第25話【とりあえずそれ、被ってろ】
ほとんど減速する素振もない。
浅川はアンカーの
そんな浅川に璃音も合わせて走り出し、一切手間取ることなくバトンを受け取ることに成功。いよいよだ。握った拳に俄然力が入り、期待に心臓の鼓動が大きく躍動する。
バトンを受け取るや、璃音は両の横髪ドリルを鞭のように大きくなびかせ、先頭二人を追い越そうとギアを上げる。
ものの数秒で二位と並んだと思えば、拮抗はあっという間に解け飛び出して行く。
先頭の
「――いっけぇぇぇぇぇぇぇ!!! 璃音!!!」
叫ばずにはいられない。
隣にいる
ドラマのような熱い展開に他のクラスはもちろん、璃音に対して冷たかったクラスメイトたちからも歓声の声が響く。
そんな想いが届いたのか、ゴールを目前に事態が動いた。
璃音が頭一つ出たと思いきや、その勢いで湊のクラスの走者との距離を徐々に離していった。
勝負は決まった!
......誰もがそう確信したであろうこの瞬間――運命を操る何者かの手により、残酷な仕打ちが放たれた。
「あッ!!!???」
大歓声の中、聴こえるはずのない璃音の声が聴こえた気がして、思わず身体を前のめりにさせる。
ゴールまでほんの数メートルに差し掛かった璃音の身体が突如傾き、そのまま地面を勢いよく派手に転がったのだ。
大歓声が一転悲鳴に変わり、周囲からは心配する声が上がる。
無情にもその間に湊のクラスがゴールしてしまい、起き上がってなんとか最後まで走り切った璃音の順位は――最下位だった――。
走者を
「このくらい何でもありませんわ。二人とも心配性ですわね」
救護テントで治療を受けていた璃音は、表面上は思ったより元気そうに振る舞っていた。
ケガ自体は膝を少し擦りむいた程度にすんでいて、女性にとって大事な顔には目立った外傷はない。良かった。
「そりゃ心配もするだろ。あれだけ派手に転べばな」
「そうだよ~。でも惜しかったね、ゴールまであとホントちょっとだったのに」
「納得いかねぇよな。あんなもん運営側の不備だろうが」
「不備っちゃ不備だけど、実際難しい判定だよな。すぐにどうにかできるってものでもないだろうし」
璃音が転倒した原因は、地面にできた小さな段差。
リレーの前にできたものか真相は分からないが、何かの競技中、梅雨の影響で柔らかくなったその部分に何らかの人為的力が加わってえぐれたのでは? というのが運営の説明。妥当な推理だと思う。
「いいんですのよ
「けどよ......いてッ」
「本人よりしーぽんの方がヒートアップしてどうすんの。終わったことにあーだこーだ言っても仕方ないよ」
浅川は納得がいかないと眉間に皺を寄せ吠え散らかす篠田を、後頭部によるチョップで黙らせる。
「篠田さん、わたくしのためにそこまで怒っていただきありがとうございます」
「べ、別にお前のためじゃねーしー! てか素直に礼なんか言うなよ、調子狂うだろうが」
「おやおやしーぽんさん、ツンデレですか~♪ 可愛いですね~♪」
「うるせー
辛気臭かった雰囲気が、日向の愛あるいじりにより一転して明るいものへと転換した。
こういう時にクラスの陽キャなムードメーカー代表がいてくれて助かる。
「――日向、悪いんだけどちょっと上着借りていいか?」
「え? ......う、うん。いいけど」
「どうしたんですの長月さん?」
きょとんとした瞳の璃音の前に立つと、俺は背を向けその場にしゃがみ込んだ。
「ん。念のためだ。保健室で少し安静にしてろ」
「そんな! オーバーですわよ長月さん」
「いいじゃんリオリオ~♪ お言葉に甘えちゃいなYO~♪」
「あのぅ、どさくさに紛れてリオリオ呼びはちょっと」
「ちっ、バレたか」
日向の奴、璃音との距離を縮めようと油断も隙もないな。
「いいから。保険の先生には私の方から伝えておくよ」
「軽いケガでもナメんじゃねぇぞ。ここは長月の言うことに従っとけ」
「......皆さんがそう言うのでしたら、お言葉に甘えて」
三人の後押しもあって、璃音は恐る恐る俺の背中へと身体を預け、両腕を首に絡めた。
背中に女性の証たる、柔らかい二つの膨らみが押し付けられ、嫌でも俺の男子たる部分が反応してしまいそうになる。
身体を起こすと、日向は自分のジャージの上着を頭から璃音にかけてくれた。
「虹ヶ咲さんのことよろしくね? ささっ、私らは退屈な閉会式に出るとしますか~」
「校長の奴が閉会式も10分以上喋るに、私はジュース一本をかける!」
「しーぽん抜け駆け禁止」
「こういうのは早く宣言した方が勝ちなんだよ」
閉会式の開始を告げる放送を聴くや、去り際に俺にウインクをした日向。
あとは任せた、ということか。
みんなの背中を見送ってから、俺と璃音は保険室へと向かった。
***
閉会式真っただ中の、午後の校舎。
人気はほぼ無いに等しく、耳に届くのは外から発せられる、抑揚の無い校長のダラダラとしたスピーチに――女子の
歩きはじめてすぐにそれは耳元から聴こえ、決壊したかのようにとめどなく溢れ出ている。
頭からジャージを被っていて表情は確認できなくても、見るまでもない。
皆の前では強がって悪役令嬢を貫いていたくせに、本当は誰よりも悔しくてたまらない璃音――放ってはおけなかった。
「......ごめんなさい」
下駄箱を抜けたところで、璃音が小さく呟いた。
「わたくし、
正直驚いた。
俺はてっきり勝負に負けた悔しさを告げると思っていたのだが、璃音がどの感情よりも真っ先に告げたのは、自分のことではなく他者に対する申し訳なさ。
震える声音で詫びてきた。
「いいから。怪我人は黙って運ばれてろ」
「ですが......」
食い下がる璃音を納得させるためには、こちらも腹を割って話すしかないらしい。
「お前さ、言わなきゃ分からないと思ってるみたいだけど、みんなアレがわざとじゃない
らい理解してるぞ? それともなにか。お前は最初からゴール前でこけるつもりでこれまで練習してきたのか?」
「そんなことありえませんわ」
「だったらもういいだろう。璃音の頑張りは、一番近くで見てきた俺がよく知ってる。それじゃ不服か?」
「あ......」
ギリギリ声になる声を発し、璃音は黙った。
俺は数秒経ってから自分が恥ずかしいことを口にしたのに気付き、唇を強く結ぶ。
「俺の方こそ、不甲斐ないコーチでゴメンな」
「いえ。わたくしにとって流真さんは最高のコーチでしたわ」
「お世辞でも嬉しいよ」
素人同然の俺に文句の一つも言わずについてきてくれた璃音。
案外、誰かを好きになったら一途に尽くすタイプなのかもな。
「嘘ではありませんのに。前から思っていたのですが、流真さんは自己評価が低過ぎるかと」
「自己肯定の塊みたいな奴に言われてもなぁ」
「それはもちろん尊敬の意味ですわよね?」
「......」
「どうして黙るんですの!?」
汗と嗅ぎなれたフローラル系の匂いの交ざった怪我人が、俺の首を背後から絞めにかかる。
自然と背中に押し付けられた、二つの気高く麗しき山脈もより密着する形になり、理性を保っていたもう一人の俺も目覚めてしまう。
静かな校舎内が自分たち以外誰も存在しない錯覚を起こし、璃音をこんな大胆な行動をさせているに違いない。
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