百歳体操(タイムカプセルの内容 わたし向け)
企画は中止になりましたが、
わたしの書いたタイムカプセル記事がありますので
載せておきます。
二〇二三年七月二十五日 五年後のわたしへ
わたしは統合失調症だから、薬の副作用ですでにこの世の人間ではないかもしれない。ある情報によると、精神疾患用の薬は『殺虫剤』から出来ているという。だから本来なら、。今日できることを今日中に済ませ、やるべき読書も創作もキッチリ済ませるべきだがやっていない。気力が湧いてこないのである。
五年後にまだ生きているとするならば、まずは、『枕草子』や『白痴』など、名作群を読了したか、自分に聞いてみたい。それにその頃にはエッセイストとしてデビューできているだろうか。なにか人に与えるモノがあるだろうか。
幻冬舎のエッセイ講座で、自分独自の体験や経験から来る気づきを、生死・愛情・欲といった普遍的なテーマにして書くと共感されやすいと教わった。独自の体験は充分してきたが、普遍的なテーマとなるとなかなかうまくいかない。それに、そういうテーマにからめるのは、幻冬舎独自の傾向なのかもしれない。エッセイにも出版社の色があるだろうし、それに合わせなければエッセイストにはなれない。わたしは五年後にはそうなっているだろうか。
こうしていま、五年後を想定するという行為を通じて、わたし自身がまだまだ変化していく余力があることに気づかされる。自分自身を確認することで、社会に還元できるかもしれないのだ。
五年後、義母は八十七である。生きているかどうかもわからない。いろいろなシーンでささえてくれる義母がいなくなったら、わたしはどうしていいかわからない。五年後にはしっかり家事をやっているのだろうか。
五年後に世界がどうなっているにせよ、このまま平和であってほしい。平和だからこそ、自分を振り返ることができる。今後も社会に関わり、五年後にはエッセイストとして一人前になっていると思いたい。
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