第6話【俺はお前専属の騎士でもシェフでもないんだが】
クラス内では相変わらずほとんど会話を交わさない俺たちだが、屋上での昼食と登下校だけは未だに共にしていた。
電車の乗り方も分かり、いい加減そろそろ登下校くらい自立してほしいものなんだが、
『わたくしに何かあったら責任取れまして?』
そんなもん俺が知るか! とできれば言ってやりたい。
ただ中身は論外として、見た目だけは文句なしに美人の類に入る虹ヶ咲のことだから、一人で登下校させるとナンパ等の面倒ごとに絡まれる可能性が非常に高い。
現につい数日前もちょっと目を離した隙に声をかけらている。
世間知らずの悪役令嬢様が、見知らぬ他人にホイホイとついていって事件にでも巻き込まれたら非常に寝覚めが悪い。
まだ
「......しょうがない。様子見ついでに持っていってやるか」
数日前に届いた母さんたちからの贈り物であるりんごをビニール袋に詰め、俺は隣の虹ヶ咲の部屋のインターホンを押した。
すると中で何やら大きな物音が聴こえたと思いきや、勢いよく玄関のドアが開かれた。
「助けてくださいまし!」
「おいどうした?」
「あの......黒くて光沢のあるすばしっこい虫が部屋の中に......!!」
怯えて俺の胸に飛び込んできた虹ヶ咲は、怖いのか顔を埋めてぷるぷると震えている。
その説明だけで部屋の中に何が現れたのかは余裕で理解できた。
古来より全人類共通の敵と言われているアレのことだろう。
「ちょっと待ってろ。家から殺虫スプレー持ってくるから」
くっつく虹ヶ咲を優しく引き剥がし、俺は殺虫スプレーを取りに一度部屋へと戻った。
季節柄温かく湿気も程よくあるこの季節。
我が家でもG対策はもちろんしているが、それでも出る時は出てしまう。
だが引っ越してきて間もない部屋に現れるとは。虹ヶ咲もツイてない。
「一応確認なんだが、自分で退治するか?」
「絶対に嫌ですわ! 長月さんにお任せします!」
「分かった。じゃあ部屋に入っていいんだな」
殺虫スプレー片手に戻ってきた俺が訊ねれば、虹ヶ咲は泣きそうな表情を浮かべ退治してほしいと大きく頷く。
気の強さに定評がある悪役令嬢様も、さすがにアレの前ではしおらしくなるようだ。
家主の許可を取り、玄関ドアを開き虹ヶ咲の部屋の中に進入する。
靴箱の上には名前の知らない花が活けられ、リビングに続く廊下にはこれまたよく分からない、いかにも高そうな絵画が飾られている。
虹ヶ咲の話しでは対象はシンクの下で発見したとか。となると今もその周辺にいる可能性が高いな。
――数分後。
「どうでしたの?」
「安心しろ。無事に退治しといたからもう大丈夫だ」
「......そうですか......良かったですわ......」
玄関前で待っていた虹ヶ咲に告げると、大きく胸を撫で下ろし安堵のため息をついた。
とりあえず死骸はティッシュに丸めた上に家から持ってきたビニール袋で二重に包んだから、仮に蘇生したとしても問題は無い。
むしろ問題は他にあった。
「そんなことより、少しは部屋の中片づけたほうがいいと思うぞ? 多分アレが現れたのはそれが原因だ」
「余計なお世話ですわ! というか見たんですの!?」
「お前、少しは自分の言葉に責任もとうな」
しおらしい時間は終わり、代わりに今度は羞恥の表情で罵倒をはじめる。
引っ越してきてまだ一週間しか経過していないはずの室内は、特にリビングの床がゴミの入った小さな袋たちと散らかった衣類で埋められていて酷く、まさに汚部屋の初期段階状態。
偏見で悪いが、掃除なんて一度もやったことないんだろうなと理解するには充分な室内と言えた。
「多分あのまま放置しておけば――分かるよな?」
「それだけは堪忍してくださいまし! わたくし初めて実物を拝見しましたけど......全てが生理的に無理。思い出すだけで鳥肌が立ちますわ」
身体を震わせ懇願する虹ヶ咲。
普段可愛げの無い悪役令嬢様が、こういう時だけ可愛さを出してくるのはズルいと思う。
「だったら今から俺と一緒に部屋を片付けるぞ」
「え、いいんですの?」
「隣が汚部屋になりかけているのを放っておけるか。こっちにまで出てきたらどうすんだよ」
「汚部屋とは失敬な! せめて生活感のある部屋とおっしゃりなさい」
眉をつり上げ抗議の声を上げても、自分の立場を分かっているのか語気に力強さを感じられない。それどころかそっぽを向いて小さく呟いた。
「はいはい。じゃあその生活感のある部屋とやらをさっさと片づけるぞ。二人でやれば一時間もかからないだろう」
「分かりましたわ。長月さんとの初めての共同作業――気合を入れて頑張りますわよ!」
どういうわけかやる気になった虹ヶ咲に首を傾げながら、俺は掃除用具一式を取りに再び部屋へと戻った。
掃除自体は汚部屋の初期も初期ということもあり、思ったより手間もかからずあっさり片付いた。
そもそも汚部屋の大部分を占めるゴミが入ったビニール袋や、散らかった衣類さえどうにかなればギリギリ綺麗な部屋と言えなくもない。
これがもし引っ越してきてから一ヶ月後だったらと思うと......頭が重くなる。
「まぁ、こんなもんだろう」
障害物を全て取り除き、軽く掃除機と弱アルカリ性の洗剤で磨いたリビングは一週間前、引っ越してきたばかりのような輝きを取り戻していた。
生活スペースがリビングだけで助かった。
もしも全体があのような状態に陥っていたら、確実に半日はかかっていただろう。
「んー! 気持ち空気が良くなった気がしますわー♪」
散らかした当事者にして家主は満足感のある表情を浮かべているが、実際虹ヶ咲は散らばった衣類をまとめたくらいで、他はほとんど何もさせていない。
「だろう? 部屋が散らばってると空気まで悪くなるんだよ。分かったらこれからは定期的に掃除しろよ」
「あら、毎日掃除してくれるんじゃありませんの?」
「甘ったれるな。誰がいつそんなこと言った」
「冗談ですわ。今回は本当に助かりました。改めてお礼を言わせてくださいまし」
本人的にも本当に感謝しているのだろう。
憎まれ口を叩きながらも虹ヶ咲は深々と頭を下げた。
「長月さんさえ宜しければ、何かお礼をしたいのですが」
「お礼なんていいから」
「そうはいきませんわ! 受けた恩は10倍にして返す――虹ヶ咲家の先祖代々から伝わるしきたりですので」
どういう経緯で10倍という数字に決まったのか気になるところではあるが、とりあえず今はこの場を何とかしようと頭を回転させる。
そこで一つの妙案を思いついた。
「だったら
部屋の中にあったゴミ袋には全て同じお店のロゴが入っていたので、気になってこっそり調べてみたところ、それは一品安くても五千円以上はする高級料理店のものだった。
とても庶民の俺たちには手の届かない豪華な料理でも、毎日ではいくらなんでも飽きるだろうし、金銭的にも負担は大きいはず。
「長月さん、わたくしの話を訊いていまして? わたくしは恩を返したいと――」
「だからそれがそうなんだよ。ちょっと夕飯を多く作り過ぎちまってな。一緒に食べてくれると助かる」
「なるほど、そういうことでしたか。でしたら喜んでご
納得してくれたのか、虹ヶ咲は花が咲いたように満面の笑みを浮かべた。
「いや本当に助かったよ。今日、
「.........へぇッ?」
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