第十話 品定め

 すると。


「ふうむ。これは不思議なこともあるもんだなあ」


 少し拍子抜けするくらいあっさりと、ゴードンは銀次郎の言葉に感心したようにうなずいてみせた。世界のことわりそのものが違うせいもあるのだろうが、ここの住人たちは謎だとか奇跡とかいう得体の知れない物に対する抵抗心が薄いのかもしれなかった。ただやっぱり正直に年齢を伝えたら、文字通り絶句して口をぱくぱくしていたのが何とも滑稽だった。


「どうりでここいらのことを知らんはずだぜ」


 ようやく合点がいったようで、にやり、と笑う。


「よし、今後は分からないことがあったら、何でも俺に聞くといい。他でもないあんたの頼みならいくらでも聞いてやろう。だがな、ギンジロー、もう戻れなくてもいいってのは――」

「戻る理由がねえからな」

「と、言ってもなあ」


 困った、とばかりにゴードンは禿げ頭をいた。


「ま、この店を置いていけない、ってのは分かるぜ。分かるとも。だがな、いつかはその方法が分かる時が来るのかもしれんさ。そうだな、その時改めて考えたらいい」


 はっきりしない銀次郎の態度に見切りをつけて、一人勝手に納得してしまったゴードンは、カウンター越しに分厚い手を差し出して言った。


「改めまして。俺はゴードン。ゴードン=リーだ。これからもよろしく頼むぜ」

八十海やそがい銀次郎ぎんじろうだ。こちらこそよろしく頼む」


 どちらも加減のない力強い握手だった。

 そのまま店を後にしようとするゴードンの背中に、銀次郎は迷っていた言葉を投げた。


「なあ、ゴードン。早速だが尋ねたいことがある」

「何だね?」


 ゴードンが振り返ると、今片付けられたばかりのカウンターの上に、今れたばかりらしい珈琲が一つ、ゆるゆると湯気を立ち昇らせて置いてある。


「?」


 それを指さしながら、戸惑とまどうゴードンに向けて銀次郎は問うた。


「真っ当で真っ正直な商売人であり、一流の料理人でもあるゴードン=リー。あんたに聞きてえんだ。俺のこの珈琲一杯、あんたの店で出すんなら、一体いくらの値を付ける?」

「ほう?」


 ゴードンは至極しごく面白そうにほくそ笑んだが、カップの隣に立つ銀次郎の真摯しんしな面持ちを目にすると、きゅっと表情を引き締めた。そしてたっぷり時間をかけて熟考してから答える。


だ」

「なるほど」


 ただし、この質問には問題があった。銀次郎にはその価値が分からないばかりでなく、そもそもそのグレイル金貨なるものを見たことがないからだ。それにはゴードンもすぐ気付いたらしい。


「ちょっと待っててくれ」


 そして大急ぎで通りを渡ると、彼の店の扉を開け――そこから響き渡った金切声に猪首いくびを一層縮こませてから――何やらを前掛けにくるむようにして大事そうに抱えながら戻ってきた。


「いやあ、かみさんにどやされちまった! どこで油売ってんだ! ってな。あとでここに来させるから、あいつにも一杯おごってやってくれないかね?」

「そりゃ構わんが――」


 事情が呑み込めず落ち着きを失くした銀次郎の前のカウンターの上に、ゴードンはいくつかの物を並べていった。どうやらそれがこの国で流通している貨幣らしい。


「ほら、これだ。これがグレイル金貨だよ」


 指さす先には五〇〇円玉くらいのサイズの金色の貨幣があった。裏にはひげを蓄えウェーブのかかった長髪の上に王冠を載せた精悍な顔立ちの男性が彫り込まれていた。この国を治める王なのだろうか。


「こっちが銀貨。こっちが鉄貨。鉄貨二〇〇で銀貨一枚。銀貨五〇で金貨一枚だ。この上にグレイル札ってのもあるが、庶民はまずお目にかかることなく一生を終える。そうなんだ、くらいに思っておけばいいさね」

「なるほど」



 こうしてどれがどれだかは理解できたのだが――。



「分かるには分かったんだが……」


 銀次郎は歯痒はがゆい思いで白い頭をぽりぽり掻きながらさらに尋ねた。


「俺にはこいつの価値がさっぱりなんだ。なあ、例えばだ、このグレイル金貨一枚で、あんたの店なら何が喰える?」

「そうだな」


 ゴードンは天井を見上げ、顎を掻き掻き考えた。

 そうして答える。


「何でも喰える」

「な、何っ!?」


 さすがの銀次郎も慌てて目を白黒させた。


「どんなモンでも喰えるだと!? おいおい、ゴードンさんよ、そりゃあいくらなんでも買い被りすぎちゃいねえか?」


 その慌てようを眺めつつ、ゴードンは意地悪そうに口元をゆがめて不敵に笑ってみせた。


「おい、ギンジロー? お前さん、何か思い違いをしてやしないか? 俺が一体、いつ、ウチの店の物ならどれでも選べる、喰える、なんて言ったのかね?」

「いや、しかし……。さっきは確かに……」


 銀次郎はすっかり混乱してしまって急に噴き出してきた額の汗を拭う。それが余程可笑おかしかったのか、ゴードンは一転、豪快に笑い飛ばしてみせた。


「違うぞ、違う! どれでも喰える、じゃないぞ! 全部頼んじまっても釣りが貰えるくらいだ、と言ってるんだ、俺は!」


 そして急に背筋をしゃんと伸ばしでっぷりとした腹を無理矢理引っ込めると、誇らしげに胸を張った。


「と言っても、ウチが大衆食堂だからって訳じゃないぞ? 自慢じゃないが、ウチの贔屓ひいきには師団長や近衛大隊長だって大勢いるのさ。どんな身分の、どんな奴の舌だってとりこにしてみせるってのがウチのモットーなんでね」


 そこでウインクをぱちり。


「飯を喰う時に身分の高い低いは関係ねえものな、誰だってとびきり幸せな気持ちになってもらわねえといけねえ。それが出来ねえってんなら、いつだって店を畳むくらいの覚悟がこのゴードン様にはあるのさ。あんただってそうだろ、ギンジロー?」

「だな」


 その言葉に、心意気に、深く共感を覚えた銀次郎は思わず目頭が熱くなる思いだった。しかし、それでも弱り果ててしまう。


「しっかし、そうまで言ってくれるのはありがてえんだが、そんなに高くっちゃ誰も飲めんだろう」

「うーん。ま、そりゃそうだな」


 ゴードンはまったくの図星に頭を掻くよりない。


「例えばだ。鉄貨五枚、であればどうだね?」

「鉄貨……五枚……だって!?」


 ゴードンにしてみたらあまりに安すぎると言いたいのだろう。お世辞にも雄弁とは程遠い口調でそう繰り返したが、銀次郎の顔をしばし見つめた後にできたことと言えば、軽く肩をすくめることだけだった。


「ま、あんたの店だ。値段を決めるのもあんただよ。その値段なら誰でも気軽に飲めるだろうさ」

「そいつは良かった」


 ほっ、とする。

 いや、もう一つあった。


「もう一つ頼みてえんだが」


 見ると、銀次郎の手には紙とペンが握られている。


「こいつに書いちゃくれねえかな? 珈琲一杯、グレイル鉄貨五枚、とな」


 手渡されたやけに薄い紙の方はまだ物珍しい程度で済ませられもしようものだが、などという妙ちきりんな代物は初見だろう。ゴードンはおっかなびっくりそれを受け取ると、それに輪をかけて不安げな顔で訴えた。


「お、俺はどうも字が下手糞で……」


 だろうと思っていたので、銀次郎はにやりとしただけだ。


「なあに、心配しなさんな。それを手本にしててめえで書くのさ。下手糞で結構、子供でも読めるくらい大きく馬鹿丁寧に書いてくれ――」



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