。だけど半分、諦めてもいる。


 うわぁ、こんな晴れた日に、みっともないな、私。

 失恋OLの公園泣きとか、絵面的にかなり痛い。


 自分のどうしようもなさに呆れながら、より沈んでいく心の重さに苦笑した。


 今更だけど、今の私の格好はスーツだ。それもばりばりのリクルートスーツ。

 ちょうど三年目になるせいか、脇のところが擦れて生地が毛羽立っている。

 元々そんな良い品でもないし、仕方がない。デパートのセール品ならこんなもんだろう。


 髪型はよくあるひっつめ。ロングだから後ろで一本に括って、バレッタで後頭部にパチンととめてある。

 事務の人とか、お局って言われる人がよくやってるスタイル。染めてもいない。

 ほんと、お洒落も何もあったもんじゃない。

 仕事は確かにし易い。誰にも難癖つけられないから。下手にお洒落してると、女は色々面倒だ。


 だけどそんなバリバリOL姿の女が、こんな真昼間から公園のベンチで空見上げて泣いてるとか、普通に考えてもかなりヤバイと思う。


 散歩中とか絶対に遭遇したくない。自分でやっといてなんだけど。

 そう、自分でも思うのに。


「っと、とまら、なっ……」


 つーっと流れていく静かな涙に、勝手に嗚咽が混じる。自分でもやめなければと思うのに、身体は言うことを聞いてくれない。コップに入りきらない水が溢れるように、とめどなく涙が出続ける。

 ベンチに座って顔を俯けているせいか、通り過ぎる人の視線を感じた。

 お願いだから見ないでほしい。自分でもみっともないのはわかってる。

 それに、こんなところ会社の誰かに見られたら、恥ずかしいなんてもんじゃない。


 ここは会社の近くだから、いつ誰が通っても不思議じゃない。

 現に私だってここでお昼ご飯を食べようと思って来たんだし。普段はそうしてる。

 ……今日は結局、喉を通らなかったけど。


 それにしても涙、止まってっ。


 言い訳とか焦りとか、色々考えながらぐっとこれ以上涙が出ないように踏ん張る。

 が、やっぱり止まらない。


 ああ駄目だ。これ本気で止まらないやつだ。

 情緒不安定ってやつだわ。


 そうだ、顔を下に向けたまま、なるべく早足で家に帰ろう。早退することになっちゃうけど、今まで無遅刻無欠勤だったし、一回くらい許されるでしょ。


 かなり苦しい言い訳を自分にしながら、私はお弁当と白い封筒を鞄に突っ込みベンチから立ち上がった。

 涙腺崩壊については開き直るしかない。

 バッグは右肩にかけてあるし、特に会社に取りに戻るようなものもない。

 なら、このまま直帰コースでもなんら問題はないというわけで。


 ……よし!


 私は俯いたまま、一歩を踏み出そうとした。

 その時だ。


「おーねーえーさんっ」


「っきゃ!」


 突然、右手首をくんっと引っ張られて驚いた。ついでに身体も傾いていく。


「わ、わわ!」


「おっと」


 ぐらり、とよろけた私の身体を、誰かの片腕が支えてくれた。がっしりした太い腕に、私の腰が綺麗におさまる。

 同時に身体がふわりと温かいものに包まれた。


 ぐっと抱き込まれた自分の腰に目をやると、ちょっと焼けた肌の鍛えられた腕が巻き付いている。腕には、金と銀の厳めしいブレスレットが二連光っていて。

 ちらりと見えた手の指先には、これまたゴツい造りの指輪もあった。

 黒い宝石みたいなのは、オニキスだろうか。


 これで殴られたらめちゃくちゃ痛いだろうな、なんて変な感想を抱く。


 って? え?

 待って、これ、誰の腕?


 吃驚して腕を辿り目線を上げると、見た事のない誰かの顔があった。

 というか、これまで関わった事の無いタイプの顔があった。むしろ関わりたくないというか。


 春の空に金色の髪がきらきら輝いている。生え際は黒いから、恐らく日本人なんだろう。

 けれど顔立ちはハーフかと思うほど彫り深く、くっきり二重で垂れ目がちの瞳は女性受けしそうな甘さがある。


 なのに彼の耳にはこれでもかというほど沢山のピアスが付いていて、その仰々しさが派手な金髪と相まってお近づきになりたくない印象をさらに強めていた。


「急に声かけてごめんね? でもお姉さん見てたら放っとけなくてさ」


「は、あ……?」


 今私の視界にあるのは、水色の空と派手派手しい金髪頭。

 普段なら絶対にお目にかかりたくないタイプの、ばりばりなヤンキー兄さんの顔だ。


「ね、お姉さん。今から俺とどっか行かない?」


「へ?」


 ヤンキー兄さんは綺麗な顔立ちからは意外な人懐っこい笑顔で、そう言った。


***


 ナンパだ……!


 一瞬パニックになったものの、台詞がまんまだったので即座にそう判断した。

 しかも今時お昼のドラマですら使われてなさそうな常套句だ。


 『今から俺とどっか行かない?』なんて言われて、今時ついていく女性がいるだろうか?

 まず、いないと思う。


 しかも相手は目が覚めるような金髪と、よく見たら首にも腕にもゴツいデザインの金銀アクセサリーをじゃらじゃらつけているような人だ。服装は若草色のパーカーにデニムといったシンプルなものだけど、ラフ過ぎて軽薄そうな印象を受ける。


 年齢は……私と同じくらいか、もしくは一つ二つ下、くらいだろうか。

 どっちにしても平日の昼間っからこんな格好で公園にいるあたり、まともな仕事をしている人とは思えない。

 いや私も人のこと言えないけど。昼休憩から午後の仕事仮病早退するつもりだし。


 しかし、見た目で人を判断するなとは言うけど、こんな危なげな人にほいほい付いていったりしたら、どうなるかわかったもんじゃない。


 というか、今の状態も十分、やばくない……!?


「わ、私そういうタイプじゃないんで……! だから、は、離して……っ」


 未だ私の腰を抱いたままの金髪男きっと睨み付ける。

 今ほど自分の目からレーザービームが出たらいいのにと思ったことはなかった。


 彼はよろけた私の腰に腕を回したまま、なぜか動きを止めていた。


 おかげで私と彼は至近距離で向かい合わせになっている。なんだか色々近い。

 顔が近い。日本人離れしたヤンキーフェイスがめちゃ近い。綺麗な上にど迫力。

 何の拷問だこれは。


 いくら顔が良くてもナンパ師ヤンキーなんてごめんだ。

 絶対ろくでもない男に決まってる。


 で、あれば。

 こういう時は……逃げてなんぼだ!


 少女漫画とかならこういう時、颯爽とヒーローが現れるんだろうけど現実は違う。

 ヒロインが私だからかとか自嘲したくなるけど今は無視。


 社会人OLは自分の身は自分で守るのだ!


 私は右足を後ろに引き、普段デスクワークで使っていない筋肉をフル稼働させて拘束から逃れようと力を入れた。


 すると、急にふわっと身体ーーーというか腰が解放されて、おや? と呆気にとられる。


「ああごめん。抱き心地いいから、つい」


 私の抗議に、金髪のお兄さんはごめんごめん、といった風に軽く謝りながら身体を離した。

 全然悪いと思ってなさそうな言い方と「抱き心地」という感想に、ちょっとだけむっとする。


 それは私の身体がふよっとしてると言いたいのか。

 かのビーズクッションのようにもたっとしてると。そう言いたいのか。


 ヤンキー兄さん相手だというのに、私の中の生来の負けん気が顔を出す。

 が、ふと右手の違和感に気付き目を向けた。


「あの」


「ん?」


「どうして手、離してくれないんですか」


「あー……」


 指摘したら、にこーっと笑顔で返された。や、だから何の笑顔ですかそれ。

 キラキラしてますが単に髪の毛光ってるだけですよね金髪ですし。

 じゃなくて、はーなーせーっ!


 ぐぐぐ、と手を引き抜こうと頑張るものの、細身な外見とは違い存外力があるらしいお兄さんはびくともしない。

 これはいよいよ大声を出すべきか、と思案していると、お兄さんは慌てたように早口で話し始めた。


「いやいや、だいじょーぶだって! 別に変なことしないからっ。それにおねーさんその顔じゃ歩いて帰るにしてもしんどいでしょ?」


「え……」


 言いながら、お兄さんは自分の目元を空いた方の手で指差していた。

 長い指先が綺麗な卵形の頬をつうっとなぞる。どうやら涙の跡を指しているらしい。


「そんーーー」


「俺もさぁ、ちょっと今日しんどい事があってさ。泣きたい気分なの。でも一人じゃいたくなくてさー……だから、お姉さんに付き合ってもらえたら、有り難いんだけど」


 そんなの大きなお世話だ、と言おうとしたのに、お兄さんがそう言って私の前で両手を合わせたもんだから、つい喉がつっかえた。


 「泣きたい気分なの」と軽く話したお兄さんの焦げ茶の目に、自分と同じ痛みを見たからだろうか。


 せっかく手を離してもらえたんだし、そのまま立ち去ればいいのに、って自分でもわかってる。


 だけど気付いたら、私はなぜか明らかにヤバそうなお兄さんのその提案に、頷いてしまっていた。


***


「え、ええと、それじゃあ……よし! どっか泣けるところに行こう!」


 金髪の美人系お兄さんは、私が頷くとなぜか一瞬驚いたような顔をして、それから気を取り直したみたいに、にっと悪戯っぽい笑顔を浮かべて言った。


「泣けるとこってどんな所?」


 なんだか小学生の男の子みたいな表情のお兄さんに、悪い人ではなさそうだと感じて、つい軽めの突っ込みを入れてしまう。

 

「大丈夫だから俺にまかせて。絶対いいとこ……綺麗なとこに連れてってあげるから!」


 綺麗なとこ……やっぱ海とかかな。

 こういう場合。


 こちらの突っ込みにも嫌な顔ひとつせず、お兄さんは笑いながら私の手をぐいぐい引っ張っていく。

 なんだか、親戚の子を遊園地に連れてきた時みたいで、彼の歳も知らないのに姉のような気分になる。


 けれど私の手首を掴んだ彼の手は大きく、男性らしい骨張った感触が肌に伝わっていた。

 それにほんのちょっとだけドキドキする。


 変なの。

 なんで私、OKしちゃったんだろ。

 いつもなら絶対断るか、逃げるかするはずなのに。


 自分で自分の行動を不思議に思う。

 失恋の痛手にしたってかなり無謀だ。それくらいの判断はできる。


 でもま、いっか。

 なんかお兄さん、楽しそうだし。


 普段の自分からは考えられない楽天的な思考に内心苦笑した。

 たまには、成り行きにまかせてみるのもいいかもしれない。

 ちょっとした冒険だ。


「とりあえずこっち来てー。乗せていってあげる!」


「乗るって何に?」


「見てからのお楽しみー!」


 お兄さんは何がそんなに楽しいのか満面笑顔だ。さっきは泣きたい気分だと言ってたけど特に無理をしているようには見えない。それとも笑顔の裏で泣くタイプなんだろうか。

 たとえ嘘だったとしても別にいい。


 歩きながらお兄さんをまじまじ観察してみる。

 見た目は確かに派手だけど、顔立ちは本当に綺麗な人だ。

 

 日本人で金髪が似合う人なんて芸人さんくらいだと思ってた。

 ここまでストレートに『似合う』男性は初めて見る。焦げ茶色の大きな瞳や、高く通った鼻筋なんかはまるで彫刻みたいだ。

 服装がラフだから柄悪く見えるだけで、髪を整えてスーツを着込めば俳優さんみたいになりそうだ。


 きっと彼はナンパなんてしなくても、女性の方から勝手に寄ってくるタイプだろう。

 とすると、そう危ない感じがするわけでなし、一日くらい付き合っても大丈夫ではなかろうか。なんて、一応自分なりに推測してみる。


「あったあった。ほら、あれ!」


 強くも無く弱くも無い力に引っ張られるまま付いていくと、公園の出入り口にある車両進入禁止のポールが見えた。


 向こう側は駐車場になっており、数台の車や自転車が停めてある。お兄さんは私の手を掴んだのとは反対の手で、駐車場の端、自動販売機の横に停めてある一台の黒いバイクを指差していた。


***


 ……乗せるって、バイクのこと?


 てっきり車だと思っていたから少し驚いた。

 しかし、テンション高めのこのお兄さんには確かにバイクの方が良く似合うかもしれないな、と思い直す。

 

「このバイク、貴方の?」


 バイク前まで来たところで訪ねると、お兄さんがにっと笑って頷いた。

 

「そ、コイツが俺の相棒ってわけ!」


 言いながら、お兄さんはバイクの後部を何やらごそごそ漁り始める。


 なんていうか、綺麗な人なのに無邪気な顔をするなあと思う。

 好きで乗っているタイプなのだろう。


 彼のバイクはボディは全体的にマットなブラックで、所々にライムグリーンの差し色が入っている。確か有名な国産メーカーのトレードカラーだ。


「乗せてくれるってバイクの事だったんだ」


「怖い?」


 お目当ての物が見つかったのか、お兄さんが私の方に振り向いた。

 窺うような瞳と視線がかち合う。どうやら怖じ気づいたと思われたらしい。


 怖いというより、経験が無いからわからないだけで、今更彼の提案を断るつもりはないんだけどな。


「乗ったことなくて」


「気持ちいいよ-。よく風を切るって言うけど、そんな感じ!」


「その説明ざっくり過ぎない?」


「あっはっは! まあ、大丈夫だよ。安全運転で行くから。で、はいこれ」


 私がやめると言わなかったのが嬉しかったのか、お兄さんは上機嫌で手にある物を渡してくれた。大きな丸いフォルムは、ベージュ色のヘルメットだった。

 お兄さんの方はバイクと同じ黒い色のを手にしていて、手早く装着し始めている。


「ヘルメットの予備持ってるんだ。コレって貴方の彼女さん用とかじゃないの? 借りて大丈夫?」


 訪ねるとお兄さんは一瞬あれ? とした顔をして、何かに気付いたみたいに急にピタリと動きを止めた。そして片手を目元に当て「あちゃ~」と呟く。

 

「どうしたの?」


 突然おかしな行動を取るお兄さんに、疑問符を浮かべながら聞くと、彼は掌の下にある焦げ茶色の目でちらりとこちらに視線を寄越した。


 なんだかバツが悪そうに見えるのは気のせいだろうか。

 

「ごめん……! 名前言うの忘れてた……今更だけど、俺は川崎草(かわさきそう)。草って呼んでね」


 反応に困っているとお兄さん―――草さんは突然両手をぱんっと合わせ、私に向かい頭を下げた。

 彼の顎下でヘルメットのベルトが揺れる。


「そんな、いいですよ、気にしなくて。私も名乗ってなかったし。あ、私は雪平依子(ゆきひらよりこ)です。ってこっちも今更ですね。それはそうと、名字が川崎って……」


 頭を下げられているのが居たたまれなくて、無理矢理に会話を方向転換させた。


「あ、気付いた? そそ。自分の名前に合わせてコイツ買ったんだよー。もう今じゃぞっこんでさ。メットの予備は時々弟を乗せてるから持ってるだけ。……だから、彼女はいないよ。募集中だけど」


 私がわざと話を変えたのに気付いたのか、顔を上げた草さんが穏やかな表情で言った。

 年齢を聞いたわけではないけれど、その顔がなんだか私より年上に見える。

 弟さんがいるそうだから、お兄さんぽく感じるんだろうか。

 

 だというのに名字に合わせてバイクを選んだと聞いて、つい笑ってしまった。

 

 ぞっこんって言い方も今日び聞かないな。

 なんていうか、見た目に似合わない懐っこさと言い回しをする人だなぁと思う。 


「お、笑顔出た。いいね! じゃ、そろそろ行こっか。後ろ乗って」


「ええと。お、お邪魔します……」


 先にバイクに跨がった草さんに促され、おっかな吃驚で後ろに座る。それからバレッタで留めていた髪を下ろしてヘルメットをかぶった。髪を解いたのはなんとなく、ヘルメットの邪魔になるかと思ったからだ。


 すると見計らったようにぱっと腕を取られ、彼の腰あたりに手を持って行かれた。

 ここを持て、ということらしい。

 男の人に後ろから抱きつくなんて初めてだ。


 どうしよう。ってやるしかないか。

 うう、でも流石に緊張するなぁ。


 躊躇っていると、ふと視線を感じた。ぱっと目を向けるとサイドミラー越しに笑顔の草さんと目が合う。なんだか「大丈夫」と言われているような気がした。


 恥ずかしかったものの、私は清水の舞台から飛び降りる気持ちで両手を彼の腰に回しひっつくようにした。

 空気を吸い込むと、鼻腔に微かな男性特有の匂いと、他に不思議な華やかな香りを感じる。


 ん? なんだろこれ。すごく良い匂い。

 何かの花の香りみたいな。香水……かな?

 それにしては自然な香りだけど。


 香水か何かだろうかと思って、何となくすんすん嗅いでみる。すると、ひっついた背中が僅かに跳ねた。


「っ」


 あ、まずい。


 何かいい匂いだったからつい嗅いじゃった。

 もしかして、変態だと思われた?


 やらかしてしまった失敗に、思わず青ざめる。

 冒険してみようとは思ったけれど、痴女になりたかったわけじゃない。

 一体自分は何をやっているんだと、自分で自分を張り倒したくなった。


 嫌な思い、させちゃった?

 降りろって言われるかな?


 恐る恐る、ヘルメット越しに彼の様子を窺う。

 けれど見えるのは背中と後頭部のみで、表情はわからない。

 サイドミラーを見ても顔がそっぽを向いていて見えなかった。

 ただ、耳たぶが少し赤くなっているような……やっぱ気のせいか。


 どうしようか悩んだものの、何も言われないのを良いことに私は彼が出しておいてくれたバイクのステップに足を乗せた。やっぱり駄目って言われたらその時はその時だ、と脳天気に考えて。 


 ええと、確かバイクで二人乗りするのをタンデムって言うんだっけ。

 バイク自体も、二人乗りも、初めてだらけだわ。


「大丈夫?」


「っあ、はい! 乗れました」


 そんな風に考えていたら、草さんが声を掛けてくれた。

 どうやら先程のは私の気のせいだったらしい。

 というか、彼の声が直接身体越しに響いたせいで、少し吃驚した。


 私が返事を返すと、草さんがバイクのエンジンをかけた。予想はしていたけど、結構音が大きい。公園にいた人達の視線が一斉に集まるのがわかり、私はさっと顔を俯けた。


 頬が熱いのは、草さんの背中にくっついているからだろうか。

 それとも、周囲から注目されたせいだろうか。

 たぶん両方だ。


「しっかり掴まっててねー」

 

「はい!」


 早くなる胸の鼓動をなんとか落ち着けようとする私に、草さんはヘルメット越しに軽く告げて、コンクリートの上を泳ぐようにバイクを走らせた。


***


 ーーーそれから高速に乗って、途中のパーキングエリアで会社へ早退の連絡をしたりお茶をしたりして、一時間ほど経った頃。


 私達は打ち寄せる白波を横目に、真昼の海岸線を走っていた。


「わ……!」


「どー? 爽快っしょ!」


「はいっ!」


「よし、いい返事!」


 背中越しに言われて、返事をしたら楽しそうな声で返される。

 彼が声を発する度に手に振動が伝わるのが、なんだか心地よかった。


 びゅう、という風の音が耳に響き、突風がおろした髪をすごい勢いで靡かせている。

 風を切る感触が気持ちよくて、私はヘルメットの中で自然と笑顔を浮かべていた。

 

「はい! ど定番の海でーっす!」


「綺麗……!」


 やがて前方に白い砂浜が見えて来て、私達は手前の公共駐車場でバイクを降りた。


 海の方へ繋がる階段を下っていくと、砂の向こうにきらきら光る波しぶきが見える。

前を歩く草さんに連れられ進んでいくと、まるでダイヤの粒を散りばめたような眩しい海原が広がっていた。


「春の海って、こんなに綺麗なんだ……!」


「どう? 気に入った?」


「はい!」


 輝く海に目を細めながら、大きく深呼をして潮の香りを肺に満たす。

 海風に微かに花の甘いが混じっている。


 白く光る海に、花の香り。

 この時期はこんな風に素敵になっているだなんて、全く知らなかった。


 とても綺麗で、眩しくて。

 思わず涙が出てしまいそうだ。


「……泣いても、いいよ? 今は俺しかいないし」


 思った事が顔に出ていたんだろうか。今はヘルメットを外した草さんが、金色の髪を海風に靡かせながら私を覗き込み言った。

 彼の髪はライオンのたてがみのように広がっていて、なのに瞳はどこか優しく穏やかだ。

 

 海岸には私達以外の人気はなく、あるのは寄せては返す波音だけ。


「草……さんも、泣きたいんじゃないの」


「まあ、そうだねー」


「理由聞いてもいい? 私も……話すから」


「いいよ」


 不躾な要望だというのに草さんは快く頷いてくれた。


 それにありがとう、と言いながら白い砂浜に腰掛ける。私は自分の隣をぽんぽん叩いて草さんに座るよう促した。

 彼はふっと微笑んで、静かに隣に座ってくれる。


「今の会社、入って三年になるんだけど……入社してすぐ、好きになった先輩がいたの。素敵な人でね、面倒見良くて、怒ると怖いんだけど、ちゃんとフォローもしてくれる人で……」


 私は、新社会人になってから三年間続けた片思いについて話しはじめた。


 ―――大学を卒業して新卒で入った会社で、私は一人の男性社員を好きになった。

 よくある会社の先輩、というやつだ。


 新人研修の補佐をしていた人で、出来の悪い私は散々その人にお世話になった。

 同期入社の子達に比べ、私は飲み込みが遅く一度聞いたくらいじゃ全然覚えられなくて、何度も確認したり失敗したりの繰り返しで。


 最初は怒られてばかりだった。

 だけどその人は研修が終わった後も根気よく私の面倒を見てくれて……会社の廊下ですれ違う時は必ず声を掛けてくれて、気にしてくれて……やっと一人で案件をまかされ、完遂出来た時は良くやったと言って飲みに連れて行ってくれたりもした。


 会社で私が頑張れたのは、情けないけどその人のおかげだ。


 だけどその人は……あと二ヶ月後、六月に結婚する事が決まっている。

 その招待状を今日の朝、私は本人から受け取ったのだ。

 白い封筒は今鞄の中に入っている。


『お前は俺の妹分みたいなもんだから。絶対来て欲しいんだ』


 なんて、私の気持ちを知らず言うあの人に、私はただ曖昧な笑みでしか返せなかった。

 

 後悔した。

 どうして私はあの人に言わなかったんだろうと。


 恋人がいるって知ってたから? 

 困らせたくなかったから?


 そんなの全部、言い訳だ。


 たとえ振られるとしても、告白していれば今頃こんな未消化な思いを抱えることもなかった。迷惑がられたらどうしようと怖くて、臆病で言えなかっただけ。

 

 気持ちを押し殺し笑顔で祝えるような器用さなんて、持ち合わせていないのに。


「勝手に好きになって勝手に失恋して……勝手に祝えないって悩んでるの。好きなら相手の幸せを喜ぶべきなのにね」


 うーんと伸びをしながら息を吐き出す。

 話している内に滲んだ涙が、吹き抜ける海風で乾いていく。

 海水と涙の味が似ているのは、人も元々は海からきたからせいだろうか。


「そっかぁ……」


「うん。まあ、私の話はこんなとこ。よくある失恋です……で、草さんは?」


「草、でいいよ」


 わ。

 顔、近。


 話し終えてから草さんの方に振り向いたら、間近に彼の顔があって驚いた。

 私が目をぱちくりと瞬かせたら、草さんがふっと微笑む。


「話してくれてありがとう。……俺もさ、ちょっと似てる。好きな子が他のやつ好きで。しかもその子は俺の事知らなくて。俺が勝手に片思いしてるだけなんだよなー……」


「話しかけた事もないの?」


「うん。俺ってこんなナリだし。顔も派手だから、結構怖がられる事もあるんだよね。だからまだ一度も話しかけたこと無かったんだ。引かれたらどうしようって。怖くって」


「ええーっ。草さんすごく綺麗な顔立ちしてるのに。確かに最初はちょっと……その、怖い人かなって思ったけど……」


「今は、そうでもない?」


「うん。今は……綺麗なヤンキーお兄さん? て感じ」


「ははっ。何ソレ。でもまあ、怖くないんなら、いっかあ」


 私の返答に、草さんはほっとしたみたいに笑った。

 話してみれば案外気さく、なんてのは良くあることだけど、でもそれは実際に話せたからこそわかる事でもある。そのきっかけは早々掴めるものじゃない。特に、大人になった今、好きな人を相手を前にすれば尚更だ。


「本当はさ、髪も染めて、こう……なんか真面目そうな感じに変えてから話しかけてみようと思ってたんだ」


 草さんが自分の金髪を指先でいじりながら苦笑する。確かに一見すると目を引くし派手だけど、だからこそ彼に似合っているのに、勿体ないなぁと思った。


「そんなことしなくても、そのままで十分格好良いよ」


「……ありがと」


 思ったことをそのまま口にしただけなのに、草さんは嬉しそうに頷いてくれる。

 私はなんだかいてもたってもいられなくなって、思い切って考えた事を話してみることにした。


「そ、そのっ。失恋した私が言える事じゃないけど、だけど、絶対、話しかけてみた方がいいと思うっ。草さんが好きなその人に好きな人が居ても、やっぱり言わないと後悔するから、私が、後悔したから、だから……っ」


 もっと背中を押せるような言葉で伝えたいと思うのに、上手くまとまらない。

 ただ彼の目を見て必死に言いつのるしか出来なくて、もどかしさに地団駄を踏みたくなった。ただ、彼には自分のような後悔はしてほしくないと、それだけは本当に思った。


「依子ちゃん……」


 あ、はじめて名前呼ばれた。


 私の訴えに、草さんは少し目を見開いて、それからふっと穏やかに微笑む。

 昼の太陽に照らされて、彼の金髪がキラキラ光りまるで雄々しい獅子のようだ。

 その神々しいとも言える姿に、思わず私の鼓動が跳ねた。


「ありがとう……そうだな。ちゃんと声、かけてみるよ。俺のこと……ちゃんと知ってもらいたいから」


 言って、草さんは数秒私の顔を見つめた後、小さな子にするみたいに私の頭を軽く撫でた。 大きく温かい彼の手は、繰り返す波の音と同じく心地よく、私はじっとしたままそれを受け入れていた。


「あーあ。泣いてる君を励ましたかったのに、逆に励まされちゃったなあ……どう? 少しは癒やしになった?」


 苦笑する草さんに、私はとうに涙が引っ込んだ顔で大きく頷く。


「うん。すごく! 連れてきてくれてありがとう」


「よし、それじゃあ帰りますか。どうしようか。家まで送ってもいいし、さっきの公園でもいいよ」


 彼の提案に私は一瞬思案して、住んでいるアパートよりあの公園に戻してもらうことにした。実は結構長距離通勤だし、アパートまで連れ帰ってもらうのはなんだか悪い気がして。そしてもう一つ、今日中に済ませておきたい事があったから。


「公園で大丈夫」


「了解。じゃ、はい。お手をどうぞ、お姫様」


「ふふ、何それ」


 立ち上がって私に手を差し出す草さんに笑いながら、彼の掌に自分のを重ねた。


 身体も心も随分軽くなって、私は足取り軽く彼の後に付いていく。

 またバイクに乗って、風を感じながら帰路についた頃には、空は夕暮れに染まり始めていた。


***


「今日はありがとう。草さんのおかげで私、先輩の結婚式に笑顔で出られそうだよ」


「そっか。なら良かった」


 人がまばらになった公園で、私は茜色の光を反射するヘルメットを彼に返した。

 受け取った草さんはそれを仕舞い込むと、再びバイクに跨がってヘルメット越しにじっと私を見つめた。


「うん。あの、公園にUターンさせちゃってごめんね。このまま招待状の返事出してから帰りたかったんだ」


 だから自宅じゃなく、こっちにしてもらったのだと滲ませた。自宅を明かすのが嫌とかではなく、せっかく彼に癒やしてもらったのだから、今のうちに行動に移したいと思ったのだ。

 

「ほんとに、今日はありがとう」


 もう一度感謝を伝えてから頭を下げると、大きな手が私の頭にぽんっと優しく触れた。

 

「大丈夫。わかってるから。それに……少しでも気が楽になったんなら良かった。俺としても、衣子ちゃんには早く失恋から立ち直ってもらって、次の恋を考えてもらわないといけないからね」


「……え?」


 言われた意味がわからなくて、ついぽかんとしていると、草さんはしてやったり、みたいな瞳でおもむろに手を伸ばした。

 彼の指先が、おろした私の髪をするりと撫でていく。


「次、会った時は必ず声をかけるから……だからよろしく。依子ちゃん」


「え? え、それ、どういうーーー」


「またね!」


 夕暮れの公園で。


 金色の髪をしたお兄さんはバイクに乗ったまま、私にそう告げた。

 少し大きな音を立ててバイクが走り去った後、失恋の痛みが薄まった私を残して。


***


 そして、二ヶ月後。


 好き『だった』先輩の結婚式で彼と再会するのはーーーまた別のお話。 


<終>


おまけ

~結婚式にて~


「依子ちゃん、お昼はいつもあの公園で食べてたでしょ」


「え……何で知ってるの?」


「俺の家があの公園の向かいだから」


「そうなの!?」


「うん。公園の駐車場からちょっと斜め向かいに、花屋があるでしょ? あれ、俺ん家」


「えええええ」


「あとも一つ言えば、衣子ちゃんの先輩っつーか新郎とは高校の同級生。今日の花も全部ウチが用意したんだ」


「そ、そうだったんだ……」


「うん。で、依子ちゃんがあの公園でお昼食べてるの見てたんだ。というか、いつも見てた」


「見てって……え」


「ごめんね? ストーカーみたいな事して。でも、うちの店からちょうどあのベンチが見えてさ。いっつもOLさんがいるなぁって思ってて、時々見てたらなんか、いつの間にか好きになってて。今日見たら泣いてたから、放っておけなくて。つい声かけたんだ」


「じゃ、じゃああの時言ってた好きな人って……」


「もちろん衣子ちゃんの事だよ。二ヶ月間、会って声かけたくて待ってたんだ。君の気持ちが落ち着いたら、絶対言おうと思ってて……俺の事、恋人候補として考えてくれないかな。前向きに」


「えっ、は、え……その、は、はい……」


「やった! 幸せにするからね!」


「っきゃあ! ま、まだ付き合う前だからっ。気が早……っ!」


 

 ―――失恋して、公園で泣いていたら金髪ヤンキーのお兄さんに声をかけられて。


 タンデムして海に行って、そして心の痛手を癒やしてもらったら……

 まさかの、告白が待っていました。


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