第三十六話 駆け引きと取り引きと
「
「……はい?」
思いがけず銀次郎の口から飛び出した
「
「……っ」
誰がこの男を七〇の老人だと思うだろう。重厚感のある堂々たる言葉のひとつひとつが、巨大なハンマーのように狐に似たうわべだけの薄っぺらな笑みに叩きつけられる。と、それはたちまち打ち崩されて、その下に隠されていた引き
銀次郎が一歩踏み出し、狐塚が一歩
「おめえ様が誰のことを言ってやがるのか知らねえがな? ……シオンは俺の大事な孫娘だ。それを
「……
「はっ!
あまりの気迫に
「シオンは鬼でも物でもねえ。ましてや人だ魔族だてぇのも、あの子にゃ関係ねえ話だろうが」
「――っ」
「この前の野郎もいけ好かなかったがな、おめえ様はそれ以上だ。あんな小さな子に、親を亡くして寂しい思いをしてる子に、外野が余計なお荷物背負わせやがるなってんだよ。ええ?」
銀次郎はもう動かなかったが、狐塚はなおも一歩後退った。
「それでなくたってな? まだ立つのだって精いっぱいなんだ、シオンは。そんなシオンのちっちゃな背中に、いらねぇしがらみ背負わせやがるんじゃねえ。生きたいように生きりゃいい。俺ぁは、それを支えて見守ってやるだけだ。道を外れないように、間違えないようにな――」
銀次郎は、じいっ、と見つめる。
やがて狐塚はこう告げた。
「……きっと後悔されますよ。きっとね」
「はン、可愛い孫のために背負う苦労なんざ
「――っ」
狐塚は――もう二度と笑わなかった。
鋭く怖い目つきで射貫くように銀次郎を見据えながら、ゆっくり
「ははは。楽しみですよ、その時が。無様に
銀次郎は――もう何も言わなかった。
――けーん!
高く
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
銀次郎を待っていたのは、
「もう! 遅かったじゃない!」
「済まねえな――」
手の届く範囲にある物を手当たり次第に叩き、
「だが、用事は済んだ。きれいさっぱりとな」
「なら、いいんだけど――」
「オカエリ! マスター!」
こちらは、だらしがないほどしまりのない笑みを浮かべているベトナム人店主――あとから知った名前は、ドゥンというらしい――だ。シオンに両頬をつねられ、むにり、と伸ばされながらも笑みを絶やさず嬉しそうにこう告げる。
「シオン、イイコ、イイコネー。マスターノムスメ、ガンバッタヨ。デモ、コレ、ムリネー」
「だからよ、娘じゃねえっつったろう……。そいつは――香織子はな? 俺の……娘の子だ」
「……」
どうしてそんな言い草をしたのか銀次郎自身分からなかったが、香織子本人を目の前にして、こいつは自分の孫娘だ、と言葉に出すことに抵抗があったのだ。
それは一〇年
亡き娘、
まだぎこちない互いの感情と言葉のせいだったからかもしれない。
かつての記憶と、今目の前にある現実がうまく重ねられなかったからかもしれなかった。
そんな自分の振る舞いに小さく舌打ちをし、ハンチング帽を脱ぎ
「……マスター? コレカラ、ドウスル?」
そんな息苦しい空気を察したのか、口を開いたのはベトナム人店主のドゥンだった。銀次郎はほっとしたような顔でこう返す。
「お――おう、欲しいモンは揃ったからな。
「……何?」
「まだちゃんと話をしてねえ。だろ?」
「……っ」
銀次郎の視線を感じながらも、香織子はむっつりと押し黙ったままだ。
やがてこう言う。
「……言いたくない」
「じゃあ、お家へ帰んな」
「……帰りたくない」
「じゃあ、どうすんだ? え?」
「……銀次郎さんの家に泊めてください」
「はぁ――」
これでは
仕方なく銀次郎は、さっき思いついたばかりの妙案を口に出すことにする。
「俺ぁな? 今ちょっとばかし困ってんだ。そいつを手伝うってぇんなら考えてやってもいい」
「ホ、ホント!?」
「ただし、だ――」
途端に笑顔を見せた香織子に、銀次郎は依然厳めしい表情を崩さずにこう言った。
「お客様扱いはしねえ。他人様として俺の店できっちり働いてもらう。……学校はどうする?」
「進学先なら決まっているから、行かなくてもいいんです」
「嘘つけ。おめえさんは
「………………もう、学校には休学届けを出してあります」
「はぁ――」
二度目のため息。用意が良いのか無鉄砲なのか、さっぱり分からない。ますます娘の芳美を思い出させる頑固さに呆れるばかりである。銀次郎はしばしわしゃわしゃと頭を掻き、それからきっちりと
そして、振り返ってこう告げる。
「……なら、ついてきな。まずは荷物持ちからだ。もう帰りてえって言うまでこき使ってやる」
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