第32話【ヒモも見たかったな......】
別荘のある高台の横に位置する坂道を降りれば、眼前に鈍行列車の中で目撃した広大極まりない海が現れた。
ここは虹ヶ咲家の敷地のため、海岸はもちろん海の中にも人一人存在しない。
遠く横の敷地外の方に視線を向ければ、米粒台の大きさのヨット? と思わしき物体が映るのみ。
潮の香り漂い、波の音が一定のリズムで心地よく響く中、早速俺は休憩スポットの設営に取り掛かる。
現在の気温は35度。
昼前でここまでの暑さを記録しているのだから、午後になったら38度くらいまで上がるかもしれない。
熱が籠りがちな都会に比べたらここは幾分マシだとしても、やはりしっかりと熱中症対策はしておくべき。
砂浜の上に五本のビーチパラソルを固定し、うち三本の下にはレジャーシートを。残りの二本の下には背中を倒せるタイプの大型のビーチチェアを設置。
ビーチパラソルだけでもかなりの重量だったというのに、あとからスマホのメッセでビーチチェアも運べと来た日には、何かの罰ゲームですか? ともなるわな。
旅行中、せめて執事兼世話係が最低でもあと4人はほしいところだ。
設置を終えた頃。俺の身体は何度も別荘と海岸を行き来したせいもあり、大量に汗が噴き出していた。
始める前に水着に着替えておいて正解だった。背中を数箇所蚊に刺されたみたいだが。
タイミングを見計らっていたかのように、遠くから女性陣の笑い声が聴こえてくる。
こちらの苦労も知らず呑気なもので。
「準備お疲れ~♪ はいコレ♪」
「ん、サンキュー」
オレンジベースにハート柄が細かくプリントされたビキニを着た
ゴキュゴキュっと、喉仏の鳴る音が大きい。
「一人に任せちゃってゴメンね。......その代わり、長月くんには最高のご褒美を用
意したからさ」
「ご褒美? ていうか、なんで
隠れるように浅川の後ろに佇んでいた璃音は、俺と視線が合うと俯き身体を横にずらしほぼ見えなくなってしまった。
「誰かさんに見られるのが恥ずかしいんだとよ。いい加減覚悟決めやがれ」
「そうだよ璃音さん。らしくないよ?」
「あのぅ......やはりこの水着、派手ではないでしょうか」
「紐よりマシだろ。いいからさっさと見せる」
「きゃッ! ちょっ、歩美さん!?」
素早く璃音の後ろに回り込んだ浅川は、躊躇なくタオルを一気に下にずり下ろした。
露わになった汚れを知らなさそうな真っ白な肌に身に着けられていたのは、フリルが付いた上下黒のビキニ。身体のラインを隠さないよう、あくまで尊重し過ぎない程度に付いたフリルはかえって素材の良さを引き立てていて。白と黒の組み合わせが小悪魔的雰囲気醸し出すも、
「......綺麗だ」
見惚れるがあまり、自然と感想が口がこぼれた。
「感想いただきました! だって璃音ちゃん。良かったね♪」
「あ、ありがとうございます。その......あまり直視されると恥ずかしいのですが」
「んなこと言ったって......な?」
ヤバイな。炎天下の中で逆に助かった。
これならどんなに羞恥で顔が赤くなっても熱中症と説明できる。
直視するなと言われも感情は正直。目を逸らしてもつい視線は璃音の上から下を追ってしまう。
「紅葉ちゃんのお兄ちゃん、いい反応してくれるね~」
「はい。なんだか見てるこっちまで照れてきます」
璃音の横で悪戯っぽい表情の日向に話しを振られた
照れると言っておきながら、目は口ほどにものを言うとは良く言ったものだ。
「ヒモにしないで正解だったな。んじゃ早速泳ごうぜ!」
――篠田、二度もヒモって言ったな。
ウチのドリル令嬢に何て物を着させようとしてんだお前ら。でもちょっと見て見たかった気がしなくもない。
「待てしーぽん。その前にまだイベントが残ってる」
今まさに海へ飛び出そうとする篠田の腕を掴んだ浅川の目が怪しく輝いた。
「おお。そうだったな」
「イベントって何だよ」
「休憩スポット設営をやってくれた長月くんへのご褒美パート2~♪ では璃音ちゃんどうぞ~♪」
日向に前に出るよう手で促されながら、もじもじとする璃音が口を開く。
「大変お願いしにくいことなのですが......その、
「いやいやいや! ちょっと待て! それは
いくら璃音の世話係を自認する俺でも、そんなセクハラに繋がる行為、できるわけないだろうが!
「わたくしも最初は日向さんたちにお願いしたのですが、流真さんは塗るのがお上手だとお聞きしたものですから」
「だよね~紅葉ちゃん?」
「あ、はい! お兄ちゃんの腕はそりゃもう一流で。気持ちいいですよ」
人の妹まで何共犯者に仕立ててんだコイツら!
紅葉も乗るんじゃない!
「早くしないと、大事な璃音ちゃんの綺麗な肌がこんがり焼けちゃうよ~。ほらほら~、守らないと~。騎士だけに♪」
日頃からいろいろと世話になっている日向だが、いまほどイラっとした瞬間はない。
「......分かったから。とりあえず今すぐそこに横になれ」
「物分かりが早くて助かるねぇ、璃音ちゃん♪」
「よ、よろしくお願いしますわ」
「くすぐったくないよう、優しく丁寧にお願いしますわよ」
「努力はする」
お互いビーチサンダルを脱ぎ、レジャーシートの上で向き合うような形になると、その場でゆっくり璃音がうつ伏せになりはじめた。
間近で見る璃音の背中は、肩甲骨がちょこんと出っ張っているだけの、無駄な部分など全く存在しない比較的平坦なライン。
しかしお尻から太ももの付け根にかけて見事な桃型を形成し、脚先に至るまではやはり無駄のない、程よく引き締まった体つきをしている。
一緒にいる時間は長くても、裸に近い姿を見るのはこれが勿論初めてのこと。
今からこの美しくなだらかな山脈に日焼け止めを塗る――想像しただけで心臓の音がとんでもない爆音で鼓動する。
先行しまくる心臓を深呼吸で落ち着かせ、座り、日焼け止めを自分の手のひらに数滴垂らす。
軽く馴染んだところでいよいよ璃音の背中に手を伸ばそうとした時、周囲を囲む四つの視線に堪らず俺は口を開いた。
「......何見てんだよ」
「気にしないで。私たちはただ、長月くんが日焼け止め塗るのにカッコつけて胸とか揉まないか期待、もとい見張ってるだけだから」
「アホかお前ら! いいからその辺で準備運動でもしてろ!」
キレ気味の俺の言葉を合図に、日向たちはわーキャー言いながらダッシュで小さく波打つ海の方へと逃げて行った。見世物になるつもりはない。
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