第5日
少し遅れて帰ってきたミソカの様子はいつもと変わりない。
たくさん遊んでもらった琴音は早くからぐっすりと眠ってしまった。
「ねえ、これから帰ろうかと思ってるの。琴音ちゃんのことはよろしくね」
聞きたくなかった言葉が耳に入る。
「どうしてもその場所が嫌だったからここまできたんでしょ? 逃げてきたんでしょ?」
私の言葉にミソカは振り向かず、目をそらしたまま口を開く。
「守らないといけないものができちゃったからさ。琴音ちゃんは私たち二人の宝物でしょ。だから私頑張れる。それにここでなりたくもなかった女王になっても恋して子ども産んで頑張ってるコモチを見てきたし」
笑って振り向いたミソカの瞳は潤んで光って見える。
「私誰かと話しているの聞いちゃったの。琴音の存在がバレてしまったんでしょ? 三人で逃げてもいいわ」
そういった私にミソカは首を振る。
「逃げる生活なんて琴音ちゃんにさせたくない。大丈夫、気持ちは決まったの」
家を出ようとするミソカの腕を慌てて掴んだ。
「明日でもいいじゃない。もう行ってしまうの?」
私が掴んでいる手をもう片方の手で優しく撫でるミソカ。
「琴音ちゃんに逢ったら出づらくなっちゃうから。ピアス……返してくれる?」
手を離して耳にあるピアスを外して手渡す。
受け取ったミソカはそれを耳に着けて両手を前に出した。手の平と手の平の間に泡が集まっていく。
「ピアスの代わりにこれをもってて。泡球っていうの。何かあったらこれで連絡して。触れれば城に繋がるから」
ふわふわ浮いている泡球を受け取り、ミソカは外に出た。
「あなたはどこに帰るの?」
振り返ったミソカは不思議そうな顔をした後、あっと思い当たったのかいたずらがばれたような笑みを向けてくる。
「いってなかったっけ。私はここでいう水の精霊の王になるんだ。これから私は絶対的な権力を持つわけで、それを活用してくるわね。だから、安心して」
水に関わる全ての精霊の王にミソカはなりに行くと聞いても、ピンとこない。
「じゃあまたね」
最後にそういってミソカは暗い水の中、見たことのないスピードで泳ぎ去ってしまった。
久しぶりに泡球に触れる。
ミソカが帰ってしまってから最初は頻繁に連絡を取っていた。しかし、永久に使えるわけではなくいつかは割れてしまうと聞いてから、連絡は控えるようにした。琴音が漱という男の子に夢中になってからは特に。
「コモチ久しぶりじゃない。琴音ちゃんは元気? 何かあったの?」
私は琴音が漱という男の子と約束をして海に出たいという話しの一部始終を話す。そして、逢えばきっと人間になりたいと思うようになるだろうということも。
「もう、久しぶりに連絡がきたと思ったら、問題をもってきて。そんなに大事なことずっと黙っていたなんて酷い。琴音ちゃんが人間になれるかどうかはその、漱? って子しだいだし、無理だったら海に暮らすままで、人間になれば全ての縁が切れて、もう繋がりが断ち切れてしまうことはどうしようもできないからね」
大きなため息を一つして、ミソカは呆れながらも了承してくれたみたいだ。
「本当にありがとう」
心の底から出た言葉。
「なんで、あんたなんかと仲良くなっちゃったのかしら」
そんなことをいいながらも口元は緩んで見える。
「私はミソカと仲良くなれてよかったと思っているわよ。私と出会ったこと後悔しているの?」
私の言葉にミソカはゆっくりと首を横に振る。
「いいえ。あなたに出会えたことは私の人生で一番幸福なできごと。また、コモチとのんびり暮らしたい」
しみじみといわれ、胸がじーんとして苦しい。
「私もよ。ミソカ」
一週間後に逢う約束をして泡球に触れると、ぱちんと弾けて消えてしまった。
琴音のために逃げてきた場所に帰ったミソカ。今回も難しいお願いを通すために自分を犠牲にすることになるのかもしれない。私にできることならどんな恩返しもしようと、弾けた泡球のかけらを見ながら思った。
姿を変えた琴音の後ろ姿がどんどん遠くなって見えなくなる。
「本当にありがとう」
横に並んだミソカに声をかけた。
「まったく、親子して別世界の男に恋なんかしちゃってさ……。私のことを困らせるなんて、ほんといやんなっちゃう」
その言葉とは裏腹に嫌そうな声音には聞こえない。
「ごめんね」
一応の謝罪を口にする。
「琴音ちゃん、うまくいくといいわね。でも、漱くんとやらに口を出したら駄目だからね。私が困るというのをお忘れなきように」
何かを思い出そうと漱が川に来た時はと思っていたのが見抜かれてしまったみたいだ。釘を刺されていても、私は琴音を幸せにするためなら約束を破ってしまうだろう。
「まあ、とりあえずは二人が出逢えるか……ね。じゃあ帰るわ」
そういうとミソカはすいすいと海へといってしまう。
「えっ、ちょっとくらい……」
「琴音ちゃんのことでちょっと処理しないといけないことが残ってるの。また来るわね」
言葉を遮っていうだけいうと、ミソカはぐんぐん泳いで行ってしまい見えなくなった。
琴音に逢えたのかやっと漱が川に来た。少し言葉を交わし、私が覚えている二人が約束していた光景を水を通して見せる。
漱には悪いがその時に、彼が見てきた琴音の姿を少しだけ見させてもらった。元気にやっているみたいで安心する。
川から出た漱は一度頭を下げて離れていった。
人間の世界を知らない琴音に色々と教えてあげて。二人がずっと幸せでありますように。そう思いながら見送る背中はすぐに見えなくなってしまう。
「口出し禁止っていったじゃん」
急な声にびくりとして振り返ると、頬を膨らませて怒っていますという表情を作るミソカがいた。
「口は出してないわ。見せただけ。それに……」
「親が子供の幸せを願って何が悪いの」
私の声を真似して言葉を引き継ぐミソカ。
「なんていわないわよね」
意地悪そうにいうミソカに、全部わかっているじゃないなんて思う。
「まあ、過ぎたことをくよくよいっても仕方ない。そのぶん働いてもらおう」
働く? ミソカの言葉に首をかしげる。
「川の精の女王の座なんかさっさと誰かに譲って、私の手伝いをしなさい。琴音ちゃんもいなくなってさみしいでしょ。これは水の精霊の女王の命令です」
そういってミソカは笑った。
「でも私は淡水に住んでいるのよ。海水は合わないわ。それに……琴音がここに逢いにくるかもしれない」
琴音がここに逢いに来ても見ることしかできないのはわかっていたけれど、それでも元気な姿を見れるだけで安心できる。それに私を海水で生活できるようにするなんてミソカの負担が増えてしまうに違いない。
「そこは私がちょちょっとこう、なんとかするわ」
これからいたずらを仕掛けようとするように笑うミソカに、この子は偉くなっても変わってないわと思った。
「よかったね」
ミソカの顔をみると遠くを見る目をしている。
「精霊の女王としては、たとえ半分だとしても精霊であるものが人となり、人と生活を始めるかもしれないなんてあってはならないことだと思うし、由々しき事態よ。でも、あの子の誕生を見届け、第二の母みたいな気持ちでずっと見守ってきた立場からしたら、あの子の思いが届きそうで本当によかったと思ってる」
離れていてもミソカはずっと琴音のことを思ってくれていたのだとわかった。
「はい、これ。またつけてね」
差し出された手から受け取ったのはあのピアスだった。
川と海をまたにかけて @sakurano_utuki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます