あなたに贈る、燃え、落ちる死体

eggy

1-1 モモちゃん仁王立ち 1

 そちらに目を惹かれたのは、妙にちぐはぐな印象からだった。


 ようやく陽が傾いて真夏日の盛りの暑さが過ぎたかという頃、広い敷地の中では親子連れも木陰から出てくる気配はまだない。

 そんな公園の一角、人工小山の片肌に設えられたひと気のないコンクリートの滑り台に、その小さな人影はさっきから一人で登り降りを続けているらしいのだった。


 遠目に、えっちらおっちら、と擬音をつけたくなるしぐさで。


 性別は女だ、ということだけは見当がついた。

 背は、小さい。

 しかし問題は、年格好の判断がつかないことだ。

 小学生のようにも見えるが、ぼくと同じ中学生なのかも知れない。

 あるいは、幼く見える高校生くらいということも考えられる。

 全国多くの地域で夏休み最終日という頃合いなのだから、私服の中高生ということでも疑問はない。


 ピンクの半袖パーカーに、ライトグリーンのハーフパンツ。

 肩くらいまでの黒髪が覗く黄色っぽい小さなつばのついた帽子は、確かキャスケットとかいうんだった。

 そんな服装自体は、ティーンエイジとして違和感はない。

 ところがその顔を半分おおう大きなダークブラウンのサングラスという装飾が、いきなり推定年齢を跳ね上げる。

 一方で――。


 よっこら、よっこら。


 小さな踏ん張り声が聞こえてきそうだった。

 山の頂上までよじ登った、その女の子は。

 手に引きずっていた段ボールの切れ端を、ぱさりと足元に置いた。

 そして何となく意気揚々と形容したくなる様子で、その上にお尻を載せるや、弾みながらコンクリートの坂を滑り出したのだ。

 声には出さないが口元が歓声の形に丸まって。その様子は、とても中学生以上の年齢には見えない。


 暦は秋になっても暑さに飽きの気配がない、とは親父がさかんにくり返す駄洒落グチだけど、それでも少し前より蝉の声は減って、アキアカネの飛び姿が目立つようになっている。

 公園を横切り歩き抜けようとしていたぼくの足は、無意識のままそんなトンボが飛び交う小山の裾横で歩みを緩めていた。


 先を急ぐ道行きではなかった。

 新しく通うことになった学校、東江中学へ出向いた用事は済ませてしまったし、あとは夕食の材料くらい買って帰ろうかと近所の様子を見て回っていたところだった。

 忙しいか暇かと問われれば、後の答えをとる以外選択の余地は残されていないと言えた。

 転校初登校日を翌日にひかえて緊張がないといえば嘘になるが、小学校で四回、中学でこれが三回目と、普通の感覚をかなり越えた回数の環境変化の経験を積んで、嫌でも慣れさせられてしまっている。


「じゃ、学校の方、しっかりな」


 唯一の同居人である父親にしても、転居翌日のこの朝にはさっさと出社してしまって、新しい学校へ書類提出と挨拶の顔出しは本人に任せきりという、完璧な信頼の置き方(別名、放任ともいう)なのだ。


 もっとも、中学校の方もまだ夏休み中ということもあって、のんびりした雰囲気だった。

 グラウンドに運動部の練習の姿も見られず、職員室に教師の姿も少ない。


「せっかく来てくれたのに、すまないね。三-Cの担任の先生は今日休みなんだ」


 学年主任とかいうことになるのだろうか、かなり年配の男の先生が、それほど恐縮の様子もなく断って、応対してくれた。

 ちょうど通りかかった校長先生にも紹介してくれた。

 ちなみに、顔を見ることができなかった実際の新しい担任は、若い女性だという。


「まあ、明日には嫌でも先生の顔も見ることになるからね。朝に、職員室の桜井先生を訪ねてきて、ね」

「はあ」


 妙にあっさりとした指示に、半分拍子抜けの思いでぼくは相づちを打っていた。

 この学校、いつも転校生に対してこんなに軽い応対なのだろうか。

 それともぼくが、経験豊富と認められたのだろうか。


 まあ、小学校最後の学校の時のように、こんなに転校ばかりでたいへんねえ可哀相に、といきなり初対面の年配女性の先生に抱きしめられる羽目になるよりは、よっぽどいいのだけれど。


 勝手にその辺見てきていいよ、というお許しを得たけど、四階建ての校舎をくまなく見るのもたいへんそうで、教室や体育館など大切そうなところの位置くらいを確認しただけで、校門を出てきた。

 それが、およそ二十分前のことだ。


 行きにたどった最短距離と思われるルートから帰りは外れて、周囲の町のたたずまいを見て歩いてきた。

 少しは都会に近い雰囲気のこの地方都市は、市内というだけでは小学四年の時以来二回目だ。

 五年ほど山あいや海辺の町を転々としてきて久しぶりの人口集中地の生活になるが、ぼくはほとんど違和感も覚えずにすぐになじんだ心持ちになっていた。

 前回とは同じ市内とはいってもかなり離れていて、まちがっても顔見知りはいそうにもないけれど。

 それこそ転地の経験を豊富に積んで、ちょっとやそっとのことでは戸惑いを覚えることもなくなっていたのだ。


 当てもなく歩いて、少し広い公園が目の前に見えてきた。

 強い陽射しの中をかなり歩いて、木陰で休みたい欲求が頭に浮かんだ。

 野球グラウンドの横を抜け、小山の脇へ来たところだった。

 道路からは見えなかった側の山肌に動く影を見て、思わず足どりが緩んでいた。

 それがこの、年齢不詳の女の子だった。


 幅二メートルほどに設えられた滑らかな坂を、またえっちらおっちら登り出している。

 四つんばいになりそうな危なっかしい姿勢で、ピンクのパーカー姿はやがて山頂近くまで上がっていた。

 そうして、離れた木陰のベンチに憩う親子連れの姿をずっと気にしているようだったサングラスの向きが、ふとこちらへ滑り。


 小さな体つきが、一瞬固まった、ように見えた。


「何やつ」


 低い、けれどまだ幼さを残したみたいな声が、もれた。けれど、その言葉は、え?

 時代劇?


「いや、ただの通りすがりで」


 ぼくは、右の掌をぴっと相手に向けて立てて見せた。

 怪しい者ではございやせん。


 む、と呟いて。サングラス越しの視線がこちらをじっと観察していた。

 一応学校へ出向くために半袖白ワイシャツと学生ズボン着用で、普通の中学生以外の何者にも見えない、はずだけど。

 自慢じゃないが、中三男子として平均体型、小学生にも高校生にもそれ以上にも以下にもまちがわれた経験はない。

 人相も、たいがい人畜無害程度にしか評されることはない。


「――何処の手の者だ」


 ドコノテ?

 え――――と。


 やや数秒かけて、ぼくの頭の検索はテレビ時代劇と忍者マンガに該当語句らしきものを見出していた。

 まさか目の前の奇妙な女の子が、マンガに登場するような江戸時代から紛れ込んできた姫君の仮の姿、とは思えないが。

 何と応えてよいものか、ぼくは首をひねった。


「えーと……」


「答えられぬか」


 小柄な体躯が、時代劇の主役が見得を切るように、ずいと片足を踏み出した。


 危ない、と思う。

 舞台の上というならともかく、相手の足場はむしろ不安定に滑らせることを目的に作られたスロープだ。

 ほら、つるりとスニーカーがふんばりを失って――。


「あ、や――きゃ――」


 ぽてんと反転、尻もちをついて、たちまち女の子はころころスロープを転がり出した。


「ひゃ――わ、わ、わ――」


 あわててぼくは山裾を回って、坂の下に駆けつけた。

 間一髪、地面に落ちる寸前に両手で止めることができた。

 小さな肩と膝あたりがぼくの両腕に収まり、女の子はちょうど俯せになって坂の一番下に静止した。


 ペンキのはげかけたコンクリートの面に、顔が密着して。


「ぶ――ふ」


 くぐもった、低い声がもれた。生きていることは、まちがいないようだ。


「えと――大丈夫?」

 そっと、ぼくは身を屈めて覗き込んだ。


「う……」


 低いうめき声は、今際の一言ってやつじゃないだろうな。

 数呼吸うかがって少しばかり心配になってきた頃、がば、と顔が持ち上がった。


「うう――」


 子犬がうなるみたいな、声。

 にらみ上げる大きな目が潤んで震え、額の真ん中が赤くなっている。

 鼻より先におでこを打ったらしいな、こりゃ。

 それに、さっきまでのサングラスがどこかへ飛んでしまったみたいだ。

 幸い、帽子はしっかり頭に乗ったままだ。


「下郎。か弱きおなごに、何の狼藉か」


 ゲロウ?

 ロウゼキ?

 何のことだ?


 わけ分からず頭を回転させているうち、女の子は上体を起こして、いきなり両手を振り回した。


「えーい、離れよ」

「わ」


 小さな拳が鼻先をかするのを辛うじて避けて、ぼくは一歩後ろへ下がった。

 何となく、あれに殴られてもたいしたダメージはない気もしたけど。


「大丈夫――みたいだね、その元気なら」

「貴様、どさくさに紛れてけしからぬ所行に及ぼうと――」

「ないない」


 即座に、ぼくは片手を振った。

 駆け寄ってささえた瞬間は、性別年齢全く頭になかった。

 今ついさっきまでも、相手が年近い異性だという意識はまるでなかった。

 そもそもこうやって間近に見返してもこの子、そんな劣情を催させる眺めにはほど遠く思える。

 顔つきはまあ、美少女の部類と言えなくもなさそうだが。


 しかし確かに、落ち着いて思い返してみるとなるほど、女の子におおいかぶさりそうな格好をしていたわけだ。

 はた目に誤解を招く恐れ、なくもなさそうではある。


「おのれ、貴様――」


 相手を興奮させたくなくて努めて穏やかに返事したつもりだが、ますます女の子の目つきは険しくなっていた。

 こちらの落ち着きぶりが、かえって気に障ったのかもしれない。

 時々ぼくはこうした印象を相手に与えてしまうことがある。


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