女吸血鬼、ペットとして飼われます。

すだもみぢ

飢え死にしかけた吸血鬼

 体が震えている。

 これは栄養失調の症状だとわかる。

 私は常時お腹を空かせているけれど、これは本当にやばいレベルだ。このまま“補給”がなかったら自分は死ぬだろう。


「だれか……」


 もう自分の足だけで立っていられない。自分の体はこんなに重かったのか。

 壁に手をつきながら、よろよろと歩いて家を出ると、なんとか道にたどり着く。

 このまま誰もいない家で倒れていても、そのまま死に一直線だからだ。

 しかしここで誰かに助けを求めれば、優しい人に運よく出会えたら、なんとかなるかもしれない。そういう淡い期待を持って。

 今の時間は夜11時。人通りが少ないのは覚悟の上。

 

 本当ならこんな恥をさらすような惨めなことはしたくない。でも、死ぬくらいなら私は、生存の可能性に賭けようと思った。


 そこになんたる幸運か! 

 犬の散歩をしている通りすがりの人がいた。元気がよさそうな柴犬と、それに引きずられているような男性だ。まだ若そうだけれど疲れたような顔をしている。顔に死相が見えてるようなのはなぜだろう。


「たす……けて…………おめぐみを…………」

「ぎゃああああああ!!」


 思わず手を伸ばしたら絶叫されてしまった。

 なんて失礼なのだろうと思ったけれど、今の自分は白いワンピース姿に風呂上りで梳き流しただけの黒髪ロングヘアという恰好だった。

 何か違う怪異と間違えられたような気がするが……考えたら負けな気がする。


 ゴン! がん!


 その人は私に驚いただけでなく、そのまま悲劇と惨劇が続く。

 飼い主の悲鳴に驚いて犬が飼い主の足元にまとわりつき、リード紐を足に絡ませ、そのままよろけてブロック塀に顔面強打をさせるという、嫌な感じのピタゴラ〇イッチ。


 あ……痛そう……。


 見ているだけでも自分の背中がそわっとしてしまうくらいの豪快なぶつかりように、つられてこちらも顔をゆがめてしまった。


「だい……じょぶ……で……す、か……? あ……」


 もう声がかすれてまともに話せないのがうっとうしい!

 そうもだもだするが、その人の顔に目が吸い寄せられる。


 そうしたら、自分が求めてやまない、至高の宝がそこにはあった。


 そう、鼻血。


 赤く輝く艶やかなそれは今の私には宝石のよう。


 ふらふらだったくせに、こういうのを火事場の馬鹿力というのだろうか。

 一瞬でその人に飛びつくと。


 かぷり。ちゅう。


 鼻に歯も牙も立てないように鼻を咥えると鼻血をすする。


 どれだけぶりだか覚えていないほどの人間の血。


 まろやかでありコクがあり。ああ、人は本当においしいものに触れると自然と饒舌になるようだ。これは味の宝石箱や!爆発や!


 何を隠そう、私は吸血鬼。

 血がなければ生きていけない存在。


 驚きのせいか硬直している相手の血を十分に飲み込んでしまってから思い出した。

 自分が血に飢えてた理由を。

 いつものような吐き気がくるだろうか。そう思うのに体は何も起こらない。


「これは奇跡かもしれない……」


 私は吸血鬼だというのに体が血に拒絶反応を起こす、なんとも妙な体質というか病気を持っていたというのに。

 この人を逃したらいけないと本能が自分に叫んでいる。

 運命を感じて、鼻から血を垂らしていた男を見ると、相手はひっと後ずさっている。


「な、な、……痴漢~~~! いや、痴女!?」


 世の中にはこのような痴女がいるのだろうか。

 どちらかというと変質者だと思うのだけれど、最近の人間の世界の基準はわからない。

 その人は男性としては色白な方だろうか。確かに血は少なそうな人間なのだが、ますます顔が青ざめている。


「勝手に人の血を飲まないでくれよ!」


 いきなり叱られて、なんで相手が頭から湯気出すほど怒っているのかわからなくて首を傾げた。


「人間が外に出した血を全部捨てるの知ってるんだからね。それなら私が飲んで有効活用した方が理にかなっているでしょう? リサイクルは地球を救うのに」

「血は個人情報の宝庫だよ! うう、なんか男の大切なものを奪われたような気がする……」


 そんな大げさな。確かに味の具合で、相手を覚えそうな気もするけれど、別にあっちこっちに血を飲ませて歩いているわけでもないだろうから、情報が蓄積されているわけではないだろうし。

 気にしなければいいのに。肝が小さい人だ。


「確かに美味しくいただきましたが」


 ご馳走さま、と両手を合わせてお辞儀をしたら、なぜか相手は愛犬を抱きしめて震えている。


「言い方! ……もうお婿にいけない!」

「まぁまぁ、そんな大げさな」


 どうやら相手は独身だったらしい。血液から得られる情報に対して警戒するくせに、口から個人情報がだだ漏れであるのはいいのだろうか。


「でも死ぬところだったから助かったよ、ありがとう」

「えと、どういたしまして? でも死ぬってなんで?」

「あ、私、吸血鬼だから、血からじゃないと栄養取れないんだよね」

「ええ!? めっちゃ不便な躰だな。あ、でもたったあれだけでいいなら、逆に燃費いい?」


 吸血鬼という言葉をどスルーされてしまった……。

 ここまで無反応だと吸血鬼のおねえさん、ちょっと寂しいかもしれない。

 私の言ってることを信じてないのかなあ、と思ったが様子を見てもそんな感じではないし。

 世の中、怪異に怯える人間は一定数いるが、吸血鬼と妖怪の場合、どちらの方がより怯えられるものなのだろうか……。妖怪に負けてるとしたら悲しいものがある。

 しかし、先ほどまで痴女扱いされていたのに、今度は憐れまれているのはなぜだろう。しかも初対面でいきなり鼻を舐められているのに、その相手に同情をするなんて。

 もしかして、この人いい人? いや、ちょろい? 大丈夫? そのままで生きていける?


 そんな失礼なことを思いつつ話を聞いていたが、否定すべきところはしっかり否定しよう。


「血液ってこの世界では手に入れにくいよ? 大変だからね?」

「だって献血とかあるじゃん」

「あんな日赤ががっつり管理しているようなとこ、私みたいなのが入っていく隙間ないって」


 吸血鬼には戸籍も住民票も発行されないので医療を受ける人間の権利を横取りするのもなんか申し訳なくて紛れ込むこともできないし。

 これが蚊のように体が小さかったら、ちょこっとばかり血液をいただいただけで十分お腹いっぱいになれるのだろうけれど、人間と同じサイズの我らでは、生命を維持するのが精一杯だ。


「なるほど、野良吸血鬼も大変なんだなぁ……」

「野良っていうな!」

「じゃあ野生の吸血鬼……」

「ポ〇モン扱いしないでよ!!」


 私がむくれたら男の人は、早く散歩に行こうと主張する愛犬をなだめながら頭をかいていた。

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