第十四話 帰還者

 理由はすっかり分からないが――。


 それでも何とか日が暮れる前には普通の生活ができるくらいにまで銀次郎一人で片付け完了できたことは実にありがたかった。疲れ知らずどころか、気力体力ともに充実している今のこの身体に一体どんな力が働いているのか見当もつかなかったが、今しばらくはこのままであってくれれば大助かりである。


「さて」


 結局その日は、シリルが店に戻った後は誰一人尋ねて来る者はおらず、おかげで片付けに集中することができた。






 ただ実のところ、銀次郎の手で清書されて扉の外に張り出されていた紙には、こう書かれていたのだった。



《本日諸事情につき、休業中》



 そのあまりの惨状に、店などやってる場合ではないだろう、とシリルが機転を利かせてこっそりそう書きつけていたのであった。






「この世界で迎える最初の夜――か」


 つぶいた銀次郎の手で、その張り紙は早くも取り外されている。


 どうしたものか――。

 今の銀次郎が思い悩んでいるのは営業時間だ。


 見渡す限り、この世界には《電気》という概念はないようである。つまり、夜ともなれば街はとっぷりとした闇に包まれることだろう。いや、篝火かがりびのようなあかりくらいならあるのかもしれない。だが仮にそうだったとしても、誰しもが夜の街に繰り出すような習慣はないと思った方が良いだろう。いたところで、酒か女目当ての男連中くらいが関の山だ。


「ま、夜更けになっても、いつまでもわけえ連中がたむろしてるって方が、ちいとばかりおかしな世界なんだ」


 この店が元あった場所は、繁華街からは離れていたし、そこまで活気がある地域でもなかった。夜遅くまで店を開けているのは小料理屋か居酒屋で、あとはお決まりの二十四時間営業のコンビニが数件、といったところだった。


「どれ――」


 静まり返った通りの向こうをみてみると、夜の闇に暖かな光とわずかな喧騒が漏れているのが分かる。


「ゴードンの店は、まだ開けてるみてえだな」


 彼ら夫婦が等しく口にしていた科白せりふがまだ耳に残っていた。ならばせめて、彼らの店が閉店するまでは開けておこうと、銀次郎はカウンターの中へと引き返す。




 からん。


 カウベルが鳴り、銀次郎は今さっき離れたばかりの扉の方へ視線を戻した。




「よかったー! まだやってたのね?」


 シーノだった。


 朝に見かけた時よりいくぶんくたびれたかのように、その顔に浮かぶ笑顔は色せてしまっている。しかしそれを差し引いても輝くようなシーノの笑顔を目にした途端、銀次郎のしわぶいた顔がゆるんでいた。


「ああ、やってるよ。遅かったじゃねえか?」

「聞いてよ! すっごく大変だったんだから!」


 カウンターに辿り着くなり、シーノは身を乗り出してまくしたてた。銀次郎は苦笑しつつ、それを両手で優しくなだめる。


「分かった分かった。おい、珈琲でいいな?」

「もちろん!」


 早速、銀次郎はシーノのために一杯用意し始めた。



 こぽ。

 こぽぽ。



 本当なら、今すぐにでも今日起きた大変だった出来事の一部始終を聞かせたいのだろう。それでもシーノは持ち前の好奇心にあらがえず、目の前のコーヒーメーカーの中で起きている不思議な光景に再び心奪われているようだった。ときおりうずうずと尻をうごめかせているのがその証拠でもあったが、それに輪をかけて気が流行はやるのは、店内に漂うこうばしい香りのせいかもしれない。


「おまちどうさん。熱いぞ?」

「ありがと」



 ふーっ。ふーっ。

 こく。



 ようやくありつけた一杯に、ほのかに頬を染めて恍惚となっているシーノに声をかける。


「……で、一体全体、何があったんだね?」

「それそれ。それなのよね!」


 慎重にソーサーの上に白磁のカップを戻してからシーノは切り出した。


「あたし、昨日《組合ギルド》でおあつらえ向きの《任務クエスト》を見つけた、って言ったでしょ? それが、とんでもなかったのよ!」

「ほう」


 相変わらず戸惑いを覚える単語ばかりだったが、今朝このシーノ自ら説明してくれたお陰で、少しは銀次郎にも話が通じる。


「そいつはどういう――?」


 問われたシーノは一瞬考えを巡らせるように口を半開きにしたまま固まっていたが、すぐにも続けた。


「ええと、この街の東にダンジョンがある、って話したわよね? ダンジョン、って言うのは古い迷路みたいなもので、地下深く何層も続いているの。自然に出来ちゃった物もあるけれど……そうだなあ、魔法使いが《何か》を隠すために作った物だったりするのよ」

「《》って、何だ?」

「例えばね――」



 そのものずばりの魔法書だったり、魔法を行使するために必要な触媒――それは時に貴重な鉱石だったり、それを製錬した純度の高い加工物、つまりは金貨や銀貨であり、宝石などもそれに当たるらしい――が、そのダンジョンの奥深くに手つかずで眠っていることがあるのよ、とシーノは説明した。



 そんな大事な物であれば自分の家にしまっておけばいいだろうに、と深い事情を知らない銀次郎はつい思ってしまうのだが、その価値が分かる者にとっては非常に高価な物であるがゆえ、そうやって人里離れた場所に隠す方がかえって安全なのだと言う。


「でも、泥棒するって訳じゃあないんだからね? 探索するのは、もう所有者がいなくなっちゃったダンジョンなの。ええと……そういうダンジョンは魔物が集まりやすい性質を持っているから、定期的に冒険者をつのって、中にみついた魔物を退治しておかないと危ないのよ。だからこれは、街の冒険者たちに与えられた大事な仕事なんだって訳なの」


 ちょいちょい言葉を選ぶような素振りを見せたシーノだが、それはこの世界の常識にうとい銀次郎にも理解しやすいようにと気遣きづかったからであろう。


「おいおいおい」


 しかし。

 すっかり分かってしまったらしまったで、余計な気苦労も増えるものである。


「その仕事は危なくねえんだろうな?」

「ん? 危ないわよ。もちろん」

「おいおい……」


 けろり、とシーノが答えると、銀次郎は呆れたようにやれやれと何度も首を振った。だがこれは、価値観の違い、日常の線引きの違いからくるのだろう。


「くれぐれもつまらない怪我なんぞしたりせんようにな。で、一体どう大変だったんだね?」

「それがね――!」



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