第7話【恋人でもない二人が部屋ですること】

「なに遠慮してんだ。いいから早く入れよ」

「はいッ! お、お邪魔しますわ......」


 上ずった声音こわねで返事をした虹ヶ咲にじがさきは、どこか落ち着かない様子で靴を脱いだ。

 それに夕飯をご相伴しょうばんに預かるだけなのに、わざわざよそ行きの服装に着替えてまで。

 制服姿に見慣れているせいか、こういった大人っぽいピンクのニットワンピース姿に着替えられると、こちらの方も変に緊張してしまうというもの。

 俺たちがこれから食べる物は高級フレンチではない。極庶民的な家庭料理なのだから。


「これは......お魚ですの?」


 冷蔵庫から出された大皿を見るや、虹ヶ咲は目を細めて口を開いた。 


「カツオのたたきだ。知らないのか?」

「初めて見ましたわ。表面だけ焼いてあるのがまるでレアステーキみたい」


 初めてのカツオのたたきに悪役令嬢様は興味深々。

 俺の手元の皿をいろんな角度から眺めている姿が子供のようでちょっと面白い。


「ひょっとして生魚ダメなタイプ?」

「そんなことありませんわ。わたくし、お寿司やお刺身の類は好きな方ですわよ」


 虹ヶ咲は首を横に振って否定した。

 海外生活が長かったことをすっかり忘れていたが、今は日本じゃなくても国によっては結構身近にあったりするらしいしな。とりあえず安心した。

 

「このカツオというお魚は何か悪いことでもしたんですの?」

「何故そうなる」

「だって『たたき』とは『リンチ』のことではありませんの。何か人に恨まれるような悪事を働いたお魚なのかと」


「悪事を働く魚か。だとしたらカツオよりもサメなんかの方が適してるかもな」

「ふふ。そうですわね」


 上品に微笑む虹ヶ咲を横目に、俺は味噌汁を火にかけ始めた。


「――ご馳走さまでした。とてもおいしゅうございましたわ」


 昼食の時同様に手と手のひらを合わせて挨拶をした虹ヶ咲の表情は、食後の幸福感に満ち満ちていた。

 食欲旺盛な紅葉もみじの分を考慮して多めに用意したカツオのたたきは、添え物まで綺麗さっぱり俺たちの胃袋の中へと消えた。

 

「お粗末様でした。その様子だとカツオのたたき、結構気に入ったみたいだな」

「はい。ほどよく酸味があって甘じょっぱいソースもさることながら、カツオの周辺を取り囲む香草たちが見事に食材の持つ臭みを掛け消して余りある働きをし、口の中で絶妙な味のハーモニーを奏でていましたわ」


 大金持ちの悪役令嬢様だけあって、下手なテレビの食レポよりもコメントが上手い。

 嫌味を感じることなく表情と声音から本心が伝わってくるので、作り手冥利に尽きて胸に気持ちの良い温かさが宿る。


「前から思ってたけど、虹ヶ咲ってホント美味そうに食べるよな」

「美味そうではなく、長月さんが作るお料理は本当に美味しいんですのよ」

「いやいや。俺が作ったものなんて高級料理に比べたらどれも大したことないだろ」

「貴方は自分を卑下ひげし過ぎかと。わたくし、こう見えても貴方の作るお弁当を毎日楽しみにしているんですのよ」


 毎日楽しみ――か。

 俺みたいな人間でも誰かの役に立てることができて、嬉しい限りだ。


「お世辞でも嬉しいよ」

「だからお世辞ではありませんと言っているでしょうに。まったく」

「悪いな。つい癖で」


 ダイニングテーブルは挟んで対面に座る虹ヶ咲が半ば呆れ顔でため息を漏らす。

 そんな彼女の純粋な感謝の気持ちに当てられ、俺は自分でも大胆な提案を思いついてしまった。


「――なぁ虹ヶ咲。お前さえ良かったらでいいんだが......これからは俺たちと一緒に食事しないか?」


「......それってつまり......」

「昼食だけじゃなくて、朝食と夕飯も面倒見てやるって言ってんだ。そのくらい察しろ」


 熱を帯びた頬を掻きながら、視線を少し逸らして言葉を付けたす。


「いくらなんでもそこまでしてもらうわけにはまいりませんわ」

「人から弁当奪う常習犯だった奴が今さら何を言う」

「それはですわね......長月さんの作ったお弁当が、この世のものとは思えないほど美味し

かったというか......」


 もじもじと照れて声を徐々に小さくしていく虹ヶ咲に、さらなる追い打ちをかけるように。


「あの様子だと、これからも家での食事はデリバリーなんだろ? いくら昼食はバランス良く摂れてもそれだけじゃ絶対無理がある。食事ナメんな。身体壊して倒れられたりでもしたらそれこそ迷惑だ」


「わたくしの身体のことをそこまで心配して......」

「勘違いするな。隣が事故物件化されたくないだけだ」


 虹ヶ咲の性格上、恨んで化けて出てきそうだからな、とは口が裂けても言えない。


「兄妹水入らずを邪魔してもよろしいんですの?」

「紅葉の奴も喜ぶと思うぞ。なんだったらあとで連絡してみるか」


 妹の紅葉は活発そうに見えて意外と人見知りしい。

 初対面の相手を家にわざわざ招き入れるぐらいには虹ヶ咲のことを気に入っている様子なので、問題ないだろう。


「そこまでお願いされましたら、断るのは逆に失礼というものですわよね。長月さんのお望み通り、これからは三食デザート付きでお世話になって差し上げますわ♪」


「ああ。よろしく頼む」


 螺旋状ドリルの横髪を掻き分け、虹ヶ咲は今にも高笑いしそうな勢いで笑顔を浮かべた。

 少し前までお互い会話すらしたことが無かった俺たち。

 気付けばたった一ヶ月にも満たない間に随分と距離が近くなったものだと、目の前の悪役令嬢様を見て、つい笑みがこぼれた。

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