第3話

「琴音。男の子と川に入るってどういうことなの?」

 コモチは二人が川に入ってからの一部始終を知っていて見守っていたが、約束を破ったことには変わりはない。そのことに関しては母としてきちんと話しをしなければと、戻った琴音に口を開いた。

「漱くんともう会えなくなるから、最後に漱くんがしたいことしたかったの」

「どんなことであれ、約束は約束よ。これから水の中を出ることを禁じます」

「いいもん。私海に出るから」

 きっぱりといった琴音に、コモチは川と海の違いを説明し、私たちの肌には合わないと説明する。

「私たちは、川に住む精霊なんだから海には行けないのよ。海水は私たちを焼き、数分ともたずに海水に溶けてしまうの」

 コモチの話しは大げさだと、琴音は同じ水なんでしょと軽く考える。

 その日からコモチは琴音から目を離さないように常に気を張っていた。

 琴音はいい子で過ごし、母の目が離れる隙をうかがい川を下ろうと考えていた。


 ある日琴音にとって絶好のチャンスが訪れる。コモチは琴音がおとなしすぎると思いながらも気が緩んでしまい、たまった疲れからうたた寝をしてしまった。

 琴音はお母さんの言葉が本当かどうか確かめるだけだと思いながら海に向かった。

 淡水に徐々に海水が混じっていく水質の変化に、琴音は遠くまで来たという興奮から気がつかないうちにどんどん塩の濃度は上がっていく。

 塩は琴音を徐々に蝕んでいた。白い肌はどんどん赤くなり、綺麗な青色は服も髪もくすんでいった。

 変化に気づいた頃にはそこはもう川から離れた海の中だった。息切れとは思えない程呼吸がし辛くなって、琴音は泳ぐのを辞める。

 喉を押さえ、息をしようとするのに苦しくなるばかり。体は熱く、突き刺さるような痛み。それでも、引き返そうと思えば琴音は泳げたはずだった。

 琴音にとって水の中は安全な場所だ。その水の中で苦しくなっている状況に琴音はパニックを起こし動けない。涙を溢れさせることしかできない。

「琴音!」

 このまま私は水に溶けちゃうのかな。苦しい怖い。そんなことを考える琴音にコモチの声が届いた。

 声の方を振り返った琴音の目に、コモチが猛スピードで泳いでくるのが見える。近づけば近づくほど、琴音とは比べものにならない速さでぼろぼろになっていく母に、琴音は恐怖を感じる。

 私よりも先にお母さんが溶けていなくなってしまう。

 琴音の元にたどり着いたコモチは、琴音をしっかりと抱きしめて川に引き返す。

 塩の濃度が下がるとともに、コモチは泳ぐスピードを落としていく。それでも、琴音をしっかり抱きしめたままコモチは泳いだ。

 息も絶え絶えでコモチは家にたどり着き、自分よりも琴音の手当てを先に始める。

「どうしてもというなら、水の精霊王様に頼んだらなんとかしてくれるかもしれない」

 琴音の傷を手当てしながらコモチはいった。

「川から出るともう、戻ってこれなくなると思うから、せめて、もう少しお母さんに時間を頂戴。その先、琴音と会えなくなるとしても、お母さん我慢するから。琴音の為どんなことでも、協力するから」

 いいながら、いつのまにコモチの頬には涙が伝っていく。

 琴音は自分のせいで母がボロボロになってしまったことと、母が泣いていることがショックで何もいえなかった。

 手当てを終えたコモチは寝込み、その看病を琴音は一生懸命にし、完治した後も母から離れなかった。


 川の外への憧れ、漱との約束。

 何日、何か月、何年。月日が流れても琴音は忘れることはなく、気持ちを押し込めるのは辛く、何もすることがない時にはぼーっと過ごしていた。

 コモチはそんな琴音の気持ちを察して、興味ないという演技をする琴音に独り言のように海のことを話した。

 海に出ると、私にはもう会えない。戻れるほど甘くはない。

 そういうコモチにそれなら海に出た後、失うものないなと琴音と思う。

 水の精霊王に会えて、たとえ海に出られる体を手に入れたとしても、海と陸、二人が住む世界は違う。

 その話しを聞きながら琴音は、それなら人間になりたいと思う。

 会う段取りはなんとかしてあげるからね。

 この川の女王とはいえ、コモチにそんな力、人脈があると琴音は信じていないまま時は流れた。


 琴音は十五になろうとしていた。

「一週間後に水の精霊王に会えることになったから、心の準備だけしておいてね」

 突然のコモチの言葉に頭の上にクエスチョンマークを浮かべる琴音。

「そろそろいい時期かと思って話しをつけてきたのよ」

 今朝ちょっと川下の方へ出がけてくるわといって出かけたコモチ。夕方に帰ってきてなんでもないことのようにいう母の言葉を、琴音は理解するのに時間がかかった。

「えっ、でも、お母さん……」

 自分の意志を無視してここで跡を継ぐといおうとする琴音を、コモチは首を振って止める。

「行きたいなら行きなさい。お母さんのことは気にしなくていいから」

 コモチの目力に本心を見透かされているような気がして、琴音は頷きこの川の外へ出ることを決めた。

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