ラブアフェアー・レポート

凪司工房

 夜の街の明かりが星のように見下ろせる、そんな高層の一室だった。テーブルには二つのワイングラスと半分ほどを食べ終えたディナーが二セット、その脇のソファには男物と女物のコートが投げ出されるようにして掛けられていた。姿見のような大きなガラス窓は、けれど何も映していない。

 奥のドアがわずかに開いていた。その隙間からかすかに耳障りな笑い声が漏れ出ている。

 そこは寝室だった。二人が手を広げて横になっても充分に包み込んでくれる大きなサイズのベッドの上には、半裸の男性が一人、横たわっている。その男性を前にして、小刻みに肩を揺らして立つ女がいた。笑い声の主は彼女だ。


「何をしているの?」


 女に向けてライトを照らすと、その口元は真っ赤に濡れていた。彼女はにちゃりと口角を上げ、こう答えた――彼の味がする――と。



 その三時間後、飯塚マヤは既に十二時を回っているにもかかわらず、窓のない小さな部屋に閉じ込められている女を監視カメラ越しに見ていた。手元の資料には被害男性である坂東アキラと、同室にいた女性の穂苅ミオンのデータが細かい文字と数字で書かれている。プリントアウトされたものだが、どうにも目がかすんで読みづらい。

 発見された場所は新宿区のとある高層マンションの一室だ。通報を受け、部屋に突入した時には既に坂東アキラは絶命していた。その場で彼女に「彼を殺したのか?」と尋ねたところ「そうです」と自白したことから緊急逮捕し、ここまで引っ張ってきた。

 

 ――単純な男女の痴情のもつれ。

 

 一般的な見解はそうだろう。けれどこれがそう単純な事件でないことは、公安部特務室のマヤに話が回ってきたことからも想像が容易い。

 いつもそうだ。面倒なことに限って有能な人間に回される。

 マヤはため息をついて、そのレポートを捲った。

 

 被害者男性の坂東アキラは推定二十台後半。二十七、八といったところだろうか。勤務先は帝都ハイエナジー。ここは最近再開発エネルギー分野で伸びているところだ。出資元が帝都銀行ということもあり、企業人としては相当グレードが高い。そこで営業を担当していたが、彼については悪い話はほとんど見当たらない。上司もその仕事ぶりだけでなく、人柄についても評価していた。年齢のことがなければすぐに自分の立場と入れ替わるだろうと。

 生前の顔写真はどれもモデルのように決まっている。やや濃い目の彫りの深い、日本男性というよりはイタリアやギリシャ、そういった場所が似合いそうだ。俗に言うイケメンという安っぽい言葉ではなく、正当に格好の良い男性だろう。見た目もよく社会的なステータスも高い。彼には当時、確認出来ているだけで四人ないし五人の恋人、あるいは愛人がいた。どうやら学生時代から常に相手には困らなかったようだ。

 それでいて女性関係のトラブルは報告されていない。彼がよく訪れていたバーのマスターの話では、坂東アキラは来る度に違う女性を連れていてわざわざマスターに「今日の子はどう?」と目利きをさせていたらしい。坂東は女性に対して特別な好みはなかったようで、その年齢は学生からマスターの倍ほどはある壮年、あるいは熟年の女性まで幅広く、また顔も美人であるとか、可愛らしいとか、そういう偏向はなく、どんな外見をしていようが気にせずに付き合いをしていたようだ。ただ彼が一つだけ女性に対して注文をつけていたのは、体臭だった。どうしても臭いのきつい女性だけは苦手だと語っていたらしい。

 

 その坂東アキラと、逮捕女性である穂苅ミオンが付き合い始めたのは先月のことだ。十二月といえばクリスマスイブという恋人たちにとっては大切な、それでいて非常に厄介なイベントがある月だが、年末に向かって色々と事件が増えることで頭の痛い月でもあった。二人が出会ったのはよく坂東が一人になった時に通っていた六本木の隠れ家的なダイニングバーだったが、どうやらそれ以前から穂苅ミオン側には面識があったらしい。調査資料には彼女がそのダイニングバーを事前に何度か訪れ、坂東アキラについて尋ねているという証言が取れたことが記載されている。

 

 十二月半ばの週末、金曜日の夜という珍しい日に坂東アキラはそのバーを利用していた。というのも、女性関係にトラブルがなかったと書いたが、実は彼のトラブルではなく、彼と付き合った女性それぞれには様々なトラブルがあった。数日前まで付き合っていた桔梗奈津美ききょうなつみという女性が自殺してしまった。本来ならこの週末も彼女と過ごす予定だったそうだ。彼女の友人や仕事仲間からは幸せそうで特に悩んでいた様子はなかった、という証言が取れている。警察もこれを自殺として処理をした。

 これまでにも坂東アキラと付き合った女性は交際中、以後にかかわらず、何かとトラブルに巻き込まれている。自殺、事故、事件、あるいは精神疾患で通院することになったり、失踪者も数名出ている。当然それらのいくつかは彼にも事情聴取されているが、精神的に被害を負ったこと以外、彼が何かをした、あるいは何か利益を得たという結論にはならなかった。

 

 一方の穂苅ミオンについてはあまり記載がない。一人姉がいることになっているが小さい頃に両親の離婚に伴い、それぞれ別々に引き取られて疎遠になっている。学生時代にも目立った活動はなく、図書室で本を開いているような地味な十代を送っていたという同級生の証言があるだけだ。

 大学を出た後、いくつかのアルバイトを経て、現在は派遣社員として病院の補助スタッフをしている。看護師でも医療事務でもなく、ちょっとした案内や医療外の事務仕事の手伝い、受付窓口、荷物の運搬といった雑用係だが、勤務先での彼女の評判もとにかく「地味」という一言だった。交友関係もほとんどなく、仕事が終わればさっさと帰ってしまうらしい。それでも勤務態度そのものは悪くない為に、彼女について悪く言う人間はいなかった。

 そんな様子だから穂苅ミオンに彼氏がいた、ということを知っていたのは彼女の交友関係の中には存在せず、坂東アキラが付き合っていた女性たちが僅かにその事実を知っているだけだったようだ。

 その女性の一人、銀座でホステスをしているアヤネという女から聞いた話では、穂苅ミオンは坂東アキラに複数の恋人がいることを承知で付き合い始めたらしい。坂東アキラ本人から聞いたと証言しているので、その通りなのだろう。

 その穂苅ミオンと坂東アキラは約一ヶ月の交際期間を経て、一月最後の今日、初めて坂東アキラが借りていたマンションに二人で入った。



「それで、彼と夕食を取った後、シャワーを浴びたというのね」


 はい――と、うなだれた様子の穂苅ミオンは言った。


「それからどうしたの?」

「バスローブに着替えたわたしを、彼が寝室に呼び寄せ、強引にベッドに押し倒しました。そのまま覆いかぶさるようにして唇にキスをした後で、彼はこう言ってくれたんです――君のすべてがほしい」


 発言は全て、映像と共に記録されていたが、マヤはメモを取る振りをしながら「で?」と続きを促した。


「彼が言う“すべて”の意味を、わたしは知っていました。他の女たちはただの口説き文句だと思っていたでしょうけれど、わたしは知っていたんです。でも残念ながら彼は、何も知りませんでした」


 口元だけに笑みを浮かべる。寂しい笑みだ。恋人を殺したのだから、心から笑うことなど出来ないだろう。その心境についてはいくら考えても理解出来ない。

 マヤはこの世に理解出来ない存在、理解出来ない気持ちがあることを、よく理解していた。


「彼は頷いたわたしの首筋を、舌先でちろりと舐めました。それはまるでアルコール消毒でもするように、何度も何度も丁寧に、舐めたんです。わたしはそれが彼の一連の儀式の最初の行為だと知っていました。だから、彼が牙を見せた時には既に、右手に隠していた退魔刀を取り出し、その喉を捌いてしまいました。血は勢いよく吹き出てベッドもわたしも濡らしましたが、やっぱり彼の血も赤くて、とても綺麗で、わたしは覆いかぶさっていた彼がひゅるひゅると何か言おうとしているのを強引に跳ね除け、逆に馬乗りになって、何度も何度も彼を刺しました。胸は鍛えてあったはずなのにザクザクと気持ちよく刺さり、その度に血が吹き出しました。でも刀を突き刺す度に彼はとても気持ち良さそうに笑ってくれて、だからきっと彼もわたしと一つになるのをずっと待ってくれていたんだなって。どれくらい一緒になっていたか分かりません。気づくと、わたしの名を呼ぶ声が聞こえました。部屋には知らない男の人たちと、それからよく知っている一人の女性が立っていました。そう。わたしのことを唯一愛してくれる、姉さん。あなたです」


 現場の状況を話し終えた穂苅ミオンは笑みを浮かべ、マヤを見た。その瞳は赤く濡れ、マヤに彼女を保護するために突入した数時間前の、口元を濡らした彼女のそれを思い起こさせた。


「姉さん。どうして……どうしてわたしはいつも、愛する人を殺さなければならないの?」


 それはあなたがヴァンパイアハンターだから――という発言は、公式記録からは消去されている。(了)

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