第三十九話 お役人様と旅の男
ある日のことである。
「いらっしゃ――!」
「おい、女!」
たまたま夜の忙しい時間に
「おい! ここの店主はおるか! 名をギンジローという『異界びと』であると聞いている!」
やたらと威張りくさって張り切っている声の主の出で立ちは、真っ赤な軍服に
「い――いきなり入ってきて、いるかと言われてましても――」
「俺は城からの
「おいおい……物騒なこと言うじゃねえか。少しは落ち着きなって、旦那?」
たまたま立ち寄って
「よそ者
「……へいへい。何だってんだ、もう」
取り付く島もない兵士の態度に、香織子に済まなそうな顔を見せて呆れたように腰を下ろす。店にいる他の客も、何やら言いたげに視線を向けるが、睨み返されては黙り込むよりなかった。
そこへ、
「……お呼びかね?」
のっそりと銀次郎が奥の居間から顔を出した。
「貴様か、ギンジローという『異界びと』は? どうなんだ、ええ!?」
「
早くも顔を真っ赤にしてやいのやいのと
しかし、それは兵士への侮辱と解釈されたようで。
「ふてぶてしい
「なんだ? ……おめえさん、この国の王様なのかね?」
「い、いいや、違うが――」
「なら、なんでおめえさんが勝手にそんな大事なことを決めなさるんだね?」
「残念ながら俺はまだ王様にゃお目にかかったことがねえ。お互い知らねえ仲って訳だ。なのにおまえ様は、この哀れで老いぼれた爺は王様に楯突く不届き者だと
見かけこそ丁寧で落ち着いた口調だが、兵士のいつものやり口――横柄で傲慢で――がこの老人にはまるで通じない。どころか、下手をすれば独断でことを進めたようにもなりかねない。
「い――今のは『そういうことにもなりかねんぞ』というある種の警告である! 心せよ!」
「
「――っ」
王様でないなら対等だと言わんばかりの銀次郎の態度に、兵士は
「貴様の商売に疑いを持ち、王へ
「違法な品物だぁ? そいつぁどういう
「魔力を封じた
「聞いた話じゃあ、一等安い水薬なら銀貨五枚だった
「な、何!?」
口元に笑みを浮かべたとぼけた顔つきで銀次郎が指摘すると、不意を
「ともかく、だな――」
機先を制して銀次郎が言うと、再び口を開こうとした兵士は唇を『お』の形にして止まる。その目の前のカウンターに、ことり、と湯気の立ち昇る一杯を置いて銀次郎はこう続けた。
「ウチの店『喫茶「銀」』で客にお出ししてるのは、この『珈琲』一品だけだ。魔力が封じられてるだなんだってぇのは
じり……。
「いいや、断る! 断じて飲む訳にはいかん! 騙そうとしても無駄だぞ『異界びと』!」
「毒なんざ入れるか。それこそ評判に関わる。なら――ずずっ――ほら、爺の飲み
「信用できん! 貴様にだけは
「んなモンあってたまるか。やれやれ……一体どうしたらお分かりいただけるんでしょうね」
そこへ――。
「なら、その一杯、俺が飲んでみてもいいか?」
今までひとことも、それこそ店に入ってきてから一度も口を開かなかった旅人風の装束を身に
風貌はフードに隠れて見えないが、その砂まみれで
「さっき一杯
沈黙――。
そして、示し合わせたかのように店中の者たちが――あの兵士を除いて――どっと笑い出す。
「おいおいおい! あんた、鉄貨五枚も持ってないのか!?」
「いやいや! もう夜だからな、ギルドが開くのを待ってるんだろう」
「なあ? そんなに飲みたきゃ、俺がおごってやってもいいぜ!」
「あんた、旅の人だな? ここの連中は王様に似て親切なんだ! 遠慮すんなよ!」
その
すると、旅の男は慌てたように身体の前で両手をしきり振ってみせた。
「気持ちはありがたい。だが俺は、その一杯が飲めたらそれで満足なのだ。皆の気持ちには感謝をする」
そう言うなり、店の奥まで歩いてくると、皆が見つめている中で、銀次郎の飲み
ごく――ごく――ごく。
「ぷはぁ! やっぱりここの『こーひー』とやらは格別だな! 疲れが一気に吹き飛んだよ!」
「この――っ!」
すると、余計な横槍を入れられた兵士がいきり立ち、旅の男に詰め寄ったが――逆に
「痛たたた! な、何をする! 無礼なるぞ!」
「まあまあ。まだ文句があるのなら、俺が代わりに聞いてやろう。どれ、外へと行こうか」
と、皆が呆気にとられているうちに、兵士を右手に、帰りしなに自分の荷物を左手に出て行ってしまう。しばらく皆無言だったが、ふと、ひとりの客が誰にともなくこう呟いた。
「俺……ちらっと見えちまったんだが……あの旅人、
「なに!? ジョットと同じ《十傑》のひとりだってのか!? いやはや……こりゃあ……」
あの兵士、無事で済めばよいが――と祈るばかりであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます