恋愛専門学校に訳有り無感情が入学したら、波乱の学校生活が始まった
XIS
第一学年一学期
きっかけと興味、そして始まり
扉が叩かれる音がした。
中天からやや西に傾く太陽の光が、微かに開いたカーテンの隙間を縫うように届いていた。そんな時間帯に、電気もつけずに部屋にこもっていた彼は、その音に耳を傾けた。
「遥。入っていいかな?」
耳を澄まさずとも聞こえる、聞き慣れた声。彼――
「どうぞ」
静謐さもあって鷹揚としている声色。声だけで判別するならば、落ち着きのある青年とでも言える優しくて温かな声だ。
それに応えるよう、許可を出された男性はドアを静かに開ける。勢いはなく、床に散らばった漫画や小説の存在を知っているかのように丁寧に慎重に。
そして完全に開くことなく、人が1人入る程度開けると、その男性は入室を終えた。やや腹部に脂肪を多めに確認でき、しかし腕や足といった四肢は細い、遥の父親の弟、所謂叔父である――
「相変わらず、部屋の整理整頓は苦手というかしないというか……ホコリが溜まると体に悪いんだから、掃除はこまめにすること」
いつも通りの叔父の一言に、遥は呆れることなく、ただ声も出すことなく頷いた。しかしそれが、実行することに承諾した頷きではないことは、お互いに分かりあっていた。
だから叔父は、変わらずの遥を上から見下ろして心配と安心を含めた笑顔を軽く見せた。そして同時に、基本入室しない遥のプライベートな空間に来た理由を思い出して、左手側にあったスイッチを押して電気をパチッとつけた。
「遥、突然だけど、今日は大切な話があるんだ。だから取り敢えず、一階に顔を出してくれないか?遥に会いたいって言う人が居るから」
早速本題に入る叔父に、だろうな、とも言いたげな表情を浮かべる。そもそもこの部屋は、遥が1人で居たいからと、誰であろうと入室を許可しない部屋。理由がなければ来ないで、とも伝えているため、叔父がノックした時点で己に重要な話があるのだと、それは理解していた。
だが、遥は顔を顰めた。叔父が言ったからだ。
――遥に会いたい人が居る。
「……俺に……会いたい人?」
コミ障だから、対人恐怖症だから、引きこもりという醜い現状にいるから、その言葉に眉を寄せたのではない。単に、己に会いたいと言ってくれる人脈がないのに、どこの誰が会いたいというのか不思議でならなかったから顰めたのだ。
「うん。僕の知り合いでね、ちょっとした偉い人でもあるんだけど、遥のことを話したら凄い乗り気で遥に会いたいって言うから……その……気圧されてね」
若干この展開に悪いと思ったのだろうか。叔父は後頭部をかきながら、謝罪の念を込めて苦笑していた。しかしそれに対して遥は、何故俺の事を話した、と憤ることなく単純に疑問に思ったことを問う。
「……俺の何を知って会いたがるの?」
口調は優しい。声こそ低く、175という15歳にしてはかなり高い身長に恵まれているが、今の陰気な雰囲気に全く真逆の口調なのは威圧もなくて話しやすい。
しかし、その内容は全く別物だ。何故引きこもりに会いたがるのか説明がつかないだろう、と、不思議そうに叔父を見た。すると叔父は体操座りをする遥に目線を合わせるよう膝を曲げた。そこに見えるのは、父と似た漆黒の双眸。懐かしく思って刹那、叔父は柔和な笑顔で口を開く。
「それはね、遥の過去だよ」
端的な返しだった。だから更に謎は深まった。
「俺の過去を知ったとこで、会いたいと思う理由がないと思うんだけど。もしかして精神科医の人?」
「いいや、全く別だよ。彼はとある学校の理事長をしているんだ」
「……学校の理事長?」
遥自身思い出す限りでは、遥は中学1年の二学期から不登校となった。度重なる不幸がそうさせたことは知っていて、今の引きこもりに直結していることも把握済み。
だから、学校という単語に拒否反応があって、真っ先に会いたくないという結果が脳内を巡った。理事長が来たのなら、それはつまり、学校へ入学しろという遠回しの説明だと解釈できたから。
「……俺は会わないよ。学校なんて、行く意味がないから」
拒絶だ。虚無な心に響くことは何もなくて、学校なんて行っても、己の目に輝きが灯ることはないことくらい、既に諦めた人生なのだから分かっている。
「違うよ」
だが、叔父はそれを更に否定した。勝手に帰結した遥の解釈が違うのだと、目を見て鋭く否定した。
「僕は遥に学校に行けと言いたいんじゃない。ただ、その理事長に会ってほしいだけだよ。高校生になるのは自分の意思で決めるべきで、なりたくないならそれで構わない。だけど、もし可能性があるのなら、僕は遥にその可能性を掴んでほしいだけ。難しい話だけど、遥はまだ、遥で居られると、僕は本気で思ってるから」
人と目を合わせることは恐怖だった。人の目の前に立つのは畏怖だった。人から見られることに戦慄を覚えた。今ではそれすら感じない虚無の心となっているが、その大きな過去を持つ遥は、当時やっと顔を見れるようになった唯一の存在が居た。それが叔父だ。その叔父からの懇願でもない、ただの頼み事。断ることすら簡単に許されるような優しい願い。なのに、何故か遥は、その願いを聞き入れるべきだと判断していた。
長年の経験?いや、そんな経験はしていないし、多くの人に会っていないから当然有り得ない。なら、何故?
その答えは判然としていた。ここまで親のように育ててくれた叔父の――唯一のお願いだったからだ。
約2年という期間同じ家で暮らしてきて、己の過去を知って深く追求せず優しく、ただひたすら優しく接してくれた叔父の、2年間で唯一の願い。それほど会ってほしいんだと、強く胸を叩いて知らせてくれたのだ。
「……分かった」
本当は今も尚よく分からない。何故理事長とやらに会わなければならないのか、答えが見えてこない。でも、悪いことではないし、強制入学を勧められることもなさそうなら、会う程度造作もなかった。
快諾、とは言い難いが、それでも納得してくれた遥に、叔父は次第に笑みを浮かべ始める。不安が消え去って安堵したような、そんな思いも垣間見えて。
「本当かい?!」
「うん」
「あぁ……ありがとう、遥」
今度はそっと右手を握って感謝を伝えられる。
「じゃ早速だけど、もう下で待たせてるから行こうか」
「えっ、もう?」
「大丈夫、怖くないし、むしろ優しい人だから」
遥の憂慮を拭うように伝える叔父を見て、叔父がそう言うなら間違いなく大丈夫なのだろうと思って覚悟を決める。決然した遥は、手を引かれることも無く自分の足で立つと、流れるようにドアの外へ歩みを進めた。
食事やトイレの際退出する程度の部屋を、訪問客のために出たのはこの家では初めて。謎に違和感と初々しさを身に感じて、ゆっくり焦らず階段を下りる。そして着いたリビング。そこには1人、眼鏡を掛けた男性がテレビを観ながら座っていた。白衣のような上着をまとって。
「待たせたね、慎也」
「気にするな。思ったよりも早いということは、残念ってこと……じゃなさそうだな。これはこれは、予想外の早さだな」
叔父が慎也といった男性は、テレビを見つつ返答し、体ごとこちらを向くと遥に気づいて目を見開いた。齢40前半といったとこだろう。息災な様子は遥と真逆だ。
「そんな驚くなよ。これでも教育には才能があったってことだな。遥、紹介するよ、彼が遥に会いたいって言ってた人――
「どうも、八千代でも慎也でも、好きなように呼んでくれ。私は基本、理事長と呼ばれるがね」
眼鏡をクイッと掛け直し、笑いつつも説明を簡単に終えた。
「……六辻遥です」
「うんうん。君のことは治から聞いているよ。過去については大まかにしか聞いてないけど、中々興味深いことには変わりはない。少し話をしても良いかい?」
クイクイと手招きをされるので、否応なく対面することが確定する。初対面の人に抵抗のある遥でも、己の意思で来たこの場で、我儘にも拒否はできなかった。
「はい」
テクテク歩いて13歩。着いて座った。
「治、遥くんに余計なことはしないから、ここからは私と遥くんの時間にしてくれるかな?」
「分かった。信じてるからな?」
「もちろん。私は子供の夢を壊すことが最も嫌いだということ、治も知っているだろう?」
何やら旧知の仲故に皆まで言わなくても分かり合えるらしい。遥には到底理解できない会話が続けられると、納得した叔父は玄関に向かって歩き出した。数秒後ドアがガチャと鳴ったため、外出したのだろう。
そうして遥は、八千代慎也と2人きりとなった。
「改めまして六辻遥くん、私が何故ここに居るのか分かるかな?」
早速、遥に対して優しく問う慎也は、そこに悪の含みなど感じない純粋な問いを投げた。それに対し、今まで誰とも関わりを持たなかった遥は、珍しく顔を上げ、慎也と目を合わせて返事をする。
「……全く」
部屋を出たその瞬間から、遥に吹っ切れた感情があった。既に失って、喜怒哀楽を初めとした感情が欠如してしまった遥が、叔父の願いを聞いて初めて自分で決めて再び歩み出した今、他人に恐怖を抱くということがなくなっていたのだ。
その勢いでサッと答えた。流石に言葉が出ずに詰まったが、幼き頃から優しさだけは人よりも頭1つ抜けて長所だった片鱗の声音とともに。
「まぁ、そうだろうね。治にも詳しくは伝えてないから、結局ここに何故私が居るのか誰も分からない。ということで、簡潔に述べると、私はここに――君を私の学校に入学させるために来たんだ」
「……え?」
話が違う。叔父は先程入学とは無関係と言ったはずだと、記憶を遡って思う遥。無理もない。
「それもまた、当然の反応だ。なんせ、そう伝えろと私が治に言っていたからな。だが誤解しないでくれ。私は君をここに呼び、悪辣をしようと企んでいたんじゃない。ただその呼び方が最も効率的で最善だっただけだ」
「叔父さんを騙した、と?」
若干の憤りが見えたが、即座に引く。
「いいや、そうじゃない。そもそも私が治にそう言わせたとして、それが嘘の可能性もあるんだと治本人も見抜いていたさ。それは、目と目を合わせて会話した君なら分かるんじゃないのかい?」
「…………」
確かに。本気の目は、慎也の本懐に気づいていて、呼び出しの際に自ら嘘をついていたとも解釈可能な目をしていた。
「それを利用したとは言わないが、治も君に、私と同じ微かなる希望を抱いていたということは間違いないだろう。君が再び学校に通い、再び感情を取り戻し、再び笑顔を見せることを」
「……何故?」
「それは、私が見ず知らずの君に何故そこまでつけ込むのかという、何故?かい?」
こくっと頷いて声のない合否を伝える。
「それはだな――君が特別だからだ」
「特別……?」
「そうさ。知っているかい?君のような過去に何かしら悲惨な人生を送った子供は、大半がうつ病に罹患する。部屋に引きこもっては感情の出し方や人との接し方を忘れてしまってな。だがその中で稀に、うつ病に罹患せず、己を保ちつつもただ感情が消え去って無感情が性格の一部となるケースがある。どのような衝撃的な事象が起きても解離性健忘にならず、過去の様々な記憶を覚えていられるという一過性でもない事象がな」
言われて、過去の自分がどうだったかを思い出しつつ遥は続ける話を聞いていた。
「大抵、うつ病が治ると感情も接し方も徐々に戻るが、君のような稀の存在は、そもそもうつ病ではないのだから無感情が戻ることはない。つまり、病気ではないのだからどうしたって今の君を変えることはできない。どういうことか分かるかい?」
「……いいえ」
「君は死ぬまで部屋の中という狭い世界でしか生きられなくなるということだ。極端だが、間違いではない」
今がそうであるように、それ以上の進歩は望めない、と。感情がないことは知っているし、何事にも興味がなく死ぬ気もないから、ただ消費するのは時間だけ。そんな日々を死ぬまで続けなければならないんだぞ、と。そういうことだと、義務教育を途中放棄した遥でも理解できた。
「……それが?」
だが、それがどうした?という心構えは変わらない。今に意味を持っていない遥は、当然今後にも意味は持たない。無関心、無感情だからこそ、価値を見つけられていなかった。
それに、慎也は一瞬固まるとすぐに笑う。
「はははっ。やはりそうだ。それが君の正しい反応だな。成長の鍵となる感情が欠如している今、価値も何も意味なき概念として無価値に思うのも当然だろう。だが、それは籠の中で生まれ育った鳥だからに過ぎない」
そう言ってコーヒーカップを手に取り一口飲むと、ペンを回し、話しも続ける。
「過去は思い出す限り悲しいだろう。幸せを思い出せなくて、楽しいと思えることも面白かったことも思い出せない。でもそれは、君が負の人生だけを歩んで来たからだ。確かに幸福はあっただろうが、大半が偶然にも事故が重なり、不運にも幸せが手のひらから零れ落ちる人生だけをひたすらに歩んだ君は、今の無の権化となることとなった。しかし、もしそこで1つ、たった1つだけでいいから幸福と邂逅したらどうだろうか。それも
「……どうなるんです?」
もちろん、聡明とは程遠い遥は答えを見つけられなかった。だから聞いた。その答えが、己の琴線に響きそうな予感を胸に。
「さぁ、どうなるのか、私にも不明だ。なんせ、その答えを導き出すのは君自身なのだから。まぁそれでも1つ、確実に言えることはある。君は間違いなく――成長できるということだ」
「……何の理由があってそんなことを?」
「君と似た過去を送った人間の、希望と期待だな」
それが誰か、目の前に座る男性なのは十中八九間違いないことは判然とした。微かに微笑むその相好の裏に、望みを抱いているのを確認できたから。
「どうだい?人生で最も有益な3年という時間を、その結果を見るために使わないかい?」
何を意味するか、それは高校生活を私の高校で送らないかと言われているも同然だった。入学しないかと、誘われているのは間違いなかった。だから――。
「……申し訳ないですけど、俺は期待に応えられません」
無理だった。ここから先の未来を視ることは、諦めて今の判断に善し悪しを判別できない自分には到底容易いとは思えなかった。だから拒否だ。
「んー、そうか。理由を聞いてもいいかい?」
「価値がないからです。高校なんて勉強するだけの場所、行く価値がないし、行ってもまた俺の不運に誰かを巻き込むことになるかもしれないので」
「なるほど。それはつまり、勉強だけのつまらない学校に行って誰かを不幸にするのなら、家で静かに暮らしていた方が良い、と?」
「はい」
「うんうん。なら、私の学校は君に最適かもしれないな」
しかし慎也は食い下がることを知らないかのように押してくる。
「言い忘れていたが、私が理事長を務める学校というのが――
そう言われて学校に関して無知というか疎い遥でも一閃頭を過った。幽玄高校。日本で唯一、学校に関する全てに於いて国がバックにある私立高校であり、敷地内に水族館や動物園、遊園地や最新設備の寮まで完備された、日本で最も入学の困難と言われる高校だ。
驚愕し、えっ!と声を出す前によく見ると、胸の徽章は間違いなく幽玄高校の顔である、1つの線に3つの線が混じったそれで、驚きの連鎖によって声が出なくなってしまった。
「あははは。驚く顔は年相応だな。実に可愛げのある顔だ」
そう言いつつも、遥はその声を右から左に聞き流して、幽玄高校の噂を思い出す。それと同時に、再び慎也は口を開いた。
「そう。今君も、もしかして、と思っている高校だ。噂とかで聞いたことがあるだろう?幽玄高校は――自分と相性のいい生徒を心理学的観点から必ず1人は集めた学校だと」
慎也の言う通り、幽玄高校の噂はまさにそれだ。
入学希望者の中学校までの成績を調べ、更にはプライベートを除いた学校生活での言動を調べ、数多くの心理学者や最先端の技術を用いて、全国から相性の善し悪しを決めて入学を許可される学校。
同じスポーツを得意とする人、同じ趣味を共有できる人、価値観が合う人など、その相性は様々。
「私の学校では、まず1人になることがない。クラスを作る時点で相性の良い人たちを集めたクラスを作り、授業に遅れのないようバランスを完璧にする。だが、流石に全員が最高を味わえることは不可能だ。私たちができるのは、相性の良い組み合わせを作ることだけ。それ以降は人の感情の変化によって左右されるのだから、干渉は不可能。つまり、自由ということ」
「……それが俺の入学と何の関係が?」
「君の学校生活をどこの高校よりも豊かにできる」
「求めてません」
「君が求めてなくても、治はどうだろう。確かに今の君には、何を言っても無効だろう。電源の入っていないテレビがつかないのと同じだから。だが、客観的な視点からでは、君の過去を知っている叔父の治は、君に再び笑顔が戻ることを期待し求めている。確かに君は辛い過去を負った。けど、それがいつから君
「…………」
不覚にもハッとしてしまったのは、それ即ち感化されたということの証明だった。
だが遥は、気づけてよかったとも思っていた。感情がないからこそ、遥は今を平凡に無価値に思うだけで生きれているが、叔父は違う。感情があるからこそ、今も尚、何事にも無価値だと思う遥に更に深く心を痛めて、それでも笑顔で接している叔父の辛さを知らないことないだろうに。
「だろ?治」
突然遥の背中側、リビングの出口に向かってそう言い出す慎也。振り向くとそこには――。
「なんだよ。分かってたのか」
――少し照れている様子の叔父の姿があった。
「私は秀才だからな」
「ふっ。そうだな」
聞かないでと言われたことに耳を傾けてしまう。それほどに心配させ、悩み事を増やしてしまっていることを改めて遥は理解した。歩み寄る叔父に、心底申し訳なく思う。
「僕がここに来たら、もう僕が心配していたからという理由で頷きそうだから無意味かもしれないけど、僕は常に遥の選択が間違いだとは思わない。だから選びたい方を選ぶといい。高校に入学して、相性の善し悪しで決められた楽しくて飽きない学校生活を送るか、今を続けるか。それは誰にも犯せはしない選択だから、ゆっくり決めるんだ」
朗らかな笑顔は強制をしなかった。無感情の遥に響くこともなかった。けれど、選択はした。叔父の影響が半分以上だが、それでもいつまでも己の過去と対面する度に背を向けて逃げるのは良くないと、決めることができたのは成長だ。
「……入学すれば、俺は変われますか?」
「当然だ」
その絶対的な発言を信じて。
「分かりました」
遥は価値を求めて頷いた。
それから慎也は喜びながらも淡々と簡単に学校について説明をした。時に大雑把に時に細かく。分からないことはないかと聞かれて、特になかったから、遥は快諾の意味で頷いた。
「それでは最後に、幽玄高校の相性について教えよう。幽玄高校、実は巷ではこう言われているんだ。――恋愛専門学校、と。それが何故か、簡単に分かるかい?」
「……相性が良い男女が結ばれるから?」
何を言うかと思えば、最後に全く興味のない恋愛という単語が出て、相変わらずの反応で返す。
「大正解だ。スポーツが得意な人同士は相性が良い。だが、スポーツが得意な人と、スポーツが苦手な人もまた相性が良い。では前者は同じスポーツをする点に於いて、だが、後者はどうだろう?」
「スポーツを教え教わる相性か?」
叔父が隣からそっと、答えに悩む遥に助け舟を出した。
「大正解。今言ったように、相性というのは実は様々で、これという決まりはない。そんな複雑でありふれた中、最も他人を動かし相性の善し悪しに直結する概念は何か。それは間違いなく――恋心だ。時に他人との関係を深め、時に仲違いをさせる。そして時に、犯罪にまで手を染めることもある。そんな奥深くて広い感情を、遥くんは持たない。それはつまり、私たちでさえ、今後どのような人間関係を紡ぐか予想ができない。君はきっと、入学してから常に大嵐だろうな」
「……それ、良いことですか?」
「うん。きっと」
初めて見せる、優しい笑顔。過去の自分と合わせているのだろうか。
「まぁ、正直私には分からない。君のことは不明瞭すぎるからな。だから頑張れとしか言えない。だが、その代わりに充実した生活を送らせることは確約しよう。君の生活に干渉することはないけど」
「学生は学生だけが送れる人生唯一の時間だからな。理事長なんて関わったことすら忘れたいレベルだ」
「何?お前理事長と何か因縁があるのか?」
「いや、お前のような理事長と関わってたらってことだ」
「それは遺憾だな」
懐かしむように2人は会話していて、いつの瞬間からそれに憧れ始めたのか分からない。それでもただ、遥は2人のような人間関係を築けないかと考えるようになったのは、今であることに変わりはなかった。
「そうだ、今言った恋愛に重きを置いていることは他言無用で頼む。相性の善し悪しは構わない。周知の事実であり入学生に伝える義務があるからな。君に言ったのはあくまで成長に必要だと判断したからだ。恋愛を主軸にした学校であることを頭の中に入れ、生活をするのは君のような無を得た人間だけの方が、他者の成長にも繋がるからな」
「分かりました」
「よろしい。では、私も暇ではない。これから本格的に入学の準備が始まるのでな。理事長として職務怠慢を指摘されては、文科省のお偉いさんに殴られるのは御免だ。ここでお暇だ」
「慎也さん、本日はありがとうございました。色々と助けられました」
「そう思えているなら、私も今この立場に立てたことを嬉々と思える。私からも感謝している」
言いつつカバンを手に、背伸びをして遥という収穫を得たことに満足したかのように笑顔を見せた。叔父と見せるやり取りが、輝いて見えたのはやはり憧憬からなのだろうと、胸に手を当てて鼓動以外に意味を持たない無の気持ちを改めて確かめていた。
「送ってくるから、部屋に戻るなり好きにしてていいよ」
「分かった」
声に出して承諾し、玄関に向かう2人の背を眺めていた。
――「どうだった?」
治は車内で慎也に問うた。その意味、理解できない慎也ではないと確信して。
「あの子は利用できるだろうな。無感情であって今も尚うつ病診断されていない稀有な存在。そんな子を複雑な恋愛の相性として絡めれば、きっと人間関係の相性を更に詳しく識別できるようになる。いい実験体だ」
これでもかと吐き出すように、慎也は本音とも思える語調と語気で言った。
「それが僕の甥に対する見解かよ。そんな悪人のように振る舞わなくても、過去の自分と重ねて二度と同じ道を歩ませたくないって思ったことは、親友にはお見通しだぞ」
「気持ち悪いな。私は20歳からの記憶しかないんだ。重ねたとはなんの事だろうな」
「ふっ。お前も変わらないとぼけ癖だな。んで?遥は幽玄を卒業できると思うか?」
「できるさ。私のサポートなくてもな。なんせ――俺と違う目をしてたからな」
「なーに。覚えてるじゃないか」
懐かしみ続ける2人の他愛ないようで意味のある会話。治は嬉しそうにボソッと呟いた。そこに遥へ尽力してくれるよう、期待を込めて。
夕刻、陽光は斜めになった。
遥は部屋に戻って整理整頓を始めた。近づく新天地での新たな生活に向けて、右も左も分からない心配よりも、己に実直に生活する大切さを胸にして。
そして――。
恋愛という言葉に少し興味を持って。
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